在校生・保護者の方へ

HOME > 在校生保護者の方へ > 校長先生のお話 > 月別アーカイブ: 2024年3月

月別アーカイブ: 2024年3月

三学期 終業式 校長講話

《2024年3月19日 三学期終業式 校長講話》

 

「経験」と「振り返り」を通してFor Others, With Othersの生き方へ
   -現代の世界情勢の中で“善いサマリア人”を目指すということ-

 

(1)イグナチオ的教育法-経験→振り返り→次の行動の選択→実践(経験)のサイクル
六甲学院はイエズス会学校として、教育方法にも創立者イグナチオの精神が生かされています。その教育方法の基本は、一人ひとりの経験を大切にし、経験を振り返る時間を設け、その中で経験したことの意味を見出し、それをもとに次の行動を選んで実践することです。経験から振り返り(内省)へ、さらに次の行動を選択し実践(経験)することへ、そうしたサイクルの積み重ねの中で、自分の適性や将来の方向性や進路や意味のある生き方を見出してゆくところに特徴があります。この場合の「経験」とは、日常の中の些細な出来事を含めて、自分の心に触れるもの、感情を揺り動かすもの、思索や内省へと促すものすべてを指します。日々の地道な授業も清掃も経験ですし、友人との出来事も、朝礼や講演会で聴く話も、クラブ活動や委員会活動、体育祭・文化祭・強歩大会・研修旅行などの行事も経験です。
経験したことをそのままに放置しないで、自分の心を大きく動かしたり感動したりした出来事に着目しつつ、経験の奥にあるメッセージを見つけ出してゆくことが、「振り返る」という行為です。六甲で物事の区切り目にしている「瞑目」は、そのための時間でもあります。「振り返り」の中で気づいたメッセージ(経験の意味)をもとに次の行動を識別し(選び)、それを実践することが新たな経験となります。そうした積み重ねの中で、自分の生き方や進む道を選んでゆければよいと思います。先ほど84期中学卒業式で紹介した『君たちはどういきるか』(吉野源三郎著)の、コペル君のお母さんの「石段の思い出」などは、その好例としても読むことができます。最近聞いた今年の81期卒業生の経験を例として、紹介します。

 

(2) 社会奉仕活動と海外研修の経験の繋がりから進路選択へ
3月9日(土)、高校の卒業式の一週間後に、六甲学院受験を考えている児童と保護者向けに中学入試報告会をしました。その中で卒業したばかりの81期生2名と四宮先生とのクロストークがありました。一人は国立大の法学部に合格しているのですが、なぜそういう進路を選んだのかを四宮先生から聞かれたときの答えが印象に残りました。
入学時、六甲は第一志望であったわけではなく、最初は腐る気持ちもあったのだけれども、「せっかくここで6年間を過ごすならば、前向きに」と気持ちを切り替えたそうです。そして、六甲ならではの活動の一つが委員会活動だと思い、いくつかの委員会活動を経験しました。自分には社会奉仕員会が肌に合っているように思えたので、そこにコミットするようになりました。その中で、ホームレスの方への炊き出し活動などができたことは、貴重な体験だったようです。法学部を選んだのはニューヨーク研修に行ったことがきっかけでした。姉妹校フォーダム高校の生徒たちと、ワーキングプア(working poor-働いてはいても貧しくて、日々の食事にも事欠く人たち)への炊き出し活動を案内していただきました。その施設には法律相談所が併設されていて、そこでの説明を聴く中で、法律を通して社会的で困窮する人たちを助ける仕事ができることに目が開かれて、六甲でしてきたことと将来していきたいこととがつながりました。それで法学部に行く決心をした、という話をしてくれました。

 

(3)六甲学院ならではの経験からFor Others, With Othersの生き方へ
この卒業生の体験からもわかるように、春休みに行われるニューヨーク研修旅行では、格差社会の現実を知り、繁栄の陰にある貧しさに触れることが目的の一つです。マンハッタン地区の北にあるブロンクス地区のフォーダム高校を訪れ、高校からも近く生徒の社会奉仕活動先にもなっているPOTSという福祉施設に行きます。
1階は炊き出し活動のための食堂や食料倉庫があり、地下には医療相談・診療所や散髪やシャワー室があり、2階が経済的支援も含めた法律相談所になっています。クロストークを聴きながら、六甲学院で学んでいたからこそ見聞きすることのできた話や経験や出会いを通して、自分なりに志を持つ人が育っていることを、大変嬉しく思いました。その志が、働いてはいても炊き出しに並ばざるをえないような、社会の中で弱い境遇の人たちの側に立つ仕事をしたい、そのために法律をしっかりと学びたいという、そのままFor Others, With Othersの生き方に繋がるものでしたので、これからも陰ながら応援したいとも思いました。

 

