在校生・保護者の方へ

HOME > 在校生保護者の方へ > 校長先生のお話 > 月別アーカイブ: 2021年9月

月別アーカイブ: 2021年9月

二学期始業式 校長講話

以下は2021年8月30日 2学期始業式にて生徒に向けて話した内容です。

 

不自由さの体験からネットワーク作りへ ―コロナ禍の中で文化祭を迎えるにあたって

 

■ 不自由の経験と誰かの役に立つ仕事

2学期が始まりました。皆の夏休みは、どうだったでしょうか? 想像以上にデルタ株の新型コロナウイルス感染が拡大したために、昨年に引き続いて、部活動も家族旅行や友人と遊びに行くことなども、思うようにはできなかった生徒が多かったのではないかと思います。

最近学校に送られてきた就職希望者向けの募集ポスターの中に、「不自由だけは経験した」というキャッチコピーがありました。確かに今の生徒の共通体験は「不自由さ」なのかもしれません。ポスターは次のように文章が続きます。「今、不自由を経験していない人はひとりもいない。でも果たして、考えたかどうか。自分にとって何が自由で、何が不自由か。……そして、他者の不自由も少し想像する。これも立派な経験だ」。文章の後半には、「面接でよくある質問。『これまでどんな経験をしてきましたか』上等だ。自分の不自由を思いっきり語ろう」とあります。そして、この文章は、「不自由の経験は、きっと『誰かの役に立つ仕事』につながる。」という言葉で結ばれます。(兵庫県行政職員募集ポスター)

誰もがこの「不自由」な状態にうんざりして、ここから抜け出したいと願っています。不満や弱音を吐きたくなることもあるでしょう。政治や行政に向けての批判や怒りをもとに、社会の何をどう変えたらいいのかを考えることも大事だと思います。と同時に、この言葉にあるように「自分にとって何が不自由で、この不自由感はどこからくるのだろう?」という問いは、考える価値があるように思いますし、誰もがしているこの不自由の経験が、将来別の誰かの、また何かの役に立つことがあるのかもしれない、とも思います。

パラリンピックの競技を視聴していてよく紹介される言葉に「失われたものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」というものがあります。パラリンピックの父、グットマン博士の言葉です。障害による不自由さだけでなく、私たちの日常的な不自由さに対しても、大切なメッセージが込められているように思います。今与えられている不自由さを、ただ不満に思うのでなく、その限られた条件の中で、残されているものを最大限に活かして、できるだけのことを精一杯する体験は、きっと不透明で不確実なこれからの時代を生きる私たち皆にとって、貴重なものになるはずです。

 

■ 今年の文化祭の目標と東京オリンピック

文化祭があと3週間に迫っています。今年の文化祭のテーマは「大きな一枚岩」を意味するギリシャ語の「モノリス(Monolithos・英Monolith)」であると文化祭委員長から発表されました。一人ひとりが城の石垣のように組み合わさり団結して、六甲学院が大きな一枚岩の集団であることを皆が実感することが、今年の文化祭の目標なのでしょう。同時に委員長からは、「全力で楽しむ」ことが、もう一つの目標として挙げられていました。委員長は自分が小学校の頃に六甲学院の文化祭を見学しに来て、先輩たちの楽しんでいる姿(例えば仲間と協力して作ったピタゴラスイッチが成功した時の喜ぶ姿)から、自分も喜びを感じて感動したという体験を紹介していました。

「一枚岩」のように結束したチームだと感じたり、人が心から「楽しんでいる」姿が、周りの人々にも感動を与えるということは、身近に見聞きする体験の中でもあると思います。今回の東京オリンピックやパラリンピックを視聴した中にも、そうした場面はあったのではないでしょうか?

例えば、水泳競技はメドレーリレーを除いて個人のタイムを競う競技ですが、私は今年の日本選手には様々な場面で、個人を超えたチームとしての絆を感じました。本多灯(ともる)選手は、競泳男子200メートルバタフライの決勝進出時点で8番目でありながら、決勝では銀メダルを獲得しました。まだ10代の本多選手は、日本代表のチームメイトの先輩たちからアドバイスを受け支えられていた一方で、彼の素直で前向きな性格はチームの雰囲気によい影響を与えていたようです。決勝後のインタビューで、決勝の時に心がけていたことを聞かれて「誰よりも楽しむこと」を挙げていました。

その他の種目でも、互いに切磋琢磨してきたメンバー同士が、競技や演技を競い合いながら、そのスポーツそのものを楽しんでいるような場面がいくつもありました。特に国籍や民族を超えたつながりを感じたのは、スケートボードです。皆と同じ世代の青年たちがスケートボードをする姿には、他の競技と一味違った自由な雰囲気が感じられて新鮮に思えました。国の違いも勝敗も超えて競技を楽しんでいる姿、成功しても失敗しても生き生きとして笑顔を絶やさず、互いを称えたり励ましたり慰めたりする姿など、10代中心の若い世代が国や民族の壁を軽々と超えて、相手を競い合うライバルではなく仲間として大切にしている様子が伝わってきました。「こうした違いを超えたつながりの輪が世界中に広まってゆけば、この世界は大丈夫」という希望も感じることができました。

