校長先生のお話
《2025年4月7日 六甲学院中学校 88期生入学式式辞 校長講話》
真の正義と希望を生きる人へ-やなせたかしさんの人生観から
( 1 ) 88 期の入学式-長い急坂を登って満開の桜の中で
新入生の皆さん、六甲学院中学校へのご入学、おめでとうございます。
保護者の皆様、ご子息の六甲学院へのご入学、本当におめでとうございます。
神戸の高台にある六甲学院では、ちょうど校内の桜が満開の美しい季節に、入学式が迎えられることを、たいへん嬉しく思います。新入生の皆さんは、六甲学院の88期生となります。
4月3日の入学オリエンテーションの初日に出会った一人の新入生は、六甲山の山裾にあるこの学校までの急な坂道を、重い荷物を背負いながら登り終えて、息を切らしつつ一階の西広場の階段前まで来て、教室に入るまでにもう一休み必要そうな様子でした。この新入生以外にも、おそらく「この長い急坂を、こんなに重い荷物を毎日背負いながら、通い続けられるだろうか?」という心配をするところから、六甲学院での学校生活が始まった新入生もいるのではないかと思います。それでも一ヶ月、二ヶ月と登り続けているうちに、途中で休まなくても登れるようになり、友人と通学路を上り下りする時間が楽しいものとなってゆくことでしょう。そしていつのまにか、この通学路を通っているだけでも、多少の事ではへこたれない体力と気力を獲得する日がきっと来ると思います。
⑵ 居場所や思い出の場所になる恵まれた六甲学院の教育環境
この学校には、広々とした土のグラウンドと人工芝のグラウンドがあり、体育でも部活動でも休み時間の遊び場としても使われています。蔵書が約7万冊あって、読書や探究学習や自学自習や映像鑑賞ができて、ながめも素晴らしい学習センターがあります。理科については、物理・化学・生物など教科ごとに実験室があります。遊び場とも憩いの場とも学習の場ともなる、庭園と呼ばれている一周500mほどの小山があります。本校舎南側の別館には美しい庭があり、カト研と呼ばれているグループのための部屋があります。講堂には演劇や音楽演奏ができる舞台があり、バレーボールやバスケットボールやバドミントンなどができる体育館があります。この学校での6年間の中でしっかりと学び知性を伸ばすとともに、自分が気に入る居場所や思い出に残るような場所を、ぜひ作ってほしいと思います。
⑶ 世界に視野を広げ、出会いと経験を通して将来の理想像を探す
健康で元気な体力・気力を身につけ、しっかりと学習に励みつつ、学校の中で自分の居場所を見つけて下さい。そうしたことと共に、新入生に願うのは、6年間のうちで自分がこんな人になりたいと憧れられるような理想像を見つけ、一生のうちでこんなことをしてみたいという何かを見つけることです。そのために自分から様々な出会いと学びの機会を生かして、視野を広げてほしいと思います。これまで小学校時代は新型コロナの世界的な流行の中で、一方的に日常生活が制約されるような影響を受ける経験はあったかと思います。これからの中学高校時代には、関西を離れ、日本を離れて、広い世界に目を向けて、被災地と防災、戦争と平和、貧困と正義等について、直接的な出会いや学びを通して、深く知る経験を積んでほしいと思います。中学での海山のキャンプ、フィールドワーク、東北研修、高校での海外研修・進路研修や6年間の社会奉仕活動の機会をぜひ生かしてくれたら、と思います。そして、この世界をよりよく変えてゆくために自分は将来何ができるのかについて、経験を通して深く考えられる人になることを願っています。
⑷ 理想像のひとつとしての「アンパンマン」と作者の人生観
4月に入るとNHKテレビ小説も新しくなり、先週から「あんぱん」という「アンパンマン」の生みの親である漫画家やなせたかしと奥様の物語が始まっています。子どもたちにとって、物心がつく頃から最初に好きになる絵本の主人公の一人は、このアンパンマンなのではないでしょうか? 実はアンパンマンは子どものための絵本やアニメの中のヒーローであるにとどまらず、青年や大人になっても自分が大切にしたい理想像のひとつとして、公言はしなくても心の内に持っている人は、少なくないのではないかと思います。
そして、アンパンマンの困っている人への優しさも、決して強くてカッコいいわけではないこのヒーローを作ったやなせたかしさんの人生観も、六甲が大切にしたい価値観と相通じるものがあるように思います。また、やなせたかしさんの戦争体験から発せられる言葉には、悲惨な戦争が止まない現代世界の中で、大事にすべき内容が含まれているようにも思います。六甲に入学した88期生にとって、世界に目を向けて平和や正義について考え始めるのに、よい入口になりますので、紹介したいと思います。
⑷ 正義が逆転する戦争と、逆転しない正義について
NHKのドラマでは、主人公「たかし」の次のような言葉で、第1話が始まりました。
「正義は逆転する。信じられないことだけど正義は簡単にひっくり返ってしまうことがある。じゃあ、決してひっくり返らない正義って何だろう。お腹をすかせて困っている人がいたら一切れのパンを届けてあげることだ。」
ドラマの始まりの最初の主人公のこの言葉は、やなせたかしさんの人生観の中心の一つであろうと思います。「正義は逆転する」という言葉は難しく思われるかもしれませんが、やなせさんは日中戦争時に召集されて中国へ派兵されます。その戦争の体験がこのセリフの中にも込められていて、アンパンマンが生まれる原点にもなっています。
『何のために生まれてきたの?』(やなせたかし PHP文庫)という本の中で、やなせさんは戦争と正義について次のように述べています。「(戦争に行ったら)とにかく殺人をしなくちゃいけない。殺す相手というのは、憎くも何ともないんですよ。家へ帰ればよいお父さんであったり、よい息子であったりするわけでしょう。でも、その人を殺さなくちゃいけない。相手も同じですよね。しかも、自分も殺されるかもしれない。」 「そこにはどんな目的があるのか。正義のためと言っても、爆弾が落ちれば、罪のない子どもも死んでしまう。戦争というのは、絶対にやっちゃいけないということを、骨身にしみて感じましたね。どんな理由があっても、戦争はやってはいけない。」 「戦争というのはいつも、いろいろな理屈をつけるわけです。向こうが非常に悪いから、正義のためにやるんだっていうけれど、正義の戦争なんてものはない。間違いなんです。……それぞれの立場の正義を、言い合う。言っている限りは、戦争は終わらないし、なくならないんです。」「正義っていうのは、立場が逆転するんですよ。僕らが兵隊になって向こうへ送られた時、これは正義の戦いで、中国の民衆を救わなくちゃいけないと言われたんです。ところが戦争が終わってみれば、こっちが非常に悪い奴で、侵略をしていったということになるわけでしょう。それで向こうは全部いいかというと、そんなことはない。……ようするに、戦争には真の正義というものはないんです。しかも逆転する。それならば、逆転しない正義っていうのは、いったい何か?」「困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場や国に関係なく、『正しいこと』。これは絶対的な“正義”なんです。」「その飢えを助けるのがヒーローだと思って、それがアンパンマンのもとになったんですね。」
( 5 ) アンパンマンと卒業生の正義と“ For Others, With Others ”
以上の引用にあるように、「“正義”の戦争というようなものはなく、人が人を殺す戦争はどんな理由があろうと、絶対にしてはいけない。戦争に真の正義はなく、絶対的な正義があるとしたら、それは飢えて困っている人に食べ物を差し出すことだ。」そう考えるやなせさんは、正義の行いについて次のように述べています。
「アンパンマンは、自分の顔をちぎって人に食べさせる。本人も傷つくんだけれど、それによって人を助ける。そういう捨て身、献身の心なくしては正義は行えない。」(『わたしが正義について語るなら』ポプラ新書)
六甲学院は“For Others, With Others”「他者のために、他者と共に」という教育目標を大切にしています。そのOthers-他者-とは、飢えて困っている人・弱い立場で他の人からの支えがなければ生きるすべのない人たちです。そうした人たちの存在を知り出会うために、インド募金や施設訪問、被災地訪問、海外研修などをして、自分たちに何ができるかを考える機会を作っています。やなせさんが述べようとすることと共鳴する方向性を、六甲学院は持っているように思います。
六甲学院で教育を受けた卒業生の中には、やなせたかしさんが言う「正義」を行おうと奮闘努力している人たちが、日本国内にも海外にも多くいて、そうした卒業生と出会い、話を伺う機会を持つプログラムが数多くあります。そうした機会を持つ中で、自分はこういうことをしたい、こういう人になりたいという憧れられる人や理想像を見出すこともあると思います。そして、絶望しかねないような暗い方向に向かっている世界の中で、諦めずに具体的に正義の実現のための活動をしている人たちと出会うことが、私たちの希望にもつながると考えています。
(6)一滴から世の中を変える「希望」―正義の同調者の波及へ
「 これからの時代に希望はあるんでしょうか?」という問いに、93歳の時のやなせさんは次のように答えています。
「もちろん、あると思っています。汚れた水の中に、一滴のきれいな水を入れても、なんの効果もないと思うんだけど、……一人じゃなく、10人、100人という具合に増えていけば、なんとかなっていくんです。……楽してお金をたくさん儲けようとばかり考えるんじゃなくて、自分のやっていることが世間にどういう影響を与えるか、ということを考えれば、やるべきことは自ずときまっていくと思う。そういう人が少しずつでも増えていけば、いまの世の中を変えていくことは不可能ではないと思います。」「『これはもう、ダメだ』と絶望しないで、一滴の水でも注ぐというか、そういう仕事を自分でもやっていく。そうすれば、それに同調してくれる人間が必ず出てくると思います。」(『なんのために生まれてきたの?』PHP文庫)
やなせたかしさんが言う通り、真の正義を実現する生き方を、すでに選んでしている卒業生が多くいますし、また、そうした生き方を選びめざそうとする先輩たちも多くいます。それが、六甲学院の誇りでもあります。そして”For Others, With Others”(「他者のために、他者と共に生きる人」)と共に“Multiplying Agents”(「正義の波及的連鎖をもたらす人」)を育てることが、イエズス会学校の目標であり使命でもあります。
六甲学院の一員になった新中一のみんなも、ぜひ周りの人たちの希望になるような生き方を、この6年間で身につけてもらえたらと思います。
(7)「何のために生まれて 何をして生きるのか」を探究すること
アンパンマンのマーチに「なんのために生まれて なにをして生きるのか 答えられない なんて そんなの いやだ!」というセリフがあるのを知っていると思います。3~4歳の幼児でも大きな声で歌っている歌でありながら、やなせさん自身が「人生のテーマソング」「永遠の命題」と言っているように、一生をかけて答えを探すような問いです。
答えは一人ずつ違うかもしれませんが、自分なりに「ひっくりかえらない正義」「逆転しない正義」を探すことは、答えを見つけ出すヒントになるかもしれません。また、やなせたかしさんの次のような言葉もヒントになるかもしれません。
「人間が一番うれしいことはなんだろう?長い間、ぼくは考えてきた。そして結局、人が一番うれしいのは、人をよろこばせることだということがわかりました。実に単純なことです。人は、人がよろこんで笑う声を聞くのが一番うれしい。」
自分ができることで、人を喜ばせたり平和な気持ちにさせる何かを見つけられたら、それが自分の幸せや生きがいにもつながるのだろうと思います。
日々の学びや行事や活動を通して、また六甲であれば特に先輩や卒業生との出会いとかかわりの中で、同じ方向性を持つ仲間を作りながら、「何のために生まれて 何をして生きるのか」について、自分なりに希望や生きがいにつながる答えが出せるように、これからの6年間を充実した、実りあるものにしてくれれば…と願っています。
改めて、六甲学院へのご入学、おめでとうございます。
《2025年4月7日 一学期始業式 校長式辞》
世界危機の中の希望の拠り処-ウクライナ侵攻と風の谷のナウシカ
(1)2025年度新学期を迎えて―春期定期演奏会の曲「ルパン三世」
2025年度の新学期が始まりました。春休みはどのように過ごしたでしょうか? 何か心に残る出来事はあったでしょうか? また、この新学期を、どんな気持ちで迎えているでしょうか? こんなことに挑戦してみたいとか、こういう人をめざしたい、こういう域まで到達したいなど、前向きに明確な目標を持って迎えられたらよいと思います。
私は春休み中の3月31日に、音楽部の定期演奏会を聴きに行きました。コロナ禍の影響で部員に高2最上級生はいないとのことでしたが、中1から高1まで30人弱が、どの曲も迫力のある見事な演奏をしていて、十分楽しむことができました。卒業生との息の合った演奏もあり、世代を超えた音楽部の結束の堅さを実感しました。
私にとって特に印象に残った演奏の一つは、アニメ映画「ルパン三世カリオストロの城」のテーマ曲でした。映画自体は1979年公開のずいぶん古い作品ですが、ほとんど誰もが聞いたことのある時代を超えた“現代的”な曲です。軽快で歯切れよく楽しい演奏でした。
⑵ 宮崎駿さんのアニメ映画製作に込められた願い
この曲が使われている「ルパン三世」の映画は、演奏会のパンフレットの説明にあった通り、のちにスタジオジブリを設立する宮崎駿(はやお)さんの劇場映画監督作品1作目です。ちなみに宮崎駿さんが劇場映画監督をした2作目は「風の谷のナウシカ」、3作目は「天空の城 ラピュタ」です。テレビでも放映されることがあるので、こうした作品を見たことがある人はいるかと思います。昨年2学期の生徒会朝礼スピーチの中でも、テレビで放映された「天空の城 ラピュタ」の感想を話してくれた生徒がいました。スピーチでは映画監督宮崎駿さんの自作映画についての、次のような印象的なコメントを紹介していました。
「古典的骨格を持つ冒険物語を、今日(こんにち)の言葉で語れないだろうか。正義は方便になり、愛は遊びになり、夢が大量生産品になったこの時代だからこそ、無人島が消され、宇宙が食いつくされ、宝物が通貨に換算されてしまう時代だからこそ、少年が熱い想いで出発する物語を、発見や素晴らしい出会いを、希望を語る物語を子供達は待ちのぞんでいる。自己犠牲や献身によってのみ獲得される絆について、何故、語ることをためらうのだろう。子供達のてらいや、皮肉や諦めの皮膚の下にかくされている心へ、直に語りかける物語を心底つくりたい。」(「子どもたちの心に語り掛けたい」映画パンフレットより) その時の生徒が話していたようにやや難解ではありますが、宮崎駿さんは次のようなことを伝えたかったのではないか、と思います。
(3)宮崎駿さんの言葉の趣旨を私なりに敷衍(おし広げて説明)すると……
