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校長先生のお話

六甲学院中学校 84期生卒業式 校長祝辞

《2024年3月19日 六甲学院中学校 84期生卒業式 校長式辞》

 

『君たち…』の成長―経験の意味を振り返ることを通して「いい人間になる」

 

(1)84期中学3年生の卒業にあたって
84期中学3年生の皆さん、卒業おめでとうございます。中高一貫校である六甲学院の場合、中学卒業という区切り目は、一人ひとりがよほど意識しないと、実感があまり湧きにくいかもしれません。ただ、84期生は、学年主任石川先生を中心に学年団のご指導の下に、自分で考え行動する自律した大人に向けて成長してきた学年であると思います。84期生には学びの面でも行動の面でも、今後も、謙虚に学び続ける素直さを生かして、自律した一人の人間としての成長を、期待しています。この学年から始まった「中3卒業論文」の取り組みも、自分で思考し判断し行動する人になるための一ステップになればよいと思います。

 

(2)アカデミー賞ダブル受賞-暗い世相の中での明るいニュース
さて、最近の世界を見渡すと21世紀も四半世紀を迎えようとしているこの時代に、ウクライナやガザでは相変わらず陰惨な戦闘が続き、国内では政党の派閥による裏金問題は納得のいく解決には程遠く、元旦に起きた能登半島地震も被災者が希望を持って生活再建に向かうには遠い道のりであることが察せられて、明るいニュース報道がほとんどありませんでした。そうした中で、一週間前の映画のアカデミー賞ダブル受賞は、久々に入って来た明るいニュースでした。『ゴジラ-1.0(マイナスワン)』が「視覚効果賞」を受賞し『君たちはどう生きるか』は「長編アニメーション賞」を受賞しました。日本アニメの受賞は同じ宮崎駿(はやお)監督が2003年に『千と千尋の神隠し』で受賞して以来、2度目の快挙です。

 

(3)『君たちはどう生きるか』―少年が成長する物語として
宮崎駿監督の作品には、別世界や異次元の世界を旅する中で、思春期の子どもが様々な人や出来事と出会い成長する物語は、これまでにもありましたが、『魔女の宅急便』や『千と千尋の神隠し』など、少女の物語が殆どで、今回の作品のように少年が主人公の物語は、なかったのではないかと思います。私がこの映画を見たのは昨年の夏休みの終り頃だったかと思いますが、見終わって映画館を出る途中で、後ろにいた学生風の二人が「真人(まひと)は、いつあんな風に成長したのだろう」という会話をしていました。物語は複雑で難解でもあり、必ずしも主人公の成長が中心テーマとは言い切れないとは思うのですが、真人という最初は不愛想で心を閉ざしている主人公が、何かをきっかけに変ってゆき、感情豊かで人を受け入れられる人間に成長してゆくストーリーが、物語の筋の一つとして含まれていることは確かです。

 

