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校長先生のお話

三学期始業式 校長講話

《2025年1月8日 始業式 校長講話》

 

For Others, With Others ―「共感」から「希望」をもたらす人へ

 

(1)「希望」を取り戻す一年に―カトリック教会の「聖年」にあたって

 年が明けて2025年が始まりました。カトリック教会は25年に一度「聖年(聖なる年)」を迎えます。2025年は、この聖年に当たります。聖年の中心テーマは『希望』です。教皇フランシスコは次のように述べています。

 「すべての人は希望を抱きます。明日は何が起こるか分からないとはいえ、希望はよいものへの願望と期待として、一人ひとりの心の中に宿っています。けれども将来が予測できないことから、相反する思いを抱くこともあります。信頼から恐れへ、平穏から落胆へ、確信から疑いへ―。わたしたちはしばしば、失望した人と出会います。自分に幸福をもたらしうるものなど何もないかのように、懐疑的に、悲観的に将来を見る人たちです。聖年が、全ての人にとって、希望を取り戻す機会となりますように。」

 この教皇フランシスコの言葉にある通り、より良い方向へむかう願望や期待を込めて希望を抱くのが、私たちの自然な姿なのだと思います。しかし、将来への不安や恐れから悲観的・懐疑的になり、希望を失い落胆している人と出会うことがあります。また、将来が幸福になることを信じて、希望を抱き続けることが難しい時代でもあるのかもしれません。教皇フランシスコが祈るように、すべての人にとって希望を取り戻す機会が与えられる1年になれば、と願います。

 

(2)日本と世界の「現実」-大災害と戦争に苦しみ犠牲になる人々

 具体的に、日本の現実を見てみると、昨年の元旦に起きた能登半島沖の地震から1年が経ち、阪神淡路大震災から30年を向かえようとしています。能登半島に暮らす住民の中には、大きな地震とその後の土砂崩れや津波によって大切な人を失い、被災者の多くは生活再建のめどが立たず、さらに9月下旬には追い打ちをかけるような豪雨災害によって、立ち直る気力すら失われている人々がいます。

 世界の現実を見てみると、ロシア軍のウクライナ侵攻による戦争も、イスラエル軍のパレスチナ地域のガザで暮らしている住民を攻撃する紛争も、停戦・終戦の糸口が見いだせないまま、現在も続いています。ウクライナにもパレスチナにも大切な人を失い、子どもや女性を含めてこれまで普通に日常を暮らしていた人々が武力による攻撃に常時怯(おび)えて生活しています。食料や安全な水や医療が足りない中で、怪我や感染症に苦しみ、戦争の終結を望みつつ実現しない状況の中で、生きる気力さえ失われている人々がいます。

 

(3) “Others”に希望をもたらすために―他人事を自分事とすること-

 そうした日本の災害地域や世界の紛争地域だけでなく、私たちが暮らす地域の中にも、もしかしたらクラスの中にも、周囲から気づかれなかったり理解されない中で、様々な悩みや苦しみを抱えたまま、希望が見出せない人がいるかもしれません。

 イエズス会学校として六甲教育が “Men for Others, With Others” を目指しており、その「Others」 とは、特に顧みられることの少ない、困難な状況の中で苦しむ人たちであるとすれば、こうした人たちのことをより深く知り、その人たちのために何ができるか、どうしたらこうした人々に生きる希望をもたらすことができるのか、と考え行動に移すことは、私たちの課題だと思います。その一方で、日本のことも世界のことも、周囲にいる人たちのことでさえ、今の自分の日常生活からは遠い出来事のように思えて、自然には関心を向けることのできない、という場合も私たちには多いのではないかと思います。他人事を自分事として捉え返すこと、少なくともより身近な出来事として感じ取れるようにすることは、私たちにとって大切なチャレンジではないかと思います。

 

