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月別アーカイブ: 2023年1月

三学期 始業式 校長講話

《2023年1月7日 三学期始業式 校長講話》

 

身近な人たちへの優しい心遣いから世界の平和を築く行動へ
- 人を人として大切にする校風を育てる一年に -

 

1 新年にあたって、この一年心がけてほしいこと
 明けましておめでとうございます。新年の始めに当たって今年の一年間で心がけてほしいことをまず伝えます。六甲の学校生活で大切にしてきたことは、新たな気持ちで大事に丁寧に取り組んで欲しいと言うことです。訓育面では特に「清掃」、社会奉仕面では「インド募金」を大事に取り組んで下さい。また、国際交流・国際協力の面も、実は六甲が創立され多国籍の宣教師たちが六甲学院の基礎を築いて以来、大事にしてきたことです。実際に海外に行く企画も、オンラインでの交流企画も充実させてゆきたいと考えています。日常的な英語の学習を初めとして、自分の視野を広め思考力を高める日々の学習活動を大切にしつつ、行事には積極的な参加をしてくれたらよいと思います。
そうした日々の取り組みの中で、身近な人たちへの心配りと共に、広く国際社会にも目を向けて欲しいと思います。どうしたら、周りの人たちが平和な思いの中で暮らせるか、どうしたら世界がより平和な方向へ進むか、考え行動し続けてくれたらよいと思っています。

2 生命を蔑み奪う残忍な行動と、生命を尊び救う人道的な行動
 この1年間の出来事で言えば、去年の同じ一年の初めの時期に、ヨーロッパで主権を持った国が隣国に侵略され、それまで平和に暮らしていた一般民衆が戦争に巻き込まれるような事態になることは、ほとんど誰も予想することができなかったと思います。その中で虐殺の事実まで報告されるような悲惨な出来事が起きるとは、想像もできませんでした。12月の終業式で話したように、横暴な権力者の判断一つで普通に日常生活を送っていた人々が苦しめられる理不尽な暗闇の世界は、遠い昔、例えば2000年以上前のイスラエルでヘロデ王によってベトレヘムの幼児が虐殺された時代から、21世紀のプーチン大統領が主導するロシアのウクライナ侵攻で、一般市民が虐殺されている現代まで、残忍さを持った人間の負の営みとして、時代を超えて続いています。
ただその一方で、例えば40年以上前のカンボジア難民の時も、今回のウクライナ難民の時も、周辺諸国へと逃れる人々の命を助け、生活を支えようとする人間の人道的な働きがあることも、見失ってはいけないと思います。世界を破滅に導きかねないような危険性のある戦争の中で、不条理な悲劇に巻き込まれた人々を救い平和をもたらそうとする動きも、絶望的な暗闇の中で輝く光のように存在することは、忘れてはならないと思います。

3 現場に入って平和を築く働きをする卒業生たち
 そして、六甲学院には、日本国内や世界中で、戦争による混乱や貧困や災害によって日常生活が破壊された現場に入って、直接そこに生きる人々とつながり関わる中で、地道に平和を築くために活動している多くの卒業生がおられることは、大きな希望です。戦争後の混乱した国に入って、秩序と平和をもたらすために法律づくりを初めとした国作りに貢献している人、日本では考えられない貧困に苦しむ人々の生活をより人間的な暮らしに変えようと様々な方策を試みている人、大規模な自然災害の中で健康を損なったり生活が破壊されたりした人々を医療面や法律面で支えている人など、何人もの卒業生の活動や生き方をこれまでの講話で紹介してきました。
そうした人たち自身もきっと、全ての物事が順調に進んできたわけではなく、生活面での困難さや、思い通りには行かないことの無念さや、善意でしたことが理解されない失望感なども経験していることでしょう。基本的には人間を信頼して物事を進めようとしても、人間の邪悪な闇の部分に出会うことは避けられないですし、精神的なたくましさや多少のことでは折れない柔軟な心(レジリエンス)を自分の中に育てることは必要なのだと思います。また、困難があったとしても、六甲学院で学んだ “For Others, With Others” の精神を基本に、他者のために自分にできることをしていく中で、支援する相手の喜ぶ笑顔を見て、また自分が他者に幸福をもたらすための役に立っていることを実感して、やりがいや生きがいを感じているからこそ、活動を続けられるのだろうと思います。

