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校長先生のお話

一学期 終業式 校長講話

《2022年7月20日 一学期終業式 校長講話》

 

自分が「めざす姿」を探すことと

イエズス会教育がめざす「決然と弱者を擁護する者」

 

1 行事の中で「なりたい自分」を探すこと

一学期を振り返って、六甲生全員が体験した中で最も大きかった出来事は、やはり体育祭だったと思います。競技の観戦をみなで楽しめていたことも、総行進の完成度も、総行進のあとの競技が最後まで引き締まって行われていたことも、様々な点でよくできた体育祭でした。練習の中でも、高3、高2の役員たちの真剣に取り組みながら、どこか共に作り上げてゆくことを楽しんでいた姿が、そのまま下級生たちにも伝わって、下級生にはただしんどくて苦しいだけになりがちな練習が、本番が近くなるにしたがって少しずつやりがいや意味のある練習と感じられるようになっていったプロセスがあったようにも思います。先輩からの「ナイス行進‼」という声かけも後輩たちには励みや喜びとなっていたようでした。

中学1年生の作文を読んでいると、中一指導員や部活動の先輩だけでなく、体育祭の役員の中にも、数年後は自分もこんな風に後輩に接することのできる人になりたい、というめざす姿となった人もいたようです。入学して最初の時期に、そうした自分がなりたい姿が見いだせるのは、六甲学院の六年間の生活の中でとても大切なことだと思います。また高校生にとっては、進路の日などに講話に来てくれる社会人や大学生の先輩や、社会奉仕活動やOBの仕事場で出会う人たちが、自分の将来めざす姿になればよいと願っています。

将来自分のなりたい姿、めざす姿、生き方のモデルを探すことをテーマの中心に据えて、話をしたいと思います。

 

2 「決然と弱者を擁護する者」という生き方のモデル

今年の2月にインド募金を始めとした社会奉仕活動が、上智学院から「教皇フランシスコ来学記念表彰」を受けたことは、すでに伝えました。この表彰は教皇フランシスコが2019年訪日時の上智大学への来校を記念し、学生・教職員に向けて講話したメッセージに適った活動をしている個人・団体に送られるものです。その教皇フランシスコのメッセージの中心は「決然と弱者を擁護する者」になってください、ということです。さらに「己の行動において、何が正義であり、人間性にかない、まっとうであり、責任あるものかに関心を持つ者」となるように、というメッセージを送られています。6月に宗教部講演会でお話を伺った、外国人労働者のために活動している鳥井一平さんは、そうした生き方のモデルになる人の一人だと思います。また、この「決然と弱者を擁護する者」を育てることは、そのまま“Man for Others, with Others.”にも通じる、基本的なイエズス会学校の教育方針であるといってよいものです。そして、六甲の卒業生にも、それぞれの期に「決然と弱者を擁護する者」として”For Others, With Others.”の生き方をしている人がいることが、六甲学院の教育の実りだと思います。

 

3 「決然と弱者を擁護する」六甲の卒業生

六甲学院のOB会である伯友会の総会・懇親会は、卒業して25年経った期が幹事をします。今年は54期が幹事の年なのですが、54期に在間という弁護士がいます。もとから弁護士などの法律専門家のいない司法過疎地である陸前高田に、東日本大震災が起こった1年後に移り住んで、被災者のために法律相談をしてきました。在間さんが移り住んでから1年後位に、大船渡と陸前高田に生徒と災害ボランティアに行ったときに、彼の法律事務所を訪れています。生徒と共に話を伺う場を持ったのですが、生徒時代はラグビー部に所属しクラブ活動に熱心で、それほど社会奉仕活動に特別な関心を持った記憶はないとのことでした。「父親が弁護士ではあったものの思春期の反発心もあってそれほど弁護士になりたい思いも湧かなかったのだけれど、父親が人から感謝されている様子を見て少しずつ弁護士をめざす気持ちになった」という話をしてくださっていました。その在間さんが7月2日に東京の伯友会で講演者として来られ、久しぶりにお会いしました。

