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月別アーカイブ: 2022年4月

2022年度 一学期始業式 式辞

《2022年4月7日 一学期始業式 校長式辞》

 

◇『新しい人』になることをめざす

新学期が始まりました。

ノーベル文学賞を受賞した作家大江健三郎が次のようなことを言っています。「『新しい人』になることをめざしてもらいたい。自分のなかに『新しい人』のイメージを作って、実際にその方へ近づこうとねがう。…そうしてみるのと、そんなことはしないというのとでは、私たちの生き方はまるっきりちがってきます。」

新学期にあたって、大江健三郎の勧めに従って、まず自分の中に『新しい人』のイメージを思い描いてくれたらよいと思います。『新しい人』になることをめざしてください。今この時代に求められている『新しい人』とはどのような人でしょうか? または、今の自分にとって、なりたいと思う自分はどのような人でしょうか? まずは、何にもとらわれずに『新しい人』の自分なりのイメージを思い浮かべてくれたらよいと思います。

私がこの言葉に目が留まったのは、19世紀・20世紀の価値観をそのまま受け継いでしまっているような『古い人たち』が、世界のリーダー、社会のリーダーで居続けたら、世界は変わらない、それどころか破壊的な結果に導かれかねないのではないかという危機感を抱いているからです。これまでとは違う『新しい人』が、これからの時代には必要なのではないかと、痛切に思います。

 

◇世代を超えて世界に和解をもたらす『新しい人たち』

大江健三郎が「新しい人」という言葉に出会ったのは、「新約聖書」のパウロの書簡「エフェソの信徒への手紙」だそうです。大江健三郎はキリスト教の信徒ではないのですが、聖書を愛読している作家です。彼は次のように述べています。「『新しい人』という言葉は、次のような意味で使われていました。『キリストは平和をあらわす。それは、対立してきた二つのものを、十字架にかけられた御自身の肉体を通じて、ひとつの『新しい人』に作りあげられたからだ。そしてキリストは敵意を滅ぼし、和解を達成された……。 私は、なにより難しい対立のなかにある二つの間に、本当の和解をもたらす人として、『新しい人』を思い描いているのです。それも、いま私らの生きている世界に和解を作り出す『新しい人(たち)』となることをめざして生き続けて行く人、さらに自分の子供やその次の世代にまで、『新しい人(たち)』のイメージを手渡し続けて、その実現の望みを失わない人のことを、私は思い描いています。」(『「新しい人」の方へ』)

対立している二つのものが和解して、平和をもたらすための要(かなめ)になる人物が「新しい人」です。それも何世代にもわたって、その実現の望みを失わずに受け継いでゆける人たちです。

 

◇アジアのイエズス会学校の生徒たちのISLF体験

2018年の夏期休暇にISLF(Ignatian Student Leadership Forum)と呼ぶ、アジアのイエズス会学校の高校生が日本に集まる企画がありました。生徒がイグナチオ的リーダーシップを身につけるために80人ほど集い、プレゼンテーション・フィールドワーク・ワークショップ・分かち合い等をします。フィリピン、インドネシア、台湾、香港、マカオ、東ティモール、ミクロネシアの国、地域からイエズス会学校の生徒たちが集まりました。日本の神奈川県の秦野が会場でしたので、日本の姉妹校4校からも5人くらいずつ集まりました。“Beyond the Border”「境界を超える」ことを統一テーマに、戦争と紛争・被災地と環境・移民(在日外国人)という3つの課題に分かれて話し合いの場を持ちました。各国の社会問題も発表してもらい、貧困や環境破壊など各国に共通する課題を共有しました。そして、フィールドワークとして、戦争テーマのグループは第二次世界大戦当時の展示や戦没者を慰霊する場所を見学しに行きました。被災地と環境のグループは同世代の東日本大震災体験を聞きつつ原発事故のあった福島から首都圏に避難し、幼い子を育てている家族の話を聞きに行きました。移民(在日外国人)のグループはベトナムやカンボジアをルーツに持つ人々が多く住む神奈川県大和市のいちょう団地に行ったり、地元秦野のフィリピンをルーツに持つ若い人たちの話を聞いたりしました。

 

