在校生・保護者の方へ

校長先生のお話

三学期始業式 校長式辞

《2026年1月7日 始業式 式辞》

 

この世界と日常の奥に在る「永遠なるもの」を見出す

 

(1)OB講演会の振り返り-「仕えるリーダー」と「永遠なるもの」の探究
 新年を迎え、3学期が始まりました。年末年始を皆さんはどう過ごしたでしょうか? 昨年1年を振り返りながら、今年1年の抱負や目標を定めた生徒も多くいるのではないかと思います。ぜひ、その抱負や目標の実現に向けて、日々努力を続けて下さい。
 昨年は、六甲学院として振り返ると、全校生で卒業生から話を伺う機会が多い年でした。OB講演会として7月に35期・住友商事の上野真悟社長、11月に44期・ポリコンピクチュアズの塩田周三社長、12月にクリスマスメッセージとして30期・大阪高松大司教区の松浦謙神父様のお話を伺いました。松浦謙神父は、シナピスというカトリック教会の社会活動センターで難民・移住者支援などをされている方です。
 3名の卒業生たちは環境課題に取り組む商社マンであったりCGアニメ制作者であったり社会活動をする神父であったりと個性的で、仕事内容も社会の中で関わる人々も、多様ではあるのですが、卒業生として共通していることはあるように思います。その一つは、世界的な広い視野を持っており、人と関わる現場の中でその場を活性化させ人々を元気にさせたり、地球の環境や弱い立場の人たちに配慮し支援したりして、自分の個性も生かしつつ周囲の人たちを生かす「仕えるリーダー」として活躍されていることです。もう一つは、講演会の中でも紹介されているのですが、初代武宮校長の校碑にある「すべてのものは過ぎ去り、そして消えて行く。その過ぎ去り消え去って行くものの奥に在る永遠なるもののことを静かに考えよう」という言葉を、それぞれの方々が大事に記憶しておられるということです。それだけでなく、この言葉の通りに、目まぐるしく変化する現代世界の中で、目に見える表層の出来事やいつかは消えてゆく物事の奥にある変わることのない大切なもの、普遍的で本質的な何かについて目を向けて、静かに考えることを大事にしておられるということです。

 

(2)六甲生活で培われる信頼の基となる人間性
 昨年の3名の講演者に限らず、どんな職場・社会の中でも卒業生と出会うと、しっかりとした価値観を持った誠実な人として、周囲の人たちから信頼されていると感じることが多くあります。それは周りの人たちがその人と関わる中で、大切にしている核になる「何か」が、その人の行動や人となりの内に感じられるからであるように思います。恐らくその「何か」は、在校中に日々の清掃や電車の中で他の人に席を譲ることや中間体操や社会奉仕活動や、体育祭・文化祭・強歩大会・研修旅行などの行事を通して、心の中で培われるものであり、また、過ぎ去ってゆくものの奥にある「何か」ともつながるものなのではないかと思います。年の始まりにあたって、六甲学院で日常を過ごす私たちもこの一年、校碑に刻まれた言葉を大事に心に留める年にできたら、と思います。

 

(3)目に見えない「大切なこと」を心で見ること
 ただ、「過ぎ去り消えさって行くものの奥に在る永遠なるもののことを静かに」考える、というのは、難しく思われるかもしれません。よりわかりやすくそれに近い意味の言葉に置き換えるとしたら、と考えた時に私に思い浮かんだのは、名作「星の王子さま」の一節です。一見詩的な「童話」でありながら、そのメッセージは子どもに向けたものというよりも、より普遍的で深遠な真理を、分かりやすい言葉で表現している作品です。
 このサン=テグジュペリの「星の王子さま」の中に「大切なことは目に見えない」という有名な言葉があります。そしてその「大切なこと」は、「心で見なくては見えない」、とも述べられています。校碑の中の「過ぎ去り消えてゆく」ものとは、私たちの日常生活の中で目に見える物事や事象であり、「永遠なるもの」とはその奥にある目に見えない大切なものであり、「静かに考える」とは「心で見る」と置き換えてよいと思います。そして、初代校長の校碑は、「星の王子さま」の言葉で置き換えれば、目には見えない大切なものを心の目で見ること、とつながるように思います。この一年は、その心で見ないと見えない大切な何かを日常生活の中で見出すことを、心掛けられたらと思います。

 

(4)すべてのことの内に「真善美聖」を見出すこと
 もう一つ、イエズス会司祭であった武宮初代校長がこの言葉を生み出すにあたって、おそらく心の中に抱いていたと思われる、イエズス会の創立者イグナチオの言葉があります。それは、「すべてのことの内に神を見いだす」”Finding God In All Things”という言葉です。イグナチオは生涯、このことを大切にしていました。それは、イエズス会学校の伝統的なモットーの一つとなっています。たとえ、キリスト教司祭のイグナチオのように「神」という言葉で表現するのは難しくても、この世界のすべてのものごとの内に本当だと思えるもの、善良なもの、美しいもの、尊いと思えるもの(真善美聖)を、見出す目を、お互いに育てることが出来たらよいと思います。それは、人間が引き起こす出来事だけを見ると悲惨で醜(みにく)く悪い方向にしか向かっていないように見えるこの世界にあっても、より良い方向へむかわせようとする“より大いなるもの”の働きが常にあることを信じて、肯定面、希望の持てる面を見出そうとすることです。そしてそれは、過ぎ去り消えて行くものの奥に在る永遠なるものについて、考えることでもあります。

 

(5)「瞑目」を通して日常の中に大切なこと・永遠なるものを見出す
 そして、六甲学院で物事の区切り目にする「瞑目」は、そのための時でもあります。自分が経験したそれまでの1時間、半日、一日の中で何に心が動いたか、その中に本当のもの、良いもの、美しいもの、清いもの(尊いもの・聖なるもの)があったかと振り返り、思い起こして味わう時を、持ってもらえればよいと思います。
 そうしたひとときの積み重ねを通して瞑目を身につけることは、一生の宝になります。目には見えない大切なもの、永遠なるものの存在や働きに気づく時になり、自分が今、何を大切にしたらよいかを知ることにつながります。そして、自分自身にとっても、周囲の人々にとっても、日常だけでなく人生の岐路に立つときにも、きっとより大切な方を選ぶために役に立つことと思います。もしも、行き詰って袋小路に陥ったと思うようなときにも、瞑目を通して希望の糸口を見出すことにつながることも、あるのではないかと思います。もちろん、ものごとが順調に進んで、振り返りの時としての瞑目の時間が、平和と喜びで満たされたひとときとして過ごせるとしたら、それが一番良いと思います。
 今年は、この世界の出来事や日常の物事のうちに隠れている真実、善さ、美しさ、尊さに気づき、過ぎ去り消え去ってゆくものの奥にある永遠なるもの、心の目で見なければ見ることのできない大切なものを、見出すことのできる一年、そのために瞑目を大切にする一年となることを目指してもらえたら、と願います。

二学期終業式 校長講話

《2025年 12月23日 終業式 校長講話》

 

救い主イエスの誕生と“For Others, With Others”
- 人に寄り添い「祝福」を送り続ける生き方

 

(1)クリスマス-イエス・キリスト誕生の祝い
 2学期が今日で終わりを迎え、明日はクリスマス・イブです。キリスト教の家庭でなくても靴や靴下に入ったお菓子やおもちゃをプレゼントされたり、家族皆でケーキやチキンを食べたりと、楽しい思い出のある生徒たちもいるのではないでしょうか。キリスト教を知る人々にとっては、もちろんイエス・キリストの誕生を記念して祝う日です。そして、幼い子ども達が元気に生まれすくすくと育ってゆくことを祈り祝福します。

 

(2)”祝福”-「あなたの存在は喜び」という全肯定のメッセージ
 私は朝礼で先生方や生徒たちの話を聞くことを楽しみにしていて学ぶことも多いのですが、講演会も含めた2学期の講話の中で、心の中に残り続けている言葉が2つありました。一つは「祝福」、もう一つは「人に寄り添う」という言葉です。11月末の高校朝礼では、「祝福と呪い」について話をしてくださった先生がいました。留学先で孤独な思いに落ち込んでしまった時に、外国人の友人がその気持ちを察して、自分の思いに寄り添ってくれ、優しい行為(しぐさ)を通して、あなたはここにいていいんだ、ここにいてくれるだけで私は嬉しい、と思わせてくれたことが、どれだけ有難く、自分にとっての救いになったか、という体験を話してくださいました。この、あなたはここにいてくれるだけでいいしそれは私にとって喜ばしい事です、という自分の存在への全肯定のメッセージを「祝福」という言葉で表現されていました。

 

(3)支えの必要な人々に”寄り添う”こと
 同じ週には、宗教部講演会もありました。六甲学院でかつて英語科の教師をされていて、今は保護司をしている正岡康子先生から話を伺いました。非行や犯罪を償い更生して社会復帰をめざす人たちに寄り添い、偏見の目で見られがちな彼らを支え、社会に適応できるよう対話し相談に乗り見守り続ける保護司という役割について話をしてくださいました。また講演会の後半には、正岡先生が個人的に支援してこられたアフリカ・ジンバブエの野球選手たちの映像を視聴しました。経済的に貧しく隣国の南アフリカへチームで試合に行くのにも、飛行機は使えずバスで16時間かけて試合会場まで移動する様子なども写されていました。正岡先生の一貫して、差別や偏見を持たれがちな人々や、弱く貧しい側の人たちのために、ささやかでも自分にできることをしよう、寄り添っていこうとする姿勢は、六甲学院が最も大事にしたい思いとつながっているように感じました。

 

(4)「恵まれている」ことの気づきから世界に繋がる生き方へ
 正岡先生の講話の中には、「その地域に行った事がある、とかそこに知り合いがいる、というだけで、世界と繋がれるし、世界で起こる出来事が身近になります」という言葉や、「自分がこうした活動に参加しようと思い始めたのは、何不自由なく学ぶことができる自分がどれほど恵まれているか、にあるとき気づいて、その有難いという思いを何らかの形で返したいと思ったからです」、というメッセージもあって、心に残りました。
 その前の週のMAGISの日には、イエズス会学校の教職員の方々がこの8月に行ったインド研修旅行について話を伺う機会がありました。姉妹校の方々は、六甲学院がインドで差別を受け続けているハンセン病の方々とその子ども達に、長年にわたって支援をしていることがどれだけ貴重で感謝されているかを、施設の子ども達の歓迎の様子から感じて感銘を受けておられたとのことでした。私たちが毎月当たり前のようにしているインド募金がどれだけ価値のあることかを、改めて気づかせてくれたように思います。

 

(5)「祝福・受容」と「呪い・排除」-イエス誕生の物語と私たち
 こうした社会の中で弱い立場の人たち、苦しむ側の人たちに寄り添い共に生きる仲間として受け入れる側に立つか(受け入れる側のありようを英語でinclusiveと表現します)、それとも自分たちの今の恵まれた生活を優先しその特権を守る保身の気持ちから、そうした人々を排除し虐げる側に立つか(排除する側のありようを英語でexclusiveと表現します)、祝福する側に立つか、呪う側に立つかは、そのまま聖書のイエスの誕生物語、クリスマスのテーマと繋がります。聖書には、祝福する側として、イエスの誕生の知らせに喜んで会いに行く羊飼いや占星術の学者もいる一方で、呪う側として、生まれたばかりのイエスを自分の地位を脅かす存在として恐れ殺そうとするユダヤの王ヘロデが登場します。

 

(6)「泊まる場所がなかった」-排除される側のイエスの父母
 イエスの誕生した2030年ほど前には、ユダヤ地方はローマ帝国に統治されていて、ルカ福音書によると、皇帝アウグストゥスが全領土に住民登録を命じ、イエスの父親で大工をしていたヨセフは、当時暮らしていたガリラヤの町ナザレから祖先のダビデの町ベツレヘムに、いいなづけのマリアを連れて行きました。身ごもっていたマリアはそのベツレヘムの町にいるうちに男の子を生みます。聖書には「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」とあます。身重の女性を連れ添いながら、ヨセフが泊まる部屋を用意してもらえなかったということは、周囲から大切に扱われることのない、経済的にも社会的にも貧しく弱い立場であったのかもしれません。彼らは宿屋には泊まれずに、家畜小屋に泊ることにし、そこで、赤ん坊を産み布でくるんで、家畜の餌を入れるために使う飼い葉おけに寝かせます。

 

(7)排除されがちな立場の「羊飼い」に向けた喜びの知らせ
 ルカ福音書の中で、イエスの誕生を最初に知らされたのは羊飼いたちでした。聖書には「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」、とあります。この「地方」という言葉は、ギリシャ語の原文ではChora(コーラ)という言葉で、都市や豊かな耕作地と対照的な、耕作もされておらず住む人もほとんどいない地域を指す言葉だそうです。そして、当時のユダヤ地方において羊飼いとは、主に都市に適応できなかった人たち、失業者、罪を犯して追放された者たちが就いた職業であったようです。豊かで華やかで洗練された都会とは対照的な、中心からは引き離された地域で身分や立場を問われずになんとか生活できる糧を得られる仕事が、羊飼いだったのでしょう。そうした影の世界で孤独な生活を強いられていた彼らは、聖書の記述によると、夜中に突然周りを明るく照らされ、恐れを抱いた羊飼いたちにむけて天使から、次のように告げられます。「恐れるな、わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町(ベツレヘム)で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそメシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉おけの中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これが、あなた方へのしるしである」。