「現代社会に生きる子どもたちに勇気や希望を与えロマンを感じさせるような、昔ながらの純粋な冒険物語を作りたい。今の時代は、物であふれた消費社会の中で、正義や愛や夢が、求めるに値しない安っぽい偽物(にせもの)かなぐさみもののように扱われている。また、私たちが暮らす地球や取り巻く宇宙は、自然破壊によって危機的な状況に陥っている。それにもかかわらず、人々はお金を稼ぎ増やすことにしか関心を持てなくなってしまっているのではないだろうか? そういう現代だからこそ、少年が新たな発見をしたり、素晴らしい出会いを求めて旅立ったり、希望に胸を膨らませられるような物語を作りたい。命をかけて実現したい正義や愛や夢は、現代でもありうるし、子どもたちも心の奥底ではそれを真剣に追い求めたいと願っている。そういう志ある人の望みを、あざけったりひやかしたりする風潮や人の目を気にして心がひるんだり諦めたりする風潮を跳ねのけて、体を張ってでも大切なものを守りたい、困難な状況にいる人を助けたいと、真摯に行動することを通して得られる人間の絆がある。そのことを、物語を通じて子どもたちに伝えたい。」そんな思いを宮崎駿監督は語っているように思います。それは「ラピュタ」だけでなく、他の作品の制作動機にも共通して根底にある宮崎駿さんの願いであり、少年たちに限らず現代の人たちに向けてのメッセージなのではないかと思います。
⑷ ロシアのウクライナ侵攻と「風の谷のナウシカ」
昨年の3月にアメリカのアカデミー長編アニメ賞を受賞した「君たちはどう生きるか」は長編映画として12作目です。私は彼の作品のすべてを見ているわけではなく、娘たちが小中学生の頃に一緒に見ることが多かったので、作品として知っているのは10代の少女が主人公のものが中心です。
様々な作品がある中で、特にロシアのウクライナへの侵攻があってから、時々2作目の「風の谷のナウシカ」を思い浮かべることがあります。1984年公開作品で40年以上も前に作られたのですが、今の時代を予見ていたかのような作品だと思います。物語では、文明が高度に進んだ先に、人間を自滅に向かわせるような世界を巻き込む戦争が起こり、それによる人類と自然の荒廃の中で、人間は何を大切にしたらよいか、どういう道を選び、どういう生き方をめざすべきか、を考えさせる作品として、今も観る価値があると思っています。
⑸ ウクライナに実在する「腐海」近隣の惨状と「ナウシカ」の物語
私と同世代ですと、深刻な現実を前に、アニメを思い起こして引き合いに出すことなど、不謹慎だと思われかねないのですが、2023年の初夏、ウクライナ南部の水力発電所のダムが破壊され大規模な洪水が発生した頃、ウクライナの悲惨さを見ながらナウシカの物語がふっと思い浮かぶことがある、と高校時代の友人に話をしたことがありました。するとその友人は、実は「風の谷のナウシカ」に出てくる「腐海(腐った海)」は、ウクライナの南部のクリミア半島との境目の海から着想を得ているのだと教えてくれました。映画の中で「腐海」は、有毒ガスを放ち人類の存続を脅かす菌類の森として描かれています。
その友人は国と国、大陸と大陸をつなげる海底通信ケーブルを作るための商談をする商社に勤めていたことがあって、文字通り世界をまたにかけて大きな仕事をしていました。ウクライナにもロシアにも仕事で行った事があり、ウクライナ南部の「腐海」と呼ばれる辺りは本当に海が腐ったようなにおいがするんだ、と話してくれました。聞いた時には半信半疑だったのですが、ブリタニカ百科事典のオンライン版によると、「『腐海』はウクライナ本土とつながるクリミア半島の付け根の部分にある約2,560平方キロにもなる広大な入り江の名称で、非常に強い塩分を含んでおり、塩を採掘する塩田として有名である」、とのことです。その干潟は悪臭を放ち内海はピンク色になることがあって、宮崎駿さんはその「腐海」という言葉に衝撃を受けて、映画の中に用いたそうです。ウクライナと「風の谷のナウシカ」とは、実際につながりがあることを知って、(1986年に起きたウクライナ北方の20世紀最大最悪のチェルノブイリ原発事故も併せて思い出しつつ、)ウクライナでの現実の出来事とアニメの内容とを関連づけて考えることの中で、何かしら現代への警鐘につながるような意味やメッセージが見出せるかもしれないと思うようになりました。
⑹ 宮崎駿監督「マグサイサイ賞」受賞の意義-過去の受賞者と照らして
スタジオジブリの宮崎駿監督は、昨年の秋、アジアのノーベル賞とも言われる「マグサイサイ賞」を受賞しています。「君たちはどう生きるか」が春にアカデミー長編アニメ賞を受賞した時には、様々なメディアで報道され大きな話題になりましたが、監督が秋にマグサイサイ賞を受賞したことについては、一部の新聞以外はほとんど報道されず、それほど話題にもなりませんでした。しかし、この受賞はもっと着目してよい出来事ではないかと思います。
マグサイサイ賞は、アジア地域で社会の進歩ために尽くしたり平和に貢献したりした個人や団体に贈られる賞です。選考委員会はフィリピンのマニラにあって、授賞式もそこで行われます。これまでに平和・国際理解の分野では、1962年にインドを始め世界各地の貧しく顧みられることのない孤独な人々を救済したマザー・テレサが受賞しています。ノーベル平和賞を受賞する17年も前のことです。日本人としては国連難民高等弁務官を務め、戦地を含めて厳しい状況にある難民を救済するために献身した緒方貞子(おがたさだこ)さんが1997年に受賞しています。また、極度に貧しく紛争が続き治安面で不安定なアフガニスタンで、命を懸けて医療活動と用水路建設に尽力した中村哲(なかむらてつ)さんが2003年に受賞しています。文化芸術面では、映画監督で「羅城門」「七人の侍」「生きる」などの作品で知られる黒澤明(くろさわあきら)さんが1965年に、作家として環境汚染に苦しむ人々の姿を描き、自然や人間の命の尊さを伝える「苦海浄土-わが水俣病」などを著した石牟礼道子(いしむれみちこ)さんが1973年年に受賞してきました。社会的・文化的に優れた貢献をしていると十分納得できる方々、特にその時代の世界の課題について真摯に取り組み、宮崎駿さんの言葉を借りれば「自己犠牲や献身によってのみ獲得される絆」を苦境にある弱い立場の人たちと結んできた人たちが、これまでに多く選ばれてきた、たいへん権威のある賞です。
宮崎駿監督の授賞式では授賞理由として、監督がアニメ作品を通じて人間性を照らし出し想像力をかき立てるとともに、平和や環境保全など多くの社会課題を題材とし、社会課題への理解に貢献した人物であることが挙げられていました。
芸術作品として優れた制作活動をしたことだけでなく、作品を通して平和や環境保全など多くの社会課題への理解に貢献している、という内容は、宮崎駿さんの作品への深い理解に基づく正当な評価だと思います。また、彼の「社会課題の理解への貢献」は、もっと広く知られてよい観点ではないかと考えます。
⑺ 「風の谷のナウシカ」-世界情勢の切迫した危機への警鐘として
受賞理由となった「平和や環境保全、自然との共生」をテーマとした宮崎駿の作品として、多くの人々に最初に注目されたのは、おそらく先ほどから取り上げている「風の谷のナウシカ」ではないかと思います。この点を理解してもらうためには、もう少し物語の背景を補足して説明する必要があるかもしれません。
「風の谷のナウシカ」の物語の舞台設定は、人類が近代文明によって自然を征服し繁栄を極めた後に、核兵器を思わせる壊滅的な破壊力を持った武器を使って、全面戦争を起こした1000年後の世界です。巨大産業文明が崩壊した後には、“荒れた大地に腐った海-腐海-と呼ばれる有毒の瘴気(しょうき・ガス)を発する森が広がり、衰退した人間の生存を脅かしていた”と映画のオープニングでは説明されています。
地球全土の自然は核兵器の放射能などで汚染されて荒廃し、高度に発達した産業文明の残骸は遺物と化し、いくつかの民族は生き残って町を形成し生活していたものの、地球絶滅の危機が迫っています。それにもかかわらず、人間は醜く民族間の紛争や戦争をし続けています。
宮崎駿さんと組んでこの映画のプロデューサーをしていたのは、高畑勲(たかはたいさお)さんです。後に「火垂るの墓」という、戦争の最中に神戸・西宮の地で生きた兄と幼い妹を描いた名作映画の監督を務めた人です。「風の谷のナウシカ」について、原作マンガをアニメーション化するにあたっての願いとして高畑さんは、「巨大産業文明崩壊後千年という極限の世界の彼方から、核戦争の危機をはらみ、快適さのみを追い求めて資源浪費と自然破壊にあけくれる現代社会を鋭く照らし返してもらいたい。」(映画パンフレットより)と述べています。
この作品に込められているのは、プロデューサーの要望にある通り、人類を短い時間で滅ぼしかねない核兵器使用への警告と、核戦争によって自然を壊滅的に長期間汚染し、人間を含めた生物全体の存続の危機につながることへの警告です。ロシアがウクライナへ侵攻して以降に生まれた今の世界情勢の危機感は、作品が発表された40年前よりも、より切迫したものとなり、この警告もより現実味を帯びたものとなっているように思います。
⑻ 主人公の人間性について-自然界の命と関わる姿と「希望」の拠り処
宮崎駿さん自身は、「風の谷のナウシカ」の原作の作品紹介では「人類の黄昏(たそがれ)期の地球を舞台に、人間同士の争いに巻き込まれながら、より遠くを見るようになっていく少女を主人公にした作品」と述べています。それとともに「戦いそのものを描く」のではなく「人間を取りかこみ、人間が依存する自然そのものとのかかわりが、作品の重要な主題」であるとも述べています。さらに「黄昏のときにおいても希望は見いだせるのだろうか。もしそれを求めるとしたら、どういう視点が必要なのか。」という問題を徐々に明らかにしたいと願っていたようです。すべてが八方ふさがりで滅亡にむかうしか道がないような「希望」の見出しにくい時代に、どのように「希望」を見出すことができるか、が作品の主要テーマのひとつとなっています。
実際にこの作品を見てもらった上でないと、中々伝わりにくいかと思いますので、機会があればぜひ作品を観てほしいのですが、この作品の中で世界に希望を見出す拠り処になるのは、ストーリーの展開や登場人物の言葉だけではなく、むしろそれ以上に、「ナウシカ」という16歳の少女の人間性のほうであるように、私には思えます。快活で優しく探究心旺盛な性格や、困難な出来事に前向きに取り組む姿勢や、生きとし生きるものすべてに共感し対話する主人公の姿に、作品を見ている側は、希望を感じるのではないかと思います。
もしも、小説や映画やアニメ・マンガなどの主人公の中で、“For Others, With Others(他者のために、他者と共に)”の生き方をしている人の例を挙げるのであれば、入学式で話題にしたアンパンマンはそのモデルの一人だと思うのですが、ナウシカも“For Others, With Others”の生き方を体現している人間像(モデル)の一人として取り上げてよいのではないかと考えます。
⑼ “For Others, With Others”の生き方の実践のために身につける“4C‘s”
六甲学院を含むイエズス会学校では、“For Others, With Others”をめざすべき人間像としていて、そのために教育活動の中で育成すべき人間の能力として、先ほどの入学式でサリ理事長も述べられていた通り、“4C‘s”を挙げています。4C’sとは、弱い立場の人たちへの共感(compassion)、課題を解明する知性面での有能さ(competence)、平和や正義に適う行動を選択し決断する良心(conscience)、課題ある現実の課題解決・変革のために実際にかかわり行動する実行力(commitment)を指します。
こうした能力・人間性を伸ばすことは、イエズス会教育に限られたものでなく、「他者に仕えるリーダー」として社会に貢献する生き方を目指すうえで、誰にとっても必須のものなのではないかと、最近は考えています。この時代の指針となりうる人物、例えば先ほど挙げた緒方貞子さんや中村哲さんなどは、確かにこの4C’sが優れたレベルでバランスよく備わっていた方々です。また私たちの卒業生で海外・国内で、世界をより良い方向に変えてゆくための働きをしている人たち(カンボジア研修、ニューヨーク・ワシントンDC研修、東京研修、シンガポール・マレーシア研修などで出会ったり、講演会や進路の日に講話をしてくださったりする先輩たち)を思い起こすと、やはりこの4C‘sがバランスよく備わっていることに気づきます。
⑽ ナウシカ―4C‘sをバランスよく身につけている主人公として
そして、今回話題にしているアニメ映画の主人公ナウシカもそうした4つの能力をバランスよく身につけている人物です。弱い立場の老人や子どもや自然界に生きる虫や動物・植物への共感(compassion)、腐海に生息する植物の胞子を採取し、きれいな水と土とで育成して、腐海が存在する意味を探究する優れた知性と知的好奇心(competence)、自分を含めて憎しみにかられる人間の弱さ・危険さを内省しつつ、自然界と人間、人間と人間との和解や平和のために進む道を選ぶ良心(conscience)、そしてその実現のために自分の命を懸けて行動する実行力(commitment)など、4C‘sに挙げられている能力をフルに発揮して、“For Others, With Others” の生き方を体現しています。現代の若い人たちにとっても、性別を超えて、めざすべき人間像の一人になりうる主人公なのではないかと思います。
⑾ 宮崎駿監督のマグサイサイ賞受賞スピーチと正義と平和の希求
さて、昨年の11月16日のフィリピンの首都マニラで開かれたマグサイサイ賞の授賞式に、スピーチの中で宮崎駿監督はアニメの制作者としては、意外と思われることに言及しています。第二次世界大戦中にマニラの市街戦で、約10万人ともいわれる非常に多くのマニラ在住の民間人が、アメリカ軍との市街戦の巻き添えで犠牲になったり、ゲリラの可能性を疑われて旧日本兵によって虐殺されたりしています。宮崎駿さんは受賞の喜びに代わるメッセージとして、そうした戦時中の過去を日本人は「忘れてはいけない」と述べています。
こうした出来事は、日本の中では、「忘れられている」というよりも、教育の中でもほとんと伝えられておらず「何も知らなかった」という日本人が多いのではないかと思います。しかし、アジアの国々の人たちと信頼し合える人間関係を作ろうとする時に、そうした話題を表に出さないとしても、知っていることが大事である場合があります。
世界に向けて日本に投下された核の悲惨さを知らせ伝えることが非常に大事であると同様に、もう一方で宮崎駿監督が話すように、戦争の中で日本が悲惨な状況を生み出す側でもあったことも知り、相互理解の関係を築くために忘れないでいることの大切さを、自覚する必要があるのだと思います。
日本が誇るアニメ映画監督の第一人者の中に、そうした人間として・日本人としての良心と正義と平和への希求があること、だからこそ、彼が創る作品は子どもだけでなく大人の心を動かすものになり、主人公が、これからの時代に人としての生き方を示す指針にもなり得ているのではないかと思います。