4 難民を救いたいという思いから始まった自発的な救援活動
 1970年代終わりから80年代初めにかけて、上智大学ではインドシナ難民の救援活動が活発だったことは終業式でも伝えました。この救援活動も実は最初から大学が中心となって動きをリードしたわけではありません。自然発生的に様々な学内のサークルがそれぞれに、自分たちに出来ることを考え企画し実行しました。募金活動や現地の現状を伝える報道写真展示や講演会やチャリティーコンサートなどが、自主的にあちらこちらで動き出していました。その後、イエズス会が難民キャンプ運営の一端を担っていたこともあって、カンボジアとタイの国境線沿いの難民キャンプに行くプロジェクトを大学としても企画し始めるようになってゆきました。最初にあったのは、惨状の渦中にある難民を救いたい、この状況をなんとかしたい、という学生たちの思いだったのです。

 5 人への心遣いがあってこそ成り立つ救援活動
 私自身は直接に難民キャンプには行かずに、日本に留まってできることをしようと思いました。当時ヨーロッパ在住の日本人作家が難民キャンプのボランティアに長期間関わっていることを知り、その方を招いて講演会を企画するようなこともしました。ヨーロッパで聖書学を学びつつ、日本では随筆家(エッセイスト)として知られていた犬養道子という方なのですが、その人の講演会でのお話は印象的で、今でも時々思い出す言葉があります。“自分のところでトイレットペーパーがなくなったときに、次の人のために新しいトイレットペーパーを入れ替えることをしない人が、難民ボランティアに行ってはいけない。そういう人が行っても足手まといになるだけだ”という話でした。それを聴いて、なるほどそうか、と思いました。次に使う人のことや周りの人のことを配慮して、自然に体が動くような人が集まる場だからこそ、救援活動が成り立つのです。

 6 ドアの開け閉めの心遣いから国際的な救援活動へ
 その話を聞いて、当時の上智大学で自然発生的に救援活動が起こった理由も理解できる気がしました。大学の校舎の出入り口の扉は手で押し開けてバネで閉まる仕組みのものなのですが、自分が出た後に前から入ろうとする人や続いて出ようとする人がいた場合、その人たちのためにドアが閉まらないように手で支えるのが、習慣になっていました。特にマナーとして決められたものではなくて、次に出入りする人への自然な心配りとして当たり前に行われていました。それだけのこと、と思われるかも知れませんし、今でこそ街中でも見かける光景になっていますが、当時の日本ではそうした心遣いは一般には広まっていませんでした。自分基準で動く人の多い粗野な公立高校から入学してきた私にとって、自然に人に対して心遣いをする文化が学校に根付いていることは、一種のカルチャーショックでもあり、新鮮で快さを感じるものでした。
もちろん上智大学では一般教養を初めとした授業の中に、一貫してキリスト教的なヒューマニズムの教育が行われていたことも、そうした校風が生まれるのに影響していたのでしょうが、普通の生活の中に人を人として大切にする雰囲気が自然に醸し出されていました。だからこそ、人を人として大切にされていない現実社会の悲惨な出来事に、一斉に敏感に反応し、自然発生的に様々な救援活動が始まったのだろうと思います。次にトイレを使う人のために、トイレットペーパーを入れ替えたり、ドアを出入りする人のために、2~3秒ドアを支えたり、そうしたごく小さな他者への配慮、小さな“For Others”が、国際社会の中で戦乱の中を逃げ惑う他国の難民の人々を協力して助ける動きに、つながっていたのではないかと思います。