在間さんは高校1年生の時に阪神淡路大震災を経験しています。今年の4月下旬のある新聞の夕刊に、彼のことが掲載されていました。被災地の陸前高田に移り住む決断をしたきっかけの一つは、東北の被災者が家屋から家財道具を運ぶ姿を見たとき、高校1年で被災した阪神淡路大震災で、近所の小学校に避難していた被災者の引っ越しを手伝ったときのことを思い出したことだ、と記事で語られていました。自分の震災体験と岩手の被災地の現実とが重なったことが赴任の決意につながったのだそうです。こうした中学高校時代の体験が、ふと現在の出来事と重なって思い出されて、人生の方向性を決めるきっかけになることはあるのだろうと思います。この夏休みを中心に六甲生が参加するキャンプや社会奉仕活動、フィールドワークや東京・大阪・神戸の研修旅行、海外姉妹校とのオンライン交流なども、そうした将来の自分の姿や生き方を考えるきっかけとなれば、と願っています。

 

4 法律とSDGs・卒業生が目を向ける生き方

在間さんは、現在でも東日本大震災の被災者の家族が災害関連死に認定されるために、弁護士として裁判にかかわっており、認定に当たっては阪神大震災の時の判例を援用することもあるそうです。そうした形で弁護士として災害の弱者である被災者を擁護する働きをし続けておられます。さらに、東京での伯友会の集まりでお話を直接お聞きした折りには、現在は被災地などで法律相談をする人が不足している司法過疎地に、継続的に弁護士を派遣する仕組みを作る活動に取り組んでいると話されていました。

法律とSDGsとは一見関係がなさそうに思われるかもしれませんが、SDGsの目標16の「平和と公正をすべての人に」の項目は、平和で公正な社会を実現するためにすべての人が法律によって守られ、法律を利用できる社会にしてゆくことが含まれています。在間さんが司法過疎地で自分のしてきたことを次世代へと受け継いで、弱い立場の人々を支援し続けるための組織づくりに取りかかっていることは、そのまま大事なSDGsの活動と言えます。こういう生き方をしている卒業生が各期にそれぞれいることが六甲学院としての誇りだと思いますし、六甲の卒業生の良いところは、そうした人たちを各期が支援しているということです。

六甲学院の卒業生は優れた能力を持った方々は多いので、社会的に成功している人、「社長」「CEO」といわれる人たちも多く輩出しています。(同窓会の幹事会などに行くと半分くらいはそういう方々です)。もちろんそういう人たちも人々から評価され一目置かれるのですが、卒業生が目を向けるのは、在間さんのような生き方、教皇フランシスコの言い方でいえば「決然と弱者を擁護する者」、イエズス会教育のモットーで置き換えれば「他者のために、他者とともに」生きている人の方だと思います。生活のすべてをかけてそういう生き方をすることまでは、中々できないとしても、そういう人たちに関心を持ち、支援する側の人になることも大切なことだと思います。

 

5 姉妹校交流―共通点と相違点から見直す視点

イエズス会学校が恵まれているのは日本でも世界でも同じ方向性を持つ姉妹校が数多くあることです。インド訪問、NY研修、カト研巡礼やアジアのイエズス会学校との研修企画だけでなく、昨年からコロナ禍をきっかけに始まっているオンラインでの交流など、国内・海外を問わずそうした学校の生徒たちとの交流は今後も大切にしたいと考えています。高2の研修旅行では上智福岡の生徒たちと、学年規模の交流を企画していたのですが、コロナ禍で2月から6月に延期したために日程的に実現できなくなってしまったことは残念なことでした。これまでの経験から姉妹校交流の機会を持つ中で、同じ教育方針を共有す

る姉妹校であるが故に相通じる何かがあると共に、それぞれに独自な特徴があって、その違いを元に自分の学校生活について見直す視点が得られるという点でも、有意義なことだと考えています。これからも機会は創っていければと思います。

 

6 姉妹校栄光学園の生き方の基準“Noblesse Oblige”

私自身はこの1学期中に栄光の卒業生と話す機会がありました。4年ほど前にアジアのイエズス会学校の生徒たちが集まって、“イグナチオ的なリーダーシップ”をテーマにした合同研修会「ISLF」を日本でしたときに、ヘルパーとして手伝ってくれた学生の一人です。現在は神戸

