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校長先生のお話

六甲学院中学校 卒業式 校長式辞

《2022年3月19日 中学校卒業式 校長式辞》

 

82期生の六甲中学ご卒業おめでとうございます。

コロナ感染パンデミックとロシアのウクライナ侵攻が続くこの時代に、皆が中学を卒業するにあたって、どのような人々と出会い、どういう人たちの生き方や心の在り方をめざしてほしいか、について話したいと思います。

 

1 ロシアの国営放送で「戦争反対」を訴えた勇気ある女性スタッフ

ロシアのウクライナ侵攻から3週間が過ぎ、ロシア軍の攻撃が劇場や列車など子どもを含む民間人にも向けられる中、この戦争を止めるためのメッセージを込めた行動がロシア国内でもあることを示す象徴的な出来事がありました。ロシアで多くの市民が視聴する9時の国営テレビの生放送中に、テレビ局女性スタッフの一人が「戦争反対、プロパガンダを信じないで。ここではあなたにウソをついている」という手書きポスターを掲げた行為が、映像とともに報道されました。「砲撃はウクライナのしわざだ」「ロシア軍はウクライナ政府に苦しめられている市民を解放するために戦っている」といったロシア政府から国営放送を通じてロシア市民に流されるプロパガンダを信じずに、ロシア軍が他国に軍隊を送って攻撃している今の戦争を一刻も早く止めるように、ロシア国民も目覚めて、協力してほしいという訴えです。ロシア内の厳しい言論統制の中、また戦争に反対する市民への弾圧も続く中で、こうした行動を取ることは大変勇気のいることです。本人も「これから自分がどういう処罰を受けるかは、こわい」という心情を話していました。命の危険まで覚悟したうえでの行動だったのだろうと思います。

 

2 遠藤周作「ヴェロニカ」の物語

カトリックの小説家である遠藤周作の短編に「ヴェロニカ」という小説があります。

教会の暦の上ではこの3月から4月中旬にかけて、イエスの受難と復活を記念する聖週間に向けての40日間の心の準備の期間です。「四旬節」と呼んでいて、世界の苦しむ人々とも心を合わせる時期でもあるのですが、小説「ヴェロニカ」は、この四旬節の時期に私が毎年読むことにしている文章の一つです。国語の教科書にも載ったことのある文章です。その小説の中では、第二次世界大戦中の南フランスでの話が紹介されています。フランスのある山村に住む内儀(かみ)さんが自分の家の納屋で、占領軍として来た敵国ドイツ兵の若者が、怪我をして血を流しながら隠れているのを発見しました。このドイツ人の若い兵士を助けたらドイツ兵に協力した者として処罰されるかもしれない。しかし、どうしても怪我に苦しむ若者を見捨てることができなくて、この女性は敵国の兵士を介抱します。ドイツ兵の苦しみに同情し共感する思いを、作者は「激しい憐憫の情」と表現しています。この傷ついた敵兵は結局見つかって村の青年たちに殺され、それだけでなく青年たちはこの女性もフランスを裏切った者として、ののしりながら殺し古井戸の中に投げ込んでしまいます。のちに村の人々は自分たちの過ちに気づいて悔い、この女性の行為を称え、「あなたはわれわれよりほんとうのフランス人だった。人間だった……。」と文字を刻んだ像を、村の入り口に立てているということです。

 

3 小説「ヴェロニカ」のメッセージ

小説の中では、人間が集団になると残酷で凶暴な行動に向かってしまう群集心理のこわさと人間の弱さを描きながら、そうした中でも人間としての良心と憐憫の情を失わない人がいることを語ります。同時に小説では、この話と関連させて、凶暴な興奮に駆り立てられた群集が、残酷なむち打ちに傷つき十字架を肩に背負って歩くイエスに罵声を浴びせる中で、あえぎ倒れるイエスに駆け寄って汗と血にまみれた彼の顔を布でぬぐった女性がいたことを、伝承として語っています。その女性の名前が小説の題名である「ヴェロニカ」です。作者は次のように述べます。

「ヴェロニカの小さな存在は、社会や群集がどんなに堕落しても、人間の中にはなお信頼できる優しい人のいることを僕たちに教えてくれるようです。」

 

4 希望をもたらす人―「憐憫の情」を抱き良心の声に従う生き方

偽りであることを承知で自国の侵略行為を正当化する内容を報道するロシア国営放送の最中に、命をかけて反戦を訴える勇気や、何よりも戦争で苦しむ人たちのことを思いやり自分の良心の声に従おうとする女性の思いは、ドイツ兵を同じ人間として助けたフランスの内儀さんやイエスを助けたヴェロニカとつながるものではないかと思います。国家や民族を超えて傷つき苦しむ人々に憐憫の情を抱き、人間の尊厳や命の尊さを何よりも大切にする人間への愛がその根底にはあるのでしょう。

3月5日の高校3年生の卒業式では、卒業した79期生は『カラマーゾフの兄弟』という小説を読んでいましたので、どんな状況になっても人間としての良心と善良さを失わない「アリョーシャ」という登場人物を例に挙げたのですが、こういう人がいるからまだ人間には望みをかけられると思える人物は、小説の中だけでなく私たちが見聞きし出会う人たちの中にもいるはずです。ロシアの国営放送のスタッフもその一人です。コロナウイルスパンデミックが収まりきらない中でヨーロッパに戦争が起きて、先の見通せない暗い思いが世界を覆いそうなこの時代だからこそ、希望を見出す目を持ってほしいと思います。できれば身近なつながりの中でも、希望となる人たちと出会う機会をもってほしいですし、自分たち自身がそういう人になることをめざしてくれたらよいと思います。