始業式にあたって、現代世界の危機的状況の中に希望を見いだす拠り所として、作品制作の奥にある宮崎駿監督の思いや願い・高い志について、私なりに紹介しました。また、今の時代に希望を保ち続け、この危機の迫る世界をよりよい方向に向かわせる指針となるモデルとして、彼の物語「風の谷のナウシカ」の主人公を取り上げました。皆さんも身近に見聞きしたり読んだり視聴したり、実際に出会う人たちの中で、希望や指針につながる何か・誰かを探し出し、自分なりにめざすべき目標としてくれたら、と願っています。
2025年度が、皆にとって大きな成長を遂げる一年となり、充実した、実り多い一年となることを、祈ります。
《2025年3月1日 六甲学院高等学校 82期生卒業式 上智大学 曄道学長 祝辞》
皆さん、ご卒業誠におめでとうございます。また、ご父母、ご関係の皆さまにも心よりお祝い申し上げます。節目の時を迎えられ、ご本人もご家族も、そして皆さんを見守り続けるご関係の方々も、それぞれの感慨をお持ちのことと思います。
私はご紹介を頂きましたように、六甲学院と同じくカトリック・イエズス会を母体とする東京の上智大学で学長を拝命しております。同じ法人下であることもあり、本日このような機会を頂戴いたしました。私にとっても、皆さんは仲間であり、ファミリーであります。新たな門出を迎えられる皆さんに一言お祝いを述べさせて頂きます。
さて、社会は黎明期にあります。技術革新、国際関係の複雑化、新たな価値の出現など、私たちが直面している社会変革の進行は、これまでの延長ではない人間社会の在りようを描こうとしています。私たちの社会は重要な岐路にあると言えるでしょう。「岐路にある」と表現した理由は、おそらく人間社会は、今、いくつかの選択肢を持っているであろうからです。今日の革新的なデジタル技術の出現を、産業革命時の蒸気機関の出現のインパクトに準える見方がありますが、技術革新が次から次へと社会の変革を促した当時も、そして今までも、おそらく人間社会は多くの選択肢を持っていたでしょう。様々な無数の選択肢を前にして、私たちは利便性、高効率、大量生産を過度に追い求め、地球環境に対する犠牲を見過ごしました。自らが選択し、何かを追い求め、何かを享受した事実があるのですから、それは私たちの選択の結果であったと言わざるを得ません。
このことは個人についても当てはまります。今みなさんは卒業を経て新たな道を進むその入り口に立っていると言えます。その道は皆さんによって選択されたものです。今後、皆さんの人生は、多層的にいくつものステージによって構成されていきます。これまでの中学、高校への進学によって到達したステージでは、主にある枠組みの中にある体系化された学びの機会が提供されてきました。これからのステージでは、多くの人には大学を指すでしょうが、学びは皆さん自身によって、自由に様々に選択することによって彩られていきます。そしてその彩こそが皆さんの個性になるのです。その選択は、大きさ、重要性、選択肢の数から、いつその選択を行う機会が訪れるかというタイミングに至るまで、今予測できるものではありません。その折々において、「選択の自由度をいかに多く持ち得るか」が、人生をデザインするための支配的な要因、要素となるでしょう。例えば大学での学び、研究は、この選択の自由度を拡げるための大きな力になると言えます。皆さんの人生における数々の選択は、その対となる選択との比較はできません。皆さんが通る道は、実に多くの選択によって形作られますが、無数の選択肢の中から皆さん自身によって選ばれ形成された道筋、すなわち人生は一通りだけです。これが人生の醍醐味であろうと思います。この道筋に納得がいく、誇りを持てるということを、充実した人生と呼ぶのだと思います。
上智大学は六甲学院と同じ学校法人に属しています。その教育精神は、「他者のために、他者とともに」として共有されています。この教育精神は、支えの必要な人たちに、弱い立場にある人たちに向けた私たちのあるべき姿勢を示しています。皆さんがこれから向き合うマルチステージへの選択はハードルの低いものではないでしょう。むしろ果敢にチャレンジするハードルの高さが皆さんを奮い立たせることでしょう。しかし、どのような状況にあろうとも、皆さんの耳を、目を、心を、立場の弱い人にも向けてください。先頭に立つ者こそ、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になるべきと聖書は説いています。様々な選択によって自分自身の目標に近づいていくということが、他者に仕える自分の在りようを高めていくことでもあって欲しいと思います。真のリーダーとは、自分の目標がアップデートされていく中でこの心得を実践しようとする人であろうと思います。真のリーダーとは、まさに自分が困難な時にあってもこの心得を実践しようとする人であろうと思います。
本日祝辞としてお話させて頂いた「選択」の意味は、この社会においてますます重要性を帯びるものと認識しています。無数にある個人の選択、組織の選択、そして社会の選択が、知らぬ間に人間社会の、そして地球の将来を描き出していきます。そしてその社会像と私たち一人ひとりの人生は密接に関係し、どちらかだけが満足のいく結果を得るという結末が訪れることはありません。自分の成功の陰で弱者が放置されることがあってはなりません。地球環境の悪化の中で、一時の利便や利益が尊重されてもなりません。これからの個人の、組織の、社会の日々の「選択」は、責任のある拠り所によってなされていくべきものと思います。そのような自覚の下で、皆さんが人生を大いに謳歌してくださることを祈念致します。高度な専門性を、世界に通じる広い教養を、他者との合意形成を得るコミュニケーション力を、そして私たちの教育精神である「他者のために、他者とともに」に基づく深い人間性を身に付けた皆さんにとって、「責任ある選択」の追求もまた、人生の彩なのであろうと確信し、私からの祝辞とさせて頂きます。
ご卒業誠におめでとうございます。
2025年3月1日
上智大学長 曄道佳明
《2025 年 3 月 1 日 六甲学院高等学校 82期生卒業式 校長式辞》
「感謝」と「共通善」の追求
―「命」と「人の支え」に感謝し、壁を越えて共に平和を築く仲間づくりへ
(1) 中高6年間の成長
82期の皆さんのご卒業、おめでとうございます。保護者の皆様、ご子息のご卒業、本当におめでとうございます。82期の皆は、この6年間をどういう思いで振り返っているでしょうか。少年期から青年期に向かうこの6年間の心身の成長には、著しいものがあります。例えば、入学して程なく行われる体育祭総行進では、先輩の指導についてゆくのに必死で、目の前の生徒の後を追って歩くのに精一杯だった中学1年生が、高校3年生になると立派に全校生を指揮して総行進を創り上げ、後輩の手本として堂々と歩くまでに成長します。
(2) 高3生の朝礼スピーチー「支えられて生きている『命』への感謝」
昨年6月初めの、体育祭を週末に控えた月曜日に、高校3年生のある生徒が、生徒会朝礼で、「感謝」をテーマに4~5分ほどの短い時間、話をしてくれました。命の大切さや生まれて今ここに生きていることへのありがたさについて、語ってくれました。
「自分は700グラムという超未熟児で生まれた。生まれ落ちてそのままの状態だったら生きてはいられなかった。それが、設備の整った病院で手厚く医療スタッフからの手当・看護のもとに命を保つことができた。そして、今、こうして好きなスポーツが思い切りできるくらい元気に生きている。自分をあきらめずに生んでくれた親への感謝とともに、超未熟児で生まれながらも多くの人たちに支えられて、今生きていることへの感謝の気持ちを忘れずに、恩返しをしてゆきたい」と話してくれました。体育祭をするにあたって、「後輩は先輩へ、先輩は後輩への感謝を忘れないでほしい」とも加えて話をしてくれていました。
(3) 体育祭-受け継がれたテーマ「覇」と先輩(78期生)への感謝
82期は、中2から高1までの3年間、思いがけなくコロナ禍の中で生活することになり、学校生活にも様々な制約がありました。皆にとって中1指導員のいる学年であった78期生は、2020年、3ヶ月にも及ぶ新型コロナ学校閉鎖の影響を受けて、無念な思いの中で体育祭が中止となり、高校生活最後で最大の行事を後輩たちと創り上げることができませんでした。皆にとっては中学2年生の時の出来事でしたが、その時高3であった78期の先輩たちの気持ちを察し、お世話になった先輩たちに向けてできることはないかという思いを、その後も保ち続けていたのだろうと思います。78期が決めていた「覇(はたがしら)」というテーマを82期はそのまま受け継いで、総行進を含めて見事な体育祭を仕上げてくれました。それは82期が6年間のうちで示した行為の中で、最も印象に残ることの一つでした。中1から自分たちの成長を願って日々世話をしてくれた先輩たちに向けて、感謝の気持ちを表し、立派に体育祭を創り上げることで自分たちの成長も表現し、恩返しをしたいという思いの表れだったのだと思います。こうした先輩・後輩の関係は、六甲学院ならではの出来事であるともいえるでしょう。
(4) 後輩を励まし褒めねぎらい感謝しつつ、「高み」を目指す姿勢
総行進をするにあたって、歩きながら図柄を作る上で目印になる、グラウンドに打つ杭(くい)の数は、昨年度は1800個であったと聴いています。それだけのポイント数の多さからして、例年以上に複雑で難度の高い絵模様に、生徒たちは挑戦したのだと思います。六甲で伝統として受け継がれてきた六列交差、六角形の幾何学模様、一昨年野球界の覇者となった阪神タイガースの黄色と黒色を基調にした虎のマーク、古代から昨年のパリオリンピックまで受け継がれてきた聖火、漫画界の覇(はだがしら)であるドラゴンボール、昨年の干支(えと)の空を勢いよく昇る龍、全校生1000人で作るテーマ「覇(はたがしら)」の絵文字など、一つひとつがすばらしく見ごたえのあるものでした。
仕上がるまでの過程は、必ずしも順調であったというわけではなかったと思います。前々日、前日の練習風景を見ていると、本番に間に合うだろうかとやや不安に思うようなことも、高校3年生の中にはあったのではないでしょうか。より理想に近い形を追究する中で修正・微調整を繰り返しつつ、なかなか思い通りには行かないあせりやいらだちを感じていた上級生もいたかも知れません。練習光景を見ながら私が感心したのは、上級生の下級生たちへの声掛けの中に、感謝や励まし・ねぎらいの言葉が終始中心であったことです。あせりやいらだちは、容易に怒りの感情へと移ってしまい兼ねないと思うのですが、「ありがとう」「よくなった」「おつかれ」「よく頑張っている」と、下級生を終始、よく励まし褒(ほ)めていました。褒めつつ励ましつつ、的確に注意やアドバイスをその中に込めていました。そうして、励ましねぎらい、感謝の言葉を伝え続けていたことが、しんどい中でもう一歩下級生を頑張らせる力になっていたように思います。高校3年生たちの、難易度が高いからと諦めたり妥協したりせずに、粘り強く、その高度で困難なものを、より完成度の高いパフォーマンスへと創り上げていこうとする姿勢にも感心しました。
上級生たちのそうした姿勢のうちに、6年間の身体面だけでなく精神的な面での著しい成長を感じますし、そうした経験を通して、六甲学院の卒業生として、また「社会に仕えるリーダー」としての在り方を身につけてきたのではないかと思います。
(5) 海外研修-現在の国際情勢の中で多様性を体験する意義
もうひとつ、私が82期の学年行事として印象深かったのは、一昨年の6月に行われたシンガポール・マレーシアへの研修旅行でした。82期は、コロナ禍からなんとか抜け出して、最初にシンガポール・マレーシア研修旅行に皆で行くことのできた学年でした。卒業してこれからより広い世界に向かう中で、この研修旅行の体験が、何らかの形で活かされればと願っています。
このシンガポール・マレーシアへの研修は、今、世界の中で国家間や民族間の対立・分裂・分断による紛争が起こり、環境問題がより深刻化し経済格差が広がってゆく中で、特別に意味のある体験ができる旅行ではではないかと思います。シンガポールは民族・宗教・文化などの違いを乗り越えて共存の道を探る上で、一つのモデルとなりうる国だと考えています。街歩きをしたりバスで街中を巡ったりする中でも実感することですが、この国には世界の縮図でもあるかのように、中華系・マレー系・アラブ系・インド系等の多民族・多文化が存在し、イスラム教・キリスト教・仏教等の多宗教が国内で共存しています。そして、水や資源の不足が致命的な弱点・課題としてありながらも、経済と外交努力を通して周囲の国々とも共存して発展してきた国です。
背景が多様な人々の集まりである故に国際語でもある英語を共通言語として使い、国が将来を見据えた明確な目標やヴィジョンを持って、街作りや教育や環境問題などに取り組んできました。シンガポール国立大学の学生たちとの世界課題についてのセッションや、現地で活躍する六甲の卒業生との交流会の中でも、日本とは対照的に、多様性を特長として受け入れて、むしろ積極的に活かそうとする前向きさを、この国に感じた生徒もいたのではないかと思います。
(6) 学校交流-垣根を超えて協調・和解する原体験として
82期の皆が、研修旅行の中で最も表情が明るく楽しんでいたのは、マレーシアのアヤヒタム村での高校生たちとの学校交流だったのではないかと思います。マレーシアはイスラム教文化の影響が強く、交流校もその文化を大切にしている公立学校だったのですが、同世代として国や民族・宗教・文化の垣根を越えて交流ができた、貴重な体験だったのではないでしょうか。若い同世代同士ならば2~3時間の交流の中で、こんなにも親しくなれるのかと思うくらい、和気藹々(わきあいあい)とした雰囲気でした。
そうした一つ一つの体験が、今後、さらに分裂や分断へと向かいかねない世界の中で、融和や協調や和解へとつながる方向へ物事を進めてゆくための原点のひとつになれば、と願います。そして、何らかの形でそうした働きを担う「社会に仕えるリーダー」として、将来活躍してくれることを期待しています。
(7) 「共通善を追求する社会的交友」を築く
教皇フランシスコは、現在全世界のカトリック教会のリーダーであり、六甲の創立修道会と同じイエズス会の司祭であった方ですが、青年に向けて次のようなメッセージを述べています。「若者の皆さんには、内輪のグループを超え出て、『「共通善を追求する社会的交友」を築いていただきたいと思います』」(『キリストは生きている』169)。さらに教皇は、反目や敵意によって家庭が崩壊し、国が滅び世界が戦争によって壊されつつある危機を指摘しつつ、次のように語ります。「すべての人の幸福を思って『共通善を追求する社会的交友』を築くならば、共通の目的に向けてともに闘うために、互いの相違を問題にしないというすばらしい体験を手にすることができるでしょう」。
ここで言う共通善とは、英語でいえば“common good”で「個人の価値観や思想の違い、国家や民族間の対立を超えて、皆が人として幸福に暮らすことができる「だれにとっても(common)よいもの(good)」=「普遍的な善」を指します。「皆が幸福に暮らせる誰にとってもよいもの」ですから、「共通善」を「平和」と置き換えるとわかりやすいかもしれません。「共通善を追求する社会的交友を築く」とは「違いの壁を越えて共に社会の平和を追求する仲間を作る」ことと言ってもよいように思います。