大学の大学院で学んでいて、研究しているのは都市社会学という分野です。

その栄光の卒業生が、どんなことを研究しているかというと、“都市計画によって新しい商業

施設や宿泊施設が建設されて便利になり地域が繁栄する一方で、そのために住んでいた地域か

ら立ち退いたり周辺の住民の生活が変化したりする。場合によっては昔ながらの商店街が廃(す

た)れて、地域コミュニティがなくなってゆく。繫栄する側でなく、生活の変化を余儀なくされ

る人たちの方、社会的弱者の側を研究したいんです”、とのことでした。直接きっかけになった

のは、高校生の頃、冬休みに栄光の社会奉仕活動で釜ヶ崎に来て、炊き出しや夜回りをしつつ、

ある方から聴いた話だったそうです。新今宮の駅の北側に大規模な一流ホテルが作られる。その

一流ホテルができることで立ち退く住民の人たちのこと、街の変化を心配する話を聴いたことが、今の研究の動機になっているとのことです。

どうしてそういう繁栄する側よりも社会的弱者の側に関心を持つようになったのかを聴いてみると、栄光時代に教えられたものごとの考え方や生き方の基準として、そのOBから発せられた言葉は“Men For Others, With Others”とともに“Noblesse Oblige(ノブレス・オブリージュ)”という言葉でした。この“Noblesse Oblige(ノブレス・オブリージュ)”は栄光の教育の特徴を示すキーワードで、「地位や権力や財産を持つ社会的に恵まれた者には社会的義務が伴う」という意味です。西洋の貴族の騎士道に通じる言葉らしく、社会のリーダーは社会のために尽くす(身を投げ出す)覚悟が求められるという含みを持つ言葉です。「他者のために、他者とともに」という言葉と合わせて、社会的に恵まれている人間として社会の中で弱い立場の者に対して、尽くす精神が必要だという風に教えられるようです。

 

7 他者を“理解する”ために低身に立つ(”understand”)

同じイエズス会の姉妹校として共通点がありつつ、ノブレス・オブリージュというイエズス会の伝統やキリスト教用語とはまた異なる系統の言葉を使って、わかりやすく生き方の指針を示しているところに、栄光学園の独特さがあるように思います。六甲の場合も「“真のエリート”になる教育」として特に30期代の卒業生はこのノブレス・オブリージュと近い精神は教え込まれていたようです。その後六甲の40期代頃から「Man for Others, with Others」が教育モットーの主流になってゆきます。六甲では、ノブレス・オブリージュと通じる「社会の中で恵まれている自分たちの他者への役割」を伝える場合でも、時には社会的特権・優位性を捨てて低身に立って奉仕しなければならない場合があることを、加えて強調してきたように思います。六甲伝統のトイレ掃除の意味合いも、そうしたつながりの中で説明されることがあります。社会的に底辺にいて困窮している立場の人たちのことを「理解」するためには、英語のunderstandという単語の成り立ちにも示されるように、自分自身が低身に立つ体験が必要だということです。

 

8 フランシスコ・ザビエル-六甲教育がめざす生き方のモデルとして

本日配布される『よき家庭』という冊子の2~3ページ目に書いたことでもあるのですが、六甲学院の創立の原点となる人物はフランシスコ・ザビエルです。彼はポルトガルのリスボンからインドのゴアに向かう、一年にわたる船旅をするにあたって、ポルトガル王からの特別室や特別な食事や身の回りの世話をするボーイをつけるという特権待遇の申し出を断って、一番底辺の人たちと一緒に寝泊まりして、自分も船酔いに苦しめられながらも病気に倒れた人たちを必死に看病したと言われています。貴族出身であり、高学歴であり、司祭でもあるという当時にしたら非常に恵まれた特権を一旦置いて、目の前の助けの必要な人と同じ地平に立って生活するところから、本当に助けたい人たちのニーズも分かり、役に立つ奉仕もできる。そうした在り方、生き方を躊躇なく選ぶことができるために心身を鍛えることに、六甲学院の教育の主眼が置かれてきているように思います。

 

9 六甲独自の教育モットー(教育の特徴を表すキーワード)は?

以上、様々な出会いの中で、将来めざす人物やめざす生き方のモデルを探すことをテーマの軸にして話をしてきました。

それでは、六甲学院のみんなへの問いなのですが、六甲の場合、“Man For Others, With Others” の言葉と合わせて六甲独自の教育の特徴を表すキーワード、栄光の“Noblesse Oblige(ノブレス・オブリージュ)”に替わる教育モットーを端的な言葉で表現するとしたら、それは何でしょうか? 私も六甲として大切にしている独自の教育を一言で表すような言葉は何なのか、答えを探している問いです。みんなも、夏休みの様々な活動をしつつ、考えてくれれば良いと思います。