(4) 成長への転換点―経験の中にある意味を振り返ること
私は、主人公の内面が成長する転換点の一つは、この映画の題名にもなっている『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著) という本を主人公が読んでいるその時だと思います。この本は母親から真人に託され、それを見出した主人公が読む場面があります。それは場面としては一瞬のことで、本の内容は映画の物語とはほとんど全くと言っていいほど、無関係に見えますが、製作者は特別な思いを込めてこの場面を描き込んでいるはずです。
この『君たちはどう生きるか』という本は、六甲学院の創立と同じ1937年に刊行された“古典的”な本です。私自身が中学生の現代国語を担当する時には、必ず課題図書として選んでいた本のうちの一つでした。40期代から70期代のうちの5期ほどの生徒たちには読んでもらっていました。コペル君というあだ名の15歳の少年本田潤一君が、身近な生活の中で、社会科学、自然科学、歴史、文化、芸術などに幅広く関心を持ち、目が開かれ、また、友人関係に悩んだりする中で、成長してゆく姿が描かれています。84期のみんなが中学を卒業するにあたって、ぜひ読んでほしい推薦本として紹介したいと思います。
父親を失っている主人公コペル君が、日常の中での経験や気づきを話す相手は、自分の母方の叔父さんです。その叔父が主人公の経験や気づきをより深く振り返らせ、さらに新しい気づきや成長へと導く役割を持っています。このコペル君と叔父さんとの間には、イエズス会教育の中でイグナチオ的教育法と呼んでいる方法のモデルとなるような関係があります。コペル君に向けて叔父さんが書いている「おじさんのNote」には、例えば「肝心なことは、いつでも自分が本当に感じたことや、真実心をうごかされたことから出発して、その意味を考えてゆくことだ」「ある時、ある所で、君がある感動を受けたという、繰り返すことのない、ただ一度の経験の中に、その時だけにとどまらない意味のあることがわかって来る」「常に自分の体験から出発して正直に考えてゆけ」(岩波文庫版53~54ページ)というアドバイスがあるのですが、それらはそのまま、イエズス会教育の専門家が話していると言ってもおかしくない内容です。自分が感動したり心が動いた体験をていねいに振り返ることによって、その体験のうちに込められた真実の意味を見出すイエズス会の教育方法と、そのまま繋がります。また叔父さんは次のようにも言います。「もしも君が、学校でこう教えられ、世間でもそれが立派なこととして通っているからといって、ただそれだけで、いわれたとおりに行動し、教えられたとおりに生きてゆこうとするならば、―コペル君、いいか、-それじゃあ、君はいつまでたっても一人前の人間にはなれないんだ」(同書 55ページ)。 そうであるとするならば、どうしたら一人前の人間になれるのか、この本を読みながら考えてほしいところです。(それは、84期のテーマ「自律(自立)した人間になる」ことを、本当の意味で理解し実践することに繋がります。)

(5)映画の主人公真人の読書場面と本の主人公コペル君の「雪の日の出来事」
84期の卒業にあたって、同じ年齢のコペル君が主人公のこの本については、もう少し映画とも関連させつつ紹介したいと思います。宮崎駿監督の映画『君たちはどう生きるか』の主人公真人は、ある出来事がきっかけで学校を行き渋るのですが、そうして部屋にこもっている中で、先ほども述べたように、母親から自分宛てに贈られたこの本の存在に気づき、涙を流しながら夢中で読む場面があります。映画の主人公真人がこの本のどこを読んで涙を流すほど感動したかを想像することには、それほど意味はないかもしれませんが、この本をそれなりの共感を持って読んだことのある人にとっては、思い当たる箇所があると思います。「雪の日の出来事」と「石段の思い出」という章です。
本の『君たちはどう生きるか』の中で、コペル君には3人の仲の良い友人がいます。「雪の日の出来事」では、そのうちの一人が上級生4~5人に囲まれ不当に扱われているときに、コペル君以外の友人2人はその上級生から攻撃されている友人のもとに駆け寄り、怖さでぶるぶると震えながらも友人を守ろうとします。しかし、コペル君は足がすくんで友人のいるところに近寄ることができません。そのまま事が過ぎてしまいます。親友が暴力を振るわれるのを見ながら、何一つ抗議もせず助けようともしなかった卑怯な自分を責め後悔したまま、体調を崩して何日も休むことになります。

 