(4) 民族・宗教の違いによる敵対関係や差別偏見を超える“善いサマリア人”
Man For Others, With Othersを最初にイエズス会教育のモットーとして提唱したのは、アルペ神父でした。彼自身が第二次世界大戦中に原爆が投下された広島で、爆風と閃光によるけが人を懸命に助け、Man For Others を実践した人物であったことは、1学期の終業式で述べました。アルペ神父が “Man For Others” という言葉で第一にイメージをしていたのは、聖書の中の善いサマリア人の譬えの中の、追いはぎに襲われて大けがをした人を助けたサマリア人でした。恐らくこの個所は、一年間で朝礼やMAGISの日、先日の高校卒業式のサリ理事長の話を含めて、最も多く登場した聖書の話ではなかったかと思います。
ルカによる福音書10章で、「私の隣人とはだれですか」という律法の専門家の問いに対して、イエスが答えた譬え話です。
「ある人がエルサレムからエリコへ下っていく途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じようにレビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶとう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨2枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います』さて、あなたはこの3人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
この話の中で一つ背景知識として知っておきたいことは、当時、怪我をしたユダヤ人と助けたサマリア人とは、民族的にも宗教的にも敵対関係にあって、お互いに話をするのもはばかれるような間柄だったことです。それにもかかわらず、このサマリア人は、敵対意識や偏見や差別感情を超えて、「その人を見て憐れに思い」、助ける行為に出ます。人として怪我をして苦しんでいる人を放っておけないという気持ちが、すべての壁を超えて、その人を助ける行動へと動かしたのだと思います。今の時代の人間にこそ必要なメッセージが含まれています。

 

(5) ヨルダン川西岸地区の現状取材―安田菜津紀さんの記事から
この聖書の譬え話の中に出てくる「エリコ」という町は現在も存在しています。報道でも時々聞かれる「ヨルダン川西岸地区」に位置しています。パレスチナ人の主な居住地域は、西を地中海、南をエジプトに接する「ガザ地区」と、東をヨルダンに接する「ヨルダン川西岸地区」との2か所が、パレスチナ自治区としてあります。「パレスチナ自治政府」はありますが、現実には自治区の半分以上がイスラエルの軍事支配下に置かれています。
岩波書店の『世界』という雑誌の3月号に、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんが、昨年の暮れから今年の初めまで、このヨルダン川西岸地区に行って取材した記事が載っていました。これまで中東や東南アジア、アフリカ、東日本大震災の被災地などを取材してきた人です。この方は、広島学院のある社会科の先生の前任校での教え子であり、上智大学の卒業生でもあります。そうした縁もあって、昨年の夏休みに六甲学院の先生を含めてイエズス会4校の先生方20人程が、鎌倉の「アルペ難民センター」という所で、安田さんからお話を伺う機会がありました。常に紛争地や被災地に暮らす女性や子どもたち、また日本社会の中で暮らす外国にルーツを持つ難民・移民など、弱い立場の人たちの側に立って、写真を撮影し記事を発信し続けているジャーナリストです。
安田さんは、パレスティナ・ガザ地区に暮らす友人たちの声や、ヨルダン川西岸地区の「自治区」に暮らす人たちの現状を紹介しながら、今回のイスラエル軍の侵攻以前から、パレスチナの人たちの生活は、人として「尊厳ある暮らしを保つことが困難」であった上に、今回ガザ地区は「攻撃により、学校や病院、道路、生活に欠かせないインフラはことごとく破壊され、これまで以上に人間が住居不可能な空間となってしまった」と述べています。そして、ガザ地区での戦闘は昨年の「10月7日、ガザを実効支配するイスラム組織ハマスがイスラエル市民を攻撃したことをきっかけに」起きたという文脈で報じられることが多いのですが、事態はその日に急に始まったわけではないことを伝えています。
ガザ地区と同様にパレスチナ自治区であるヨルダン川西岸地区を今回訪れた安田さんは、そこでは「昨年7月にもイスラエル軍の激しい侵攻」があり、10月7日以降も「襲撃の頻度が増している」ことを報告しています。1万4000人のパレスチナ人が住む西岸地区内のジェニン難民キャンプでは、日常的に普通に暮らす家庭にイスラエル兵が踏み込み、お金を強奪し家を踏み荒らすようなことが頻繁に起きており、上空を飛ぶドローンの攻撃による爆発音や銃声も日常の出来事になっています。安田さんが取材した話の一つには、昨年11月末に路上で遊んでいた15歳と8歳の少年がイスラエル兵に「テロリスト」として射殺されたという出来事が紹介されていました。パレスチナ自治区と呼ばれ、この難民キャンプはパレスチナ自治政府が行政・治安の権限を持つ地区であるとされながら、自治区とは名ばかりの実態であり、こうした理不尽な状況が国際社会の中で放置されてきたことは問題視する必要があることを、今回の取材記事の中で、安田さんは伝えていました。
聖書の中の善いサマリア人の譬えの舞台になるような地域が、未だに民族や宗教などの違いを乗り越えられず、殺傷を含む理不尽な暴力が続いていることは、ほんとうに人類として悲しむべきことだと思います。

 

