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校長先生のお話

2012年04月07日のお知らせ

入学式

 今年の冬は寒い日が続き、そのためか桜の開花が遅くなり、学校周辺ではまだ満開にはいたっておりませんが、ふもとの桜は今が見ごろになってきました。少々肌寒いですが、空は晴れわたり絶好の入学式日和となりました。

 75期新入生の皆さん、六甲中学校入学、おめでとうございます。入学式に先立って4月4日、5日にはオリエンテーションがありました。見ていると、坂道を上がってきた新入生が指導員の先輩にお早うと声をかけられ、お早うございます、と答える光景が目に入りました。挨拶の声は最初小さかったのですが、オリエンテーションが進む中で徐々に声も大きくなってきていました。また、友達もでき、休憩時間中は元気に中庭で遊んでいる生徒もたくさん見かけました。これから始まる6年間の六甲での生活、元気よくまた楽しく過ごしてほしいと願っています。

 さて、君たちは六甲中学校の75期生です。年月の流れを区切るとき、100年を4等分して区切りとしていくことがよくおこなわれます。君たちは75期生ですから、六甲は75年前に創立されたことになります。創立75周年を迎え一つの区切りとなる今年、六甲とはどのような目的を持って創られた学校なのかを創立当時を振り返って考えることは大きな意味のあることだと思います。

 六甲中学校はカトリックのイエズス会という修道会が設立した学校です。教育修道会であるイエズス会は日本ではすでに東京で上智大学を創っていましたが、次いで中等教育学校を新たに創ろうということになり、場所として教育熱の高い関西が選ばれ、阪神間の候補地の中から最終的に伯母野山の中腹が選ばれ1937年、学校が創られました。これが六甲中学校です。

 初代校長先生はイエズス会の神父であった武宮隼人先生でした。ドイツで教育学を学びましたが、現場での経験はない若干35歳の校長先生です。ですから校長としては経験のない、いってみれば素人でしたので、生徒の様子を見ながら、あるときには生徒に教えられながら生徒と一緒になって教育をするいわば手作りで学校を発展させていこうとされました。最初は全家庭を家庭訪問されたと聞いています。こうして第1期新入生を迎えて始まった六甲教育の最初の年の7月に阪神地方に大水害が起こりました。特に神戸の被害が甚大で、六甲中学校には裏山から土砂が校舎の1階に流れ込み、大小の石がごろごろころがってきて大きな被害を受けました。5日間の臨時休校となり、やがて学校は再開されましたが、巨大な石は撤去することもできず校庭に放置され、やがて生徒たちがその上に上って遊ぶ遊び道具と化しました。

 創立当初、すでに中国大陸では戦争状態にあった日本でしたが、やがて太平洋戦争が起こります。欧米を敵に回した日本にとってキリスト教は敵性国家の宗教であり、六甲は学校存廃の危機を迎えます。軍部の査察が入りましたが、武宮先生の自らの信念を曲げない気骨とその人柄が査察官の共感を呼び、最後には査察官自ら「六甲万歳」を唱和して帰っていき、事なきを得ました。

 そのような、自然災害や軍部による圧迫を克服した武宮先生が繰り返し生徒に語った言葉が、「ケチな人間になるな」というものでした。「ケチな人間になるな」。「ケチな人間になるな」という言い回しは俗っぽい表現かもしれませんが、これをスマートな表現に言い換えれば、「理想を高く掲げ、目先のことにとらわれず自分にプライドを持って生きる人間になりなさい」ということです。

 「理想を掲げる」、「目先のことにとらわれない」、「プライドを持つ」、とても大事な姿勢です。人はすぐに手に入る楽なこと、楽しいことに目が行きがちですが、それらはすぐに消えてしまい何も残りません。そのようなものに惑わされず、遠くを見つめて理想を高く持ち、自分にプライドを持って生きることの大事さを武宮先生は繰り返し説かれたのです。