 

(8)共に喜び祝う相手として社会の隅にいる人々を選ばれる神
 2000年以上も前の羊飼いでも、現代でも、社会的なルールや法律から外れたために人々から距離を置かれ、社会に復帰し適応することに困難を抱える人たちは、同様にいたのだろうと思います。また、聖書には羊飼いは「野宿」をしていたとの記述もある通り、六甲生たちも神戸の社会活動センターや釜ヶ崎の炊き出し活動の中で出会う人たちのように、屋根のない場所で寝泊まりせざるをえない人々が昔も今もいたのだろうと思います。聖書のイエス・キリストの誕生物語の中では、そうした「羊飼い」たちに向けて、神は救い主であるイエスが生まれたことを、真っ先に告げ知らせています。社会の中で、中央でなく端っこにいる人たち、偏見をもたれながら貧しい生活せざるを得ない人たちに向けて、あえて神は彼らを選んで、共に喜び祝い合う相手として救い主イエスの誕生を一番に知らせています。

 

(9)弱く貧しい人々を心にかけ大切に思われる神-フィリピンのスラムでの経験
 私自身は、こうした社会の中心でなく隅っこにいる人たちに、とりわけ心をかける神の思いを感じられた体験をしたのは、フィリピンのスラムの中でした。私にとっては「祝福」という言葉を聞くと思い浮かぶ、思い出でもあります。
 2008年、フィリピンに研修のために3ヶ月ほどいたときのことです。マニラの海辺沿いにナボタスというスラムがあります。海の浜辺や海の上に木材でバラックを建て、多くの人たちが生活をしていました。2週間に1回、土曜日にそこを訪れることにしていたのですが、フィリピンの人たちはスラムでもホスピタリティに溢れていて、通りがかりの家に招かれて食事をごちそうになったこともありました。貧しくても、あるいは貧しいからこそ熱心な信仰を持っていて、聖書を祈りながら自分たちの思いを分かち合う集まりもされていて、そこに加えて頂いたことがありました。国民性として根っから明るい人たちではあるのですが、苦しい生活を強いられていることは確かで、思い患(わずら)いや悲しみも多い人たちでした。分かち合いでは、5歳の息子を病気で失ったことをどうしても受け入れられない母親の苦しみや、自分の娘夫婦が突然失踪してしまい、多くの孫を育てなければならないおばあさんの途方に暮れた思いなどを、涙を流しながら話してくれます。そうした不条理な苦しみの中でも彼らは、神さまにその苦しみを訴え、今の苦しみを乗り越える力をいただけるようにと真剣に祈っていました。
 大人だけでなく皆とそれほど変わらない若い世代の集まりに参加したこともありました。スラムの家庭は兄弟姉妹が多いため(スラム地域では当時平均7人の兄弟姉妹がいると聞きました)学校に行きたくても貧しい家計から教育費を出すのは困難です。中学・高校・専門学校や大学へと進学して勉強し続けるためには、NGO(貧困・飢餓・環境など、世界的な問題に取り組む市民団体)からの援助が必要です。あるNGOから奨学金を受けている子ども達が、週1回聖書を読みながら生活の中での思いを分かち合う集まりをしていました。私が訪れたグループは12歳から22歳までの青少年でした。自分が勉強してよい就職先を見つけ、兄弟姉妹の養育費を稼いで家計を助けたいと思っていると分かち合ってくれた、まだ中学生くらいの女の子がいました。自分の下に5人ほどの妹弟がいる長女で、まだあどけなさは残っているけれども芯の強そうな子でした。自分の兄弟姉妹を大切に思い、NGOから教育資金の支援を得ながら、自分のためばかりではなく家族のため、弟妹のために勉強しています。私はこの子の話を聴きながら、
 この子のことを応援したいという気持ちと共に、神さまがこの子を、その兄弟姉妹への気持ちを、尊いもの、美しいもの、愛おしいものとして応援しているように感じました。そしてそれを一言で表現すると、神さまがこの子を「祝福されている」という言葉が自然に浮かんできました。

 

(10)社会の隅にいる人々と共にいて寄り添うイエス
 ただ、彼らの生活の体験を分かち合う話は、すべてが穏やかな心和ませるものばかりではなく、兄弟げんかをしてしまったことや中々言うことを聞かない弟妹への不満なども話すのですが、彼らには自然な信仰があって、イエスを心の中の話し相手として、まるで身近な兄や教師のように苦情を訴え頼りにしているのが伝わってきました。イエスが確かに生活の中で彼らと共にいて寄り添ってくれているように感じられました。また、自分と自分の家族の将来のために希望をもって生きている姿からは、日本の若者に接する中では感じることの少ない、素朴ではあるけれど力強い夢や、家族への思いや絆から生まれる幸せも伝わってきました。彼らのけなげな姿を見ているだけで、応援したい気持ちがわき起こってくるとともに、何か日本の生活の中では感じることのない静かで平和な思いが心の中に生まれました。そうした思いを抱かせる彼らも、やはり神から「祝福されている」と感じられました。

 

(11)“For Others, With Others”-人に寄り添い“祝福”を送り続ける生き方
 神が、励ましや支えや生きる力を与えたいと思われるとしたら、それは、何不自由なく暮らし、自分だけでなんとかなると思っている人たちよりはまず、こうした人たちなのだろうとも思います。神がこうした人達の側に立って彼らに寄り添い、「こんなに家族を思うあなたがいることが嬉しいし、とても大切に思っている」という祝福を送り続けているように感じる体験を、フィリピンのスラムの人たちと関わる中でしました。
 孤独な人、心が弱っている人、偏見の目で見られがちな人、支援や助けが必要な人、そういう人に寄り添う生き方が、そのまま“For Others, With Others”の生き方につながるのだと思います。そして、自分が恵まれている存在、祝福された存在だと思えた時に、その思いは他者に向けての生き方へと連鎖し広まってゆくもののようにも思います。

 

(12)クリスマスを本当の意味で祝うために
 -神がこの世界の救いの道を示し人間に寄り添う人を誕生させた出来事として
マリアから生まれる男の子の名前イエスとは「神は私たちと共におられる(インマヌエル)」という意味であることを、マタイの第一章で伝えています。その名前の通り、イエスの誕生は、神が自分の子イエスを私たち人間と常に共にいて寄り添って生きるものとして、この世界に送られた出来事なのだと思います。神がイエスをこの世界に遣わし、そこに生きる人々と直接に関り寄り添うことを願って下さり、人々がそのことに考えられないほどの恵みと喜びを感じることが出来たときに、クリスマスは本当の意味で祝いの出来事になるのではないかと思います。

二学期始業式 校長講話

《2学期 始業式 校長講話 2025年8月29日》

 

台湾訪問-自由と平和を隣国と共に守ること

 

1.夏休みの出来事を振り返る機会を作ること
 40日ほどの夏休みが終わり、今日から2学期が始まります。この夏休みを、皆さんはどう過ごしたでしょうか。部活動を頑張った人もいれば勉強を中心に励んだ人もいるでしょうし、文化祭準備を熱心にした人もいるかと思います。最も長い休暇ですので、学校行事としても泊りがけのものが多くありました。海山のキャンプ、クラブ合宿、東京研修、ガーナ高校生との交流、能登の震災被災地へのボランティア、カンボジア研修旅行などに取り組む中で、皆にとって貴重な出会いがあり、充実した交流をし、成長の機会にもなったことと思います。自分にとって心を動かし印象に残る出来事として、どのようなことがあり、そこにどのような意味があっただろうか、と各々が振り返る機会を、ぜひ作ってもらえたらと思います。

 

2.夏休みに訪れた二か国の共通点
 私自身は、この夏期休暇には、それぞれ短い日数ではありましたが、個人的な旅行として2か国を訪れました。一か国は台湾、もう一か国はエストニアです。この二か国は共通点があります。一つ目は小さな国で中国やロシアなどの大国の軍事的・経済的な脅威にさらされていること、二つ目は伝統を保ちながらデジタル技術面で先進的な国家となっていることです。
 台湾については知っている生徒が殆どだと思います。中華人民共和国から台湾海峡を隔てて南東の島国であり、日本からは南西に位置していて、九州とほぼ同じ広さでありながら人口は約2340万人の国です。風光明媚な景勝地に富み、おおらかな国民性で豊かな食文化を持った親日の国でもあり、同時に半導体・電子機器などの最先端の技術で世界をリードしていることでも知られています。エストニアについては、なじみのない生徒も多いかもしれません。北欧のフィンランドからバルト海を隔てて南側にある国で、国境の東側はウクライナと同じくロシアと接しています。面積は日本の約9分の1、人口は約134万人で、世界最先端のデジタル国家として知られています。
 台湾にもエストニアにも、大変美しい歴史的な街並みや伝統文化があって、それを大切にしつつ、現在の自由と平和を保つために、そして巨大な近隣の国に軍事的にも経済的にも飲み込まれないために、あらゆる分野で社会の変革や改革を推し進め産業を育て、新しい技術革新を取り入れた国造りをしています。小さいながらも世界に存在感を示し、周囲の国々と連帯して日々の生活を守りより豊かにしてゆこうとする、そうした創造的で前向きな真剣さが、様々な場面で感じられる二国です。日本にも、かつてあったそういう活力や先進性・創造性を大切にする気質を取り戻すために、こうした小さな国の営みから学ぶべきものがあるようにも思いながら、帰国しました。

 

3.台湾の姉妹校聖イグナチオ学院と教会活動施設の訪問
 今日の始業式では、その2国のうちの主に台湾の訪問について話したいと思います。
 台湾の首都台北(タイペイ)では、St.イグナチオ中学校・高校(天主教徐匯中学校・徐匯高校SISH)というイエズス会学校への訪問をしました。六甲と同じ男子校ですが、校長先生は陳海珊(Susan Chen)さんというお名前の快活な女性の方で、元気な中学生の授業を参観させて頂いた後に、学校の寮を見学しました。4人1部屋で、現在85人ほどが利用しているそうです。毎日が合宿のように、一緒に寝起きをし、食事をし、勉学も助け合いながらしています。部屋内も見せていただきましたが、所持品も極めて簡素です。スマホも使えるのですが、使える時間帯には約束事がありました。
 私は寮というのは学校に通えない遠方の生徒が利用するものと思っていましたが、そうではなく、ごく近所のご家庭でも保護者の要望で子どもの自立と規律ある団体生活を学ばせるために寮生活をさせているとのことです。校長先生のお話によると(冗談半分だったのかもしれませんが)、むしろ親が反抗期の自分の子どもとぶつかり過ぎないよう、適度の距離を取るために寮に入れているのだろう、とのお話でした。その話を聴いてもしも六甲学院に寮を作ったら、同じ80人くらいの生徒はこうした毎日が合宿のような共同生活を望むのではないか、とも思いましたが、どうでしょうか?
 六甲学院の多目的室1ほどの大きさの一部屋に、イエズス会の創立者イグナチオやアジアに宣教に来たザビエルや、学校の創立期からの歴史が、絵画・写真・年表・図表などを使いながら大変わかりやすく展示されており、感銘を受けました。校長先生とは、お互いの学校の特徴も紹介し合ったのですが、聖イグナチオ学院の校長先生の目が輝いたのは、今年の体育祭の総行進の動画映像を見ていただいた時でした。校長先生からは、時期にもよるが、30~40人ぐらいならば、寮にとめさせてあげられると思うから、六甲の生徒たちに来てもらって交流ができるとよいですね、という思いを伝えて下さいました。
 その後に、イエズス会が司牧する教会を訪問しました。カトリック六甲教会よりも二回りくらいは大きいと思われる教会堂です。敷地内の別棟の社会活動センターでどんな活動をされているかを紹介していただきました。六甲学院が社会奉仕活動に参加しているカトリック社会活動神戸センターと、その役割は近いように思います。野宿者や先住民族やアジア各地から集まって来る労働者などが、様々な要因で生活が行き詰ってしまったときのケアや炊き出し活動をしています。日本と異なると思ったのは、教会施設には若い人たち(MAGISと呼ばれるグループ)が、いつでも集まれる広い多機能スペースがあって、社会活動はそうした若者と密接に連携しながら行われていることです。それは若い人たちが社会活動に、自ら積極的に関わっているということでもあります。そうしたお話を伺うと、こうした所に六甲の生徒たちも来て、海外の若い人たちと交流しつつボランティア体験をすることも可能なのではないか、と思ったりもしました。

 