実は「共通善を追求する社会的交友」は、六甲生が六甲学院の在学6年間で、委員会活動・社会奉仕活動やクラブ活動をする中でも、クラス・学年の運営や、体育祭・文化祭・研修旅行などの学校行事・学年行事を担う中でも、築いてきた経験のあるものだと思います。少しでも皆に喜んでもらおう、その場をより良くしてゆこうと、意見や価値観の違いがあっても話し合って仲間同士が協力してきた経験は、それに当たります。また、82期生は身近な学校の仲間を超えて、シンガポール・マレーシアやカンボジア、ニューヨークやガーナに行って、「互いの相違を超えて共通の目的に向けてともに闘う友人」となりうる人たちと、すでに海外でも出会っているかもしれません。今後も、国内・海外を問わず友人を作り、それがこれから多くの人々の幸福をめざす社会的交友になることはありうると思いますし、違いの壁を越えて平和を築く仲間作りをめざしてほしいと思います。
この世界に命を与えられて今生きていること、多くの人たちに支えられて今があることに感謝しつつ、困難な状況にあったり失望したりしている人たちに、生きる勇気や希望を与える人となりますように、そして様々な違いや壁を超えて多くの人々が幸せに暮らすために、仲間と共にこの世界をより良くし平和をもたら
《2025年1月8日 始業式 校長講話》
For Others, With Others ―「共感」から「希望」をもたらす人へ
(1)「希望」を取り戻す一年に―カトリック教会の「聖年」にあたって
年が明けて2025年が始まりました。カトリック教会は25年に一度「聖年(聖なる年)」を迎えます。2025年は、この聖年に当たります。聖年の中心テーマは『希望』です。教皇フランシスコは次のように述べています。
「すべての人は希望を抱きます。明日は何が起こるか分からないとはいえ、希望はよいものへの願望と期待として、一人ひとりの心の中に宿っています。けれども将来が予測できないことから、相反する思いを抱くこともあります。信頼から恐れへ、平穏から落胆へ、確信から疑いへ―。わたしたちはしばしば、失望した人と出会います。自分に幸福をもたらしうるものなど何もないかのように、懐疑的に、悲観的に将来を見る人たちです。聖年が、全ての人にとって、希望を取り戻す機会となりますように。」
この教皇フランシスコの言葉にある通り、より良い方向へむかう願望や期待を込めて希望を抱くのが、私たちの自然な姿なのだと思います。しかし、将来への不安や恐れから悲観的・懐疑的になり、希望を失い落胆している人と出会うことがあります。また、将来が幸福になることを信じて、希望を抱き続けることが難しい時代でもあるのかもしれません。教皇フランシスコが祈るように、すべての人にとって希望を取り戻す機会が与えられる1年になれば、と願います。
(2)日本と世界の「現実」-大災害と戦争に苦しみ犠牲になる人々
具体的に、日本の現実を見てみると、昨年の元旦に起きた能登半島沖の地震から1年が経ち、阪神淡路大震災から30年を向かえようとしています。能登半島に暮らす住民の中には、大きな地震とその後の土砂崩れや津波によって大切な人を失い、被災者の多くは生活再建のめどが立たず、さらに9月下旬には追い打ちをかけるような豪雨災害によって、立ち直る気力すら失われている人々がいます。
世界の現実を見てみると、ロシア軍のウクライナ侵攻による戦争も、イスラエル軍のパレスチナ地域のガザで暮らしている住民を攻撃する紛争も、停戦・終戦の糸口が見いだせないまま、現在も続いています。ウクライナにもパレスチナにも大切な人を失い、子どもや女性を含めてこれまで普通に日常を暮らしていた人々が武力による攻撃に常時怯(おび)えて生活しています。食料や安全な水や医療が足りない中で、怪我や感染症に苦しみ、戦争の終結を望みつつ実現しない状況の中で、生きる気力さえ失われている人々がいます。
(3) “Others”に希望をもたらすために―他人事を自分事とすること-
そうした日本の災害地域や世界の紛争地域だけでなく、私たちが暮らす地域の中にも、もしかしたらクラスの中にも、周囲から気づかれなかったり理解されない中で、様々な悩みや苦しみを抱えたまま、希望が見出せない人がいるかもしれません。
イエズス会学校として六甲教育が “Men for Others, With Others” を目指しており、その「Others」 とは、特に顧みられることの少ない、困難な状況の中で苦しむ人たちであるとすれば、こうした人たちのことをより深く知り、その人たちのために何ができるか、どうしたらこうした人々に生きる希望をもたらすことができるのか、と考え行動に移すことは、私たちの課題だと思います。その一方で、日本のことも世界のことも、周囲にいる人たちのことでさえ、今の自分の日常生活からは遠い出来事のように思えて、自然には関心を向けることのできない、という場合も私たちには多いのではないかと思います。他人事を自分事として捉え返すこと、少なくともより身近な出来事として感じ取れるようにすることは、私たちにとって大切なチャレンジではないかと思います。
(4)大災害や戦禍に苦しむ人々をより身近に感じること
阪神間で比較的平穏な生活を送っているように思われる私たちですが、30年前に大震災を経験しました。堅固に見えるマンションも含めて家々が倒壊し、あちらこちらで火災が発生し、6400人を超える人たちが亡くなりました。
被災地であるこの地域で暮らしていれば、犠牲者の中には、大抵は何人かの知り合いがいます。私の家族にとって最も悲しかった出来事は、当時4歳だった長女の親しい友だちが、倒壊した家の下敷きになって亡くなったことでした。そのご家族は、お父さんお母さんと、小学生の長男と、4月から小学校1年生になるはずだった長女と、私の子の友人だった4歳の次女の、子ども3人が、川の字になって寝ていて、その5人家族のうちお母さんと長男だけが助かり、お父さんと女の子2人は崩れた天井の梁(はり)に胸を圧迫されて命を落としました。
4月から1年生になるはずだった長女さんは、すでにランドセルを買ってもらっていて、小学生になるのをとても楽しみにしていました。そのお母さんの申し出で、私の長女が2年後に小学生になるときに、そのランドセルを譲り受けて、6年間使わせていただきました。
当時、神戸、西宮、芦屋など、地震の揺れが激しく倒壊家屋が多い所で暮らしていた地元の人たちにとっては、思い出しては心が揺り動かされたり涙を流したりするような出来事が、何かしらあったのではないかと思います。そうした悲しい現実を共有しながら、水道や電気やガスが止まり、衣食住に事欠く生活の中で、近所同士が自然に助け合って生き延びていたような日々を、多くの人たちが経験していました。大切な人を失った時に、何が残された人たちにとって生きるための励まし・勇気・慰めになるかはわからないのですが、大切な人が生きていた証を何らかの形で共に生きてきた人たちが受け継いでゆくこと、分かち合い共有してゆくことが、悲しみつつも生きようとする望みにつながることはあるかもしれません。
現在はもちろん阪神淡路大震災の被災地は、日常的には衣食住に心配することのない生活をしています。街に大震災があったような痕跡もほとんどありません。10代の生徒の皆にとっては30年前に今暮らしている地域で起こった大震災の出来事は、その当時の大変さを含めて、遠い昔の別の場所の出来事であるかのように、想像も理解もしにくいでしょう。
しかし、大切な人を失った人にとっては、悲しみが癒えるまでには長い時間を要しますし、30年経ち一見日常の生活を取り戻したように見える今でも、傷の痛みを抱えながら生きている人は少なくないのではないかと思います。
また、世界では今も続いている戦争や飢餓にしても、日本で暮らしていれば、80年間戦争のない平穏な状況が続いており、(それは有り難く幸せなことでもあるのですが)実体験として経験することはありません。そういう今を生きる六甲生たちにとって、大災害や戦禍の中で苦しむ人たちのことを、どれだけ身近に感じられるかは、先ほども述べたように一つのチャレンジであると思います。
(5) “涙で洗われた瞳でなければ見えない現実”-過酷な境遇への共感
話の冒頭で「希望の聖年」についての言葉を紹介した教皇フランシスコは、2015年にフィリピンを訪れた折に、『マニラにおける若者への講話』の中で次のようなことを話されました。
「ある程度困らない生活を送る人たちは、涙を流すとはどんなことかが分かりません。人生には、涙で洗われた瞳でなければ見えない現実があります。一人ひとりが振り返ってみてください。涙が流せていただろうか。空腹の子、路上で麻薬を打つ子、家のない子、捨てられた子、虐待された子、社会から奴隷のように酷使される子、彼らを見て泣いただろうか。それともわたしの頬を伝うのは、さらにほしがって泣く者の身勝手な涙だろうか」。
この言葉と関連して、教皇は「キリストは生きている」(使徒的勧告・カトリック中央協議会)という文書の中で、さらに次のように述べています。
「あなたよりもひどい境遇にある若者のために、涙を流すことを覚えて下さい。思いやりや優しさは、涙によっても表現されるのです。……涙が流れるならば、あなたは相手のために、心から、何かをすることができるはずです。」
この言葉の最後の部分にある通り、他者のために心から何かをする、つまりFor Others, with Others の生き方を私たちが身につけるためには、相手の過酷な境遇を見て涙を流すほどに心を揺り動かされ共感することが、ひとつの出発点になります。日々の生活の中で、周囲の人々に気遣う「思いやりや優しさ」を身につけることも、For Others, With Othersの生き方に向かう大切な道だろうと思います。
(6)インド募金-ハンセン病施設の前向きで健気な子どもたちへの共感
さて、六甲学院の私たちが、実際にFor Others, With Othersの生き方に向かうために、共通して毎月取り組んでいるのは、インド募金です。本日はHRで、インド募金をテーマに話し合いをする予定になっています。インド募金の送金先は、インド東北部ダンバードという町のダミアン社会福祉センターです。ここは、ハンセン病を治療し療養するための総合施設で、特に寮で暮らす子どもたちの教育と生活のために、私たちの募金は使われています。養育施設を伴う学校で生活している子どもたちとの交流の様子は、11月のインド訪問報告会で見た通りです。報告会で見聞きしたことや、今日のHRでの社会奉仕委員の説明や話し合いを通して、インド募金についてより深く理解し、自然に協力したいと思えるような機会になってくれることを期待しています。インド募金も、遠く離れた所で困難を抱えつつ前向きに生きている健気な子どもたちのことを、他人事でなく、どれだけ身近に感じられるか、が私たちの取り組むインド募金の課題の一つになるのだろうと思います。
(7)インド募金の意義-現在と将来を「希望」を持って生きるために
募金を、その果たす役割も意味も感じられないままするのと、実際に誰かの役に立っていると感じながらするのとでは、私たちにとっての行為の意味合いは大きく変わってくると思います。インド募金は、親がハンセン病という感染症を患っているため親元を離れて暮らしている子どもたちが、学校と寮で友人と過ごす生活を支えるためにしています。また、そうした子どもたちがしっかりとした教育を受けることで将来にむけての準備をし、自分と家族の生活を支える仕事に就くことを支援するためでもあります。それとともに、自分がハンセン病の親を持つために偏見を受けてきたその苦しみを、次の世代の子どもたちが味わうことのないよう、差別されることのない社会づくりに貢献するためでもあります。そして、そうしたよりよい将来に向けて、今を「希望」を持って生きるために、私たちはインド募金をしていると、言ってよいのではないかと思います。
(8)お年玉募金-東チモールの貧困村落の子どもたちへの教育支援
1月のインド募金は来週から始まりますが、「お年玉募金」とも呼ばれていて、いつもよりも多くお小遣いをいただいている分、普段の月よりも多めの募金協力を呼びかけています。多く集まる募金の一部は東チモールに送られています。この、1月のお年玉募金のもう一つの送金先である東チモールという国については、多くの生徒たちは、インドと比べるとよりなじみが薄いかと思います。アジアの最貧国と言われていて、21世紀に入って2002年にインドネシアから独立した新しい国です。21世紀の初頭まで続いた独立戦争で荒廃した国の教育を立て直し、将来を担う人間を育成することが急務になっています。
六甲学院で教鞭を取られていた浦善孝神父が2012年から東チモールに移り住み、「学びたいすべての子どもたちが、貧富の隔たりなく学べるきちんとした学校」作りを目標に、2013年1月に貧しい村にイエズス会学校「聖イグナチオ学院」を設立しました。今も中心スタッフとして働いています。この1月に13期目の入学生を迎える学校です。コロナ禍の中で3年前には豪雨による洪水の大災害にも見舞われ、がけ崩れで教職員にも犠牲者が出たりしましたが、なんとか危機を乗り越えてきました。洪水は4月初めのことでしたが、当時の社会奉仕員は首都も村落も広範囲で大きな被害となっていることを聞いて、自主的に募金活動をしてくれました。
聖イグナチオ学院は、まだまだ国全体の教育制度の整わない東チモールで、学校教育のモデルケースになることを目指している学校です。首都のディリからも通える距離にあるので、都市部の、東チモールの中では比較的恵まれた家庭の子どもたちと、学校近隣の貧しい村落の家庭の子どもたちが、一緒に机を並べて学んでいます。使われている机は創立当初から、六甲学院で2012年まで使われてきた木製の手作りのものです。イエズス会の修道士でドイツ人マイスターのブラザー・メルシュという方が六甲学院の創立当初から、六甲生のために作られた机が、厳しい熱帯地域の気候にも耐えて今も役に立っています。1月の募金の一部は、この学校のある貧しい家庭の子どもたちの奨学金-この学校で学び続けるための教育支援金―として主に使われています。
(9)将来への「希望」につながる教育
これまで述べてきたように、インド募金は、インドのハンセン病の家庭の子どもたちの教育費として、また1月のお年玉募金の一部はアジアの最貧国東チモールの子どもたちの教育費として、使われているのですが、それはこうした子どもたちにとって、教育を受けることが将来への「希望」につながるからでもあります。
インドではハンセン病への差別が厳しいだけでなく、インド政府はすでに国としてハンセン病は克服した病気として支援を打ち切っています。そういう状況の中で、もしも六甲学院まで援助を途絶えさせてしまえば、支援している子どもたちの未来は希望を持てる道が閉ざされると言っていいと思います。十分な教育を受けられないままでは、インド社会で差別の対象となるハンセン病者の子どもたちは、生活を支えるだけの収入を得られる仕事にはつけずに、一生街に出て人から金品を請い求めて暮らす物乞いとならざるを得なくなります。
東チモールの貧しい村で暮らす子どもたちは、恵まれない食生活の中で十分な栄養も取れずに、ちょっとした疫病で亡くなることも珍しくありません。聖イグナチオ学院では給食で栄養のある食事を提供しつつ、将来家族を養えるような仕事に着けるように、しっかりとした学力が身に着く教育しています。