7 学校の中に人への心配りを自然にする文化を根付かせること
 -まずは「清掃」と「インド募金」への積極的で丁寧な取り組みから
六甲学院が “For Others, With Others” の生き方を身につけた人間を育て続けるために必要なのは、実際にそういう生き方をしている人たちと出会うことと、当時の上智大学のように、自然に他者を気遣う心を育てる文化を学校に根付かせることではないかと考えています。
現在の六甲学院がそういう点で足りないかというと、必ずしもそうではないと思います。例えば教師が重いノート提出の束を抱えていたら、職員室や教室のドアを開けてくれる心根の優しい生徒たちは多くいます。震災や豪雨災害などにより国内外で苦しむ人々がいたら、機敏に反応して募金活動を始める気風が育っています。また、大学とは違う教育手段で、地道に他者へ配慮する心を育ててきたようにも思います。例えば、生徒がお互い同士で生活の場を快く過ごしやすいものにしようと気遣ったり、目の前にいる人だけでなく遠く離れたところで困窮している人たちに心を向けたりするための活動が、「清掃」であり「インド募金」なのだと思います。自分たちのクラスや他の生徒たちが気持ちよく翌日もその場を使えるように綺麗に掃除をすること、日常生活を送るために支援を必要としているインドの子どもたちへの募金活動に協力すること、そうした、六甲が日常生活の中で大切にしてきたことを、これからも大切に丁寧にすることが、日常の小さな平和にも、遠い国で暮らす子供たちの平和にもつながってゆくのでしょう。また、丁寧に掃除をしたり、インド募金に協力したりする日常の取り組みの積み重ねが、これまでの卒業生の生き方につながってきたし、皆が“For Others, With Others”へと育ってゆくことにつながってゆくのではないかと思います。

 新年を迎えるに当たって、人を人として大切にする校風を育て、優しい気遣いの出来る心を身につけてほしいと思います。そのために、最初に述べましたように、訓育面では清掃活動、社会奉仕面ではインド募金、そして国際的な視野を広め平和をもたらす思考力を鍛える勉学と行事に、積極的に取り組む一年としてくれたらと願っています。

二学期 終業式 校長講話

《2022年12月23日 二学期終業式 校長講話》

 

「光は暗闇の中で輝いている」(ヨハネ福音書1章5節)

―暗闇の中の光となるために、自分の使命(Mission)と天職(Vocation)を探す-

 

 (1)学校生活の体験と生きがいにつながる進路選び

 コロナ感染が治まりきらない状況は続いていますが、2学期は、文化祭や強歩大会が、平常に近い形で行われたことは、うれしいことでした。それぞれに思い出に残る体験ができたのではないかと思います。また、49期五百旗頭薫氏による講演会やビジュアルアートの先駆的グループを招いての芸術鑑賞会も、印象深く充実したものでした。そうした見聞や体験を通して感じた興味や充実感・達成感が、自分の将来の進路選択にもつながり、生きがいにもつながることを、卒業生の仕事や生き方を紹介しながら朝礼講話等で伝えてきました。

 来年からの学校行事も、少しずつ、この3年間近くコロナ感染のために思うようにできなかった分野を取り戻しつつ、より充実したものにしてゆければよいと思っています。海外研修は、その大切な分野の一つです。来年度からの高校の研修旅行は、海外に行くことを考えています。それも視野を広げる貴重な体験となり、生きがいのある進路選びにもつながり得るのではないかと思います。まず、この12月に研修旅行の下見で出会った二人の卒業生の話をします。

 

(2)シンガポールで出会った二人の卒業生について

 12月の始めに2名の教師と一緒に、研修旅行の訪問予定のシンガポールとマレーシアに行ってきました。それぞれの国をほぼ一日ずつの短い下見でしたが、得るものはありました。

 計画しているプログラムの一つに、シンガポールの企業や大学で仕事をしている六甲の卒業生との交流があります。夕食時に行う予定の交流会の打ち合わせをするために、二人の卒業生と会いました。