(4)大災害や戦禍に苦しむ人々をより身近に感じること

 阪神間で比較的平穏な生活を送っているように思われる私たちですが、30年前に大震災を経験しました。堅固に見えるマンションも含めて家々が倒壊し、あちらこちらで火災が発生し、6400人を超える人たちが亡くなりました。

 被災地であるこの地域で暮らしていれば、犠牲者の中には、大抵は何人かの知り合いがいます。私の家族にとって最も悲しかった出来事は、当時4歳だった長女の親しい友だちが、倒壊した家の下敷きになって亡くなったことでした。そのご家族は、お父さんお母さんと、小学生の長男と、4月から小学校1年生になるはずだった長女と、私の子の友人だった4歳の次女の、子ども3人が、川の字になって寝ていて、その5人家族のうちお母さんと長男だけが助かり、お父さんと女の子2人は崩れた天井の梁(はり)に胸を圧迫されて命を落としました。

 4月から1年生になるはずだった長女さんは、すでにランドセルを買ってもらっていて、小学生になるのをとても楽しみにしていました。そのお母さんの申し出で、私の長女が2年後に小学生になるときに、そのランドセルを譲り受けて、6年間使わせていただきました。

 当時、神戸、西宮、芦屋など、地震の揺れが激しく倒壊家屋が多い所で暮らしていた地元の人たちにとっては、思い出しては心が揺り動かされたり涙を流したりするような出来事が、何かしらあったのではないかと思います。そうした悲しい現実を共有しながら、水道や電気やガスが止まり、衣食住に事欠く生活の中で、近所同士が自然に助け合って生き延びていたような日々を、多くの人たちが経験していました。大切な人を失った時に、何が残された人たちにとって生きるための励まし・勇気・慰めになるかはわからないのですが、大切な人が生きていた証を何らかの形で共に生きてきた人たちが受け継いでゆくこと、分かち合い共有してゆくことが、悲しみつつも生きようとする望みにつながることはあるかもしれません。

 現在はもちろん阪神淡路大震災の被災地は、日常的には衣食住に心配することのない生活をしています。街に大震災があったような痕跡もほとんどありません。10代の生徒の皆にとっては30年前に今暮らしている地域で起こった大震災の出来事は、その当時の大変さを含めて、遠い昔の別の場所の出来事であるかのように、想像も理解もしにくいでしょう。

 しかし、大切な人を失った人にとっては、悲しみが癒えるまでには長い時間を要しますし、30年経ち一見日常の生活を取り戻したように見える今でも、傷の痛みを抱えながら生きている人は少なくないのではないかと思います。

 また、世界では今も続いている戦争や飢餓にしても、日本で暮らしていれば、80年間戦争のない平穏な状況が続いており、(それは有り難く幸せなことでもあるのですが)実体験として経験することはありません。そういう今を生きる六甲生たちにとって、大災害や戦禍の中で苦しむ人たちのことを、どれだけ身近に感じられるかは、先ほども述べたように一つのチャレンジであると思います。

 

(5) “涙で洗われた瞳でなければ見えない現実”-過酷な境遇への共感

 話の冒頭で「希望の聖年」についての言葉を紹介した教皇フランシスコは、2015年にフィリピンを訪れた折に、『マニラにおける若者への講話』の中で次のようなことを話されました。

 「ある程度困らない生活を送る人たちは、涙を流すとはどんなことかが分かりません。人生には、涙で洗われた瞳でなければ見えない現実があります。一人ひとりが振り返ってみてください。涙が流せていただろうか。空腹の子、路上で麻薬を打つ子、家のない子、捨てられた子、虐待された子、社会から奴隷のように酷使される子、彼らを見て泣いただろうか。それともわたしの頬を伝うのは、さらにほしがって泣く者の身勝手な涙だろうか」。

 この言葉と関連して、教皇は「キリストは生きている」(使徒的勧告・カトリック中央協議会)という文書の中で、さらに次のように述べています。

 「あなたよりもひどい境遇にある若者のために、涙を流すことを覚えて下さい。思いやりや優しさは、涙によっても表現されるのです。……涙が流れるならば、あなたは相手のために、心から、何かをすることができるはずです。」