教育を受け続ける環境を子どもたちに提供するということが、どれだけインドや東チモールや、今年2回目の訪問旅行を企画しているカンボジアの子どもたちにとって、将来の夢や希望を抱くための支えになっているか、こうした地域とかかわりをもつ六甲学院にいる間に、知ってほしいと思います。そして「教育は希望である」という観点をぜひ理解し意識してもらえれば、と願っています。
(10)「現実」を見て共感することを通して「希望」をもたらす人へ
まずは、教皇フランシスコが「人生には、涙で洗われた瞳でなければ見えない現実があります」と述べるような「現実」を見ることのできる目を持つ人間、そうした「現実」を生きる人々に共感できる人をめざせたら、と思います。そのためには、日々の授業や学校活動が、日本や世界で起こる様々な事象や出来事に共感する機会、時に涙を流すほどに心が揺り動かされる機会になれば、と思います。早速本日行われるインド募金ホームルームも、中学2年生が1月末に被災地を訪れる東北研修も、また3学期に参加希望者を募る予定のカンボジア研修なども、そうした成長の機会になることを願っています。
遠い国々に限らず私たちの周囲にも、差別、偏見、虐待、貧困に苦しんでいる人はいるかもしれません。また日本では大災害によって、世界では戦争・紛争によって、希望を失いかけ、将来に対して懐疑的に、悲観的にならざるおおえなくなった人々がいます。そうした人たちにとって、希望を取り戻すために、支えや助けができる人になることを、めざすべき人間像の一つにしてくれたら、と願っています。過酷な「現実」を生きる人々に共感し、「希望」をもたらす人へと成長することを、六甲学院で学ぶ私たちの今年の目標のひとつにしたいと思います。
《2024年12月23日 終業式 校長講話》
「理性と良心のもとに命を尊び、世界に平和をもたらす人間へ」
(1)クリスマス直前の教会の祈りから
カトリックの教会では、昨日(12月22日)、クリスマスを迎える直前の日曜日のミサの中で、共同祈願として、次のような祈りを会衆の皆が一緒に唱えました。
「人を傷つけ、命の尊厳と自由を踏みにじる悪の力を退けて下さい。弱者を思いやり、支える人々の輪が力強く広がっていきますように。」
「混迷する世界の中で人が歩むべき道を示して下さい。一人ひとりが神の導きに心を開き、よりよい社会にするために連帯していけますように。」
六甲学院に通う私たちにも、登下校時や学校内の日常生活の中で、弱者を思いやることができなかったり、人を傷つけてしまったりすることはあると思います。そうした自分に気づき、弱い立場の人たちを傷つける側ではなく、そうした人たちを「支える人々の輪」を力強く広げる人になることをめざしたいと思います。また「混迷する世界」の中で、人として「歩むべき道」を見出し、国や民族や宗教や立場を超えて、「命の尊厳と自由」を大切にする「よりよい社会」を創るために、 「連帯」できる人になることをめざしたいと思います。今日の講話では、この2つの祈りとも繋がる、六甲学院の卒業生の集まりの話から、始めたいと思います。
(2)初代校長に叱られた卒業生の体験-理性と良心を持った人間になる
六甲学院の卒業生から生徒時代の体験談を伺うことは、行事や同窓会や講演会などで度々あります。それが、私にとって楽しみでもあり貴重な機会だとも思っています。これまでも、その中で印象に残る話は、朝礼などで紹介したり学院通信に書いたりもしてきました。しかし、年配の方々にお会いしても、初代武宮校長から直接教えを受けた経験を聴く機会は、不思議と殆どありませんでした。それが、11月半ばに名古屋で、卒業生の組織である伯友会の中部地区の集まりがあった時に、武宮校長から直接個人的に叱られた経験を、話して下さった方がおられました。27期の卒業生で現在70歳代の方です。皆にとってはおじいさんの世代かと思います。
その卒業生の話は、今から60年前の出来事になります。その方は子ども時代にはかなりやんちゃだったそうで、中学1年生の時に、クラスメイトに対して、相手の気持ちを察せずに行き過ぎた悪戯(いたずら)をして傷つけてしまったことがあったそうです。それが見つかって、武宮先生から真剣に厳しく叱られたとのことです。自分の心ない行動を諭(さと)す中で、校長は自分に「人間と猿との違いは何だと思うか?」と問いかけられたそうです。皆なら、そう問われてどう応えるでしょうか?
その方は、人間と猿との違いを考えるにはまだ幼くて、何も思いつかず応えられなかったとのことですが、まだ中1のその人に武宮校長は次のように話されました。
「人間には理性と良心がある。人間は、理性と良心をもとに行動するということだ。それができないのなら、猿と同じだ。お前は決して猿になってはいけない。」
60年前にそう諭された70歳代の大先輩は、次のように話しました。「武宮校長から叱られたときのその言葉が、その後の自分の一生の行動基準なっています。『自分は今人間として生きているか、理性と良心のもとに行動しているか、猿になっていないか?』と、常に自分に問いかけ心がけながら、行動してきました。粗暴でわきまえのないところのあった自分が、何とか人としての道を踏み外さずに、これまでまっとうに生きて来られたのは、武宮校長から叱られたこの経験があったからです」。
(3)人として大切にすべき価値観の核(中心軸)をつくる体験
六甲という学校は、その人にとっての一生の拠り処となる中心軸を、在校中の経験の中で与えられる機会のある学校だと思います。27期のこの方の話も、そのことを表す、一つの逸話です。よりよい人になりたいという願いや、自分の弱さを見つめる正直さや、相手から真剣に発せられたメッセージを受け入れる素直さがあれば、今の六甲でも同様の経験をすることは、あるはずです。
今の時代の生徒たちの多くは、ご家族からも小学校の先生からも大事に守られながら育てられてきていると思います。この卒業生が初代校長から受けたような、厳しく叱られる経験は、殆どの人にはなかったのではないでしょうか。生徒によっては、真剣に諭される中で相手の伝えたいメッセージを受け取ることには、慣れていない面もあるかもしれません。また現代は、良いところを褒めて一人ひとりの個性を育てる中で、自己肯定感を育む教育が大切な時代であることも、確かだと思います。ただ、人として大切にすべきことに気づかなかったり、相手の気持ちを察せられずに傷つけたりしてしまう自分に対して、教師や親の言葉の中に、真剣に自分の至らなさを気づかせ、よりよい人間になるためのメッセージが込められているとするならば、それを素直に受け止め、自分の内面にある弱さ・足りなさを見つめ、自分をより良い方向に変えられる人間にはなってほしいと思います。
27期のこの大先輩のように、そうしたことの積み重ねが、人として大切にすべき価値観の核を作る体験につながることは、六甲生にはあるのだと思います。
(4)理性と良心に拠って命・人権・平和を大切にする世界へ
さて、中部地区の同窓会では、そこから話題は自分の恩師との思い出話に移るのかと思ったのですが、同窓会の人たちの話題は思わぬ方向にむかいました。
「理性と良心のもとに行動するのが人間で、そうでなければ、猿であるとすると、今の世界は『猿の惑星』になりつつあるのではないか」というご年配の方の発言から、現在とこれからの世界の在り方についての話題にむかいました。何人かの先輩たちの話の流れは、概ね次のようなものでした。
“コロナ禍前までは少なくとも、世界の人々が平和を願い、戦争のない世界にしてゆこうとしてきたし、環境の課題に国を超えて協力して取り組もうとしていた。人間の命の尊厳や人権や民主主義を大切な価値観として守っていこうという機運は高まりつつあったように思うし、少なくともよりよい方向にむっているように思っていた。それなのに、そうした動きがここ数年ですっかり後退してしまっている。特にロシアのウクライナ侵攻やイスラエルによるガザの民間人への殺戮などにみられるように、命や人権や平和を大切なものとして守るよりも、世界の政治リーダーたちは、理性や良心を失って自国の利益や繁栄をより優先する価値観へと傾いている。それに伴ってヨーロッパや中東の不安定な情勢に、核戦争への危機さえも感じられる。こうした世界になりつつある中で、これからを生きる若い世代のために、自分たちに残された時間はそう多くはないかもしれないが、何かできることはないだろうか?” そうしたことが卒業生たちの話題になってゆきました。
中部地区の同窓会に集まったのは19期から66期までの20名ほどで、私よりも年上の20期代から30期代前半の方々が多く集まられていたのですが、それぞれの方々がグローバルな視野の中で世界を眺める見識を持っておられることに、また真剣に今の世界を憂い、これからのためにできることを模索する姿勢に、六甲学院の世代を超えた卒業生たちの共通の特徴を感じましたし、自然に尊敬の念を抱くことのできた同窓会でした。
(5)核爆弾の悲惨さを語り継ぎ人類の危機を救う方向へ
卒業生方々が指摘されるように、今の地球が人間としての理性と良心を失って「猿の惑星」になりつつあるというのは、本当のことのように思います。そのことに地球の危機を感じて、理性と良心のもとに行動を起こしメッセージを発している人たちに目を向け、その人たちのメッセージに耳を傾けることが、今後の世界を考えるうえで極めて大切なことのように思います。平和を願い、戦争のない世界にして行こうとすること、生命や人権や平和を大切な価値観として守っていこうとすること、そうした方向性を持つ動きに共感し協力してゆくことが、大切なのだと思います。
そうした、これからの世界の方向性を指し示す取り組みの一つとして、今年ノーベル平和賞に選ばれた団体が、日本原水爆被害者団体協議会なのではないかと思います。核兵器がどれだけ悲惨な殺戮をもたらすか、その非人道性を語り継ぎ、核廃絶の必要性を唱えてきた団体です。日本は原子爆弾によって広島で約14万人、長崎で約7万4千人の尊い命が奪われています。68年前に結成された日本被団協の結成宣言には「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おう」と、その基本精神が記されています。
12月10日のノルウエー・オスロ市庁舎で行われたノーベル平和賞授賞式では、代表の田中煕巳(てるみ)さんは「核のタブーが壊(こわ)されようとしていることに、限りないくやしさと憤りを覚える」「人類が核兵器で自滅することのないように」「核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中のみなさんと共に話し合い、核廃絶を求めていただきたい」と訴えていました。
受賞の背景には、国連のグテーレス事務総長が「核戦争のリスクは過去数十年で最高レベル」と語り、核軍縮を専門とする黒澤満大阪大名誉教授が「ここ数年で核兵器が本当に使われ人類が全滅するかもしれないという危機感が生まれた」と指摘している現実があるのだと思います。今回の受賞理由の中では、核兵器について「何百万人もの人々を殺し、気候に壊滅的な影響を及ぼし得る。核戦争は、我々の文明を破壊するかもしれない」と述べられています。ノーベル委員会の委員長は授賞式で日本被団協が「核兵器が2度と使われてはならない理由を身をもって立証してきた」とその功績を紹介しつつ、「記憶が新たな人生への契機をもたらすこともある」として、核兵器が人類にもたらした悲惨さを新たに記憶にとどめ、次世代へとつないでゆくことの大切さを強調しています。
講話の最初に紹介した祈りにあるように、「人を傷つけ、命の尊厳と自由を踏みにじる」出来事が日常レベルだけでなく国家レベルでも広まりつつある「混迷する世界」の中で、「人が歩むべき道」の一つは、まずは「体験」の記憶を受け継いでゆくことだと思います。様々な立場の違いはあるかもしれませんが、日本被団協の結成宣言に「私たちの体験をとおして人類の危機を救おう」とあるように、唯一の被爆国としての体験を私たちも知ることを通して、核爆弾の悲惨さ・理不尽さと「人類と核兵器とは共存できない」こと、核兵器の使用は人類の自滅に繋がりかねないことを訴え続けることは、これからの世界がより平和的に存続し続けるため、人類の危機を救うために大切で必要なことではないかと思います。
(6)苦しみ傷む世界の人々と共に住み、平和と救いをもたらす生き方
クリスマスの中で祝われる救い主イエスの誕生は、神がこの世界全体をご覧になって、このままではこの世界は救うことができなくなると思われ、具体的な生き方と言葉を通して救いの道を人々に示す人間として、神がご自分の愛する子をこの世界に遣わされたという出来事です。
イエズス会の創立者、イグナチオ・デ・ロヨラは、同様に神がこの世界をご覧になるようにこの世界を見渡して、アジアの貧困の悲惨さとと魂の救いのない状況に目を向け、そこに生きる人々を救うために、自分の最も信頼するフランシスコ・ザビエルをアジアに遣わし、ザビエルは命がけでアジアの様々な地域を巡り、私たちは神にとって大切な存在であることを伝えるために、日本にまでも宣教に来ました。
アルペ神父はそのフランシスコ・ザビエルに憧れて、宣教の地として日本に来ることを望み、広島で原爆を体験して、世界に核兵器が人間にもたらす悲惨さと非人間性を伝えた人物です。そのアルペ神父は、被災地で負傷する人の命を救うために尽くし、後にイエズス会教育のモットーである“Men for Others” を提唱した人物でもあります。
イエス・キリストからイグナチオ、ザビエル、アルペ神父へと受け継がれてきた、この世界をグローバルな視点で見て、この世界をなんとか救えないか、良い方向に変えられないかという思いは、六甲学院の創立にも受け継がれ、卒業生の内にも生きています。先ほども述べたように、この秋に出会った中部地区の同窓会での、卒業生たちの世界への見方や姿勢にも、それは一貫して受け継がれているように思います。
世界の中の傷み苦しむ姿を見て、そこへと向かいその内に共に宿り住み、その中で、悲惨さの最中に苦しむ人を助け救い、人々のうちに平和をもたらす、この“For Others, With Others”の生き方が、私たちに示された「混迷する世界の中で人が歩むべき道」だと思います。始まりは、この世界に暮らす人々の苦しみ傷みを見て、この世界を救いたいと願い、イエス・キリストをこの世界に生まれさせた、神の思いであり、クリスマスの出来事でした。その“For Others, With Others”の道を、その生き方と言葉を通して生涯をかけて示されたのがイエスです。イエスの誕生から、六甲学院創立後の卒業生へと綿々と引き継がれてきたその願いと行動を、私たちも受け継いでゆければと思います。そして、人として理性と良心のもとに生き、危機的な状況に向かいつつあるこの世界に、平和をもたらすために生き働く人になれますように、祈り願いたいと思います。
《2学期 始業式 校長講話 2024年9月2日》
インド訪問と“resilience(しなやかな強靭さ)”を身につける教育
(1) 夏休みの経験の振り返りから
2学期が始まり、今日から早速授業があります。夏休みは皆にとってはどうだったでしょうか?