4.本格的な昆虫博物館のある成功高校訪問
 カトリックの学校や関連施設については、以上のような場所に行ったのですが、台北の伝統的な公立の進学校も訪問しました。もともとは日本が台湾を統治していた1895年から1945年の約50年間の中で、当時の政府が20世紀の初めごろにエリート校として設立した学校で、その名前も、「成功」が校名になっています。この成功高校のモットーは、「世界を視野に入れて、成功の道を歩むこと」(「全球視野、成功領航」)で、80%が理科系の生徒であり、生徒の内の16%は日本の東京大学にあたる国立の台湾大学に進学するという学校です。台北の中で公立校ではトップ、私立を含めると3本の指に入るとのことです。この学校のもう一つの特徴は、学校内に六甲で言えば合併教室くらいの広さ昆虫博物館があるということです。学校としても、進学成績だけでなく、むしろそれよりもこの昆虫博物館を誇りにしているように思えました。
 私が訪問した時には、コレクションについてのプレゼンテーションや標本についての説明をこの学校の生物部の生徒や卒業生が英語でしてくれました。日本人もこの学校内の博物館を見学に来ることがよくあるのか、中国語と併記して日本語のカラーパンフレットまで作ってあって、英語の説明が十分には理解できなくても楽しむことができます。たとえば、私が実際に見て感動した蝶については、「大自然の奇跡-雌雄(しゆう)モザイク蝶」と日本語タイトルがあり、次のような説明があります。
 「一匹のナガサキアゲハが雄と雌の特徴を同時に持っているなんて、想像できますか? この珍しい自然の奇跡は「雌雄モザイク」と呼ばれ、遺伝子の突然変異によって生まれる神秘的な存在です。片方の翅(はね)には雄蝶の鮮やかな色彩と模様が、もう片方には雌の美しい姿が広がり、まるで自然が描いた幻想的なアート作品のようです! このような標本は非常に珍しく、生物多様性の無限の可能性を証明するものです。」
大変珍しい蝶の標本の実物を見て、こうした解説を読むと、六甲の生物部の部員や生物の好きな生徒たちに見せてあげられたら、とも思いました。

 

5.台湾のシリコンバレー「新竹」のTSMCミュージアム等の見学
 今回の旅行では九份という伝統的な古い街並みを散策したり、大きな風船に筆で願いを描いて蠟燭の火を灯し空に揚げたり、龍山寺という街中のお寺で市民が大勢朝から集まって真剣にお祈りをしているところを訪れたり、夜の市のさまざまな料理が並ぶ屋台で食事をしたりといった、いわゆる観光もしたのですが、印象に残ったのは台北からバスで1時間ほどの、新竹(シンチク)という台湾のシリコンバレーとも呼ばれる、IT関連企業の集まる地域を訪れたことでした。
 TSMCという世界の半導体の60%のシェアーを占めていると言われる会社の、イノベーション・ミュージアムと、その企業とも連携している明新科学大学を見学しました。イノベーションとは、新しい発想や方法で技術・製品・ビジネスの仕組み・組織・制度などを変革し、新しい価値観を生み出し、社会に大きな変化をもたらすことを言います。特にTSMCのミュージアムは「イノベーション(革新)が私たちの生活を豊かにする」ことをテーマにした展示施設です。かつては日本が世界をけん引してきた集積回路(IC)技術を用いた製品から、コンピューターやスマホに用いられている現代の半導体への発達の歴史や、これから予測される技術革新と未来の生活の姿を体験できるゾーンがあります。また、TSMCが優れた半導体を開発し生産し続けるために、どのような方法で他社企業や研究機関と協力的なネットワークを作っていったか、一技術者であった創立者モリス・チャンが、どういう発想や思想のもとにTSMCを世界企業に導いたのか、台湾にとっていかにこうした技術革新・イノベーションの営みが大切か(※)等、理系・文系を超えて、これからの時代を生きる人々にとって学ぶ観点の多いミュージアムです。
 ミュージアムの展示の最後にはこの創立者の次のような言葉も紹介されていました。「厳しい困難の中で希望が見えにくい状況にあっても、あきらめずに続けていけば、一筋の光が見えてきて、明るい未来に続くことがあります。」展示では創立者と企業の成功のストーリーの方に目が向きがちですが、こうした言葉を読むと、希望を見失いそうになる多くの困難を努力で乗り越えた上での「今」があるのだろうと思います。
日本語の音声ガイドもあり、科学技術やITに興味がある人だけでなく、新しい発想で物事を変革するというイノベーションと、それが社会にもたらす変化・意義・役割などについて知りたい人は、訪れるとよいと思います。

 

6.台湾留学の朝日新聞記事
 以上のように、主に2校の学校見学や、社会活動の施設訪問、TSMCの施設見学などをして、帰って来たのですが、ちょうど今週の月曜日(8月25日)の朝日新聞の夕刊一面に、「安くて教育充実 台湾留学 人気」という見出しの記事が載っていました。昨年度の留学者は8700人を超えていて、年間学費が50万~75万円、台湾は以前から英語教育には力を入れており、留学先の大学での講義は主に英語で行われるとのことです。安い学費に比べて語学教育が充実しており、奨学金や生活費まで受けられるコースもあるとのことで、静岡県内の高校3年生の母親は「娘の留学希望に反対していたが、台湾の教育水準の高さや学費の安さ、治安の良さと、調べれば調べるほど『いいじゃない!』と背中を押したくなった」という声も、その記事には載せています。先ほど紹介した企業TSMCも、この日本からの台湾留学を全面的にサポートしていて、台湾留学人気には半導体関連企業への就職への期待や、奨学金を得ながら英語や中国語で学べることの魅力が背景にあることを、その記事では述べていました。
 新聞記事としては、やや台湾留学への宣伝広告とも読まれかねない内容ではあるのですが、ここ20年ほどの高校生たちはどちらかというと、海外留学を敬遠し国内に引きこもりがちの傾向があり、国際的な視野が育ちにくいという指摘もされてきましたので、積極的に海外に目を向けるきっかけにはなるのではないかと思います。また、六甲生にとっても現実的に手の届きそうな海外への留学先の選択肢として、台湾は今後の進路を考えるにあたって、頭の片隅に置いておいてもよいのではないかとも思います。

 

7.自由と平和を隣国同士が共同で守ること
 最後に、台湾の方々から「私たちは政府に不満があるとよく訴え、こうしてくれと要求するのですが、そうした声を挙げられること、反対を唱えられること、なんでも発言できる自由があることは、とても有難いことだと思っています」という話題を、旅行中時々聴くことがありました。確かに、街を歩いていても、そうした活気のある屈託のない自由さを、この国には感じます。おそらく、その言葉の裏には、そうした自由のない中国に突然飲み込まれ支配されたくはない、という強い願いがあるのだろうと思います。また、そうした今謳歌(おうか)している自由さが、おそらく企業だけでなく社会全体で柔軟な発想ができ、社会の改革-イノベーションーを進めてゆく環境にも繋がっているのではないかと思います。
 台湾がそうした国であるからこそ、隣国として、また同じ中国という大国の隣にある国に住む人間として、平和的な国同士の関係を作ってゆくことに、私たちも何らかの貢献ができればよいと思います。同じ自由と平和を共同で守ってゆければとも思います。関空から飛行機で2時間半ほどの、比較的行きやすい国ではありますので、もしも興味の持てる何かが見出されれば、(大学生になってからにはなるかもしれませんが、)行ってみることを勧めたいと思います。
それでは、まじかにある課題考査を乗り越えて、その後に控える文化祭も、ぜひ楽しみながら、成功に向けて頑張って下さい。

※ こうしたイノベーションによる優れた技術革新と製品生産をし続けることが、一企業にとどまらず国家の安全保障にもつながるという見解があります。台湾であれば、30年以上にわたり磨き上げた高い生産技術によって、世界のあらゆる分野で必要とされる優れた半導体を作り、世界に供給することが、他国からの攻撃や侵略から自国を守ることに繋がるという「シリコンの盾」と呼ばれる考え方です。こうしたイノベーション・ミュージアムの展示意図の中にも、一国を超えて共同で発明・開発・発展に向かう仕事の魅力・やりがい・面白味を伝えつつ、世界の優秀な開発者・技術者等とのネットワークを広げ、協力して優れたものの開発・生産・供給をし続ける「拠点」となることを通して、他国からの侵略を防ぎ平和の均衡を保っていこうとする姿勢も見られるように思います。武力競争ではかなわない小国が、平和を保つために選択できる道の一つなのではないかとも思います。

一学期終業式 校長講話

《2025年7月19日 一学期終業式 校長講話 》
 
誰に寄り添い何のために学ぶのか―世界の変革をめざす「真のエリート」へ―
 
(1)世界に広がるイエズス会学校で学ぶ私たちは共通して何をめざすか?
 1学期には、東ティモールの姉妹校で働かれている浦神父様から、朝礼の短い時間でしたが、お話を伺うことができました。この終業式の講話では、東ティモールの独立までの歩みと独立後の課題、そして六甲学院との関りについて紹介したいと思います。また、東ティモールの姉妹校「聖イグナチオ学院」創立の目的と六甲学院の2代目シュバイツェル校長の言葉「エリートでありなさい」を例に挙げながら、現代世界の中でイエズス会学校とそこに身を置く私達は何をめざすのかについて、考えてみたいと思います。

 

(2)東ティモール-他国に統治され苦難と紛争が長く続いた最貧国
 東ティモールは、2002年にインドネシアから独立して20年少々の若い国です。現在の人口は約130万人、淡路島を除いた兵庫県と岡山県を合わせたほどの広さで、アジアで最も貧しいと言われている国です。16世紀からポルトガルの植民地の時代が長く続き、第二次世界大戦中は日本軍が占領していた時期が3年半ほどありました。※1
 ポルトガルの統治から1975年に独立を宣言した直後に、隣国インドネシアが軍事侵攻し、20年以上にわたって統治されました。独立運動に対するインドネシアからの弾圧が繰り返され、独立賛成派・反対派の対立が紛争に発展し、時に家族・親戚同士の中でも争い合い、当時の国民約100万人のうち20万人、つまり5人に1人が弾圧と紛争とで死亡したり行方不明になったりしました。独立にあたって、それまで行政も教育も医療も要所を締めていたインドネシア統治者は、建造物や道路などを含むインフラを徹底的に破壊しながら本国に引き上げていきましたので、殆ど何もない焦土と化したところからの独立・建国になりました。極貧の中で他国からの統治に苦しめられ続け、長く過酷な時期を経ての独立でした。国連の全面的な支援のもとで、治安維持や人道支援が行われ、政府機構や公共サービスが設立され、敵対し傷つけあってきた国民同士が和解するための平和構築の試みも、民間NGOの協力を受けながら続けられてきました。

 

(3)東ティモールの教育課題-教師の養成と使用言語の混乱
 教育については、教師になるべき世代が青少年時代を混乱期の中で過ごし、十分教育の機会が与えられないまま教壇に立つことになりました。授業の使用言語として、公用語がポルトガル語と現地のテトゥン語、実用語としてインドネシア語と英語、さらに30を超える現地語が存在する中で、どの言語を使用するかの方針が定まらず、学校教育の混乱の一因となっています。東ティモールにおける学校教育の使用言語の課題を中心に、研究を続けている先輩に71期卒業生の須藤玲さんがいます。長い間、過酷な統治と戦乱と貧困とに苦しんできた東ティモールが、将来にわたって平和な国を築き、人々が幸福に暮らす社会をつくるためには、未来を生きる青少年の教育が極めて大切であるからこそ、教育言語の課題を克服するための助けになりたいと願い、研究を続けています。上智大学卒業後東大の修士・博士課程に進み、現地を行き来しつつ研究し、今年から東大の助教となっています。いつか須藤先輩からも話を伺う機会があれば、と思います。

 

(4)教育設備面への支援―六甲学院から寄贈されたメルシュ机
 教員や教育言語だけでなく教育設備面にも課題がありました。十分な校舎や机椅子が揃わず教材もないまま、それぞれの学校での授業が始まりました。浦神父が今も働いているイエズス会学校、聖イグナチオ学院は、国中にまともに教育が成り立つ環境がない中で、独立から約10年が経った2013年に創立されました。私はその1年後に最初のティモール訪問に行ったのですが、まだ、首都ディリの町中には壊されたビルがあちらこちらに痛々しく残り、道路も至る所で陥没しているような状況でした。
 浦神父は、創立の前年に東ティモールに入り、開校準備から姉妹校設立に関わられました。この学校の生徒たちは、六甲生が創立期から80年近く使ってきたメルシュ机と呼ばれる木製の机を使っています。机の呼び名になっているメルシュというのはドイツ人の修道士のお名前で、メルシュ机は木工の職人としてマイスターの称号を持つ方が、創立期から六甲の生徒たちのために作り続けて来られた重厚な机です。六甲創立75周年に当たって、9割近くの机椅子を入れ替えることになって、その方が作って教室や図書館で使われていた机椅子や書棚を、創立される姉妹校に寄贈することになりました。
 今年の4月から上智大学の学長になられた杉村美紀先生は、教育学科の開発教育の専門家で、1ヶ月ほど前にご本人から次のような話を伺いました。ちょうど研究のために東ティモールを訪れた2013年に、六甲学院の机が港からコンテナで学校に届いたところに出くわしたそうです。日本の神戸から東ティモールへ船に乗せて送られてきたその頑丈そうな机に、とても感激されたとのことです。今も地域懇談会や高校生と保護者に向けた説明会で、イエズス会学校の世界的なつながりとイエズス会教育について紹介する時には、神戸の六甲学院から教育支援として送られた机のことを話されるそうです。
 熱帯地方の過酷な気候の中で、他国から送られた家具類は壊れてしまうことが多いのに、メルシュ机は、創立期から今も使われ感謝されています。生徒が日常使う机や図書館の本棚など、メルシュさんが創られたものは、どんな環境にも耐えるものとして、喜ばれています。浦先生の願いとしては、オーストラリアからは開校当初から毎年数校の姉妹校の生徒が合同で、校舎にも寝泊まりしながらボランティアをしに来るので、ぜひたくましい六甲生たちが東ティモールに来て、地元の村を訪問し、生徒たちと交流し、ボランティアもして、またメルシュ机が活躍している教室の授業風景も見に来てほしいと、お会いするたびに話されます。本当に、いつか実現できればよいと思います。