◇参加者の和解プロセスの助けになった日本の難民次世代の協力関係

プログラムを進めてゆく中で気づいたのは、「戦争」をテーマにして話し合うにしても、日本にとって80年前の出来事でも、例えば東ティモールの独立は2002年で、独立するまでの内戦や実質的に統治していた隣国インドネシアからの攻撃・破壊行為は、自分たちが生まれる少し前の、まだ生々しい出来事だということです。2月に一時帰国された浦神父様からのお話にもあったように、当時東ティモールの人口100万人ほどのうち独立の過程で20万人が亡くなったり行方不明になったりしました。つまり5人に1人ですので、家族や親せき、知り合いの誰かは命を落としている戦争状態であったと言っていいと思います。東ティモールの生徒たちは紛争とその後の混乱の中で、自分の兄姉や親戚が命を落としたり悲惨な目にあったりしていることを聞いて育っています。心情的に統治国であったインドネシア人の生徒たちと一緒に話し合うには、互いにその場で心のわだかまりを解き和解する過程が必要でした。東ティモールとインドネシアの生徒たちの心の葛藤に寄り添おうとする他国の姉妹校の生徒たちの姿もあって、そうしたことがこの集いの意義を深め、参加者たちの貴重な体験にもなりました。

今回心のわだかまりを解くための助けになったのは、フィールドワークでした。例えば訪問先の大和市の団地でカンボジアとベトナムにそれぞれルーツのある若者たちが、自分の親の世代では国としては過去に敵対関係にあったとしても、日本では難民の次世代として協力し合って、子どもたちのための学習支援のNGOを立ち上げていることを聞きます。そして国際的な集いのテーマBeyond the Border の通り、心に壁を作ってしまっているその境界線を越えて、将来に向けて若い世代が和解し協力することの大切さにも気づき始めます。

対立している二つのものが和解して平和をもたらすための「新しい人」になるということは、日本にいると実感を伴う言葉になりにくいのですが、こうして姉妹校交流を通じて世界とのつながりを持つことで、世界にとっていま必要な「新しい人」のイメージがより明確になるということは、あるのではないかと思います。そして、実は日本にとって80年近く前に終わった戦争であっても、アジアには世代を超えて、わだかまりがとけずに和解の必要な国々や人々がいることも忘れてはいけないことです。

 

◇東ティモール平和構築の体験学習に参加する学生グループ

東ティモールでは20年前まで、独立を推進する人たちとインドネシアの統治を維持しようとする人たちとの対立があって、独立した後もどのように対立していた勢力と和解し、国を共に作っていくかが課題になっています。2017年に4校の先生方と東ティモールを訪問した時には、その平和構築のプロセスを学ぶために東ティモールに来ている日本の学生グループと出会いました。その中には上智大学・早稲田大学・法政大学の混成チームがあって、そのグループのネットワークの中には71期と73期の六甲卒業生もいました。一人は六甲在学中インド訪問の経験者で、アジアの中でより教育環境の整っていない東ティモールを研究対象として選び、卒論のフィールドワークのために、たまたまその時にその場にもいました。その後、上智の大学院修士から東京大学の博士課程に進んで、研究を続けつつユネスコの活動に携わり始めています。もう一人は2014年に東ティモール大使館から招待されてイエズス会姉妹校のチームとして東ティモール訪問を経験した卒業生でした。彼はその後、ニューヨークでの模擬国連の高校生リーダーとしても活躍し、阪大の医学部に進学しました。71期の卒業生は教育の分野で、73期の卒業生は医療の分野で、世界に貢献する道を歩み始めています。

ロシアとウクライナもまだまだ先の見えない状況で、国同士はますます関係が悪くなる過程が予想されますが、民衆のレベルで両国の平和に向けて協力してゆくプロセスは、今後可能だと思いますし必要なのではないでしょうか。

世界の様々な戦争や紛争後の平和構築、和解のプロセスを進めてゆく人は、これからの『新しい人』として目指すべき姿の一つになるでしょう。皆の中からも、そうした道を目指す人たちが生まれてくるのを期待しています。

85期中学校入学式 校長式辞

《2022年4月7日 中学校入学式 校長式辞》

 

◇コロナ禍での六甲学院中学ご入学にあたって

六甲学院中学校へのご入学、おめでとうございます。

保護者の皆様、ご子息の六甲学院への入学、おめでとうございます。桜の花の最も美しいこの日に、六甲学院85期生の入学式が迎えられたことを嬉しく思います。

2年間のコロナ感染拡大の中での小学校生活は、様々な面で思いの通りにはいかなかったことと思います。普通の生活とは違う環境を過ごしながらの受験勉強にも、困難を感じることがあったことでしょう。これからの六甲学院の生活の中で、そうした大変な経験を含めて、成長のための糧となればと願っています。