(6)コペル君の母親の「石段の思い出」―経験の意味に気づくこと
病床の中でコペル君は雪の日の出来事を繰り返し思い返し、自分の臆病さや卑屈さへの自己嫌悪に陥りながらも、友人3人とは会いたいし元の仲の良い関係に戻りたいと願いつつ、学校に行って会うことへの不安やつらい思いに苛(さいな)まれます。
体調がよくなった頃にコペル君の母親は、コペル君の心の内を察していたのか、女学校時代の学校の帰り道に、神社の石段を登っていたときの体験を話してくれます。
石段を登りかけた時に、5~6段先を70過ぎくらいのおばあさんが手に重そうな風呂敷包みを持って登っていました。その荷物を持ってあげなければいけないと思いながら、何度か話しかけようと思いつつきっかけがつかめないうちに、おばあさんは登り切ってしまいました。そんな些細な出来事をお母さんは忘れられずに、色々な時に色々な思いで思い出す、と言います。そして次のように話します。
「おばあさんの大儀そうな様子を見かねて、代わりに荷物をもってあげようと思いながら、おなかの中でそう思っただけで、とうとう果たさないでしまった、――まあ、それだけの話ですけれど、このことは、妙に深くお母さんの心に残ったんです。……心に思ったそのことをする機会は、二度と来ないのでしょう。その機会というものは、おばあさんが石段の一番上のところに立つと同時に、まあ、永遠に去ってしまったわけね。ほんの些細なことでしたけれど、おかあさんは、やっぱり後悔したんです。あとになって、なんと思って見たところで、もう追っつかない。」「潤一さん。大人になっても、ああ、なぜあのとき、心に思ったとおりしてしまわなかったんだろうと、残念な気持ちで思いかえすことは、よくあるものなのよ。どんな人だって、しみじみ自分を振り返って見たら、みんなそんな思い出を一つや二つもっているでしょう。」「でもね、潤一さん、石段の思い出は、お母さんには厭な思い出じゃあないの。そりゃあ、お母さんには、ああすればよかった、こうすればよかったって、あとから悔やむことがたくさんあるけれど、でも、『あのときああしてほんとによかった』と思うことだって、ないわけじゃあありません。それは損得から考えてそう言うんじゃないんですよ。自分の心の中の温かい気持やきれいな気持を、そのまま行いにあらわして、あとから、ああよかったと思ったことが、それでも少しはあるってことなの。そうして、今になってそれを考えてみると、それはみんな、あの石段の思い出のおかげのように思われるんです。」「人間の一生のうちに出会う一つ一つの出来事が、みんな一回限りのもので、二度と繰り返すことはないのだということも、――だから、その時、その時に、自分の中のきれいな心をしっかりと生かしてゆかなければいけないのだということも、あの思い出がなかったら、ずっとあのままで、気がつかなかったかもしれないんです。」 「その後悔のおかげで、人間として肝心なことを、心にしみとおるようにして知れば、その経験は無駄じゃあないんです。」(同書 244~248ページ)
コペル君は、母親からのこうした言葉を、目に涙をあふれさせながら聞いているのですが、おそらく映画の中の主人公真人(まひと)も、自分の母親から直接話を聞いているように感じながら、こうした箇所を読んでいたのではないかとも想像します。

 

(7)経験を成長の糧として「よい人間になる」ことを目指す
きっと、今日中学を卒業する84期を含めて、「石段の思い出」のような出来事は、だれにでもあることなのだと思います。そして、この本をこの機会に読むことは、中学時代を振り返り高校生になるにあたっての、一番の心の準備になるのではないかとも思います。この本の最後の方にはコペル君が叔父さんに宛てた、次のような手紙の文章があります。紹介して中学卒業の祝辞を終えます。
「僕、ほんとうにいい人間にならなければいけないと思いはじめました。叔父さんのいうように、僕は、消費専門家で、なに一つ生産していません。僕には、いま何か生産しようと思っても、なんにも出来ません。しかし、僕は、いい人間になることは出来ます。自分がいい人間になって、いい人間を一人この世の中に生み出すことは、僕にでもできるのです。そして、そのつもりになりさえすれば、これ以上のものを生み出せる人間にだって、なれると思います。」(同書 297ページ)
単純な目標ではありますが、経験を成長の糧として「いい人間になる」ことを、まずは目指してくれたら、と願います。

※高校生に向けて:
以上のように吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』を紹介すると、中学生向けの本のように受け取られるかもしれませんが、岩波文庫版には「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」という題で、日本の最も優れた政治・歴史学者の一人である思想家丸山真男の解説が掲載されています。本書が、高校生や大学生だけでなく教養のある大人にとっても、どれだけ高度な内容が、見事な筆致によってわかりやすく書かれているかも、理解できる解説になっています。また、丸山氏自身が高校2年生の終わり頃に、戦時下に思想犯として不当に逮捕された留置場経験から、「どんなに弱く臆病な人間でも、それを自覚させるような経験を通じて、モラルの面でもわずかなりとも『成長』が可能なのだ、ということを学んだ」という個人的な出来事も記されています。ぜひ、高校生も解説を含めてこの本を読んだ上で、映画『君たちはどういきるか』が再上映されることがあれば、映画も併せて観てくれるとよいと思います。本と映画とは無関係といいながら、案外、難解ともいわれる映画を読み解く鍵が、この本にはあるかもしれません。