 

(5)新しい平和な国を築く人間育成のための学校づくり
 -農村の子どもたちが学ぶための経済支援と学力支援-
 これまで述べてきた通り、東ティモールは独立後も、学校で教えるのに相応しい教師が足りず、使用言語も定まらず学校設備も教育環境も整わない状況でした。そうした中で、これから新しい平和な国を築く人間を育てるために、どのようなイエズス会学校を作ってゆくか、アジアの各地域からイエズス会士が集まって話し合いながら、スタートしたのが聖イグナチオ学院でした。戦後復興期に、多国籍の司祭が集まって学校作りをした六甲学院にも似ているかもしれません。この学校の第一の創立理念は「貧富の隔たり無く、学びたいすべての子どもたちによい教育を提供できる学校」です。東ティモールでは、それまで自分たちの手で学校を運営する経験が、ほとんどありませんでしたので、学校というのはこんな風に教育を行う場所であるということを内外に模範として示すパイロット校になることが、まずはめざされました。
 イグナチオ学院は、首都ディリから自動車で40分~50分の海辺の農村ウルスラ村に設立されたのですが、開校して3年後には、実際にそれまでにないしっかりとした教育をしていることが評判になり、都市部から能力面でも経済面でも恵まれたご家庭の子弟が集まるようになりました。学力も経済も不足しがちな地元のウルスラ村の家庭からは、定員75名中入学者が3名だけという事態になりました。つまり、都市部の社会的経済的エリートたちの子弟が集まり、再び社会的経済的に恵まれたエリートとして、都市部で暮らす人間を生み出すだけの学校になりかねない状況になりました。もちろんそうした社会的な影響力を将来持ち得る生徒たちに、良質な人間教育をすることにも充分意味があります。ただ、生活が貧しく困窮している農村部に学校を建てたのは、農村部の子どもたちに、しっかりとした教育を受ける機会を設けたい、そして、その中から最貧国東ティモールが貧しさから脱して平和な国を築くために貢献する人たちを育てたいという強い希望がまずあったからでした。そのままでは最も大切にしたい学校の目的が達せられませんので、地元の児童の中で学ぶ意欲のある子どもたちを集めて学校が補習塾を開き、ある程度学力を身につけさせた上で受け入れるという方法が取られました。
 農村では家族が生活するだけで経済的に手一杯の貧困家庭がほとんどですので、社会的に弱い立場の貧しい子どもたちに、奨学金を与えて、都市部の恵まれた子どもたちと共に学ぶ学校になるようにしました。六甲学院からの寄付は、そうした社会的に弱い立場の、貧しい生活をしている家庭の子どもたちが、勉学を続けられるように、そのための費用として伯友会からの寄付と合わせて、毎年50万円が送金されています。

 

(6)経済的社会的エリートでなく社会に仕えるリーダー育成を
 東ティモールの聖イグナチオ学院の創立期の例に限らず、イエズス会学校は世界的に、各地域の中で質の高い教育を提供するので、社会的にも経済的にも能力的にも恵まれた生徒が集まる傾向があります。ただ、社会に出てから自分たちだけが上位層を占めて、豊かで安定した生活を保障される、特権階級的な社会的経済的エリートを育てる学校ではありません。弱い立場の人たちを含めて皆が、人として大切にされ幸せな生活が送れるような社会にするために、貢献する人間を育てる学校です。その目標は、日本でももちろん同じです。しかし、六甲学院の歴史の中でも「エリートを育てる学校」という言葉が、やや誤解を生む可能性を秘めつつ、広まった時代はありました。
1965年28期入学時から約10年間、初代武宮校長を引き継いで2代目の校長となったドイツ人のシュワイツェル先生は、よく生徒たちに「エリートでありなさい」とおっしゃっていたそうです。同時に「よきリーダーになりなさい」とも話されていたようです。それを聞いて、日本社会のトップに座を占めて、人々を引っ張ってゆくエリート養成をめざしている学校と考え、誇りをもって勉学に励む生徒がいた半面、そうしたエリート指向に反発を感じた生徒や教職員もいたようです。
 もちろん学問的な卓越性はイエズス会教育の中で伝統的に重要視されていて、それは今でもゆるぎない目標ではあるのですが、イエズス会教育の中で目指されているのは、人格面も知性面も含めて個人に与えられた優れた才能を最大限に伸ばし、人のためにその能力を活かすことのできる人です。そして、周りの人たちもその人の人柄や生き方に自然に影響されて、他者が幸福になるために何ができるかを共に考え、共に働きたくなるような人なのだろうと思います。
イエズス会学校は長い歴史の中では、先ほども述べたように、世界の数多くの地域で“世間的”には「社会的地位や経済的安定を将来にわたって約束されたエリート」を育てる学校として評価を得て、それがイエズス会教育の目的であるかのように思われていた時代もありました。そのため広島に原爆が投下されたときに救援活動のために奔走し、後にイエズス会総長になったアルペ神父は、50年前にその誤解の修正を促し、イエズス会学校が育成するのは「社会的経済的エリート」ではなく「社会に仕えるリーダー」であり、世界が必要としているのは愛と正義を実践する“Man For Others”であると訴えました。特に弱い立場の貧しい人々に深い関心をもって「他者のために、他者と共に生きる人」を育てることが目標となるようにと、世界中のイエズス会学校は学校改革を進めてきました。

 

(7)“For Others, With Others”-「弱者(Others)」に寄り添う真のエリート
 シュワイツェル校長の「エリートでありなさい」という言葉を、誤解なく正しく理解する上で参考になる、当時の校長が伝えたかったことを代弁しているかのようなドラマを、たまたま見る機会がありました。1月から3月まで放映されていた「御上(ごじょう)先生」という松坂桃李主演のドラマで、これまでの学園ドラマとは幾らか視点の異なるドラマとして、見ていた生徒も多いのではないかと思います。
 ストーリーは、文部科学省の若手官僚御上が、教師として、県で東京大学合格者数トップの進学校の教育現場に派遣されるその初日から始まります。着任してすぐに担任になった御上先生は、生徒たちに教壇から次のような話をします。
「君たちは、自分のことをエリートだと思っているか? 県でトップの学校にいて、自分がエリートだと思うのは当然だけれど、エリートの本当の意味を、理解しているだろうか? エリートはラテン語で神に選ばれた人という意味だ。なのでこの国の人は、高い学歴を持ち、それにふさわしい社会的地位や収入のある人間のことだと思っている。でもそんなのは、エリートなんかじゃない。ただの上級国民予備軍だ。」
初回のドラマの終わりにはその話の続きとして、次のようなセリフがあります。
 「今どんな思いで受験勉強をしているか。過酷な、過酷すぎる競争を勝ち抜いてようやくつかみとった人生が“上級国民”でほんとうにいいのか? 言ったよね。エリートは神に選ばれた人だと。なぜ選ばれるか? それは普通の人ならば負けてしまうような欲やエゴに打ち勝てる人だから。自分の利益のためでなく他者や物事のために尽くせる人だからだ。ぼくは、そこに付け加えたい。『真のエリート』が寄り添うべき他者とは、つまり『弱者』のことだ。」
日本の教育がめざすべきリーダーの人間像が、この言葉の通りに「自分を律して自分の利益のためでなく他者に尽くせる人」になるならば、そのままイエズス会教育の目標とほとんど同じとも言えそうです。少なくとも、最後に「『真のエリート』が寄り添うべき他者とは、つまり『弱者』のことだ」が、付け加えられていることで、イエズス会教育で育てたい“For Others, With Others”の人間像と繋がり、共通の方向性を持った言葉になっているように思えます。恐らく2代目校長が生徒に伝えたかったメッセージも、ここで言う「真のエリートになりなさい」ということだったのだろうと思います。

 

(8)各個人が幸福になるために社会構造の変革をめざす教育
 「御上先生」のドラマには「Personal is political(パーソナル・イズ・ポリティカル)」という言葉もよく出てきて、主要テーマの一つになっています。この言葉には、社会の構造的な問題-歪み―が、個人の境遇や幸・不幸とそのまま繋がっているという視点があります。だからこそ個人が本当に幸せになる社会を築くためには、目の前の困窮している人を助けるだけでなく、社会構造の変革をめざす人間を育てる必要があります。このヴィジョンは、イエズス会教育の中では「若者の教育は、世界の変革である」と述べた16世紀のイエズス会の教育者Juan de Bonifacio(ボニファシオ)から受け継がれて、現代のイエズス会教育にも共通しているものです。
 社会のありようがそのまま個人の生き方や幸せ・不幸せと繋がっていることを、端的に示す最近のドラマをもう一つ紹介するならば、日本の第二次世界大戦中を描いた朝の連続ドラマの「あんぱん」が挙げられます。「アンパンマン」の作者「やなせたかし」をストーリーのモデルにしているドラマなのですが、4月の入学式でも述べた通り「何のために生きるのか」と「逆転しない正義」という主要テーマが、戦争を始めとした人々を巻き込み束縛(そくばく)する社会の出来事の中で、繰り返し現れています。

 

(9)若者の未来とめざしたい生き方を奪う戦争
 ドラマでは第二次世界大戦中、たかしが軍隊に入隊して2年後、ひさしぶりに会った弟の千尋(ちひろ)は、海軍の士官になっていました。京都帝大、今の京都大学に入学して勉強に励んでいると思い込んでいた兄は、なぜ海軍の兵士になったのかと問います。弟の千尋は、海軍予備学生に志願することにした理由を兄に説明します。卒業が間近になり、日本を守るために自ら志願して兵隊になり戦争に行くことを決意する友人たちの前で、その思いをそぐわけにいかず、自分も志願したことを話します。「駆逐艦に乗り、敵の潜水艦のスクリューを探知して爆雷を投下する」のが弟の命がけの任務です。それを聞いて、もともと優しい心根の弟が、弱い立場の人たちに寄り添いその力になるために法律学を志したことを知っている兄のたかしは、次のように言います。「お前が耳を澄まして聞きたかったのは敵のスクリューの音じゃないだろう。弱い者の声を聞いて救うために法科に行ったんだろう。」「おじさんが、よく言っていたじゃないか。何のために生まれて何をして生きるのか?敵の潜水艦をやっつけるためじゃないだろう。」この兄の言葉を聞いて弟の千尋は次のように言います。「わしもよくおじさんの言っていた言葉を思い出す。何のために生まれて、何をして生きるのか。わからんまま終わるなんて、そんなのは厭じゃ。この戦争がなかったら、わしはもっと法学の道を究めて、腹をすかせた子どもらや、虐げられた女性らを救いたかった。この戦争がなかったら、一遍も優しい言葉をかけてあげられなかった母さんに親孝行したかった。この戦争がなかったら、兄貴と何べんも酒を飲んで語り合いたかった。この戦争さえなかったら、愛する国のために死ぬより、わしは愛する人のために生きたい。」そう切実に訴える弟に兄は「千尋、生きて帰ってこい。必ず、生きて帰れ。生きて帰ってきたら、こんどこそ、自分の人生を生きろ。」と語ります。他者の幸せにつながるような学問を追及したいと願って法科の学生になった千尋は「真のエリート・弱者のために尽くす人」になり得たはずです。その可能性が戦争のために閉ざされ、「自分の人生」を生きられないまま、弟の千尋は戦死したことを、あとのストーリーの中で知らされます。
 少年の視点で戦争を描いた『少年H』には、空襲時の恐ろしさだけでなく、国が着々・黙々と準備する戦争に市民が知らぬ間に巻き込まれてゆく恐ろしさも併せて描かれています。作者妹尾河童は「戦争では一人一人の心など、全く無視され、個人の意志など、国家という強大な権力に押さえこまれ、口をふさがれてしまう」と述べているのですが、それはこの「やなせたかし」をモデルにしたドラマにも同様に当てはまります。)

 