 

◇ミッションスクールとしての世界観と基本的使命

六甲学院はキリスト教のミッションスクールです。その基本的な世界観の中心は、「神はこの世界を善いものとして造られた。私たちも含めてすべてのものが、神から愛されて、大切なかけがえのない存在としてこの世界にある」ということです。そして、もう一つそれに加えるならば、「私たち一人ひとりには、この世界を本来の善いものとして、すべての命が生き生きと生きるために、何かするべき使命、ミッションが与えられている」ということです。六甲学院の土台にはこうした世界観があります。そしてこの世界観を学校生活での様々な経験を通して伝えることが、キリスト教の学校としての基本的な使命です。

皆さんは85期生で、この学校が造られて85年目を迎えるのですが、ミッションスクールという呼び方の通り、学校にもミッション=使命が与えられています。講堂の舞台正面の壁上部に刻まれた文字は、六甲学院の設立母体である修道会イエズス会の創立期からのモットー『Ad Majorem Dei Gloriam(アド マイヨーレム デイ グローリアム)』というラテン語です。創立者イグナチオの座右の銘で「神のより大いなる栄光のために」という意味です。日常的に神を意識することのない大多数の日本人にとって、「神の栄光」という言葉を聞いてもあまりピンとこないと思うのですが、すべての被造物、生きとし生けるものが、本来の命の輝きを放って生き生きと生きていることが、この世界を創造された神の栄光です。みんなが学校に来て、友だちと楽しそうに遊んでいたり、授業を目を輝かせて聞いたり発表していたり、クラブ活動で一生懸命練習に励んでいたりすれば、それもまた皆を造った神の栄光でもあるということです。神がこの世界を見るまなざしは、両親が、幼い我が子が元気に楽しそうにしている姿を見て喜んでいるまなざしと、似ていると思います。この「神の栄光」のため、生徒が本来の命の輝きを放って生きられるように尽くすことが、私たちの学校の使命と言えるでしょう。

 

◇「和解」の使命―イエズス会学校として

先に述べたように、キリスト教の世界観では、この世界はすべてよしとされた存在であることを信じています。基本的には楽観的な宗教といえるのではないかと思います。しかし、同時にその世界は必ずしも善いものとして存在していないことも分かっています。人間も本来の善さを見失って悪い方向へ向かう傾きがあることも分かっています。人間は、神がこの世界を造られた意図に反して、互いに自分や自国の富や支配への欲望のために争って戦争を起こしますし、自分たちの都合のいいように自然を利用して環境破壊をしています。今の世界を見ても、大国ロシアのウクライナへの侵攻によって、子どもを含めて罪のない多くの市民の尊い命が失われている現実がありますし、世界各地で豪雨や洪水を引き起こす気候変動にしても、プラスティック廃棄物による海洋汚染にしても、人間によって植物も動物も命あるものの生命が脅かされて、地球から悲鳴が聞こえてくるような状況になってしまっています。

人間は、この世界を創造され、生きとし生けるものが豊かに生き生きとその生命を十全に生きるようにと願われたその神の思いに反し、人間同士は争いあう中でかけがえのない命を落とし、地球の自然環境への配慮も足りずに環境破壊をしてきました。六甲学院の設立母体イエズス会は現在、神の思いに反してきたことに対して「神との和解」、人間が対立し争い続けていることに対して「人間同士の和解」、自然環境を顧みずに破壊し続けてきたことに対して「自然との和解」という3つの和解を進めなければならないというメッセージを発しています。この世界の創造物、生きとし生けるものが神の思いの通りに豊かにその命を生きられるように、人間同士が争って意味なく命が失われることがないように、地球全体が環境破壊によって傷つき滅びることなく後世もすべての生き物がその命を謳歌できるように、人間が力を合わせてこの世界をより善い方向に変えていかなければならないのだと思います。

 

◇創立者イグナチオの3つの共通メッセージ

六甲学院は、先ほどから述べている通り、キリスト教・カトリックの中でイエズス会という名の修道会によって設立された学校です。創立者はイグナチオ・デ・ロヨラという人です。彼は、神が何のためにこの世界を作られたか、そしてなぜ私たち一人ひとりを作られたか、を問い続けた人です。同時に、一人ひとりがこの世界にいる意味や目的を実感を持って見出せるように、そのための祈りの方法(「霊操」)に気づいて、多くの人たちに広めた人でもあります。昨年5月から今年の7月までを、イグナチオの回心から500年を記念して、全世界の900校近いイエズス会学校では「イグナチオ年」として、さまざまな企画をしています。

