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校長先生のお話

2009年09月28日のお知らせ

希望を失わず、成長しよう

 昨年の朝礼で1954年の洞爺丸台風襲来時に出港を見合わせた羊締丸の船長の話をしたのは覚えていると思います。本日の朝礼も洞爺丸台風にからむ話です。

 9月26日付の読売新聞に出ていた話ですが、洞爺丸台風の大風で北海道積丹半島の南側の岩内町では大火に見舞われました。洞爺丸の遭難事件の陰に隠れて大きくは報道されませんでしたが、消失面積では戦後3番目、死者数では戦後最悪の大火だったとのことでした。

 この岩内町に住んでいた画家に木田金次郎という人がいました。私は写真でしかこの人の絵を見たことがありませんが、個性的でなかなか魅力のある絵という印象があります。ところが、このときの大火によって金次郎が描きためた絵画1500~1600枚のほとんどが焼失してしまいます。金次郎は焼け跡に茫然とへたり込みました。それもそうですね。自分のそれまで生きてきたあかしともいえるおびただしい枚数の画が一瞬にしてなくなってしまったのですから。

 このような時、人間はどのような行動を取るでしょうか。絶望して魂の抜け殻になり、後は消化試合ならぬ消化人生を送るでしょうか。それともわが身の不運を嘆き、神を恨むでしょうか。

 話は変わりますが、20世紀のユダヤ系哲学者にレヴィナスという学者がいます。ナチスによるホロコーストのあとで、絶望した同胞のユダヤ人たちの中には信仰を捨てるものも出たのですが、レヴィナスは彼らに向かって言います。「あなたがたは善行を行えば報奨を与え、悪行を行えば懲罰を下す、そのような単純な神を信じていたのか。だとしたら、あなたがたは「幼児の神」を戴いていたことになる。だが、「成人の神」はそのようなものではない。「成人の神」は人間が行った不正は人間の手で正さなければならないと考えるような人間の成熟をこそ求める神だからである。」

 レヴィナスは絶望のどん底にあっても神を恨むのではなく、自分たちで道を切り開いていくべきことを同胞に訴えたのでした。

 ひるがえって、木田金次郎はその後、絶望の底から立ち上がり、死までの8年間でそれまで描いていなかった生涯の代表作を描くようになりました。写真で見る彼の絵は、消失以後のものはそれまでとは異なり、西欧近代画の様式に捉われない荒々しい、しかし力強く訴えかける絵になっています。

 哲学者レヴィナスは、どのような絶望的な状況におかれても神を恨むのではなく、神に祈りながら自分の手で問題の解決に立ち向かう人間の成熟を求めました。芸術家木田金次郎は、自然の災厄による絶望的な状況におかれてもそこから立ち上がって、その経験を生かして人間的に成長し、すばらしい作品を残しました。君たちもどん底の状態にあっても希望を失わず、成長を続ける人間であってほしいと願っています。