(10)生命と未来を奪う戦争への警告と「何のために生き学ぶのか」の探究
 おそらく、こうした場面を描く背景には、ただ80年前の戦争の実相を描く意図だけでなく、現代も戦争によって“祖国のため”の名のもとに、未来を生きることのできた若者の多くが命を落としているウクライナやロシア、ガザやイスラエルなどの現実への問いかけがあるように思います。また80年前と同じように政府が戦争への準備をしつつ、市民の私たちが知らぬ間に戦争へと向かい兼ねない日本への懸念や、未来のある若者をそうしたことに巻き込ませてはいけないという警告も含まれていると思います。※2
 他国による過酷な支配と様々な戦乱や紛争を経験してきた東ティモールは、国自体が貧しく近隣諸国の中で弱い立場に置かれているのですが、そこで生きる人々がより幸せになることをめざす学校を作るために、六甲学院で教えていた浦神父が今も働いており、六甲学院で学んだことの延長として、この国の教育の課題を自分事のように研究している須藤先輩がおり、六甲学院の先輩たちが使い続けてきた机椅子が今も使われ、私たちの募金が貧しい家庭の子どもの奨学金として使われていることは、六甲学院にとっても、この学校の教育がめざしてきた方向性の目に見える証として、意味のあることなのではないかと思います。
 そして、第二次世界大戦から80年が経ち、日本では戦争がそこに生きる人間に何をもたらすかが忘れ去られようとしている今だからこそ、新聞テレビの報道や戦争体験者の証言・書籍・ドラマ・アニメなどを含め、様々な機会を通して戦争の実相や政府の軍事化への動きや戦争によって個人個人が失うものの大きさを知ろうとする努力は、大切なことなのだと思います。
六甲教育、イエズス会教育は何をめざしており、そこに身を置く自分は何のために生き、何のために学ぶのかを、真剣に考え続けてくれたらよいと思います。

※「加害の歴史と向き合わずして『平和』を語れるのか」2024.8.10 “Dialogue for People” https//d4p world 参照
※「ルポ軍事優先社会-暮らしの中の『戦争準備』」(吉田敏浩著 岩波新書 2025.2 参照)

六甲学院中学校 88期生入学式式辞 校長講話

《2025年4月7日 六甲学院中学校 88期生入学式式辞 校長講話》

 

  真の正義と希望を生きる人へ-やなせたかしさんの人生観から  

 

188期の入学式-長い急坂を登って満開の桜の中で

 新入生の皆さん、六甲学院中学校へのご入学、おめでとうございます。

 保護者の皆様、ご子息の六甲学院へのご入学、本当におめでとうございます。

 神戸の高台にある六甲学院では、ちょうど校内の桜が満開の美しい季節に、入学式が迎えられることを、たいへん嬉しく思います。新入生の皆さんは、六甲学院の88期生となります。

 4月3日の入学オリエンテーションの初日に出会った一人の新入生は、六甲山の山裾にあるこの学校までの急な坂道を、重い荷物を背負いながら登り終えて、息を切らしつつ一階の西広場の階段前まで来て、教室に入るまでにもう一休み必要そうな様子でした。この新入生以外にも、おそらく「この長い急坂を、こんなに重い荷物を毎日背負いながら、通い続けられるだろうか?」という心配をするところから、六甲学院での学校生活が始まった新入生もいるのではないかと思います。それでも一ヶ月、二ヶ月と登り続けているうちに、途中で休まなくても登れるようになり、友人と通学路を上り下りする時間が楽しいものとなってゆくことでしょう。そしていつのまにか、この通学路を通っているだけでも、多少の事ではへこたれない体力と気力を獲得する日がきっと来ると思います。

 

⑵ 居場所や思い出の場所になる恵まれた六甲学院の教育環境

 この学校には、広々とした土のグラウンドと人工芝のグラウンドがあり、体育でも部活動でも休み時間の遊び場としても使われています。蔵書が約7万冊あって、読書や探究学習や自学自習や映像鑑賞ができて、ながめも素晴らしい学習センターがあります。理科については、物理・化学・生物など教科ごとに実験室があります。遊び場とも憩いの場とも学習の場ともなる、庭園と呼ばれている一周500mほどの小山があります。本校舎南側の別館には美しい庭があり、カト研と呼ばれているグループのための部屋があります。講堂には演劇や音楽演奏ができる舞台があり、バレーボールやバスケットボールやバドミントンなどができる体育館があります。この学校での6年間の中でしっかりと学び知性を伸ばすとともに、自分が気に入る居場所や思い出に残るような場所を、ぜひ作ってほしいと思います。

 

⑶ 世界に視野を広げ、出会いと経験を通して将来の理想像を探す

 健康で元気な体力・気力を身につけ、しっかりと学習に励みつつ、学校の中で自分の居場所を見つけて下さい。そうしたことと共に、新入生に願うのは、6年間のうちで自分がこんな人になりたいと憧れられるような理想像を見つけ、一生のうちでこんなことをしてみたいという何かを見つけることです。そのために自分から様々な出会いと学びの機会を生かして、視野を広げてほしいと思います。これまで小学校時代は新型コロナの世界的な流行の中で、一方的に日常生活が制約されるような影響を受ける経験はあったかと思います。これからの中学高校時代には、関西を離れ、日本を離れて、広い世界に目を向けて、被災地と防災、戦争と平和、貧困と正義等について、直接的な出会いや学びを通して、深く知る経験を積んでほしいと思います。中学での海山のキャンプ、フィールドワーク、東北研修、高校での海外研修・進路研修や6年間の社会奉仕活動の機会をぜひ生かしてくれたら、と思います。そして、この世界をよりよく変えてゆくために自分は将来何ができるのかについて、経験を通して深く考えられる人になることを願っています。

 

⑷ 理想像のひとつとしての「アンパンマン」と作者の人生観

 4月に入るとNHKテレビ小説も新しくなり、先週から「あんぱん」という「アンパンマン」の生みの親である漫画家やなせたかしと奥様の物語が始まっています。子どもたちにとって、物心がつく頃から最初に好きになる絵本の主人公の一人は、このアンパンマンなのではないでしょうか? 実はアンパンマンは子どものための絵本やアニメの中のヒーローであるにとどまらず、青年や大人になっても自分が大切にしたい理想像のひとつとして、公言はしなくても心の内に持っている人は、少なくないのではないかと思います。

 そして、アンパンマンの困っている人への優しさも、決して強くてカッコいいわけではないこのヒーローを作ったやなせたかしさんの人生観も、六甲が大切にしたい価値観と相通じるものがあるように思います。また、やなせたかしさんの戦争体験から発せられる言葉には、悲惨な戦争が止まない現代世界の中で、大事にすべき内容が含まれているようにも思います。六甲に入学した88期生にとって、世界に目を向けて平和や正義について考え始めるのに、よい入口になりますので、紹介したいと思います。

 

⑷ 正義が逆転する戦争と、逆転しない正義について

 NHKのドラマでは、主人公「たかし」の次のような言葉で、第1話が始まりました。

 「正義は逆転する。信じられないことだけど正義は簡単にひっくり返ってしまうことがある。じゃあ、決してひっくり返らない正義って何だろう。お腹をすかせて困っている人がいたら一切れのパンを届けてあげることだ。」

 ドラマの始まりの最初の主人公のこの言葉は、やなせたかしさんの人生観の中心の一つであろうと思います。「正義は逆転する」という言葉は難しく思われるかもしれませんが、やなせさんは日中戦争時に召集されて中国へ派兵されます。その戦争の体験がこのセリフの中にも込められていて、アンパンマンが生まれる原点にもなっています。

 『何のために生まれてきたの?』(やなせたかし PHP文庫)という本の中で、やなせさんは戦争と正義について次のように述べています。「(戦争に行ったら)とにかく殺人をしなくちゃいけない。殺す相手というのは、憎くも何ともないんですよ。家へ帰ればよいお父さんであったり、よい息子であったりするわけでしょう。でも、その人を殺さなくちゃいけない。相手も同じですよね。しかも、自分も殺されるかもしれない。」 「そこにはどんな目的があるのか。正義のためと言っても、爆弾が落ちれば、罪のない子どもも死んでしまう。戦争というのは、絶対にやっちゃいけないということを、骨身にしみて感じましたね。どんな理由があっても、戦争はやってはいけない。」 「戦争というのはいつも、いろいろな理屈をつけるわけです。向こうが非常に悪いから、正義のためにやるんだっていうけれど、正義の戦争なんてものはない。間違いなんです。……それぞれの立場の正義を、言い合う。言っている限りは、戦争は終わらないし、なくならないんです。」「正義っていうのは、立場が逆転するんですよ。僕らが兵隊になって向こうへ送られた時、これは正義の戦いで、中国の民衆を救わなくちゃいけないと言われたんです。ところが戦争が終わってみれば、こっちが非常に悪い奴で、侵略をしていったということになるわけでしょう。それで向こうは全部いいかというと、そんなことはない。……ようするに、戦争には真の正義というものはないんです。しかも逆転する。それならば、逆転しない正義っていうのは、いったい何か?」「困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場や国に関係なく、『正しいこと』。これは絶対的な“正義”なんです。」「その飢えを助けるのがヒーローだと思って、それがアンパンマンのもとになったんですね。」

 

() アンパンマンと卒業生の正義と“For Others, With Others

 以上の引用にあるように、「“正義”の戦争というようなものはなく、人が人を殺す戦争はどんな理由があろうと、絶対にしてはいけない。戦争に真の正義はなく、絶対的な正義があるとしたら、それは飢えて困っている人に食べ物を差し出すことだ。」そう考えるやなせさんは、正義の行いについて次のように述べています。

 「アンパンマンは、自分の顔をちぎって人に食べさせる。本人も傷つくんだけれど、それによって人を助ける。そういう捨て身、献身の心なくしては正義は行えない。」(『わたしが正義について語るなら』ポプラ新書)

 六甲学院は“For Others, With Others”「他者のために、他者と共に」という教育目標を大切にしています。そのOthers-他者-とは、飢えて困っている人・弱い立場で他の人からの支えがなければ生きるすべのない人たちです。そうした人たちの存在を知り出会うために、インド募金や施設訪問、被災地訪問、海外研修などをして、自分たちに何ができるかを考える機会を作っています。やなせさんが述べようとすることと共鳴する方向性を、六甲学院は持っているように思います。

 六甲学院で教育を受けた卒業生の中には、やなせたかしさんが言う「正義」を行おうと奮闘努力している人たちが、日本国内にも海外にも多くいて、そうした卒業生と出会い、話を伺う機会を持つプログラムが数多くあります。そうした機会を持つ中で、自分はこういうことをしたい、こういう人になりたいという憧れられる人や理想像を見出すこともあると思います。そして、絶望しかねないような暗い方向に向かっている世界の中で、諦めずに具体的に正義の実現のための活動をしている人たちと出会うことが、私たちの希望にもつながると考えています。

 

(6)一滴から世の中を変える「希望」―正義の同調者の波及へ

「 これからの時代に希望はあるんでしょうか?」という問いに、93歳の時のやなせさんは次のように答えています。

 「もちろん、あると思っています。汚れた水の中に、一滴のきれいな水を入れても、なんの効果もないと思うんだけど、……一人じゃなく、10人、100人という具合に増えていけば、なんとかなっていくんです。……楽してお金をたくさん儲けようとばかり考えるんじゃなくて、自分のやっていることが世間にどういう影響を与えるか、ということを考えれば、やるべきことは自ずときまっていくと思う。そういう人が少しずつでも増えていけば、いまの世の中を変えていくことは不可能ではないと思います。」「『これはもう、ダメだ』と絶望しないで、一滴の水でも注ぐというか、そういう仕事を自分でもやっていく。そうすれば、それに同調してくれる人間が必ず出てくると思います。」(『なんのために生まれてきたの?』PHP文庫)

 

 やなせたかしさんが言う通り、真の正義を実現する生き方を、すでに選んでしている卒業生が多くいますし、また、そうした生き方を選びめざそうとする先輩たちも多くいます。それが、六甲学院の誇りでもあります。そして”For Others, With Others”(「他者のために、他者と共に生きる人」)と共に“Multiplying Agents”(「正義の波及的連鎖をもたらす人」)を育てることが、イエズス会学校の目標であり使命でもあります。

 六甲学院の一員になった新中一のみんなも、ぜひ周りの人たちの希望になるような生き方を、この6年間で身につけてもらえたらと思います。

 

(7)「何のために生まれて 何をして生きるのか」を探究すること

 アンパンマンのマーチに「なんのために生まれて なにをして生きるのか 答えられない なんて そんなの いやだ!」というセリフがあるのを知っていると思います。3~4歳の幼児でも大きな声で歌っている歌でありながら、やなせさん自身が「人生のテーマソング」「永遠の命題」と言っているように、一生をかけて答えを探すような問いです。

 答えは一人ずつ違うかもしれませんが、自分なりに「ひっくりかえらない正義」「逆転しない正義」を探すことは、答えを見つけ出すヒントになるかもしれません。また、やなせたかしさんの次のような言葉もヒントになるかもしれません。