 この言葉の最後の部分にある通り、他者のために心から何かをする、つまりFor Others, with Others の生き方を私たちが身につけるためには、相手の過酷な境遇を見て涙を流すほどに心を揺り動かされ共感することが、ひとつの出発点になります。日々の生活の中で、周囲の人々に気遣う「思いやりや優しさ」を身につけることも、For Others, With Othersの生き方に向かう大切な道だろうと思います。

 

(6)インド募金-ハンセン病施設の前向きで健気な子どもたちへの共感

 さて、六甲学院の私たちが、実際にFor Others, With Othersの生き方に向かうために、共通して毎月取り組んでいるのは、インド募金です。本日はHRで、インド募金をテーマに話し合いをする予定になっています。インド募金の送金先は、インド東北部ダンバードという町のダミアン社会福祉センターです。ここは、ハンセン病を治療し療養するための総合施設で、特に寮で暮らす子どもたちの教育と生活のために、私たちの募金は使われています。養育施設を伴う学校で生活している子どもたちとの交流の様子は、11月のインド訪問報告会で見た通りです。報告会で見聞きしたことや、今日のHRでの社会奉仕委員の説明や話し合いを通して、インド募金についてより深く理解し、自然に協力したいと思えるような機会になってくれることを期待しています。インド募金も、遠く離れた所で困難を抱えつつ前向きに生きている健気な子どもたちのことを、他人事でなく、どれだけ身近に感じられるか、が私たちの取り組むインド募金の課題の一つになるのだろうと思います。

 

 (7)インド募金の意義-現在と将来を「希望」を持って生きるために

 募金を、その果たす役割も意味も感じられないままするのと、実際に誰かの役に立っていると感じながらするのとでは、私たちにとっての行為の意味合いは大きく変わってくると思います。インド募金は、親がハンセン病という感染症を患っているため親元を離れて暮らしている子どもたちが、学校と寮で友人と過ごす生活を支えるためにしています。また、そうした子どもたちがしっかりとした教育を受けることで将来にむけての準備をし、自分と家族の生活を支える仕事に就くことを支援するためでもあります。それとともに、自分がハンセン病の親を持つために偏見を受けてきたその苦しみを、次の世代の子どもたちが味わうことのないよう、差別されることのない社会づくりに貢献するためでもあります。そして、そうしたよりよい将来に向けて、今を「希望」を持って生きるために、私たちはインド募金をしていると、言ってよいのではないかと思います。

 

(8)お年玉募金-東チモールの貧困村落の子どもたちへの教育支援

 1月のインド募金は来週から始まりますが、「お年玉募金」とも呼ばれていて、いつもよりも多くお小遣いをいただいている分、普段の月よりも多めの募金協力を呼びかけています。多く集まる募金の一部は東チモールに送られています。この、1月のお年玉募金のもう一つの送金先である東チモールという国については、多くの生徒たちは、インドと比べるとよりなじみが薄いかと思います。アジアの最貧国と言われていて、21世紀に入って2002年にインドネシアから独立した新しい国です。21世紀の初頭まで続いた独立戦争で荒廃した国の教育を立て直し、将来を担う人間を育成することが急務になっています。

 六甲学院で教鞭を取られていた浦善孝神父が2012年から東チモールに移り住み、「学びたいすべての子どもたちが、貧富の隔たりなく学べるきちんとした学校」作りを目標に、2013年1月に貧しい村にイエズス会学校「聖イグナチオ学院」を設立しました。今も中心スタッフとして働いています。この1月に13期目の入学生を迎える学校です。コロナ禍の中で3年前には豪雨による洪水の大災害にも見舞われ、がけ崩れで教職員にも犠牲者が出たりしましたが、なんとか危機を乗り越えてきました。洪水は4月初めのことでしたが、当時の社会奉仕員は首都も村落も広範囲で大きな被害となっていることを聞いて、自主的に募金活動をしてくれました。