校内でのクラブ・文化祭準備の活動や補習、課外活動としては施設への社会奉仕や前島キャンプ、立山キャンプ、クラブの合宿、大阪・神戸へのOB職場訪問や、名古屋等へのフィールドワーク、東京でのガーナからの生徒との交流等、それぞれの学年を対象にして様々な経験をする機会がありました。海外交流の有志企画としては、高校3年生も含めて7名の生徒が、アフリカのガーナに行って現地の高校生たちと交流する貴重な体験をし、学校行事のインド訪問旅行も6年ぶりに行われ、高2・高1の生徒が19名、学校の代表としてインド募金の送金先の施設などを訪問し交流をしました。それぞれ、学期中にはできない心に残る体験をしたことでしょう。自分にとってどんなことが印象に残りどんな意味があったか、どんな気づきや成長があったかを、振り返ってくれたらよいと思います。
(2) 6年ぶりのインド訪問での生徒の前向きな参加姿勢
私自身は、第12回インド訪問旅行に参加したことが、特に印象に残る経験でした。六甲学院着任時から社会奉仕活動に携わっていましたので、第2回、第5回、第7回の3回、インド訪問を経験してきました。14年ぶりで、今回が4回目になります。コロナ禍の2020年と2022年にインド訪問に行くことができなかったため、学校としては2018年以来6年ぶりのインド訪問でしたので、現地の状況を知るためにインド訪問旅行についてゆくことにしました。これまでの訪問では、日本とは環境も大変異なり深刻な現実と直面する中で、生徒が数日体調を崩し病院診療に付き添うケースなども経験してきましたので、そうした役割を担う必要があるかもしれないと考えていました。
私が感心したことの一つは、今回のインド訪問でも腹痛・発熱の生徒は出たのですが、歓迎会や交流会でのスポーツや激しい動きのある出し物のパフォーマンスなど、主要な交流プログラムをしっかりと準備し、大きくは体調を崩さずに皆が熱心に参加できたことです。インドに来ると健康面での不調は、それぞれ程度の差があってもほとんどの生徒は抱えます。今回も恐らくそうだったと思うのですが、多少しんどいと感じてはいても、準備段階での学習会などを通して、自分たちが学校の代表としてインドに来ている意味を理解しているために、前向きに頑張り抜いた面があったように思います。
(3) “resilient mind”を育てる-コロナ禍後のイエズス会教育の方向性
今年の6月末にインドネシアのジョグジャカルタで、イエズス会教育についての世界レベルの会議がありました。インド訪問の中での生徒の様子を見つつ、その国際会議のテーマになったキーワードを思い出しました。その会議では、コロナ禍を経てこれからのイエズス会教育の中で、生徒が身につけてほしいことの中心に「レジリエンスresilience」(またはレジリエント マインドresilient mind )という言葉が挙げられていました。この言葉自体は、3年前のコロナ禍の校長講話の中で私も紹介しています。今はパリでパラリンピックが行われていますが、3年前に行われた東京パラリンピックで、陸上トラック競技をテレビで観戦しているときに、雨が降りしきる中、障がいを持った選手と同伴して走る伴走者に向けて、悪いコンディションの中でもひるまずに走り続けるひたむきな姿に、解説者が使った言葉でした。しなやかな強靭さ、多少しんどいことがあっても粘り強く頑張り抜ける力、危機の中でひるんだりダメージを受けたりしても、すぐに回復して立ち向かえる精神を指す言葉です。弾力のあるしなやかな枝のように、強い風や外圧で曲げられてもポキッと折れることなく元に戻る枝のイメージです。コロナ禍の中で生徒に身につけてほしい能力・精神力として、講話で紹介したのを覚えています。
イエズス会教育の世界会議の中でこの“resilience”「しなやかな強靭さ」(“resilient mind” 「しなやかで強靭な心」)を、今の時代の生徒たちが身につけることを、教育目標として掲げたことは、大変的を射ているように思います。世界中でコロナ禍に人との交わりが希薄になり、内にこもってリアルな生の経験がしにくい状況が継続した中で、若い世代を含めて人々の心が脆弱になったことの影響は、今も根強く残っているからです。夏休みに奉仕活動やキャンプや合宿や様々な研修活動などを、多くの生徒たちがリアルな経験としてすることができたことは、そうした観点からもとても大切なことだと言ってよいと思います。
(4) インド訪問参加者の姿勢に見られる“レジリエンス”と六甲の教育
インド訪問は日本とは環境ギャップがある中で、心身ともにかなり激しく揺さぶられる体験をするプログラムですので、教師側も多くを詰め込み過ぎずに生徒が心身を整えて回復させる時間を取る配慮はするのですが、生徒自身も与えられた時間を活用して自分なりに心身を調整し、多少の不調や困難さは感じていても、インド訪問の目標に沿って、歓迎式典や日本文化の披露や交流会ではできる限りのことをやり抜こうとするグループ全体の意志を、様々な場面で感じました。そして、その生徒の姿勢の中に、この「レジリエンス」を見たように思いました。自分たちなりの役割や責任や目標を自覚していることが、それぞれの内にある「レジリエンス」を引き出すことに繋がっているのではないかとも、生徒を見ていて思いました。
六甲という学校は、日々の掃除や、体育祭の練習や、クラブ活動・委員会活動・社会奉仕活動や、これから始まる文化祭の準備活動も含めて、一つ一つの日常の習慣や行事に取り組む中で、乗り越えるべきしんどさや困難さと出会いつつ、この「レジリエンス」―しなやかで強靭な心―を育てる方向性は、もともと備わっているのかもしれません。そうして鍛えられた心が、インド訪問の場面でも生かされていたように思います。
(5) 弱い立場の人たちを受け入れること-振り返りを通してのグループの成長
インド訪問では、その日その日の経験を、必ず振り返り分かち合う時間を設けます。それをすることが、生徒全体の気づきとなり、一貫したテーマとなり、個人としての成長にもグループ全体としての成長にも繋がります。その出来事の一つを紹介します。
インド訪問の中で、インドに着いて三日目に、コルカタでマザー・テレサの設立した「子どもの家」を訪問しました。そこでは、障がいを持った子どもたちに対して、どう接してよいかわからず、笑顔で話しかけることも手を差し伸べて握手することもほとんどできずに、傍観者的な態度になってしまったという、全体としての振り返りがありました。
そうした反省も踏まえて、私たちがインド募金で支援しているダンバードのダミアン社会福祉センターでは、ハンセン病で家族に見捨てられてしまった高齢の方々やハンセン病に罹(かか)って病院で療養されている方々には、「ナマステ」と言いながら積極的に笑顔で握手しにゆく姿勢が見られました。短い期間の中で生徒の大きな成長が確かにありました。ダミアン社会福祉センターの所長アジャイ神父様は、ハンセン病の元患者の方々をそうした姿勢で受け入れてくれた生徒たちに、本当に感激し感謝されていました。
私たちがインド募金で支援している中心施設、ダミアン社会福祉センター内の学校であるニルマラ学院では、歓迎式典での交流会以外にも、学校の隣にある寄宿舎の寮生たちとの交流を2回行うことができました。両親家族がハンセン病である家庭を含めて、様々な事情で親元を離れて(または帰る家庭がなくて)寄宿舎で生活している生徒たちです。支援している生徒たちとの直接の交流の中で感じたことについては、参加した生徒たちの感想をじかに聞いた方がよいと思いますので、その機会は「報告会」に取っておきたいと思います。
(6) インド募金の実り-コロニーでの支援してきた学校の出身者との出会い
私が、今回のインド訪問の中でこれまで長年インド募金を続けてきたことの一つの実りを感じたのは、訪れたコロニーで出会った22歳の青年から聞いた話です。コロニーというのは、家族がハンセン病に罹って差別を受けたり仕事を失ったりしたために、それまで住んでいたところでは暮らすことができなくなった家族が集まって、助け合いながら生活している集落です。
出会った22歳の青年は、そのコロニーに住んでいて、子どものころからデブリット・スクールに通っていたとのことです。デブリット・スクールは元々親がハンセン病の子弟を受け入れる養育施設として設立され、ニルマラと共に六甲学院が40年以上支援してきた学校です。小学生・中学生だった頃に、3回ほど六甲の生徒たちが日本から訪問団として来てくれて、その歓迎交流会が楽しかったのを、今でも印象深く覚えているとのことでした。現在は大学で経営学(ビジネス)を学んでいて、MBA(Master of Business Administration経営学修士)を修得することを目指している、と話してくれました。
インドではハンセン病の家族がいるというだけで、教育面では普通の学校にも通いにくい現状がありましたから、この若者がコロニーからデブリット・スクールに通えて小学校から高校までの基礎的な学力が習得できたのは、六甲学院の生徒募金の支援があったからこそ、ということができます。そうした中で本人の勉強面での努力もあって大学まで進み、大学院で経営学修士を取って仕事に活かす夢まで持つことができています。生徒たちと写真を撮る機会を持てたことを喜んでいましたが、おそらく支援してくれた六甲学院の人たちと再び出会えた喜びや、これまでの支援への感謝の気持ちがあってのことだったのでしょう。教育がなければ、着の身着のままで街に出て人から金品を請い求めて暮らす「物乞い」になる以外に殆ど生活の手立てがない身の上の人々が、こうして教育を受けて夢を持つことができ、社会に貢献すると共に自分の家族を養うことができるようになるのならば、それは人の一生を根本から変える大きなサポートだと思います。
(7) インド募金の意義の確認と「しなやかな強靭さ」の修得を目指すこと
早速明日から二学期最初のインド募金が始まります。インド訪問参加生徒からの報告はしばらく後になりますが、教育を受けられることの意味やそれをサポートすることの大切さなども考えつつ、インド募金に協力して下さい。
この2学期は、「レジリエンス」―しなやかや強靭さ-を身につけることをテーマの一つとして、一つ一つのことにしっかり取り組んでくれればよいと思います。
《2024年7月19日 終業式 校長講話》
社会変革をめざす3.5%の“さきがけリーダー”になる
1 世界が抱える共通課題と社会正義の実現
六甲学院の創立修道会イエズス会の、今の世界のリーダー(総長)であるソーサ神父は、今年の「世界社会正義の日」のメッセージの中で、現代の様々な不正義・不公正な社会の現実を次のように伝えています。
2022年以降、40万8000人以上が戦争や武力紛争で命を落としており(世界平和度指数、武力紛争発生地・発生事象データプロジェクト)、2023年だけでも1億1000万人以上が難民・移民として避難を余儀なくされています(国連難民高等弁務官事務所)。毎時、砂漠化が6.4平方キロメートルの肥沃な土地を脅かしており(The World Counts)、約25万トンのプラスティックが世界中の海を汚染しています(科学誌「プロスワン」)。2024年世界人口の半数が選挙に参加しますが、2005年から2021年の間60か国が民主的自由度を低下させており(世界の自由2023年)、2022年7億3600万人の女性がジェンダー暴力の被害を受けています(国連女性機関)。5歳未満の子どものうち、10人に3人が急性栄養失調に苦しんでいます(ユニセフ)。
そうした世界の現状を指摘しつつ、ソーサ総長は「私たちはさらに何をしなければならないのか?」と問いかけます。
2 3.5%の人々が非暴力で動けば社会は変わる
こうした様々な現実を突きつけられると、世界の課題は多様で深刻で大規模で、解決するのにはあまりにも自分たちは無力なのではないか、私たちがこの世界を変えることなど、とてもできないのではないかと、取り組もうとする前にひるんであきらめてしまいそうになる人も多いのではないかと思います。希望を持ち続ける手掛かりになる何かがないかと思っていたところ、最近手にした本の中に、“色々な社会変革の事例を調べてゆくと、世界の3.5%の人たちが非暴力で本気で立ち上がると社会は大きく変わる”、と述べている書籍がありました(NHK ACADEMIA 5月28日 斎藤幸平氏紹介)。2022年に出版された「市民的抵抗(CIVIL RESISTANCE)」という書物です。「市民的抵抗」という言葉は、もともとはイギリスの植民地であったインドを、非暴力不服従の方法(市民的不服従の非暴力的方法)で独立へと導いたガンジーが生み出した言葉です。エリカ・チェノウェスというハーバード大学教授が、この「市民的抵抗」という言葉を表題にして執筆した著書で、「暴力に寄らずに非暴力で3.5%が本気で動けば社会は変革する」ことを、様々な実例を検証しながら述べています。
3 NY在住の卒業生のメッセージ-物事を始める最初の5%のリーダーになれ
読みながら3.5%とはどのくらいなのか、もうひとつイメージが湧かないと思っていたところ、ちょうどその実例になる集いがありました。今週7月16日の火曜日に学校の多目的1教室であった中高生の有志の集まりです。毎年春休みのニューヨーク研修でお世話になる39期卒業生の滝浦浩先輩(建築家)が一時帰国され、その講話とワークショップが行われました。そこに集まって来た生徒が約30名、教師が5~6名で、偶然なのですが、1000人の学校でいえば、ちょうどこのくらいの人数が、約3.5%でした。家庭学習日のこの日に、自分たちから関心を持ってわざわざ学校まで来て、このワークショップに参加した人たちです。瀧浦さんの話にインスパイアされて、本気でこの学校を、あるいは1000人規模の社会を変えようと思ったら、変えることができる人数がこのくらいなのか、とイメージがより具体的になりました。