(6) 日本で暮らす私たちが難民や移民の隣人となること
安田さんの著書の中には、「隣人のあなたー『移民社会』日本でいま起きていること」という岩波ブックレットの中の一冊があります。海外にルーツを持ちつつ、安全で平和な生活を求めて日本に来る人たち-難民や移民や外国人労働者たち-にとって、日本で暮らす私たちは本当の「隣人」になることができるだろうか? 特に生命の危機を感じて日本に避難し、ここで市民として暮らすことを望む人たちにとって、私たちが「隣人」となるためには、社会や自分自身をどう変えてゆく必要があるだろうか? 外国から日本に来て懸命にこの社会の中で暮らそうとする人たちのことを取材しつつ、そうしたことを問うているように思います。学習センターには、カウンター前に青木光博先生の紹介で、この本が展示されていますので、ぜひ手に取ってくれたら、と思います。

 

(7) 国内外で弱い立場に苦しむ人たちへの取材の原点―マイノリティの視点から 
安田さんがなぜ、国際的な関心の中で苦境にある女性と子どもの視点に立った取材をされているか、また日本の中での難民や移民への関心を持っておられるのかについては、著者紹介や著書を読むと、ある程度推察することができます。16歳の高校生のときに「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材した経験があること、また、パスポートを取得するにあたって、自分の父親が韓国籍であったことを初めて知ったこと、そうした経験が世界の弱い立場にある人たちに向けて目が開かれるとともに、日本の中で外国をルーツに持つ人たちが、現在どういう境遇にあるかについて、目を向ける契機になったのだと思います。
『あなたのルーツを教えてください』(左右社)という本の中では、次のように述べています。
「私自身もまた、ルーツを知るまでは、自分や家族が『日本人』であることを疑わず、そうした意味での社会的「マジョリティ(多数派)」として生きていました。……韓国を「日本より遅れている国」という文脈で報じる映像を、無意識に受け入れてしまっていたのです。それどころか、「変な国だな」と、自分とは違う『異質な何か』として考えていた節さえあります。こうして自分が日本社会で「マジョリティ」でいる限り、差別やヘイトの問題は、私の皮膚の外側にあるものとして、痛みを感じることすらなかったのです。……自分の出自(しゅつじ)が、実は「矛先を向けられる側」にあると知るまで、私はその刃がどれほど人の心を、生活をずたずたに切り裂いてきたのか、肌感覚で考えたことがほとんどなかったと言っても過言ではありません。」(17ページ)
そういう安田さんは、マジョリティ(多数派・大多数の側)としてではなくマイノリティ(少数派・少数の側)の立場で、同じ社会のマイノリティの人たちの側に立って社会を変えてゆく使命を感じて、フォトジャーナリストの道を選んできたのでしょう。社会の中で人間の尊厳を大切にされずに差別されがちな立場の人たち、子どもや女性や民族として少数の人たちが、苦境にあるとわかった時に、放ってはおけないという思いになったのではないかと思います。

 

(8) 経験と振り返りを通して―誰の「隣人」になりたいと思うか?
日々学ぶための原動力としても、進路を考えるにあたっても、六甲学院では「経験」と「振り返り」を大切にしています。訓育や社会奉仕、行事や海外研修の経験が有機的につながり、高い学びへと向かえばよいと思います。もちろん、望む進路に向かうために最も必要なのは日々の授業で身につける基礎学力ですので、それを十分身につけた上での進路選択です。世界の情勢を幅広く見ながら、自分が「誰を放っておけないと思うか」「誰の隣人になりたいと思うか」を大事な観点にしてくれたら、と思います。現代にあって「善いサマリア人」のような行為ができる人、For Others, With Othersを生きる人になることは、大きなチャレンジですし、めざすべき目標にもなると思います。そして、最初に述べた81期の卒業生やフォトジャーナリストの安田さんのように、自分の経験が将来自分のしたいことや使命と結びついて、大学の進路や仕事に繋がっていけばよいと思います。自己実現の道が、他者の幸せを実現する道でもあると、自然に思えるような選択ができれば…と願っています。

 

六甲学院中学校 84期生卒業式 校長祝辞

《2024年3月19日 六甲学院中学校 84期生卒業式 校長式辞》

 

『君たち…』の成長―経験の意味を振り返ることを通して「いい人間になる」

 

(1)84期中学3年生の卒業にあたって
84期中学3年生の皆さん、卒業おめでとうございます。中高一貫校である六甲学院の場合、中学卒業という区切り目は、一人ひとりがよほど意識しないと、実感があまり湧きにくいかもしれません。ただ、84期生は、学年主任石川先生を中心に学年団のご指導の下に、自分で考え行動する自律した大人に向けて成長してきた学年であると思います。84期生には学びの面でも行動の面でも、今後も、謙虚に学び続ける素直さを生かして、自律した一人の人間としての成長を、期待しています。この学年から始まった「中3卒業論文」の取り組みも、自分で思考し判断し行動する人になるための一ステップになればよいと思います。

 