 「人間が一番うれしいことはなんだろう?長い間、ぼくは考えてきた。そして結局、人が一番うれしいのは、人をよろこばせることだということがわかりました。実に単純なことです。人は、人がよろこんで笑う声を聞くのが一番うれしい。」

 自分ができることで、人を喜ばせたり平和な気持ちにさせる何かを見つけられたら、それが自分の幸せや生きがいにもつながるのだろうと思います。

 日々の学びや行事や活動を通して、また六甲であれば特に先輩や卒業生との出会いとかかわりの中で、同じ方向性を持つ仲間を作りながら、「何のために生まれて 何をして生きるのか」について、自分なりに希望や生きがいにつながる答えが出せるように、これからの6年間を充実した、実りあるものにしてくれれば…と願っています。

 改めて、六甲学院へのご入学、おめでとうございます。

一学期始業式 校長式辞

《2025年4月7日 一学期始業式 校長式辞》

 

世界危機の中の希望の拠り処-ウクライナ侵攻と風の谷のナウシカ

 

(1)2025年度新学期を迎えて―春期定期演奏会の曲「ルパン三世」
 2025年度の新学期が始まりました。春休みはどのように過ごしたでしょうか?  何か心に残る出来事はあったでしょうか? また、この新学期を、どんな気持ちで迎えているでしょうか? こんなことに挑戦してみたいとか、こういう人をめざしたい、こういう域まで到達したいなど、前向きに明確な目標を持って迎えられたらよいと思います。
 私は春休み中の3月31日に、音楽部の定期演奏会を聴きに行きました。コロナ禍の影響で部員に高2最上級生はいないとのことでしたが、中1から高1まで30人弱が、どの曲も迫力のある見事な演奏をしていて、十分楽しむことができました。卒業生との息の合った演奏もあり、世代を超えた音楽部の結束の堅さを実感しました。
 私にとって特に印象に残った演奏の一つは、アニメ映画「ルパン三世カリオストロの城」のテーマ曲でした。映画自体は1979年公開のずいぶん古い作品ですが、ほとんど誰もが聞いたことのある時代を超えた“現代的”な曲です。軽快で歯切れよく楽しい演奏でした。

 

⑵ 宮崎駿さんのアニメ映画製作に込められた願い
 この曲が使われている「ルパン三世」の映画は、演奏会のパンフレットの説明にあった通り、のちにスタジオジブリを設立する宮崎駿(はやお)さんの劇場映画監督作品1作目です。ちなみに宮崎駿さんが劇場映画監督をした2作目は「風の谷のナウシカ」、3作目は「天空の城 ラピュタ」です。テレビでも放映されることがあるので、こうした作品を見たことがある人はいるかと思います。昨年2学期の生徒会朝礼スピーチの中でも、テレビで放映された「天空の城 ラピュタ」の感想を話してくれた生徒がいました。スピーチでは映画監督宮崎駿さんの自作映画についての、次のような印象的なコメントを紹介していました。
 「古典的骨格を持つ冒険物語を、今日(こんにち)の言葉で語れないだろうか。正義は方便になり、愛は遊びになり、夢が大量生産品になったこの時代だからこそ、無人島が消され、宇宙が食いつくされ、宝物が通貨に換算されてしまう時代だからこそ、少年が熱い想いで出発する物語を、発見や素晴らしい出会いを、希望を語る物語を子供達は待ちのぞんでいる。自己犠牲や献身によってのみ獲得される絆について、何故、語ることをためらうのだろう。子供達のてらいや、皮肉や諦めの皮膚の下にかくされている心へ、直に語りかける物語を心底つくりたい。」(「子どもたちの心に語り掛けたい」映画パンフレットより) その時の生徒が話していたようにやや難解ではありますが、宮崎駿さんは次のようなことを伝えたかったのではないか、と思います。

 

(3)宮崎駿さんの言葉の趣旨を私なりに敷衍(おし広げて説明)すると……
 「現代社会に生きる子どもたちに勇気や希望を与えロマンを感じさせるような、昔ながらの純粋な冒険物語を作りたい。今の時代は、物であふれた消費社会の中で、正義や愛や夢が、求めるに値しない安っぽい偽物(にせもの)かなぐさみもののように扱われている。また、私たちが暮らす地球や取り巻く宇宙は、自然破壊によって危機的な状況に陥っている。それにもかかわらず、人々はお金を稼ぎ増やすことにしか関心を持てなくなってしまっているのではないだろうか? そういう現代だからこそ、少年が新たな発見をしたり、素晴らしい出会いを求めて旅立ったり、希望に胸を膨らませられるような物語を作りたい。命をかけて実現したい正義や愛や夢は、現代でもありうるし、子どもたちも心の奥底ではそれを真剣に追い求めたいと願っている。そういう志ある人の望みを、あざけったりひやかしたりする風潮や人の目を気にして心がひるんだり諦めたりする風潮を跳ねのけて、体を張ってでも大切なものを守りたい、困難な状況にいる人を助けたいと、真摯に行動することを通して得られる人間の絆がある。そのことを、物語を通じて子どもたちに伝えたい。」そんな思いを宮崎駿監督は語っているように思います。それは「ラピュタ」だけでなく、他の作品の制作動機にも共通して根底にある宮崎駿さんの願いであり、少年たちに限らず現代の人たちに向けてのメッセージなのではないかと思います。

 

⑷ ロシアのウクライナ侵攻と「風の谷のナウシカ」
 昨年の3月にアメリカのアカデミー長編アニメ賞を受賞した「君たちはどう生きるか」は長編映画として12作目です。私は彼の作品のすべてを見ているわけではなく、娘たちが小中学生の頃に一緒に見ることが多かったので、作品として知っているのは10代の少女が主人公のものが中心です。
 様々な作品がある中で、特にロシアのウクライナへの侵攻があってから、時々2作目の「風の谷のナウシカ」を思い浮かべることがあります。1984年公開作品で40年以上も前に作られたのですが、今の時代を予見ていたかのような作品だと思います。物語では、文明が高度に進んだ先に、人間を自滅に向かわせるような世界を巻き込む戦争が起こり、それによる人類と自然の荒廃の中で、人間は何を大切にしたらよいか、どういう道を選び、どういう生き方をめざすべきか、を考えさせる作品として、今も観る価値があると思っています。

 

⑸ ウクライナに実在する「腐海」近隣の惨状と「ナウシカ」の物語
 私と同世代ですと、深刻な現実を前に、アニメを思い起こして引き合いに出すことなど、不謹慎だと思われかねないのですが、2023年の初夏、ウクライナ南部の水力発電所のダムが破壊され大規模な洪水が発生した頃、ウクライナの悲惨さを見ながらナウシカの物語がふっと思い浮かぶことがある、と高校時代の友人に話をしたことがありました。するとその友人は、実は「風の谷のナウシカ」に出てくる「腐海(腐った海)」は、ウクライナの南部のクリミア半島との境目の海から着想を得ているのだと教えてくれました。映画の中で「腐海」は、有毒ガスを放ち人類の存続を脅かす菌類の森として描かれています。
 その友人は国と国、大陸と大陸をつなげる海底通信ケーブルを作るための商談をする商社に勤めていたことがあって、文字通り世界をまたにかけて大きな仕事をしていました。ウクライナにもロシアにも仕事で行った事があり、ウクライナ南部の「腐海」と呼ばれる辺りは本当に海が腐ったようなにおいがするんだ、と話してくれました。聞いた時には半信半疑だったのですが、ブリタニカ百科事典のオンライン版によると、「『腐海』はウクライナ本土とつながるクリミア半島の付け根の部分にある約2,560平方キロにもなる広大な入り江の名称で、非常に強い塩分を含んでおり、塩を採掘する塩田として有名である」、とのことです。その干潟は悪臭を放ち内海はピンク色になることがあって、宮崎駿さんはその「腐海」という言葉に衝撃を受けて、映画の中に用いたそうです。ウクライナと「風の谷のナウシカ」とは、実際につながりがあることを知って、(1986年に起きたウクライナ北方の20世紀最大最悪のチェルノブイリ原発事故も併せて思い出しつつ、)ウクライナでの現実の出来事とアニメの内容とを関連づけて考えることの中で、何かしら現代への警鐘につながるような意味やメッセージが見出せるかもしれないと思うようになりました。

 

⑹ 宮崎駿監督「マグサイサイ賞」受賞の意義-過去の受賞者と照らして
 スタジオジブリの宮崎駿監督は、昨年の秋、アジアのノーベル賞とも言われる「マグサイサイ賞」を受賞しています。「君たちはどう生きるか」が春にアカデミー長編アニメ賞を受賞した時には、様々なメディアで報道され大きな話題になりましたが、監督が秋にマグサイサイ賞を受賞したことについては、一部の新聞以外はほとんど報道されず、それほど話題にもなりませんでした。しかし、この受賞はもっと着目してよい出来事ではないかと思います。
 マグサイサイ賞は、アジア地域で社会の進歩ために尽くしたり平和に貢献したりした個人や団体に贈られる賞です。選考委員会はフィリピンのマニラにあって、授賞式もそこで行われます。これまでに平和・国際理解の分野では、1962年にインドを始め世界各地の貧しく顧みられることのない孤独な人々を救済したマザー・テレサが受賞しています。ノーベル平和賞を受賞する17年も前のことです。日本人としては国連難民高等弁務官を務め、戦地を含めて厳しい状況にある難民を救済するために献身した緒方貞子(おがたさだこ)さんが1997年に受賞しています。また、極度に貧しく紛争が続き治安面で不安定なアフガニスタンで、命を懸けて医療活動と用水路建設に尽力した中村哲(なかむらてつ)さんが2003年に受賞しています。文化芸術面では、映画監督で「羅城門」「七人の侍」「生きる」などの作品で知られる黒澤明(くろさわあきら)さんが1965年に、作家として環境汚染に苦しむ人々の姿を描き、自然や人間の命の尊さを伝える「苦海浄土-わが水俣病」などを著した石牟礼道子(いしむれみちこ)さんが1973年年に受賞してきました。社会的・文化的に優れた貢献をしていると十分納得できる方々、特にその時代の世界の課題について真摯に取り組み、宮崎駿さんの言葉を借りれば「自己犠牲や献身によってのみ獲得される絆」を苦境にある弱い立場の人たちと結んできた人たちが、これまでに多く選ばれてきた、たいへん権威のある賞です。
 宮崎駿監督の授賞式では授賞理由として、監督がアニメ作品を通じて人間性を照らし出し想像力をかき立てるとともに、平和や環境保全など多くの社会課題を題材とし、社会課題への理解に貢献した人物であることが挙げられていました。
 芸術作品として優れた制作活動をしたことだけでなく、作品を通して平和や環境保全など多くの社会課題への理解に貢献している、という内容は、宮崎駿さんの作品への深い理解に基づく正当な評価だと思います。また、彼の「社会課題の理解への貢献」は、もっと広く知られてよい観点ではないかと考えます。

 

⑺ 「風の谷のナウシカ」-世界情勢の切迫した危機への警鐘として
 受賞理由となった「平和や環境保全、自然との共生」をテーマとした宮崎駿の作品として、多くの人々に最初に注目されたのは、おそらく先ほどから取り上げている「風の谷のナウシカ」ではないかと思います。この点を理解してもらうためには、もう少し物語の背景を補足して説明する必要があるかもしれません。
 「風の谷のナウシカ」の物語の舞台設定は、人類が近代文明によって自然を征服し繁栄を極めた後に、核兵器を思わせる壊滅的な破壊力を持った武器を使って、全面戦争を起こした1000年後の世界です。巨大産業文明が崩壊した後には、“荒れた大地に腐った海-腐海-と呼ばれる有毒の瘴気(しょうき・ガス)を発する森が広がり、衰退した人間の生存を脅かしていた”と映画のオープニングでは説明されています。
地球全土の自然は核兵器の放射能などで汚染されて荒廃し、高度に発達した産業文明の残骸は遺物と化し、いくつかの民族は生き残って町を形成し生活していたものの、地球絶滅の危機が迫っています。それにもかかわらず、人間は醜く民族間の紛争や戦争をし続けています。
 宮崎駿さんと組んでこの映画のプロデューサーをしていたのは、高畑勲(たかはたいさお)さんです。後に「火垂るの墓」という、戦争の最中に神戸・西宮の地で生きた兄と幼い妹を描いた名作映画の監督を務めた人です。「風の谷のナウシカ」について、原作マンガをアニメーション化するにあたっての願いとして高畑さんは、「巨大産業文明崩壊後千年という極限の世界の彼方から、核戦争の危機をはらみ、快適さのみを追い求めて資源浪費と自然破壊にあけくれる現代社会を鋭く照らし返してもらいたい。」(映画パンフレットより)と述べています。
 この作品に込められているのは、プロデューサーの要望にある通り、人類を短い時間で滅ぼしかねない核兵器使用への警告と、核戦争によって自然を壊滅的に長期間汚染し、人間を含めた生物全体の存続の危機につながることへの警告です。ロシアがウクライナへ侵攻して以降に生まれた今の世界情勢の危機感は、作品が発表された40年前よりも、より切迫したものとなり、この警告もより現実味を帯びたものとなっているように思います。