私自身は3時間半講義とワークショップをされた瀧浦氏の話を、30分ほどしか伺えなかったので、全体としての講話の流れを十分把握しているわけではないのですが、ちょうど話を聴いていた時には、物事を始める最初の5%のリーダーになりなさいという話をされていました。新しい分野を開拓したり新しい発想の組織をつくったりするのに、直感的にこれはいいと思ったら、失敗を恐れずに立ち上げる最初の5%のリーダーとして動き出しなさいという話をされていました。安定だけを求めるのであれば、何かの活動をするにも何かを購入するのにも、社会の中で良いものとして認知され評価された後に、それに乗っかるのが普通の人であるけれども、そうではなくて、ある人が新しい何かを立ち上げようとする時に、また新しいものが世に出たりしたときに、その価値をいち早く認めたら繋がり協力する人になることの大切さを、話されていました。そのほうが、仕事として楽しいし、やりがいがあるし、人生が豊かにもなるということです。前提として、日ごろから自分自身が、どういう人たちのために何をしたいか、何を信じどういうことに意味を感じているか、が大事で、そうしたなぜ?・何のために? という、自分なりに大切だと思える動きと繋がるための価値観なり理念なりをしっかりと持っていることが、重要であることも話されていました。様々な課題の多いこの世界の中で、何かしらより良い方向に社会を変えたり、新しい発想で社会を活性化させたりするためには、そうした物事のさきがけとなる3.5%、または5%のリーダーを目指してくれたらよいと思います。
4 若者の社会参加を促すデンマークの青年リーダーとの出会い
今の若者の中で、そうした社会をより良くしていこうとしている3.5%や5%にあたる人たちとは、どのような人たちなのでしょうか? そうした実例になると思える若い人たち最近出会う機会がありました。
今週7月15日の月曜日に、尼崎の園田でデンマークの若者リーダーを招いて、若い人たちの社会参加について考えるシンポジウムを聴講しました。招待されていたのはデンマークの26歳の青年で、社会活動の青年部リーダーを4年間してきたフレデリック・デイラーさんです。若者の社会参加を進める活動を日本でしている同年代の能條桃子さんという方が、デンマーク留学時にこの方のことを知って、日本に招待したとのことでした。フレデリックさんはデンマークの若者運動のリーダーとして、短期間で1000人ほどの社会的影響力を持つ若者グループを育て率いてきました。公共交通機関無償化を掲げた全国キャンペーンや気候変動・環境などへの取り組みを、大臣への手紙を集めて送ったり、ステッカーを街中に張ったりと、若者の意見を社会に反映させる楽しく効果的な企画を、工夫して展開してきた方です。
フレデリックさんによると現代のデンマークで若者が直面している最大の課題の一つはメンタルヘルス(心の健康を保つこと)だということです。デンマークは世界の中で幸福度ランキングがここ数年2位の国なのですが、気候変動や経済的不安などの構造的な問題が若い世代の不安の根底にあって、「未来」への捉え方も、これまでの世代と若い世代では全く異なること、SNSを通して世界で何が起きているかを知ることができるこの時代には、未来を怖いものとして捉えてしまい、経済的にも不安定な生活を強いられている中で、若者が精神的にも不健康になりがちであることが、社会の課題になっていると話されていました。
精神的な安定や心の健康は個人の問題と思われがちですので、現代の社会構造が精神的な健康を損なわせる主要因であるということは、新しい視点ではないかと思います。確かに新型コロナパンデミックから戦争や紛争、様々な気候変動による災害が続き、経済的にも暮らしにくい社会の仕組みの中で、不安定な生活をせざるを得ない若者にとって、心の健康を保つことは社会のあり方と連動する重要な課題であろうと思います。
フレデリック・デイラーさんの社会参加の出発点は、13歳の中学生の時だそうです。自分の住んでいた地域の路線バスの本数が大幅に削減される計画であることを知って、学校の行き帰りも友達の家に遊びに行くにしてもとても困ると思い、寝袋を持って友達数人と路上で泊りがけのストライキをしたと話してくれました。この中学時代の抗議活動は、聞き入れられず実らなかったけれども、とてもよい経験として思い出に残っているとのことです。その後も、学生自治会(日本でいう生徒会)に参加したりして活動を続けていました。聞いてみると日本の生徒会と違うのは、学校を超えた全国的なネットワークがあり、高校生の代表が政治家に要求を伝えることもあるということです。学生自治会の活動の中で、同じ考えを持つ仲間と社会をより良くするために政治に参加することに充実感とやりがいを感じたそうです。そうした仲間と共に社会を作ってゆく、社会を変えてゆく実感が持てることが、心の健康-メンタルヘルス-にも良い影響を与えるということも話していました。こうした新しい観点を持って若い人たちを集め、リーダーとなって最先端の活動をしてきたという点では、瀧浦さんの話されていた「最初の5%のリーダー」のうちの一人と言ってよいと思います。そして、デンマークの幸福度が高いとしたらそれは、社会に問題がないからではなくて、問題があったとしても若い人たちが協力し連帯すれば社会はより良く変えてゆけるという希望が持てるし、実際に力を合わせて社会を変えてきているという実感があるからなのではないかと思います。
5 若者の社会参加で社会が変わる実感が持てる社会へ
そういうデンマークでは、日本よりも若者の社会活動への参加のハードルが低いように思うのですが、それは若い時から政治家になることができ、年齢や人生経験が近い人を選挙で選べるという制度面が影響しているのかもしれません。デンマークでは政治家になるため立候補できる年齢が18歳で、選挙権を得るのと同年齢です。六甲学院では、生徒会の立候補者は高2の16~17歳でちょうど今日決選投票が行われますが、デンマークでは18歳になったら、国政選挙に投票できるだけでなく議員になるための立候補もできるということです。20代の政治家が多くいて、大臣(閣僚)の平均年齢が47.4歳(2018年統計)と若いことも、若者の社会参加によい影響を与えているのだと思います。デンマークの大臣の平均年齢は、統計のあるOECDのデータの中で、35か国中4番目に若く、ちなみに日本は62.4歳で35か国中35番目です。デンマークの2019年の総選挙での投票率が84.6%で、同じ年の日本の参議院議員選挙は48.8%、2年後の衆議院議員選挙では55.9%です。
政治によって社会が変わるという期待度が極めて低いのが今の日本の課題の一つであるように思うのですが、若い政治家を増やし、投票によって人を選ぶことで社会は変わり得るという意識を持つことができたら、投票率ももっと高くなるのかもしれません。実際に、こうした状況を変えるため、若者の社会参加や投票を呼びかけ、被選挙権の年齢を下げる活動をしているのが、今回デンマークからフレデリックさんを招待した能條さんで、「NO YOUTH NO JAPAN」という団体の代表をされています。日本にそうした若い世代を中心にしたグループがあることも、私にとっては希望を感じることができる出会いでした。日本社会はこのままではいけないと、社会を変えることを目指して、本気で立ち上がった3.5%のグループの一つではないかと思います。
6 世界中の人々と共感・団結して心の健康と社会の変革をめざす
フレデリック・デイラーさんは「世界中の人と共感し、団結することで心の安定を得ることができる。現代の社会の中で心の健康を保つことは、個人の問題ではなく構造的な社会の問題であり、社会が変えるべき問題です」と述べています。話の最初に述べたように、世界には数々の社会課題があり、そうした深刻な課題が未来についての不安につながり心の健康に影響することも確かです。自分や周りの人たちの精神的な健康・健全さを保つためにも、どの社会課題を入り口としてもよいので、社会を変えていこうとするさきがけの3.5%・5%の人間に、一人でも多くの六甲生がなってくれたらと期待しています。社会課題に取り組む活動と繋がったり、自分がそうした活動の担い手になることが、自分や周りの人たちの心の健康を保つことに繋がり、社会をより良い方向に変えることにも繋がると思います。そのために、日ごろの学びと経験を通して広い視野と大きな志を持ち、社会を変える“さきがけ-リーダー”となってくれたらと願っています。
《2024年4月6日 一学期始業式 校長講話》
「復活」という出来事-出会いの喜びと希望の源泉として
(1)新しい命の息吹-新学期と復活祭のお祝い
2024年度の新学期が始まりました。3月に、幾分寒い日々が続いたおかげで、ちょうど新しい学年が始まるこの時期に、桜の花が美しく花開き、新しい命の息吹を感じられる季節になりました。教会の暦では、この前の日曜日3月31日が復活祭でした。イースターとも呼ばれるこの復活祭は、春分の日の後の最初の満月を迎えた次の日曜日と決められています。早ければ今年のように3月末、遅いと4月中旬過ぎになることもあります。キリスト教の信仰の中では、イエスの誕生を祝うクリスマスよりも、意味のある大切な日です。聖書には、受難の苦しみの末に十字架上で亡くなって、3日目の早朝にイエスの墓に弟子たちが行くと、その墓に安置されているはずのイエスの亡骸(なきがら)はなく、女性の弟子たちを初めとして、幾人かの弟子たちが、亡くなっているはずのイエスと出会うという不思議な出来事が記されています。
イエスに新しい命が与えられて、目の前に姿が見えて会話もしたということを、もちろんにわかには信じがたい弟子たちでしたが、イエスとの出会いを驚きながらも喜び、仲間たちに知らせる様子が聖書には記されています。世界中のクリスチャンはこの出来事を、イースター・復活祭で祝います。皆が通学路の途中で前を通るカトリック六甲教会でも、3月31日のミサの後には、教会学校に通う子どもたちが、新しい命の誕生のお祝いとして、スヌーピーなどの絵柄をつけたゆでたまごを配っていました。その日は、六甲学院のラグビー部の生徒たちが、合宿中でミサに参加していましたので、絵柄のついたゆでたまご(イースターエッグ)をもらった生徒もいたかもしれません。世界中の教会で、思い思いに絵を描いたり、きれいな模様の紙やセロハンで包んだりして、この日はゆでたまごを配ってイースターを祝っています。
(2)フィリピンでの復活祭-イエスと母マリアとの出会いを喜び祝う
私がこれまで参加した復活祭の中で、最も喜びをもって迎える人々の姿を見たのは、フィリピンのマニラでした。イエズス会大学のアテネオ・デ・マニラの研究施設で3か月学んだ最後の週の日曜日が、復活祭の日でした。16年前、2008年の3月30日です。その地域一帯に住む人たちは、早朝3時頃から、私のいた大学の隣にある国立のフィリピン大学の広大なキャンパスに集まります。キャンバスの最も離れた両端の2箇所に置かれた、7~8メートルほどのイエス像と、イエスの母親のマリア像の周りに、それぞれ集まって長い行列を作ります。その2つの像は、日本の祭りの山車(だし)のように大きな車輪がついた台車に乗っていて、動かせるようになっています。その地域の人たちはまだ暗いうちから集まり、その山車に乗せた像はそれぞれに、キャンパスの両端から中央にあるグラウンドを目指して近づいてゆきます。大勢の民衆はその像を囲んだり後に行列になってついてきたりして、朝の5時頃でしょうか、薄明るくなったときに、イエスとその母マリアはグラウンドの中央で出会います。
聖書には書かれていないのですが、キリスト教の伝統として、復活したイエスが最初に出会ったのは母マリアだったという言い伝えがあります。フィリピンのその地域では、伝承に則(のっと)って復活祭を迎えます。2つの像が出会ったときの拍手や喝采(かっさい)は陽気な国民性もあって大変なもので、子どもたちは、用意していた南国の草花の花びらを、満面に笑みを浮かべながら二つの像に向けてふり撒(ま)きます。その後に、数千人集まっての荘厳なミサが、グラウンドで始まります。それまでもその後も、復活祭の祝い方として、これほどの喜びを表したものはありませんでした。
それだけ喜ぶのは、ただ、人の命が死んで無に帰すのではなく復活の命のうちに生きるという希望を示されたというだけではなく、とても親しい大事な人が死んでもう二度と会えないと思い込んで嘆き悲しんでいたのに、思いがけなく生きているその人と出会えたという、母マリアや弟子たちの喜びを追体験することができるからだろうと思います。
(3)人間の弱さ・醜さ・残忍さが表れる受難の出来事
聖書の中で、復活の物語だけ読むとやはり何か非現実的で、にわかには信じがたい話ではあるのですが、その前の受難の出来事から読むと、聖書は決して夢物語ではなく、人間の弱さや醜さや残忍さがかなりリアルに表現されている書物であることが分かります。
当時のユダヤ社会の祭司や律法学者など宗教リーダーたちは、民衆の心を捉え引き寄せるイエスの言葉や行いに嫉妬し、その妬(ねた)みの感情が悪意を生み、それがイエスを十字架刑へと物事を進ませる動機の中心になっています。そうした人間の嫉妬心や悪意の恐ろしさが、聖書には表現されています。
もう一つは凶暴化した群集心理の恐ろしさです。イェルサレムの人々は、イエスが支配者ローマ帝国に対抗するリーダーになりうると期待していました。そうした思いの中で、歓喜のうちにイエスをエルサレムに迎え入れた民衆たちも、イエスを亡き者としようとしている宗教リーダーに扇動されると、十字架につけることに賛同してゆきます。少し煽(あお)られて一旦残忍な刑につけることに付和雷同すると、その集団の言葉や行動は、穏便に済ませようとした政治のリーダーにも止められないくらいの凶暴な勢いになります。扇動に容易に乗って徒党を組んだ人間は、一人ひとりが悪人でなくても、集団としていくらでも残酷になれる恐ろしさがあります。罪びととしてイエスを捕らえた人々も、イエスを侮辱しなぶりものにし暴力をふるいます。集団化して凶悪化することは、子どもの間でのいじめから紛争地域の虐殺行為まで、今の時代でも人間の行為として続いていることです。