(2)アカデミー賞ダブル受賞-暗い世相の中での明るいニュース
さて、最近の世界を見渡すと21世紀も四半世紀を迎えようとしているこの時代に、ウクライナやガザでは相変わらず陰惨な戦闘が続き、国内では政党の派閥による裏金問題は納得のいく解決には程遠く、元旦に起きた能登半島地震も被災者が希望を持って生活再建に向かうには遠い道のりであることが察せられて、明るいニュース報道がほとんどありませんでした。そうした中で、一週間前の映画のアカデミー賞ダブル受賞は、久々に入って来た明るいニュースでした。『ゴジラ-1.0(マイナスワン)』が「視覚効果賞」を受賞し『君たちはどう生きるか』は「長編アニメーション賞」を受賞しました。日本アニメの受賞は同じ宮崎駿(はやお)監督が2003年に『千と千尋の神隠し』で受賞して以来、2度目の快挙です。

 

(3)『君たちはどう生きるか』―少年が成長する物語として
宮崎駿監督の作品には、別世界や異次元の世界を旅する中で、思春期の子どもが様々な人や出来事と出会い成長する物語は、これまでにもありましたが、『魔女の宅急便』や『千と千尋の神隠し』など、少女の物語が殆どで、今回の作品のように少年が主人公の物語は、なかったのではないかと思います。私がこの映画を見たのは昨年の夏休みの終り頃だったかと思いますが、見終わって映画館を出る途中で、後ろにいた学生風の二人が「真人(まひと)は、いつあんな風に成長したのだろう」という会話をしていました。物語は複雑で難解でもあり、必ずしも主人公の成長が中心テーマとは言い切れないとは思うのですが、真人という最初は不愛想で心を閉ざしている主人公が、何かをきっかけに変ってゆき、感情豊かで人を受け入れられる人間に成長してゆくストーリーが、物語の筋の一つとして含まれていることは確かです。

 

(4) 成長への転換点―経験の中にある意味を振り返ること
私は、主人公の内面が成長する転換点の一つは、この映画の題名にもなっている『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著) という本を主人公が読んでいるその時だと思います。この本は母親から真人に託され、それを見出した主人公が読む場面があります。それは場面としては一瞬のことで、本の内容は映画の物語とはほとんど全くと言っていいほど、無関係に見えますが、製作者は特別な思いを込めてこの場面を描き込んでいるはずです。
この『君たちはどう生きるか』という本は、六甲学院の創立と同じ1937年に刊行された“古典的”な本です。私自身が中学生の現代国語を担当する時には、必ず課題図書として選んでいた本のうちの一つでした。40期代から70期代のうちの5期ほどの生徒たちには読んでもらっていました。コペル君というあだ名の15歳の少年本田潤一君が、身近な生活の中で、社会科学、自然科学、歴史、文化、芸術などに幅広く関心を持ち、目が開かれ、また、友人関係に悩んだりする中で、成長してゆく姿が描かれています。84期のみんなが中学を卒業するにあたって、ぜひ読んでほしい推薦本として紹介したいと思います。
父親を失っている主人公コペル君が、日常の中での経験や気づきを話す相手は、自分の母方の叔父さんです。その叔父が主人公の経験や気づきをより深く振り返らせ、さらに新しい気づきや成長へと導く役割を持っています。このコペル君と叔父さんとの間には、イエズス会教育の中でイグナチオ的教育法と呼んでいる方法のモデルとなるような関係があります。コペル君に向けて叔父さんが書いている「おじさんのNote」には、例えば「肝心なことは、いつでも自分が本当に感じたことや、真実心をうごかされたことから出発して、その意味を考えてゆくことだ」「ある時、ある所で、君がある感動を受けたという、繰り返すことのない、ただ一度の経験の中に、その時だけにとどまらない意味のあることがわかって来る」「常に自分の体験から出発して正直に考えてゆけ」(岩波文庫版53~54ページ)というアドバイスがあるのですが、それらはそのまま、イエズス会教育の専門家が話していると言ってもおかしくない内容です。自分が感動したり心が動いた体験をていねいに振り返ることによって、その体験のうちに込められた真実の意味を見出すイエズス会の教育方法と、そのまま繋がります。また叔父さんは次のようにも言います。「もしも君が、学校でこう教えられ、世間でもそれが立派なこととして通っているからといって、ただそれだけで、いわれたとおりに行動し、教えられたとおりに生きてゆこうとするならば、―コペル君、いいか、-それじゃあ、君はいつまでたっても一人前の人間にはなれないんだ」(同書 55ページ)。 そうであるとするならば、どうしたら一人前の人間になれるのか、この本を読みながら考えてほしいところです。(それは、84期のテーマ「自律(自立)した人間になる」ことを、本当の意味で理解し実践することに繋がります。)