 聖イグナチオ学院は、まだまだ国全体の教育制度の整わない東チモールで、学校教育のモデルケースになることを目指している学校です。首都のディリからも通える距離にあるので、都市部の、東チモールの中では比較的恵まれた家庭の子どもたちと、学校近隣の貧しい村落の家庭の子どもたちが、一緒に机を並べて学んでいます。使われている机は創立当初から、六甲学院で2012年まで使われてきた木製の手作りのものです。イエズス会の修道士でドイツ人マイスターのブラザー・メルシュという方が六甲学院の創立当初から、六甲生のために作られた机が、厳しい熱帯地域の気候にも耐えて今も役に立っています。1月の募金の一部は、この学校のある貧しい家庭の子どもたちの奨学金-この学校で学び続けるための教育支援金―として主に使われています。

 

(9)将来への「希望」につながる教育

 これまで述べてきたように、インド募金は、インドのハンセン病の家庭の子どもたちの教育費として、また1月のお年玉募金の一部はアジアの最貧国東チモールの子どもたちの教育費として、使われているのですが、それはこうした子どもたちにとって、教育を受けることが将来への「希望」につながるからでもあります。

 インドではハンセン病への差別が厳しいだけでなく、インド政府はすでに国としてハンセン病は克服した病気として支援を打ち切っています。そういう状況の中で、もしも六甲学院まで援助を途絶えさせてしまえば、支援している子どもたちの未来は希望を持てる道が閉ざされると言っていいと思います。十分な教育を受けられないままでは、インド社会で差別の対象となるハンセン病者の子どもたちは、生活を支えるだけの収入を得られる仕事にはつけずに、一生街に出て人から金品を請い求めて暮らす物乞いとならざるを得なくなります。

 東チモールの貧しい村で暮らす子どもたちは、恵まれない食生活の中で十分な栄養も取れずに、ちょっとした疫病で亡くなることも珍しくありません。聖イグナチオ学院では給食で栄養のある食事を提供しつつ、将来家族を養えるような仕事に着けるように、しっかりとした学力が身に着く教育しています。

 教育を受け続ける環境を子どもたちに提供するということが、どれだけインドや東チモールや、今年2回目の訪問旅行を企画しているカンボジアの子どもたちにとって、将来の夢や希望を抱くための支えになっているか、こうした地域とかかわりをもつ六甲学院にいる間に、知ってほしいと思います。そして「教育は希望である」という観点をぜひ理解し意識してもらえれば、と願っています。

 

(10)「現実」を見て共感することを通して「希望」をもたらす人へ

 まずは、教皇フランシスコが「人生には、涙で洗われた瞳でなければ見えない現実があります」と述べるような「現実」を見ることのできる目を持つ人間、そうした「現実」を生きる人々に共感できる人をめざせたら、と思います。そのためには、日々の授業や学校活動が、日本や世界で起こる様々な事象や出来事に共感する機会、時に涙を流すほどに心が揺り動かされる機会になれば、と思います。早速本日行われるインド募金ホームルームも、中学2年生が1月末に被災地を訪れる東北研修も、また3学期に参加希望者を募る予定のカンボジア研修なども、そうした成長の機会になることを願っています。

 遠い国々に限らず私たちの周囲にも、差別、偏見、虐待、貧困に苦しんでいる人はいるかもしれません。また日本では大災害によって、世界では戦争・紛争によって、希望を失いかけ、将来に対して懐疑的に、悲観的にならざるおおえなくなった人々がいます。そうした人たちにとって、希望を取り戻すために、支えや助けができる人になることを、めざすべき人間像の一つにしてくれたら、と願っています。過酷な「現実」を生きる人々に共感し、「希望」をもたらす人へと成長することを、六甲学院で学ぶ私たちの今年の目標のひとつにしたいと思います。