 武宮先生は、引退後、30周年を記念して校舎の増改築を行った時に六甲学院から依頼されて、「ケチな人間になるな」という言葉に込められた自身の思いを、先程紹介した大水害でころがってきて生徒の遊び道具になっていた石に碑文として残されました。君たちはもう読んで知っているかもしれませんが、このような内容の碑文です。

“すべてのものは過ぎ去り、そして消えて行く。
その過ぎ去り消えさって行くものの奥にある
永遠なるもののことを静かに考えよう”

 六甲は永遠なるもののことを考えて生きる人間を75年にわたって育ててきた学校です。
君たちも知っての通り、六甲の教育目標は“Man for others(他の人びとのために生きる人間)”です。永遠なるもののことを考える姿勢を持つことで自分だけの世界ではなく他の人びとのことにも思いをはせることができ、他の人びとのために生きることができるのです。“Man for others”の基礎には永遠なるものが存在しています。“Man for others”については、六甲在学の6年間を通じて色々なところで教えられ、また経験することと思います。ぜひ在学中に“Man for others”の精神を身に着けてくれるよう願っています。

 さて、碑文がはめ込まれた石に戻りますが、この石の変遷はとてもおもしろいものです。裏山からごろごろころがってきて最初は迷惑な邪魔者でした。遠くへ持っていくこともできないので校庭の隅に放っておくと、やがて生徒の遊び道具になりました。その後、立派な銘板がはめ込まれると校舎の南側の正面玄関の前に置かれて立派な石碑となり、今では六甲を象徴するモニュメントになっています。何も知らない人が見れば、この石は高いお金を出してどこかで購入したものだと思うことでしょう。

 嫌がられた時期もあったでしょうが静かに耐えました。生徒が上に乗ってきたときは喜んだかもしれません。銘板がはめ込まれ、皆が共感の眼差しで見上げるようになった今は面はゆく居心地の悪い気持ちかもしれません。でもいつもありのままの自分を受け入れ、黙って自分に与えられた役割を果たしてきました。

 75期生はこの石のようであってほしいと願っています。武宮先生は軍部の圧力の強かった戦時中にあっても自らの信念は曲げませんでした。逆に戦後になり何もかもが自由になった時代になっても、良いものは良いということで戦前からの習慣を残しました。便所掃除や中間体操などがそれです。これらは六甲以外ではあまり多く見られない習慣ですが、今では便所掃除の人間教育面での効果が各方面で見直され、公立中学校でも導入している学校があると聞きます。企業で便所掃除を行うところもあります。また、六甲が数十年前から取り組んできた社会奉仕活動は今ややるのが当たり前の時代になっています。私はある雑誌に文を寄稿した折、このような六甲を“バンカラで先端を走る”と表現した覚えがあります。

 75期生は武宮先生に倣い、周りの流行に流されず、永遠なるものを見つめながら何が正しいことなのか、何を自分はすべきなのかを考え行動する人間になってください。そうすれば6年後に六甲を卒業するとき君たちは未来の社会を背負って立つ頼もしい若者に成長しているはずです。

 最後になりましたが、新入生の保護者の皆様、本日はご子息のご入学、おめでとうございます。ただ今新入生諸君に向けて話しましたとおり、六甲は永遠なるもののことを考えて生きる人間を75年にわたって育ててきた学校です。私たちは、ご子息が欠点も含めたありのままの自分を素直に受け入れ、と同時に他の人びとの存在も肯定的に受け入れる人間になってくれることを願っています。また、強い意志力をもって真理を探し求める姿勢を持つことで、よりよい社会を作り上げる意欲を持つ人間に育ってくれることを願っています。

 私たち六甲学院の教職員はご子息を大切にお預かりし、6年後には今述べましたような志向性をもった若者に成長してくれるよう全力をあげて取り組んで参ります。保護者の皆様方におかれましては、どうぞ六甲学院の教育にご理解を賜り、ご協力をお願いいたしたいと存じます。

 ご子息と保護者の皆様の上に神様の豊かな祝福がありますことを祈りつつ、式辞とさせていただきます。