(5)映画の主人公真人の読書場面と本の主人公コペル君の「雪の日の出来事」
84期の卒業にあたって、同じ年齢のコペル君が主人公のこの本については、もう少し映画とも関連させつつ紹介したいと思います。宮崎駿監督の映画『君たちはどう生きるか』の主人公真人は、ある出来事がきっかけで学校を行き渋るのですが、そうして部屋にこもっている中で、先ほども述べたように、母親から自分宛てに贈られたこの本の存在に気づき、涙を流しながら夢中で読む場面があります。映画の主人公真人がこの本のどこを読んで涙を流すほど感動したかを想像することには、それほど意味はないかもしれませんが、この本をそれなりの共感を持って読んだことのある人にとっては、思い当たる箇所があると思います。「雪の日の出来事」と「石段の思い出」という章です。
本の『君たちはどう生きるか』の中で、コペル君には3人の仲の良い友人がいます。「雪の日の出来事」では、そのうちの一人が上級生4~5人に囲まれ不当に扱われているときに、コペル君以外の友人2人はその上級生から攻撃されている友人のもとに駆け寄り、怖さでぶるぶると震えながらも友人を守ろうとします。しかし、コペル君は足がすくんで友人のいるところに近寄ることができません。そのまま事が過ぎてしまいます。親友が暴力を振るわれるのを見ながら、何一つ抗議もせず助けようともしなかった卑怯な自分を責め後悔したまま、体調を崩して何日も休むことになります。

 

(6)コペル君の母親の「石段の思い出」―経験の意味に気づくこと
病床の中でコペル君は雪の日の出来事を繰り返し思い返し、自分の臆病さや卑屈さへの自己嫌悪に陥りながらも、友人3人とは会いたいし元の仲の良い関係に戻りたいと願いつつ、学校に行って会うことへの不安やつらい思いに苛(さいな)まれます。
体調がよくなった頃にコペル君の母親は、コペル君の心の内を察していたのか、女学校時代の学校の帰り道に、神社の石段を登っていたときの体験を話してくれます。
石段を登りかけた時に、5~6段先を70過ぎくらいのおばあさんが手に重そうな風呂敷包みを持って登っていました。その荷物を持ってあげなければいけないと思いながら、何度か話しかけようと思いつつきっかけがつかめないうちに、おばあさんは登り切ってしまいました。そんな些細な出来事をお母さんは忘れられずに、色々な時に色々な思いで思い出す、と言います。そして次のように話します。
「おばあさんの大儀そうな様子を見かねて、代わりに荷物をもってあげようと思いながら、おなかの中でそう思っただけで、とうとう果たさないでしまった、――まあ、それだけの話ですけれど、このことは、妙に深くお母さんの心に残ったんです。……心に思ったそのことをする機会は、二度と来ないのでしょう。その機会というものは、おばあさんが石段の一番上のところに立つと同時に、まあ、永遠に去ってしまったわけね。ほんの些細なことでしたけれど、おかあさんは、やっぱり後悔したんです。あとになって、なんと思って見たところで、もう追っつかない。」「潤一さん。大人になっても、ああ、なぜあのとき、心に思ったとおりしてしまわなかったんだろうと、残念な気持ちで思いかえすことは、よくあるものなのよ。どんな人だって、しみじみ自分を振り返って見たら、みんなそんな思い出を一つや二つもっているでしょう。」「でもね、潤一さん、石段の思い出は、お母さんには厭な思い出じゃあないの。そりゃあ、お母さんには、ああすればよかった、こうすればよかったって、あとから悔やむことがたくさんあるけれど、でも、『あのときああしてほんとによかった』と思うことだって、ないわけじゃあありません。それは損得から考えてそう言うんじゃないんですよ。自分の心の中の温かい気持やきれいな気持を、そのまま行いにあらわして、あとから、ああよかったと思ったことが、それでも少しはあるってことなの。そうして、今になってそれを考えてみると、それはみんな、あの石段の思い出のおかげのように思われるんです。」「人間の一生のうちに出会う一つ一つの出来事が、みんな一回限りのもので、二度と繰り返すことはないのだということも、――だから、その時、その時に、自分の中のきれいな心をしっかりと生かしてゆかなければいけないのだということも、あの思い出がなかったら、ずっとあのままで、気がつかなかったかもしれないんです。」 「その後悔のおかげで、人間として肝心なことを、心にしみとおるようにして知れば、その経験は無駄じゃあないんです。」(同書 244~248ページ)
コペル君は、母親からのこうした言葉を、目に涙をあふれさせながら聞いているのですが、おそらく映画の中の主人公真人(まひと)も、自分の母親から直接話を聞いているように感じながら、こうした箇所を読んでいたのではないかとも想像します。

 

(7)経験を成長の糧として「よい人間になる」ことを目指す
きっと、今日中学を卒業する84期を含めて、「石段の思い出」のような出来事は、だれにでもあることなのだと思います。そして、この本をこの機会に読むことは、中学時代を振り返り高校生になるにあたっての、一番の心の準備になるのではないかとも思います。この本の最後の方にはコペル君が叔父さんに宛てた、次のような手紙の文章があります。紹介して中学卒業の祝辞を終えます。
「僕、ほんとうにいい人間にならなければいけないと思いはじめました。叔父さんのいうように、僕は、消費専門家で、なに一つ生産していません。僕には、いま何か生産しようと思っても、なんにも出来ません。しかし、僕は、いい人間になることは出来ます。自分がいい人間になって、いい人間を一人この世の中に生み出すことは、僕にでもできるのです。そして、そのつもりになりさえすれば、これ以上のものを生み出せる人間にだって、なれると思います。」(同書 297ページ)
単純な目標ではありますが、経験を成長の糧として「いい人間になる」ことを、まずは目指してくれたら、と願います。