 

⑻ 主人公の人間性について-自然界の命と関わる姿と「希望」の拠り処
 宮崎駿さん自身は、「風の谷のナウシカ」の原作の作品紹介では「人類の黄昏(たそがれ)期の地球を舞台に、人間同士の争いに巻き込まれながら、より遠くを見るようになっていく少女を主人公にした作品」と述べています。それとともに「戦いそのものを描く」のではなく「人間を取りかこみ、人間が依存する自然そのものとのかかわりが、作品の重要な主題」であるとも述べています。さらに「黄昏のときにおいても希望は見いだせるのだろうか。もしそれを求めるとしたら、どういう視点が必要なのか。」という問題を徐々に明らかにしたいと願っていたようです。すべてが八方ふさがりで滅亡にむかうしか道がないような「希望」の見出しにくい時代に、どのように「希望」を見出すことができるか、が作品の主要テーマのひとつとなっています。
 実際にこの作品を見てもらった上でないと、中々伝わりにくいかと思いますので、機会があればぜひ作品を観てほしいのですが、この作品の中で世界に希望を見出す拠り処になるのは、ストーリーの展開や登場人物の言葉だけではなく、むしろそれ以上に、「ナウシカ」という16歳の少女の人間性のほうであるように、私には思えます。快活で優しく探究心旺盛な性格や、困難な出来事に前向きに取り組む姿勢や、生きとし生きるものすべてに共感し対話する主人公の姿に、作品を見ている側は、希望を感じるのではないかと思います。
 もしも、小説や映画やアニメ・マンガなどの主人公の中で、“For Others, With Others(他者のために、他者と共に)”の生き方をしている人の例を挙げるのであれば、入学式で話題にしたアンパンマンはそのモデルの一人だと思うのですが、ナウシカも“For Others, With Others”の生き方を体現している人間像(モデル)の一人として取り上げてよいのではないかと考えます。

 

⑼ “For Others, With Others”の生き方の実践のために身につける“4C‘s”
 六甲学院を含むイエズス会学校では、“For Others, With Others”をめざすべき人間像としていて、そのために教育活動の中で育成すべき人間の能力として、先ほどの入学式でサリ理事長も述べられていた通り、“4C‘s”を挙げています。4C’sとは、弱い立場の人たちへの共感(compassion)、課題を解明する知性面での有能さ(competence)、平和や正義に適う行動を選択し決断する良心(conscience)、課題ある現実の課題解決・変革のために実際にかかわり行動する実行力(commitment)を指します。
 こうした能力・人間性を伸ばすことは、イエズス会教育に限られたものでなく、「他者に仕えるリーダー」として社会に貢献する生き方を目指すうえで、誰にとっても必須のものなのではないかと、最近は考えています。この時代の指針となりうる人物、例えば先ほど挙げた緒方貞子さんや中村哲さんなどは、確かにこの4C’sが優れたレベルでバランスよく備わっていた方々です。また私たちの卒業生で海外・国内で、世界をより良い方向に変えてゆくための働きをしている人たち(カンボジア研修、ニューヨーク・ワシントンDC研修、東京研修、シンガポール・マレーシア研修などで出会ったり、講演会や進路の日に講話をしてくださったりする先輩たち)を思い起こすと、やはりこの4C‘sがバランスよく備わっていることに気づきます。

 

⑽ ナウシカ―4C‘sをバランスよく身につけている主人公として
 そして、今回話題にしているアニメ映画の主人公ナウシカもそうした4つの能力をバランスよく身につけている人物です。弱い立場の老人や子どもや自然界に生きる虫や動物・植物への共感(compassion)、腐海に生息する植物の胞子を採取し、きれいな水と土とで育成して、腐海が存在する意味を探究する優れた知性と知的好奇心(competence)、自分を含めて憎しみにかられる人間の弱さ・危険さを内省しつつ、自然界と人間、人間と人間との和解や平和のために進む道を選ぶ良心(conscience)、そしてその実現のために自分の命を懸けて行動する実行力(commitment)など、4C‘sに挙げられている能力をフルに発揮して、“For Others, With Others” の生き方を体現しています。現代の若い人たちにとっても、性別を超えて、めざすべき人間像の一人になりうる主人公なのではないかと思います。

 

⑾ 宮崎駿監督のマグサイサイ賞受賞スピーチと正義と平和の希求
 さて、昨年の11月16日のフィリピンの首都マニラで開かれたマグサイサイ賞の授賞式に、スピーチの中で宮崎駿監督はアニメの制作者としては、意外と思われることに言及しています。第二次世界大戦中にマニラの市街戦で、約10万人ともいわれる非常に多くのマニラ在住の民間人が、アメリカ軍との市街戦の巻き添えで犠牲になったり、ゲリラの可能性を疑われて旧日本兵によって虐殺されたりしています。宮崎駿さんは受賞の喜びに代わるメッセージとして、そうした戦時中の過去を日本人は「忘れてはいけない」と述べています。
 こうした出来事は、日本の中では、「忘れられている」というよりも、教育の中でもほとんと伝えられておらず「何も知らなかった」という日本人が多いのではないかと思います。しかし、アジアの国々の人たちと信頼し合える人間関係を作ろうとする時に、そうした話題を表に出さないとしても、知っていることが大事である場合があります。
世界に向けて日本に投下された核の悲惨さを知らせ伝えることが非常に大事であると同様に、もう一方で宮崎駿監督が話すように、戦争の中で日本が悲惨な状況を生み出す側でもあったことも知り、相互理解の関係を築くために忘れないでいることの大切さを、自覚する必要があるのだと思います。
 日本が誇るアニメ映画監督の第一人者の中に、そうした人間として・日本人としての良心と正義と平和への希求があること、だからこそ、彼が創る作品は子どもだけでなく大人の心を動かすものになり、主人公が、これからの時代に人としての生き方を示す指針にもなり得ているのではないかと思います。
始業式にあたって、現代世界の危機的状況の中に希望を見いだす拠り所として、作品制作の奥にある宮崎駿監督の思いや願い・高い志について、私なりに紹介しました。また、今の時代に希望を保ち続け、この危機の迫る世界をよりよい方向に向かわせる指針となるモデルとして、彼の物語「風の谷のナウシカ」の主人公を取り上げました。皆さんも身近に見聞きしたり読んだり視聴したり、実際に出会う人たちの中で、希望や指針につながる何か・誰かを探し出し、自分なりにめざすべき目標としてくれたら、と願っています。
 2025年度が、皆にとって大きな成長を遂げる一年となり、充実した、実り多い一年となることを、祈ります。

上智大学 曄道学長 82期生高校卒業式 祝辞

《2025年3月1日 六甲学院高等学校 82期生卒業式 上智大学 曄道学長 祝辞》
 

 皆さん、ご卒業誠におめでとうございます。また、ご父母、ご関係の皆さまにも心よりお祝い申し上げます。節目の時を迎えられ、ご本人もご家族も、そして皆さんを見守り続けるご関係の方々も、それぞれの感慨をお持ちのことと思います。
私はご紹介を頂きましたように、六甲学院と同じくカトリック・イエズス会を母体とする東京の上智大学で学長を拝命しております。同じ法人下であることもあり、本日このような機会を頂戴いたしました。私にとっても、皆さんは仲間であり、ファミリーであります。新たな門出を迎えられる皆さんに一言お祝いを述べさせて頂きます。
 

 さて、社会は黎明期にあります。技術革新、国際関係の複雑化、新たな価値の出現など、私たちが直面している社会変革の進行は、これまでの延長ではない人間社会の在りようを描こうとしています。私たちの社会は重要な岐路にあると言えるでしょう。「岐路にある」と表現した理由は、おそらく人間社会は、今、いくつかの選択肢を持っているであろうからです。今日の革新的なデジタル技術の出現を、産業革命時の蒸気機関の出現のインパクトに準える見方がありますが、技術革新が次から次へと社会の変革を促した当時も、そして今までも、おそらく人間社会は多くの選択肢を持っていたでしょう。様々な無数の選択肢を前にして、私たちは利便性、高効率、大量生産を過度に追い求め、地球環境に対する犠牲を見過ごしました。自らが選択し、何かを追い求め、何かを享受した事実があるのですから、それは私たちの選択の結果であったと言わざるを得ません。
 

 このことは個人についても当てはまります。今みなさんは卒業を経て新たな道を進むその入り口に立っていると言えます。その道は皆さんによって選択されたものです。今後、皆さんの人生は、多層的にいくつものステージによって構成されていきます。これまでの中学、高校への進学によって到達したステージでは、主にある枠組みの中にある体系化された学びの機会が提供されてきました。これからのステージでは、多くの人には大学を指すでしょうが、学びは皆さん自身によって、自由に様々に選択することによって彩られていきます。そしてその彩こそが皆さんの個性になるのです。その選択は、大きさ、重要性、選択肢の数から、いつその選択を行う機会が訪れるかというタイミングに至るまで、今予測できるものではありません。その折々において、「選択の自由度をいかに多く持ち得るか」が、人生をデザインするための支配的な要因、要素となるでしょう。例えば大学での学び、研究は、この選択の自由度を拡げるための大きな力になると言えます。皆さんの人生における数々の選択は、その対となる選択との比較はできません。皆さんが通る道は、実に多くの選択によって形作られますが、無数の選択肢の中から皆さん自身によって選ばれ形成された道筋、すなわち人生は一通りだけです。これが人生の醍醐味であろうと思います。この道筋に納得がいく、誇りを持てるということを、充実した人生と呼ぶのだと思います。
 

 上智大学は六甲学院と同じ学校法人に属しています。その教育精神は、「他者のために、他者とともに」として共有されています。この教育精神は、支えの必要な人たちに、弱い立場にある人たちに向けた私たちのあるべき姿勢を示しています。皆さんがこれから向き合うマルチステージへの選択はハードルの低いものではないでしょう。むしろ果敢にチャレンジするハードルの高さが皆さんを奮い立たせることでしょう。しかし、どのような状況にあろうとも、皆さんの耳を、目を、心を、立場の弱い人にも向けてください。先頭に立つ者こそ、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になるべきと聖書は説いています。様々な選択によって自分自身の目標に近づいていくということが、他者に仕える自分の在りようを高めていくことでもあって欲しいと思います。真のリーダーとは、自分の目標がアップデートされていく中でこの心得を実践しようとする人であろうと思います。真のリーダーとは、まさに自分が困難な時にあってもこの心得を実践しようとする人であろうと思います。
 

 本日祝辞としてお話させて頂いた「選択」の意味は、この社会においてますます重要性を帯びるものと認識しています。無数にある個人の選択、組織の選択、そして社会の選択が、知らぬ間に人間社会の、そして地球の将来を描き出していきます。そしてその社会像と私たち一人ひとりの人生は密接に関係し、どちらかだけが満足のいく結果を得るという結末が訪れることはありません。自分の成功の陰で弱者が放置されることがあってはなりません。地球環境の悪化の中で、一時の利便や利益が尊重されてもなりません。これからの個人の、組織の、社会の日々の「選択」は、責任のある拠り所によってなされていくべきものと思います。そのような自覚の下で、皆さんが人生を大いに謳歌してくださることを祈念致します。高度な専門性を、世界に通じる広い教養を、他者との合意形成を得るコミュニケーション力を、そして私たちの教育精神である「他者のために、他者とともに」に基づく深い人間性を身に付けた皆さんにとって、「責任ある選択」の追求もまた、人生の彩なのであろうと確信し、私からの祝辞とさせて頂きます。
ご卒業誠におめでとうございます。
 

2025年3月1日
上智大学長 曄道佳明

六甲学院高等学校 82期生卒業式 校長式辞

202531 六甲学院高等学校 82期生卒業式 校長式辞》

 

 「感謝」と「共通善」の追求

―「命」と「人の支え」に感謝し、壁を越えて共に平和を築く仲間づくりへ

 

(1) 中高6年間の成長

 82期の皆さんのご卒業、おめでとうございます。保護者の皆様、ご子息のご卒業、本当におめでとうございます。82期の皆は、この6年間をどういう思いで振り返っているでしょうか。少年期から青年期に向かうこの6年間の心身の成長には、著しいものがあります。例えば、入学して程なく行われる体育祭総行進では、先輩の指導についてゆくのに必死で、目の前の生徒の後を追って歩くのに精一杯だった中学1年生が、高校3年生になると立派に全校生を指揮して総行進を創り上げ、後輩の手本として堂々と歩くまでに成長します。

 

(2) 高3生の朝礼スピーチー「支えられて生きている『命』への感謝」

 昨年6月初めの、体育祭を週末に控えた月曜日に、高校3年生のある生徒が、生徒会朝礼で、「感謝」をテーマに4~5分ほどの短い時間、話をしてくれました。命の大切さや生まれて今ここに生きていることへのありがたさについて、語ってくれました。