 

■ 「違いを超えた一体感」と「楽しむこと」から世界のネットワーク作りへ

文化祭テーマの「モノリス」と「全力で楽しむ」ことともつながることなのですが、一つに結束した前向きな集団(チーム)になることと、一人ひとりがそのチームの支えを感じつつ、今自分のしていることを心から楽しむことが、個々の能力を最大限に引き出す、ということは、スポーツに限らず、文化活動でも研究活動でもありうることだと思います。私たちは―特にこれまでの大人たちは―「楽しむこと」を遊びや娯楽と結びつけがちですが、真剣な努力が必要なスポーツや学問の分野においても個々の能力を引き出す心の状態として「楽しむこと」を見直す必要があるように感じます。これからの文化祭への取り組みだけでなく、日常の部活動や委員会活動やグループで取り組む学習などでも「楽しむ」心を忘れずに生かすことができたらよいと思っています。

さて、今回の東京オリンピックでは、若い人たちが国籍や民族や言語の隔てを軽々と超えて、つながりを持つ姿が印象に残ったのですが、六甲では高校2年生、1年生が海外のイエズス会学校の生徒たちと英語を使ってオンラインで交流する機会がありました。感想を読むとオンラインでもこれだけ印象深い体験になるのか、と思えるような交流経験をしていたことが伝わってきます。1日目にうまくコミュニケーションができずにやや落ち込んでいた生徒たちが、2日目には自分たちが会話のリーダーシップを取るというチャレンジを課すことで、それこそ姉妹校生徒とのやりとりを「楽しんでいる」様子も見られました。

イエズス会教育の目標の一つは、世界に800以上もあるイエズス会系学校のつながりを生かしたグローバルなネットワーク作りです。それは、世界をより良い方向へ変えてゆく”仕えるリーダー”のネットワークです。また、国連が提唱する、持続可能な世界を目指すSDGsの取り組みも、17の課題のうちの17番目は「パートナーシップ」です。先進国側の人々が発展途上国の人々を支援するだけでなく、国や立場を超えてネットワークを作りながら弱い立場の人々をサポートする社会のしくみ作りを目指しています。イエズス会教育も国連も、弱い立場の人々がより人間らしく生きられる世界とするためにネットワークを作ってゆく方向性は共通しています。グループで課題に取り組む文化祭での体験や、姉妹校との交流体験などが、将来の社会をよりよく変えるネットワーク作りへと生かされてゆくことを願っています。

 

■ コロナ禍の制限の中で創意工夫を―「残されたものを最大限に生かす」精神で

最後に、デルタ株の感染についての一般的な注意をしたいと思います。

デルタ株の感染力の高さ、急激に重篤化する危険性、そしてこれまで感染する割合が少ないと言われていた20歳以下の若い人たちにも感染することなど、これまで以上の感染防止対策が新学期に入ってから必要になります。デルタ株が広まる前には学校での感染ケースはそれほど多くはなかったのですが、今は近畿圏でもクラブ活動の試合などを通じて数校でクラスターが発生し、その影響で大阪方面には最近文化祭を中止にせざるを得ない学校もありました。

8月下旬に兵庫県からは原則的にクラブはしないように通達があり、六甲学院でも、公式戦が迫る時期の練習を除いて部活動を中止にせざるをえません。クラブの原則中止は文化部も同様ではあるのですが、文化祭を文化部の公式戦とみなすことで、準備のための活動を全面的に休止することはしないことにします。ただ、今の感染状況を考えると活動は制限をせざるをえません。文化祭自体を中止にする事態になることを避けるための処置と考えて、今与えられた条件の中で、できる範囲での準備をして文化祭を迎えてほしいと思います。

今年もコロナ禍の中での文化祭になり、特に展示発表の中心になる文化部は昨年度に引き続き、夏期休暇に県外へ泊りがけの合宿(研修旅行)をした上で、その研究成果を発表する形を取ることができませんでした。それでもそれぞれのクラブは日帰りで行ける県内の見学場所を探したりしながら、活動を工夫して充実した発表を試みていると思います。文化部以外の生徒たちもそれぞれに、関心の持てるテーマを選んで、小グループに分かれて取り組みながら、発表をする予定です。

準備過程でも本番でもコロナ禍の制約のある文化祭ではありますが、そうした最中であるからこそ、それぞれのグループが結束し創意工夫をしながら活動することに、やりがいや楽しさを見出してくれたらよいと思います。不自由ではありますが「失われたものを数えるのでなく、残されたものを最大限に生かす」精神で、個々の個性や能力を発見したり生かしたり伸ばしたりする機会に、この文化祭がなってゆくことを願います。