※高校生に向けて:
以上のように吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』を紹介すると、中学生向けの本のように受け取られるかもしれませんが、岩波文庫版には「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」という題で、日本の最も優れた政治・歴史学者の一人である思想家丸山真男の解説が掲載されています。本書が、高校生や大学生だけでなく教養のある大人にとっても、どれだけ高度な内容が、見事な筆致によってわかりやすく書かれているかも、理解できる解説になっています。また、丸山氏自身が高校2年生の終わり頃に、戦時下に思想犯として不当に逮捕された留置場経験から、「どんなに弱く臆病な人間でも、それを自覚させるような経験を通じて、モラルの面でもわずかなりとも『成長』が可能なのだ、ということを学んだ」という個人的な出来事も記されています。ぜひ、高校生も解説を含めてこの本を読んだ上で、映画『君たちはどういきるか』が再上映されることがあれば、映画も併せて観てくれるとよいと思います。本と映画とは無関係といいながら、案外、難解ともいわれる映画を読み解く鍵が、この本にはあるかもしれません。

六甲学院高等学校 81期生卒業式 校長祝辞

《2024年3月2日 六甲学院高等学校 81期生卒業式 校長祝辞》

 

1 81期生卒業式を迎えるにあたって
 81期生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。保護者の皆様、ご子息のご卒業、おめでとうございます。本日の卒業式を迎えるにあたって、81期生の皆さんは6年間の様々な思い出深い出来事や場所を思い浮かべていることと思います。体育祭、文化祭、研修旅行、社会奉仕活動などの学校行事、クラブ活動や委員会活動、友人と休み時間ごとに遊んだ第2グラウンドや、神戸の街を一望しつつ勉強に励んだ学習センター、季節ごとに自然の美しい庭園など、様々な出来事や場所が、永く思い出に残るのではないでしょうか。

 

2 新型コロナ・パンデミックと生徒活動の継承
 81期生にとっては、中高6年間の学生生活のうち、中核となる中学3年生から高校2年生までの3年間がコロナ期と重なりました。学校にとってはこれまで地道に続け積み上げてきた教育活動の多くを控えざるを得ず、生徒にとっては何をするにも様々な制約を受ける期間が3年以上にも渡って続きました。停止したり制限したりしたものには、本来は学校生活の中で楽しく人間関係を作る機会にもなるはずの食事中の会話を禁止して黙食としたり、六甲学院では人間教育の一環として行ってきた清掃活動や中間体操も控えざるを得ない時期がありました。
 感染防止や衛生面での配慮とはいえ、その中には、長い抑制期間を経た後に、生徒が意義あるものとして再開し定着するかどうか、危ぶまれるものがありました。学校にとって有難く頼もしく思ったのは、81期生が中1・中2で体験し身に着けたことを、意味のある良いものとして後輩に受け継ぎたいという、熱い思いがあったことです。訓育や社会奉仕、中間体操などの委員会が担ってきた、清掃・インド募金・中間体操など、コロナ期を超えて今も六甲学院の生徒が担う活動として続いているのは、81期生がそうした活動を六甲の価値のあるよき伝統として受け継いでゆきたいという、強く熱い願いがあったからこそではないかと思います。そして、その集大成と言えるのが、後に述べる、昨年6月の体育祭でした。

 

3 コロナ禍の世界的な共通体験と気づき
 コロナ・ウィルスの世界的な感染の広がりは、世界中が地域も世代も超えて身近な人たちを感染症で失うことへの不安や、自分自身が罹(かか)り苦しむことへの恐怖を、共通体験として味わった出来事でした。実際に、思いがけなく身近な人を失った悲しみや喪失感を経験した人もいるのではないかと思います。その一方で、社会には、自分自身が感染する可能性のある中で、患者を治療するために献身的に働く医療従事者がいました。また、衛生状態を保つために清掃をする人たちや、人々の日常生活に大きな支障をきたさないように、食品や生活物資や衣料品などの物品を運び並べ販売する人々など、感染リスクを承知で働くいわゆる“エッセンシャルワーカー”にも目が向けられて、感謝をする機運も生まれました。苦しい状況の中で、人間のもつ良さが引き出された面があったことも、忘れてはならないと思います。コロナ・パンデミックという、同じ課題を世界が克服しようとする中で見えてきたのは、もともと基礎疾患のある病気がちの人たちや、独居老人や障がいを持っている人たちなど、社会の中で目立たない弱い立場の人たちに配慮し、共に歩んでゆかないと、世界全体が困難な状況を克服できず、よい方向にむかわない、ということであったと思います。

 