さらに、イエスの最も傷つき心を痛めた出来事は、宣教活動の中で共に生活し身近にメッセージを伝え、最も親しく理解してくれていたはずの弟子たちに、裏切られたことではないかと思います。十字架刑につけようとする人々にイエスを引き渡す手引きをしたのがユダという弟子でした。弟子のリーダー格だったペトロも、イエスが捉えられた後は、自分の身の危険を感じて、イエスとは関りのない者として振る舞い、イエスを助ける手立てを考えるよりも自分の身の保身を先に考えています。イエスの十字架刑に向かわざるを得ないと知った時の心の揺らぎや、最も信頼していた神も自分を見捨てたのではないかという思いも、聖書の中では表現されています。
(4)人間への失望・絶望から喜び・希望へ向かう復活の出来事
そうした人々の持つ心の醜さ、弱さ、残忍さ、裏切り、イエスの死への恐怖や信じていたものへの心の揺らぎなどを経て、その結果、苦しみの末に命を落としたイエスが、死ですべて終われば、キリスト教も生まれる余地はありませんでした。新しい命を与えられて生きているイエスと弟子たちとの出会いと交流が、なんらかの形であったことが、彼を信じる教会共同体の誕生に繋がります。
人間への失望や絶望感だけを残して終わってしまうような出来事のあとに、新たな命との出会いを感じさせるような喜びと希望につながる出来事が起こったこと、それがキリスト教徒にとっての復活祭になります。キリスト教は苦しいことや悲しいことがあったとしても、そのままでは終わらず、苦しみ・悲しみを経た後には喜びがあることを信じる宗教です。ヨハネ福音書16章にはイエスの言葉として「あなた方は悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。女は子どもを産むとき、苦しむものだ。しかし、子どもが生まれるとき、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。」とあります。受難の苦しみを経て新しい命を与えられた人との出会いを、弟子たちは身近に体験し喜びに満たされることを、イエスが予告している言葉のようにも読み取れます。
キリスト教には、どんなにひどく真っ暗な状況の中でも、光を見出そうとするどこか楽観的なたくましさがあります。私は時々復活祭の早朝、まだ暗いうちに大学のキャンパスに集まって、復活したイエスと出会い、明るくなってゆく中で喜びを分かち合うフィリピンの人たちを思い出します。大多数が貧しい人たちで日々の生活は楽なわけではないのですが、にもかかわらず底抜けに明るいたくましさを持っています。その源泉は受難から復活へと至る道があることをみなが信じており、思いを分かち合える仲間、共同体があるからなのではないかとも思います。
(5)私たちの出会いと希望の源泉でもある復活の出来事
復活の出来事を信じるか、信じないかは信仰の領域になるのですが、この出来事がなければ、キリスト教もイエズス会もなかったわけなので、今の六甲学院の建物もなく、生徒が集まるような学校もなく、クラスメイトとの出会いや先輩後輩との人間関係や教師と生徒とのつながりもなかったのかと思うと、不思議なことだと思います。私たちのこの学校での「出会い」や人間的なつながりそのものが、復活の出来事があったからこそ与えられた贈り物のようにも思えます。
新約聖書で「復活する」と訳されている動詞は「アニステーミ」と「エゲイロー」というギリシャ語で、どちらももともと「立ち上がる」「起き上がる」という意味だそうです。人間の弱さや醜さや、悪意を受けることから来る悲しみや苦しみは、だれにでもありうることです。それで立ち上がれないような状況に陥ることがあったとしても、起き上がれるたくましさは、これからの困難な時代を生きる私たちには必要なことなのではないかと思います。そして、大人になった卒業生たちを見てみると、危機の時に支え合い信頼できる人間的なつながりが、同期や先輩後輩の中にある人が多いようにも思います。そうした人間関係を築く場としても、この学校の存在は貴重なのかもしれません。信頼できる人間のネットワークを作りながら、希望を見出すことの難しい真っ暗に思える世界の中でも、希望の光を見出すたくましさを、キリスト教精神を基盤にする六甲の学びの場の中で、身につけられたらと思います。
《2024年4月6日 六甲学院中学校 87期生入学式式辞 校長講話》
六甲学院での「経験」から「夢」を見出す6年間に
(1)満開の桜の中で-87期の入学式
新入生の皆さん、六甲学院中学校へのご入学、おめでとうございます。
保護者の皆様、ご子息の六甲学院へのご入学、おめでとうございます。
ちょうど、桜が美しく花開いているこの日に、入学式が迎えられることを嬉しく思います。
新入生の皆さんは、六甲学院の87期生となります。
中学を入学するに当たって、おそらくこの長く急な坂道を、毎日重い荷物を背負いながら、通い続けられるだろうか、という心配から始まって、この学校の習慣になじめるだろうか、とか、勉強にはついていけるだろうか、というような不安もあるかもしれません。その一方で、学校説明会や入学オリエンテーションで案内された広々としたグラウンドや蔵書が充実し眺望も素晴らしい学習センターや、理科実験室・庭園などを知るにつれて、この学校で6年間を過ごせること思うと、期待や希望に胸をふくらませている新入生もいることと思います。
(2)一生涯続く先輩と後輩の人間関係-グローバルな広がりの中での成長
学校生活については、入学オリエンテーションですでに紹介されている中1指導員をはじめとして、クラブや委員会などで世話になる先輩たち、また校舎内で出会う先輩たちに、わからないこと・知りたいことがあれば、聞いてみたらよいと思います。きっと懇切丁寧に答えてくれるはずです。
特にこの学校の90年近い伝統の中で、はぐくまれてきたのは、様々な日常の学校生活や活動・行事において、先輩と後輩との間で共に成長する人間関係です。先輩が後輩を指導し、世話をし、自分の経験を分かち合い、アドバイスをする人間関係は、これからの6年間の中ではぐくまれながら、卒業してからも長く続いてゆきます。
例えば、この春休み中の行事、新高校3年生、新高校2年生のうち18名が参加した「ニューヨーク研修」では、最初に到着したアメリカ合衆国の首都のワシントンDCにもニューヨークにも卒業生がいて、アメリカで生活し仕事をすることの意味や喜びや大変さなどを、体験談も含めて分かち合ってくれています。そのうちの一人は、東京大学を卒業した後に中南米の発展途上国のスラムと関わるようになり、ワシントンDCの国際開発銀行の職員として働き、特に現在は中南米カリブ海沿岸の貧困地域に赴いて、経済格差と困窮した生活の改善に取り組む現地NGOのプロジェクト支援活動をしています。
また、昨年6月に初めて実施されたシンガポール・マレーシア研修は、高校2年生全員が参加する行事ですが、そこでも5人の卒業生が海外での自分の仕事について話をし、職場や大学を案内してくれました。そのうちの一人は特に脳の医学研究のために本拠地をアメリカからシンガポールに移して、大学内で研究活動をしており、その広々とした研究施設を見学する機会がありました。
昨年は初めて、中学3年生から高校2年生の22名の希望者がカンボジアへも研修旅行に行きました。首都プノンペンでは二人の卒業生が生徒たちの世話をしてくれました。そのうちの一人は、京都大学を卒業した後に、国連の支援のもとに行われた民主的選挙に国連ボランティアとして参加したことをきっかけに、カンボジアと30年以上にわたって関わっています。戦乱で荒廃した後の国の復興のために、主に現地に秩序をもたらす法律の作成に携わっています。日本国内でも同様で、東京・大阪など行く先々で、進路について考えている後輩たちに、親身になって話をし、職場を案内してくれる先輩が数多くいます。
生徒たちはそうした学校内から世界への広がりの中で活躍する先輩と交流し経験を見聞きして、進路について考え、自分なりの希望や使命を見出したり、こういう人になりたいという「めざす人間像」を見出したりして、その目標に向けて成長してゆきます。
(3)海外のイエズス会姉妹校のつながり-交流経験から進路選定へ
こうした世代を超えた先輩・後輩とのつながりの深さは、六甲学院の最も大きな特徴の一つです。それとともに、六甲学院はイエズス会学校として、世界中の姉妹校とつながり、ネットワークを生かした教育活動をしています。アメリカ合衆国のワシントンDCには、イエズス会の運営する世界的にも有名なジョージタウン大学があります。今回の訪問で大学案内の世話をしてくださったのは、かつて六甲学院で働かれていたアメリカ人イエズス会司祭ファージ神父の友人でした。ニューヨークでは、イエズス会系列の3つの高校、フォーダム高校、セントピーター高校、クリストレイ高校と交流する機会があります。カンボジア訪問旅行でも、生徒たちはシソフォンという地方の町にあるザビエル学院という姉妹校を訪れ、交流する機会を持ちました。
先輩との交流の中では、先輩たちの貴重な海外経験を話してくださいますし、姉妹校交流では、世界で同じ教育方針のもとに学ぶ生徒たちとの交流そのものが貴重な経験になります。そうした他者の経験に学んだり、自分たち自身が経験することを通して、生徒たちは、自分たちなりの将来の夢や希望をもち、進路を選んでゆく生徒が、六甲学院の中では比較的多いように思います。
(4)今年の中学入試国語問題-東大2023年入学式祝辞から
今年、2回の中学入試、国語の長文問題4問の中で、昨年4月12日の東京大学の入学式の祝辞の文章を扱った出題がありました。馬渕俊介(まぶちしゅんすけ)という方の祝辞です。彼は「世界の貧困や感染症に立ち向かう仕事」に従事してきていて、最近では「新型コロナのような感染症の壊滅的な大流行を二度と起こさないための国際システムの改善を提案」しています。「世界の感染症対策をリードするグローバルファンドという国際機関」に所属して「途上国の保健医療システムを強化して、感染症のパンデミックを起こさないように備える」部局のリーダーをしています。東京大学に入学した学生に向けて、「夢」についてと「経験」について、話をしています。彼自身が入学したときに決めたことは「人生をかけて取り組むことを決めたい」ということだったそうです。
(5)途上国の理不尽さの体験から抱いた「夢」
大学の授業でパプアニューギニアの先住民の儀礼を映像で見て、その美しさに感動し、異文化に飛び込んで学ぶ文化人類学者になりたいと、はじめは思っていたそうです。しかし、実際に途上国に行って見たことは「子どもが病気になっても医者も薬もない状況、毎日重労働と日焼け、栄養不足でおばあさんのような顔をしている若いお母さん、地域に根深く残る差別から仕事の機会がなくて、くすぶっている同年代の若者など」の多くの理不尽だったそうです。「自分は、学者としてそこから学ぶだけで終わりたくない。人々が自分たちの文化に誇りを持ちながら、理不尽と戦って、 日本なら簡単に直せる、あるいはかかることもない病気に命や可能性を奪われずに人生を生きられる、そのサポートをしたい」と思うようになったということです。彼がこのとき抱いた夢が、その後の人生の中で形になって、今も続いているという話です。そして、入学した皆に「夢に関わる、心震える仕事をしてほしい」「夢は、探し続けて行動し続ける人にしか見えてこない」という2つことをアドバイスとして伝えています。
(6)「経験」の組み合わせから危機を乗り越え問題解決へ
もう一つのテーマ、「経験」についてですが、彼は西アフリカで2014年に大流行したエボラ出血熱の緊急対策チームのリーダーを任された時の話をしています。感染者の半数が死に至るという恐ろしい感染症です。緊急対策にかかる費用を迅速に運用できるような仕組みづくりをし、感染が広がりやすい死者の埋葬について「現地の人たちの大切な価値観」を尊重しつつ、感染リスクのない「安全な尊厳ある埋葬」の方法を、話し合いのすえ見いだして、爆発的に広がっていた感染が一気に落ち着いたそうです。立場の全く異なる人たちが話し合いの場を持ち、自分もそれまでしてきたいくつかの重要な分野の経験を組み合わせることで、危機的な状況を乗り越え問題解決をすることができた、ということです。そして、彼はこのときの経験から、貧困や感染症、気候変動のような世界の問題に立ち向かうにあたって、問題が複雑に込み入っていて本当に自分のしていることが問題の解決に役立つのかと思うことがあっても、「世界は変えられるんだ」という希望を持つことができたと言います。六甲学院の入試問題として、こうした内容の文章が選ばれるのは、六甲のめざす方向性と繋がっていて、受験する生徒たちにぜひ読んでほしいという思いがあるからでもあります。
(7)六甲学院での「経験」から人生をかけられる「夢」を見出す
六甲学院の教育モットーは全世界のイエズス会学校共通の「他者のために、他者とともに」生きる人間、“For Others, With Others” です。昨年の東京大学入学式のこのメッセージは、そのまま“For Others, With Others” をめざす六甲学院の生徒たちに当てはまるように思いますし、今の若い人たちに向けての普遍的なメッセージでもあるように思われます。そして、六甲学院においては、「夢」を持つにあたっても、現場で様々な「経験」を積むことについても、すでに中学時代から、歩み始めることのできる恵まれた環境にあります。日常の生活の中で接する先輩との交流からはじめて、フィールドワークや社会奉仕活動や研修旅行など、グローバルな経験も含めて様々な経験の機会をつかみ、生かしてくれたらよいと思います。また、学校の進路の日や、国内海外の研修旅行を通して、先輩たちの物事に取り組む姿勢や、先輩がどんな選択を経て今の道を歩んでいるか、などを学んでほしいと思います。そして、そうした夢や経験を見聞きする中で、自分にとって人生をかけてしてみたいことや「夢」を、これからの6年間で見出してくれたらと願っています。