《2学期 始業式 校長講話 2024年9月2日》
インド訪問と“resilience(しなやかな強靭さ)”を身につける教育
(1) 夏休みの経験の振り返りから
2学期が始まり、今日から早速授業があります。夏休みは皆にとってはどうだったでしょうか?
校内でのクラブ・文化祭準備の活動や補習、課外活動としては施設への社会奉仕や前島キャンプ、立山キャンプ、クラブの合宿、大阪・神戸へのOB職場訪問や、名古屋等へのフィールドワーク、東京でのガーナからの生徒との交流等、それぞれの学年を対象にして様々な経験をする機会がありました。海外交流の有志企画としては、高校3年生も含めて7名の生徒が、アフリカのガーナに行って現地の高校生たちと交流する貴重な体験をし、学校行事のインド訪問旅行も6年ぶりに行われ、高2・高1の生徒が19名、学校の代表としてインド募金の送金先の施設などを訪問し交流をしました。それぞれ、学期中にはできない心に残る体験をしたことでしょう。自分にとってどんなことが印象に残りどんな意味があったか、どんな気づきや成長があったかを、振り返ってくれたらよいと思います。
(2) 6年ぶりのインド訪問での生徒の前向きな参加姿勢
私自身は、第12回インド訪問旅行に参加したことが、特に印象に残る経験でした。六甲学院着任時から社会奉仕活動に携わっていましたので、第2回、第5回、第7回の3回、インド訪問を経験してきました。14年ぶりで、今回が4回目になります。コロナ禍の2020年と2022年にインド訪問に行くことができなかったため、学校としては2018年以来6年ぶりのインド訪問でしたので、現地の状況を知るためにインド訪問旅行についてゆくことにしました。これまでの訪問では、日本とは環境も大変異なり深刻な現実と直面する中で、生徒が数日体調を崩し病院診療に付き添うケースなども経験してきましたので、そうした役割を担う必要があるかもしれないと考えていました。
私が感心したことの一つは、今回のインド訪問でも腹痛・発熱の生徒は出たのですが、歓迎会や交流会でのスポーツや激しい動きのある出し物のパフォーマンスなど、主要な交流プログラムをしっかりと準備し、大きくは体調を崩さずに皆が熱心に参加できたことです。インドに来ると健康面での不調は、それぞれ程度の差があってもほとんどの生徒は抱えます。今回も恐らくそうだったと思うのですが、多少しんどいと感じてはいても、準備段階での学習会などを通して、自分たちが学校の代表としてインドに来ている意味を理解しているために、前向きに頑張り抜いた面があったように思います。
(3) “resilient mind”を育てる-コロナ禍後のイエズス会教育の方向性
今年の6月末にインドネシアのジョグジャカルタで、イエズス会教育についての世界レベルの会議がありました。インド訪問の中での生徒の様子を見つつ、その国際会議のテーマになったキーワードを思い出しました。その会議では、コロナ禍を経てこれからのイエズス会教育の中で、生徒が身につけてほしいことの中心に「レジリエンスresilience」(またはレジリエント マインドresilient mind )という言葉が挙げられていました。この言葉自体は、3年前のコロナ禍の校長講話の中で私も紹介しています。今はパリでパラリンピックが行われていますが、3年前に行われた東京パラリンピックで、陸上トラック競技をテレビで観戦しているときに、雨が降りしきる中、障がいを持った選手と同伴して走る伴走者に向けて、悪いコンディションの中でもひるまずに走り続けるひたむきな姿に、解説者が使った言葉でした。しなやかな強靭さ、多少しんどいことがあっても粘り強く頑張り抜ける力、危機の中でひるんだりダメージを受けたりしても、すぐに回復して立ち向かえる精神を指す言葉です。弾力のあるしなやかな枝のように、強い風や外圧で曲げられてもポキッと折れることなく元に戻る枝のイメージです。コロナ禍の中で生徒に身につけてほしい能力・精神力として、講話で紹介したのを覚えています。
イエズス会教育の世界会議の中でこの“resilience”「しなやかな強靭さ」(“resilient mind” 「しなやかで強靭な心」)を、今の時代の生徒たちが身につけることを、教育目標として掲げたことは、大変的を射ているように思います。世界中でコロナ禍に人との交わりが希薄になり、内にこもってリアルな生の経験がしにくい状況が継続した中で、若い世代を含めて人々の心が脆弱になったことの影響は、今も根強く残っているからです。夏休みに奉仕活動やキャンプや合宿や様々な研修活動などを、多くの生徒たちがリアルな経験としてすることができたことは、そうした観点からもとても大切なことだと言ってよいと思います。
(4) インド訪問参加者の姿勢に見られる“レジリエンス”と六甲の教育
インド訪問は日本とは環境ギャップがある中で、心身ともにかなり激しく揺さぶられる体験をするプログラムですので、教師側も多くを詰め込み過ぎずに生徒が心身を整えて回復させる時間を取る配慮はするのですが、生徒自身も与えられた時間を活用して自分なりに心身を調整し、多少の不調や困難さは感じていても、インド訪問の目標に沿って、歓迎式典や日本文化の披露や交流会ではできる限りのことをやり抜こうとするグループ全体の意志を、様々な場面で感じました。そして、その生徒の姿勢の中に、この「レジリエンス」を見たように思いました。自分たちなりの役割や責任や目標を自覚していることが、それぞれの内にある「レジリエンス」を引き出すことに繋がっているのではないかとも、生徒を見ていて思いました。