4 コロナ禍後にあるべき世界を表現する3つのキーワード
 コロナ後の世界には、様々な背景を持つ弱い立場の人たちと共に歩む社会の実現が、これからの社会にとって誰もが暮らしやすい平和な社会の実現につながる、という貴重な気づきが生まれたように思います。そうした方向性を表現するのに、英語では次の3つのキーワードを組み合わせて使うことがあります。
DIVERSITY(ダイバーシティ 多様性)
INCLUSION(インクルージョン 包含性)
MINORITY (マイノリティ  少数者)
の3語です。コロナ禍前にもそれぞれに使われてきた言葉ではあるのですが、コロナ禍の体験を経てより着目され、組み合わせて使われるようになった言葉であるように思います。
 DIVERSITYダイバーシティとは、「多様性」という意味です。それぞれ一人ひとり違いがあっても受け入れ、違いをお互いに活かしあい、様々な個性があることの豊かさに気づくことにもつながります。
 INCLUSION とは、「包含性(ほうがんせい)」という意味です。違いがあることを認めた上で排除をしないで、仲間として取り入れ共に歩むことです。一致・団結・協力や平和構築にもつながってゆきます。INCLUSIONの反対語はEXCLUSION-「排除」-で、分裂や差別や紛争につながります。
 MINORITY マイノリティとは「少数者」のことです。社会は知らず知らずのうちに、多数派のうちでも力の強い人たちの都合のよいように作られていますので、社会の中の少数者は大抵は省みられることがなく、苦しむ声も聴き届けられることは少なく、時に排除されたり差別されたりして、社会の周辺に追いやられ弱い立場になります。そうした社会のあり方に対抗して、人々が多様性(DIVERSITY)を認め、少数者(MINORITY)を排除せず、仲間として受け入れ(INCLUSION)、共に歩む姿勢を持つことが、今の時代に平和をもたらす道につながるのではないかと思います。

 

5 今の時代に“隔ての壁”を超えて命を尊ぶ「生き方」を示すことの大切さ
 ロシアのウクライナ侵攻から2年が経過しても収まる様子のない戦争や、10月から続くパレスティナ・ガザ地区の無差別な殺戮を伴う紛争だけでなく、世界には、民族や宗教や文化の“違い”を受け入れずに「隔ての壁」を作り、より小さな国や地域に暮らす人々を虐げ、排除しようとする力があちらこちらで働いているように思われます。そうした、人々を分断へと導き、武器を持たない女性や子どもを命の危険にさらし、人の命の尊さを踏みにじるような力に対して、私たちは、違う「生き方」を姿勢として示めしてゆかないと、この世界は平和な方向へとむかわないのではないかと思います。たとえコロナ・パンデミックが収束したとしても、世界には、環境問題を始めとして、協力して取り組まなければ解決の方向にむかわない課題は多く残されています。分断でなく協力して困難な課題と向き合い解決してゆくために、多くの人々が「隔ての壁」を超えてまとまってゆくための心構えとして、先ほど紹介した3つの言葉の通り、多様性を認め、違う立場の人を排除するのではなく受け入れ、少数の弱者の命を大切にしてゆく姿勢は、六甲学院の中で学び卒業してゆく人たちのうちに育ててゆきたい「生き方」です。

 

