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校長先生のお話

2010年03月01日のお知らせ

二・二六事件

 先週は暖かい日が続きましたね。金曜日の2月26日は雨となりましたが、74年前のこの日、東京は大雪でした。この日の未明、陸軍の青年将校らに率いられた部隊約1500人が決起して首相官邸や大臣宅、警視庁などを襲って、クーデタを起こしました。二・二六事件です。岡田啓介首相はあやういところで難を逃れましたが、斎藤実(まこと)内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監は射殺されました。青年将校らは自分たちと考えの異なる人々を抹殺し、政党政治を否定することで天皇親政の独裁政治を実現しようとしたわけです。陸軍内部では決起部隊に同情的な見方も出ましたが、天皇が激怒し彼らは逆臣であるとして一歩も譲らなかったため首謀者たちは投降し、反乱は4日で鎮圧されました。

 このような暴力を使って対立する相手を抹殺しようとする動きは、実は二・二六事件より前からありました。一例を挙げると、1932年5月15日に海軍の青年将校らが犬養毅首相を襲って射殺した五・一五事件がそうです。一国の首相を暗殺するという未曽有の大事件でしたが、このときに毅然たる態度を取っていればよかったのですが、裁判では死刑求刑が減刑され、「彼らの気持ちも分かる」という暴力を認めるかのような意見を反映した結果となりました。またこの後の政治の動向も軍部の意向をある程度組み入れ、海軍大将斎藤実が首相に指名されて政党政治が崩壊しました。このような暴力に屈した形の対応が二・二六事件につながるのです。

 二・二六事件後、議会では軍部を批判することは自分の生命をかけることになりますから、はっきりした軍部批判は出なくなります。また、事件後成立した広田弘毅内閣は、陸軍の人事要求の圧力を受けていきますが、そのようななかで致命的な過ちを犯します。「軍部大臣現役武官制の復活」で、これは陸軍大臣・海軍大臣は現役の武官から出す、という内容の制度です。これがあれば、軍部の意に沿わない人物が首相に指名されると、軍部は軍部大臣を推薦しない形で抵抗できるのです。そのため内閣は組閣できなくなり、結果として軍部に都合のよい人物が首相に任命されていくことになります。こうして、軍部の動きに歯止めをかけることができなくなった日本は、日中戦争から太平洋戦争へと進んでいくことになったのです。

 二・二六事件は70年以上前の出来事ですが、今の私たちにも教訓を残してくれています。2点指摘しておきたいと思います。

 一つは、「理由があれば暴力も許される」という考えは恐ろしい結果を招くことになるということです。国家の行く末を狂わせることにもなります。いかなる場合も暴力はいけないということを肝に銘じておきたいと思います。

 指摘しておきたいもう一つのことは、間違ったことに対しては「それは間違っている」とはっきり声をあげることです。そうでないと、間違っていることが正しいこととして通ってしまいます。二・二六事件後、自由な意思表示が勇気のいる空気の中で、斉藤隆夫代議士は軍部に対して真っ向から批判をしていますが、このような声を多くの人があげていくことは大事なことです。

 「いかなる場合でも暴力は許されない」ことと、「自分の意見をはっきり言うこと」を中学生・高校生の君たちもしっかり覚えておいてください。