六甲という学校は、日々の掃除や、体育祭の練習や、クラブ活動・委員会活動・社会奉仕活動や、これから始まる文化祭の準備活動も含めて、一つ一つの日常の習慣や行事に取り組む中で、乗り越えるべきしんどさや困難さと出会いつつ、この「レジリエンス」―しなやかで強靭な心―を育てる方向性は、もともと備わっているのかもしれません。そうして鍛えられた心が、インド訪問の場面でも生かされていたように思います。
(5) 弱い立場の人たちを受け入れること-振り返りを通してのグループの成長
インド訪問では、その日その日の経験を、必ず振り返り分かち合う時間を設けます。それをすることが、生徒全体の気づきとなり、一貫したテーマとなり、個人としての成長にもグループ全体としての成長にも繋がります。その出来事の一つを紹介します。
インド訪問の中で、インドに着いて三日目に、コルカタでマザー・テレサの設立した「子どもの家」を訪問しました。そこでは、障がいを持った子どもたちに対して、どう接してよいかわからず、笑顔で話しかけることも手を差し伸べて握手することもほとんどできずに、傍観者的な態度になってしまったという、全体としての振り返りがありました。
そうした反省も踏まえて、私たちがインド募金で支援しているダンバードのダミアン社会福祉センターでは、ハンセン病で家族に見捨てられてしまった高齢の方々やハンセン病に罹(かか)って病院で療養されている方々には、「ナマステ」と言いながら積極的に笑顔で握手しにゆく姿勢が見られました。短い期間の中で生徒の大きな成長が確かにありました。ダミアン社会福祉センターの所長アジャイ神父様は、ハンセン病の元患者の方々をそうした姿勢で受け入れてくれた生徒たちに、本当に感激し感謝されていました。
私たちがインド募金で支援している中心施設、ダミアン社会福祉センター内の学校であるニルマラ学院では、歓迎式典での交流会以外にも、学校の隣にある寄宿舎の寮生たちとの交流を2回行うことができました。両親家族がハンセン病である家庭を含めて、様々な事情で親元を離れて(または帰る家庭がなくて)寄宿舎で生活している生徒たちです。支援している生徒たちとの直接の交流の中で感じたことについては、参加した生徒たちの感想をじかに聞いた方がよいと思いますので、その機会は「報告会」に取っておきたいと思います。
(6) インド募金の実り-コロニーでの支援してきた学校の出身者との出会い
私が、今回のインド訪問の中でこれまで長年インド募金を続けてきたことの一つの実りを感じたのは、訪れたコロニーで出会った22歳の青年から聞いた話です。コロニーというのは、家族がハンセン病に罹って差別を受けたり仕事を失ったりしたために、それまで住んでいたところでは暮らすことができなくなった家族が集まって、助け合いながら生活している集落です。
出会った22歳の青年は、そのコロニーに住んでいて、子どものころからデブリット・スクールに通っていたとのことです。デブリット・スクールは元々親がハンセン病の子弟を受け入れる養育施設として設立され、ニルマラと共に六甲学院が40年以上支援してきた学校です。小学生・中学生だった頃に、3回ほど六甲の生徒たちが日本から訪問団として来てくれて、その歓迎交流会が楽しかったのを、今でも印象深く覚えているとのことでした。現在は大学で経営学(ビジネス)を学んでいて、MBA(Master of Business Administration経営学修士)を修得することを目指している、と話してくれました。
インドではハンセン病の家族がいるというだけで、教育面では普通の学校にも通いにくい現状がありましたから、この若者がコロニーからデブリット・スクールに通えて小学校から高校までの基礎的な学力が習得できたのは、六甲学院の生徒募金の支援があったからこそ、ということができます。そうした中で本人の勉強面での努力もあって大学まで進み、大学院で経営学修士を取って仕事に活かす夢まで持つことができています。生徒たちと写真を撮る機会を持てたことを喜んでいましたが、おそらく支援してくれた六甲学院の人たちと再び出会えた喜びや、これまでの支援への感謝の気持ちがあってのことだったのでしょう。教育がなければ、着の身着のままで街に出て人から金品を請い求めて暮らす「物乞い」になる以外に殆ど生活の手立てがない身の上の人々が、こうして教育を受けて夢を持つことができ、社会に貢献すると共に自分の家族を養うことができるようになるのならば、それは人の一生を根本から変える大きなサポートだと思います。
(7) インド募金の意義の確認と「しなやかな強靭さ」の修得を目指すこと
早速明日から二学期最初のインド募金が始まります。インド訪問参加生徒からの報告はしばらく後になりますが、教育を受けられることの意味やそれをサポートすることの大切さなども考えつつ、インド募金に協力して下さい。
この2学期は、「レジリエンス」―しなやかや強靭さ-を身につけることをテーマの一つとして、一つ一つのことにしっかり取り組んでくれればよいと思います。