6 81期生が導いた体育祭の方向性―多様性を認めつつ団結する
 そして実はこの、立場の違う人たちも受け入れつつ一致協力して物事を進めてゆく方向性は、81期生が体育祭を運営する中で実践してくれた道でもあったように思います。
この体育祭には、これからの六甲が伝統を生かしつつ新しい時代を築く萌芽があり、81期卒業生の将来にとっても、卒業生が築いたものを受け継ぐ在校生にとっても、汲み取るべき大切なものがあるように思いますので、最後に体育祭について話します。
 81期が中心で作り上げた体育祭は、参加した生徒皆が楽しめて、見る側にとっても見応えのある充実したものでした。準備期間は必ずしも天候に恵まれず時間的な制約はありましたが、総行進はよく仕上げられていました。総行進だけでなく、個々の競技でも参加者は真剣で、観客の生徒たちもそれぞれの競技をよく応援していたことが印象に残っています。この、それぞれの競技で、白組・紅組がほとんど総出で応援するという光景は、昔からあったわけではなく、騎馬戦の一騎打ち対決以外は、最近のことです。競技で双方の見学者が応援しあい、体育祭全体が盛り上がり、生徒たちが団結してゆく雰囲気は、上級生が作り上げ生徒たちみなが協力してきた大きな成果であると思います。
 総行進は、昼休みを終えて午後1時からという長年の伝統を変えて、最近2年間は午前10時に開始しました。一昨年は体育祭の日程自体が半日だったこと、昨年は午後の暑い最中に1時間近くの行進は、コロナ禍を経て体力的に弱っている中で厳しいという判断もあってのことでした。ただ、心配もありました。体育祭の目玉である総行進を午前中の半ばに行うことで、そのあとの競技は、メインの見せ場が早く終わって、生徒も緊張が解けて気の抜けた感じにならないかという懸念です。80期が中心で運営した一昨年の体育祭は、その後の競技もしっかりと引き締まって終えられました。そして、昼食後にも競技があった昨年は、80期を受け継いだ81期の指導のもとに、ゆるむことなく見応えのある競技が続いていました。
 総行進が終わった後の競技も、午前・午後とも引き締まっており、真剣にしていたことは、体育祭役員の体育祭全体への意気込みが、生徒皆に浸透した結果だと思います。また、午後最初のプログラムである応援合戦も完成度が高いものでした。昨年のような応援合戦が今後も続けば、観客の人たちにとっては、六甲の体育祭の中で楽しみな目玉の一つになり得るのではないかと思います。
 私たちは伝統というと、昔から続いている良いものをそのまま守ってゆくことと思いがちですが、むしろ時代の流れの中で、これまでの良さを生かしつつ工夫・改良を加え、新しい命を吹き込むことで初めて、伝統はそれぞれの時代に生きた意味のあるものとして、活性化し続いてゆくものです。見ごたえのある競技を真剣に行い、観客として楽しみつつ、生徒が熱心に行う応援、パフォーマンスとして練習の成果が伝わってくる見事な応援合戦、健康上の理由も含めて炎天下で1時間近い行進を上半身裸ではできない生徒がいる中で、そうした生徒を従来のように行進参加から排除するのではなく、生徒それぞれの意思を尊重しつつ全体として統一感を感じさせるような総行進を完成させることなど、今後も生徒みなが楽しさややりがいを感じながら、全体として一つにまとまれるような行事を、81期生は後輩を指導する中で、作ってくれたと思います。これまで受け継いできたことの良さを大切にしつつ、時のしるしを見極め、生徒たち自身の手で新しい団結力や統一感を表現する創造的な営みを推し進め、伝統を刷新し活性化してゆく過程を見せてくれていたように思います。

 

7 体育祭テーマと「自由の女神像」の掲げる「燎」(かがりび・トーチ)
 -自由と平等の新世界をめざす人々の希望の光となること
体育祭テーマと総行進で作り上げる絵模様とに見事な統一感があったことも、昨年の体育祭の特徴でした。体育祭の初めや総行進の放送ナレーションの中では、メインテーマの「燎―かがりび」と共に、サブテーマの一つとして、「DIVERSITY ダイバーシティ」という言葉が何度か使われていました。先ほども述べた3つのキーワードの一つです。基本的な意味は、色々な種類や性質があること、多様であることを言います。
 人間で言えば、肌の色・人種の違いや、考え方・価値観の違いや、文化的背景や宗教の違い、生まれた時からの男女間の性の違いや自分をどう捉えているかの違い、なども人によって多様です。人種・民族・宗教の違いだけでなく、健康面・身体面の特徴も、一人ひとり、生まれた時からのものもあれば生まれた後の育ち方や、後天的な病気や怪我などの要因による特徴があり、それぞれ個々に背景があり違いがあります。人それぞれに多様であることを知って、その違いを受け入れて一緒にやっていこう、という方向性を、81期の体育祭はメッセージの一つとして込めていました。
 また、総行進ではアメリカ合衆国のニューヨークにある「自由の女神」の図柄が作られてられていました。(「自由の女神」の正式名称は「世界を照らす自由」と言い、アメリカ合衆国独立100周年を記念して1886年にフランスから寄贈されたものです。)おそらくコロナ期を経て4年ぶりにニューヨーク研修に行った生徒たちの思い入れもあって、実現した図柄なのではなかったかと思います。体育祭のアナウンスでは、その説明の中で「ダイバーシティ」と「人間の自由と平等」について語られていました。ヨーロッパからの移民が、アメリカを新天地として選んで、過酷な航海の末、ニューヨークの港にたどり着く中で、最初に眺めた巨大な像が「自由の女神」でした。ヨーロッパでは、貧しい生活に苦しみ根強い差別と偏見に虐げられた多くの人々が、自由で平等な新世界を夢見てアメリカ合衆国に移民として渡ってきました。その人たちを最初に愛情深く迎え入れたのが、ニューヨークの自由の女神像でした。体育祭のアナウンスにあったように、自由の女神像が掲げる「燎」(かがりび・トーチ)は、船で大西洋を渡ってきた移民を、自由と平等を理想とする国アメリカに迎え入れる灯台のような役割を担っていたともいえます。旧大陸でつらく苦しい思いをしてきた移民たちを愛情深く迎え入れ、新天地での生活への希望を与える、「かがりび」を高く掲げた自由の女神像を、総行進の図柄の一つとして選んだことには、大切な意味合いが込められているように思います。
 体育祭で、81期生自らがテーマとして掲げた「燎―かがりび」のように、六甲を旅立つ卒業生一人ひとりが、周囲を明るく照らし、様々な人たちの多様性を尊重しつつ、自由と平等のもとに生きてゆけるような社会の実現に向けて、その方向性を指し示す希望の光になってくれたらと願っています。