 一人は58期の教え子でもある吉田氏です。国際的な海上輸送・物流産業の会社で働いています。シンガポール滞在3年目とのことです。日本人社員がシンガポールに何十人もいる会社です。生徒の頃には、私の目からはそれほど国際的な関心が高いとは思われなかったのですが、大学に入って様々な経験をして視野を広めたのだろうと思います。学生時代にインドにも行って、コルカタのマザーテレサ設立の施設「死を待つ人の家」のボランティアを経験しています。一人旅でインドに行ったときに、ふっとマザーテレサの施設のことを思い出して、ボランティアに申し込む気持ちになったのだと話してくれました。もしかしたら、生徒時代にインド訪問をしたいという気持ちはあったけれども、できなかった体験の一つだったのかも知れません。

 今の高校生の中にも、インド訪問には行ってみたかったという生徒はいるでしょう。支援施設ダミアン社会福祉センターのある地域は、普通観光では行くことのないインドの東北部の田舎町です。数日間の滞在になりますので、コロナ禍の医療体制や衛生状況などの安全性を考慮すると、インド訪問の実現はもう少し先にせざるをえないかと思います。もしも六甲在学中に体験はできなくても、行きたいという思いが消えないようでしたら、吉田氏のように大学生になってから一人旅で、または仲間と誘い合って行くことを考えてもよいのではないかと思います。

 シンガポールで会ったもう一人は、57期の山本氏です。10年ほど前のニューヨーク研修の立ち上げ時にはニューヨークで働かれていて、卒業生との交流プログラムでは中心的に動いてくれた方でした。今はシンガポールにいて、来年度から研修旅行の世話をしてくれます。生命保険会社でニューヨークでは投資の仕事、今はアジア全体の統括の仕事で、仕事の種類としては全く異なるそうです。インドネシア・マレーシア・タイ・ベトナム・インド・ミャンマーなどのアジア各国を、日本であれば東京から地方都市に出張をするように、頻繁に飛び回っているようです。二人の話を聞いていると、アジアの金融・経済・貿易の中心はすでに日本ではなく、世界中の企業が戦略拠点を作っているのはシンガポールであることが、実感を持って伝わってきます。

 

(3)シンガポールの先進性と日本がこの国から学ぶべきこと

 山本氏からは、もう一人同じ時期にニューヨーク研修で生徒と会い話をしてくれていた56期の佐伯氏も、現在はシンガポールにいることを教えてくれました。10年前にはアメリカの名門イエール大学で脳の研究をしていました。研究者としてシンガポールの大学に招かれて、そこで教鞭を執りながら研究を続けているということです。シンガポール国立大学が、アジアの中で研究実績としてトップであることは、話したことがあると思いますが、シンガポールには世界の優秀な研究者を集めるだけの学問的な土壌があるということです。今回の下見で、シンガポール国立大学を見学したときには、確かにここならば、学生生活をしてみたいと憧れるだろうと思うような、美しく設備の整ったキャンパスでした。おそらく、研究者にとっても日本に戻って研究するよりも魅力のある環境が整えられているのだろうと思います。

 私の青年期は、日本がアジアの中で唯一欧米諸国と経済面で肩を並べ、先進国の仲間入りをした時代でした。その後に同じように経済面で成功したシンガポールに行って、生徒が目新しく学ぶ何かがあるだろうか、という思いが最初はどこかにありました。そのため、シンガポール国立大学の学生とのSDGsテーマの国際交流や、第二次世界大戦時のアジアの国の視点からの平和学習のプログラムを中に入れることで、六甲学院として意味のある研修旅行にしたいと考えていました。下見をしてみて、そうしたことに加えて、経済や学問において世界の人たちが集まるアジアの拠点に、なぜシンガポールがなっていったのかを探究することは、相対的に日本の弱点を知ることにもなり、研修旅行のテーマの一つになりうるように思いました。多民族、多宗教、多文化などの多様性を受け入れて活かす都市作りをしてきたことに、一つの鍵があるように思います。研修旅行では、街を歩く中でその多様性も実感してくれたらよいと思っています。