なぜ個人的な心の中で起こった「回心」という出来事を記念しているかというと、イグナチオはその「回心」の祈り中で人間すべてに共通する三つの大切なことに気づいたからです。そのうちの二つはキリスト教の世界観として紹介したことでもあるのですが、一つ目は「私たち一人ひとりが、神から大切に愛されて命を与えられていること」、二つ目は、「その与えられた命は、この世界の中で何かすべき使命が一人ひとりに託されていること」、です。そして三つ目は、「その使命を果たすために一人ずつ異なる才能・恵み(賜物)が与えられていて、その才能を磨いて他者のため、世界のために生かすことのうちに、生きる意味や喜びや充実感が得られること」、です。単に自己目的の自己実現でなく、他者やこの世界のために自分の善さや才能を生かして生きる時に、生きる意味や喜びが実感できるように人間は造られていると、イグナチオの精神を受け継ぐイエズス会学校は考えています。

 

◇3つのメッセージを6年間の学校生活の中で経験すること

新入生には、このイグナチオの三つの気づきを日常の中で味わう経験を、これからの6年間の中でしてほしいと願っています。まず、学校の中で大切にされる体験をしてくれたらと思います。先生方や中一指導員を始めとした先輩たちとの関わりや、自分の善さを引き出してくれるようなよい友人との関係を大事にして下さい。そのためのプログラムは、すでに中1オリエンテーションの友だちづくりから始まっています。

また、授業での学習や社会奉仕活動などの経験を通して、この世界で起こっている様々な出来事や、そうしたことを引き起こすこの世界の仕組みや、人間の尊厳や弱い側面を含めたその性質について深く理解をしてほしいと思います。多様な課題のあるこの世界のため、苦しむ人々のために、自分に何ができるかを問い続け考え続けて下さい。

そして、授業や部活動や委員会活動、日常の友人とのつきあいやクラスメイトや先輩たちと行事をしてゆくなかで、自分の善さや才能を見つけ出してくれたらと願っています。その自分の善さや才能を、授業の発表活動や行事や人との付き合いの中で生かす喜びを、在校中に味わってくれたらよいと思います。

まずは、オリエンテーションの2日目に訓育の中村先生が話されていたように、学校生活の中で、やりがいの持てる場を見つけてください。学校生活の中で、自分が生き生きとできる場が見つけられて、それが、将来したいことや、何か人の役に立つこと、社会をより善く変えられることへと、つながってゆけば、自分が生きている意味や使命に気づくことにもなるでしょう。

先ほど「世界のイエズス会学校では『イグナチオ年』としてさまざまな企画をしている」と述べましたが、六甲学院ではオリジナルの手帳を作成しました。自分の学校生活が充実し、自分の善さや才能を見つけ出して、よりよい人間として成長してゆくために、手帳もぜひ十分に活用してくれれば、と思います。

 

◇まとめとして…「宝は人に分かち与えるほどに輝きが増す」

話のまとめになりますが、六甲学院への入学にあたって、出会い始めた友人、先輩、先生とのかかわり、自分を大切に思ってくれる人たちとのつながりを大事にしてください。また、様々な学びの中でこの世界や人々のために自分に何ができるか、自分にどういう使命が与えられているかをこれからの6年をかけて探してくれたらと思います。そして、自分に与えられている才能や善さに気づいて、それを人々を幸せにするために生かせるよう、磨いてくれたらと願っています。

昨日のNHK朝の連続テレビ小説「カムカム エブリ バディ」で、侍(さむらい)役俳優の登場人物虚無蔵が主人公ひなたに次のような話をしていました。「そなたが鍛錬し培い身につけたものは、そなたの一生の宝となるだろう。されど、その宝は人に分かち与えるほどに輝きが増すものと心得よ。」 自分に与えられ努力して磨きをかけた才能や技能は、人と分かち合うほどに輝きが増す、というのは宗教を超えた真理なのだと思います。私が今日新入生に伝えたかったメッセージと、そのまま繋がる言葉だと思います。

それでは、一日一日、一つひとつのことを、大切に取り組んでください。

皆にとって六甲生活の良いスタートが切れますようにと、祈ります。