 「自分は700グラムという超未熟児で生まれた。生まれ落ちてそのままの状態だったら生きてはいられなかった。それが、設備の整った病院で手厚く医療スタッフからの手当・看護のもとに命を保つことができた。そして、今、こうして好きなスポーツが思い切りできるくらい元気に生きている。自分をあきらめずに生んでくれた親への感謝とともに、超未熟児で生まれながらも多くの人たちに支えられて、今生きていることへの感謝の気持ちを忘れずに、恩返しをしてゆきたい」と話してくれました。体育祭をするにあたって、「後輩は先輩へ、先輩は後輩への感謝を忘れないでほしい」とも加えて話をしてくれていました。

 

(3) 体育祭-受け継がれたテーマ「覇」と先輩(78期生)への感謝

 82期は、中2から高1までの3年間、思いがけなくコロナ禍の中で生活することになり、学校生活にも様々な制約がありました。皆にとって中1指導員のいる学年であった78期生は、2020年、3ヶ月にも及ぶ新型コロナ学校閉鎖の影響を受けて、無念な思いの中で体育祭が中止となり、高校生活最後で最大の行事を後輩たちと創り上げることができませんでした。皆にとっては中学2年生の時の出来事でしたが、その時高3であった78期の先輩たちの気持ちを察し、お世話になった先輩たちに向けてできることはないかという思いを、その後も保ち続けていたのだろうと思います。78期が決めていた「覇(はたがしら)」というテーマを82期はそのまま受け継いで、総行進を含めて見事な体育祭を仕上げてくれました。それは82期が6年間のうちで示した行為の中で、最も印象に残ることの一つでした。中1から自分たちの成長を願って日々世話をしてくれた先輩たちに向けて、感謝の気持ちを表し、立派に体育祭を創り上げることで自分たちの成長も表現し、恩返しをしたいという思いの表れだったのだと思います。こうした先輩・後輩の関係は、六甲学院ならではの出来事であるともいえるでしょう。

 

(4) 後輩を励まし褒めねぎらい感謝しつつ、「高み」を目指す姿勢

 総行進をするにあたって、歩きながら図柄を作る上で目印になる、グラウンドに打つ杭(くい)の数は、昨年度は1800個であったと聴いています。それだけのポイント数の多さからして、例年以上に複雑で難度の高い絵模様に、生徒たちは挑戦したのだと思います。六甲で伝統として受け継がれてきた六列交差、六角形の幾何学模様、一昨年野球界の覇者となった阪神タイガースの黄色と黒色を基調にした虎のマーク、古代から昨年のパリオリンピックまで受け継がれてきた聖火、漫画界の覇(はだがしら)であるドラゴンボール、昨年の干支(えと)の空を勢いよく昇る龍、全校生1000人で作るテーマ「覇(はたがしら)」の絵文字など、一つひとつがすばらしく見ごたえのあるものでした。

 仕上がるまでの過程は、必ずしも順調であったというわけではなかったと思います。前々日、前日の練習風景を見ていると、本番に間に合うだろうかとやや不安に思うようなことも、高校3年生の中にはあったのではないでしょうか。より理想に近い形を追究する中で修正・微調整を繰り返しつつ、なかなか思い通りには行かないあせりやいらだちを感じていた上級生もいたかも知れません。練習光景を見ながら私が感心したのは、上級生の下級生たちへの声掛けの中に、感謝や励まし・ねぎらいの言葉が終始中心であったことです。あせりやいらだちは、容易に怒りの感情へと移ってしまい兼ねないと思うのですが、「ありがとう」「よくなった」「おつかれ」「よく頑張っている」と、下級生を終始、よく励まし褒(ほ)めていました。褒めつつ励ましつつ、的確に注意やアドバイスをその中に込めていました。そうして、励ましねぎらい、感謝の言葉を伝え続けていたことが、しんどい中でもう一歩下級生を頑張らせる力になっていたように思います。高校3年生たちの、難易度が高いからと諦めたり妥協したりせずに、粘り強く、その高度で困難なものを、より完成度の高いパフォーマンスへと創り上げていこうとする姿勢にも感心しました。

 上級生たちのそうした姿勢のうちに、6年間の身体面だけでなく精神的な面での著しい成長を感じますし、そうした経験を通して、六甲学院の卒業生として、また「社会に仕えるリーダー」としての在り方を身につけてきたのではないかと思います。

 

(5) 海外研修-現在の国際情勢の中で多様性を体験する意義

 もうひとつ、私が82期の学年行事として印象深かったのは、一昨年の6月に行われたシンガポール・マレーシアへの研修旅行でした。82期は、コロナ禍からなんとか抜け出して、最初にシンガポール・マレーシア研修旅行に皆で行くことのできた学年でした。卒業してこれからより広い世界に向かう中で、この研修旅行の体験が、何らかの形で活かされればと願っています。

 このシンガポール・マレーシアへの研修は、今、世界の中で国家間や民族間の対立・分裂・分断による紛争が起こり、環境問題がより深刻化し経済格差が広がってゆく中で、特別に意味のある体験ができる旅行ではではないかと思います。シンガポールは民族・宗教・文化などの違いを乗り越えて共存の道を探る上で、一つのモデルとなりうる国だと考えています。街歩きをしたりバスで街中を巡ったりする中でも実感することですが、この国には世界の縮図でもあるかのように、中華系・マレー系・アラブ系・インド系等の多民族・多文化が存在し、イスラム教・キリスト教・仏教等の多宗教が国内で共存しています。そして、水や資源の不足が致命的な弱点・課題としてありながらも、経済と外交努力を通して周囲の国々とも共存して発展してきた国です。

 背景が多様な人々の集まりである故に国際語でもある英語を共通言語として使い、国が将来を見据えた明確な目標やヴィジョンを持って、街作りや教育や環境問題などに取り組んできました。シンガポール国立大学の学生たちとの世界課題についてのセッションや、現地で活躍する六甲の卒業生との交流会の中でも、日本とは対照的に、多様性を特長として受け入れて、むしろ積極的に活かそうとする前向きさを、この国に感じた生徒もいたのではないかと思います。

 

(6) 学校交流-垣根を超えて協調・和解する原体験として

 82期の皆が、研修旅行の中で最も表情が明るく楽しんでいたのは、マレーシアのアヤヒタム村での高校生たちとの学校交流だったのではないかと思います。マレーシアはイスラム教文化の影響が強く、交流校もその文化を大切にしている公立学校だったのですが、同世代として国や民族・宗教・文化の垣根を越えて交流ができた、貴重な体験だったのではないでしょうか。若い同世代同士ならば2~3時間の交流の中で、こんなにも親しくなれるのかと思うくらい、和気藹々(わきあいあい)とした雰囲気でした。

 そうした一つ一つの体験が、今後、さらに分裂や分断へと向かいかねない世界の中で、融和や協調や和解へとつながる方向へ物事を進めてゆくための原点のひとつになれば、と願います。そして、何らかの形でそうした働きを担う「社会に仕えるリーダー」として、将来活躍してくれることを期待しています。

 

(7) 「共通善を追求する社会的交友」を築く

 教皇フランシスコは、現在全世界のカトリック教会のリーダーであり、六甲の創立修道会と同じイエズス会の司祭であった方ですが、青年に向けて次のようなメッセージを述べています。「若者の皆さんには、内輪のグループを超え出て、『「共通善を追求する社会的交友」を築いていただきたいと思います』」(『キリストは生きている』169)。さらに教皇は、反目や敵意によって家庭が崩壊し、国が滅び世界が戦争によって壊されつつある危機を指摘しつつ、次のように語ります。「すべての人の幸福を思って『共通善を追求する社会的交友』を築くならば、共通の目的に向けてともに闘うために、互いの相違を問題にしないというすばらしい体験を手にすることができるでしょう」。

 ここで言う共通善とは、英語でいえば“common good”で「個人の価値観や思想の違い、国家や民族間の対立を超えて、皆が人として幸福に暮らすことができる「だれにとっても(common)よいもの(good)」=「普遍的な善」を指します。「皆が幸福に暮らせる誰にとってもよいもの」ですから、「共通善」を「平和」と置き換えるとわかりやすいかもしれません。「共通善を追求する社会的交友を築く」とは「違いの壁を越えて共に社会の平和を追求する仲間を作る」ことと言ってもよいように思います。

 実は「共通善を追求する社会的交友」は、六甲生が六甲学院の在学6年間で、委員会活動・社会奉仕活動やクラブ活動をする中でも、クラス・学年の運営や、体育祭・文化祭・研修旅行などの学校行事・学年行事を担う中でも、築いてきた経験のあるものだと思います。少しでも皆に喜んでもらおう、その場をより良くしてゆこうと、意見や価値観の違いがあっても話し合って仲間同士が協力してきた経験は、それに当たります。また、82期生は身近な学校の仲間を超えて、シンガポール・マレーシアやカンボジア、ニューヨークやガーナに行って、「互いの相違を超えて共通の目的に向けてともに闘う友人」となりうる人たちと、すでに海外でも出会っているかもしれません。今後も、国内・海外を問わず友人を作り、それがこれから多くの人々の幸福をめざす社会的交友になることはありうると思いますし、違いの壁を越えて平和を築く仲間作りをめざしてほしいと思います。

 この世界に命を与えられて今生きていること、多くの人たちに支えられて今があることに感謝しつつ、困難な状況にあったり失望したりしている人たちに、生きる勇気や希望を与える人となりますように、そして様々な違いや壁を超えて多くの人々が幸せに暮らすために、仲間と共にこの世界をより良くし平和をもたら

三学期始業式 校長講話

《2025年1月8日 始業式 校長講話》

 

For Others, With Others ―「共感」から「希望」をもたらす人へ

 

(1)「希望」を取り戻す一年に―カトリック教会の「聖年」にあたって

 年が明けて2025年が始まりました。カトリック教会は25年に一度「聖年(聖なる年)」を迎えます。2025年は、この聖年に当たります。聖年の中心テーマは『希望』です。教皇フランシスコは次のように述べています。

 「すべての人は希望を抱きます。明日は何が起こるか分からないとはいえ、希望はよいものへの願望と期待として、一人ひとりの心の中に宿っています。けれども将来が予測できないことから、相反する思いを抱くこともあります。信頼から恐れへ、平穏から落胆へ、確信から疑いへ―。わたしたちはしばしば、失望した人と出会います。自分に幸福をもたらしうるものなど何もないかのように、懐疑的に、悲観的に将来を見る人たちです。聖年が、全ての人にとって、希望を取り戻す機会となりますように。」

 この教皇フランシスコの言葉にある通り、より良い方向へむかう願望や期待を込めて希望を抱くのが、私たちの自然な姿なのだと思います。しかし、将来への不安や恐れから悲観的・懐疑的になり、希望を失い落胆している人と出会うことがあります。また、将来が幸福になることを信じて、希望を抱き続けることが難しい時代でもあるのかもしれません。教皇フランシスコが祈るように、すべての人にとって希望を取り戻す機会が与えられる1年になれば、と願います。

 

(2)日本と世界の「現実」-大災害と戦争に苦しみ犠牲になる人々

 具体的に、日本の現実を見てみると、昨年の元旦に起きた能登半島沖の地震から1年が経ち、阪神淡路大震災から30年を向かえようとしています。能登半島に暮らす住民の中には、大きな地震とその後の土砂崩れや津波によって大切な人を失い、被災者の多くは生活再建のめどが立たず、さらに9月下旬には追い打ちをかけるような豪雨災害によって、立ち直る気力すら失われている人々がいます。

 世界の現実を見てみると、ロシア軍のウクライナ侵攻による戦争も、イスラエル軍のパレスチナ地域のガザで暮らしている住民を攻撃する紛争も、停戦・終戦の糸口が見いだせないまま、現在も続いています。ウクライナにもパレスチナにも大切な人を失い、子どもや女性を含めてこれまで普通に日常を暮らしていた人々が武力による攻撃に常時怯(おび)えて生活しています。食料や安全な水や医療が足りない中で、怪我や感染症に苦しみ、戦争の終結を望みつつ実現しない状況の中で、生きる気力さえ失われている人々がいます。

 

(3) “Others”に希望をもたらすために―他人事を自分事とすること-

 そうした日本の災害地域や世界の紛争地域だけでなく、私たちが暮らす地域の中にも、もしかしたらクラスの中にも、周囲から気づかれなかったり理解されない中で、様々な悩みや苦しみを抱えたまま、希望が見出せない人がいるかもしれません。

 イエズス会学校として六甲教育が “Men for Others, With Others” を目指しており、その「Others」 とは、特に顧みられることの少ない、困難な状況の中で苦しむ人たちであるとすれば、こうした人たちのことをより深く知り、その人たちのために何ができるか、どうしたらこうした人々に生きる希望をもたらすことができるのか、と考え行動に移すことは、私たちの課題だと思います。その一方で、日本のことも世界のことも、周囲にいる人たちのことでさえ、今の自分の日常生活からは遠い出来事のように思えて、自然には関心を向けることのできない、という場合も私たちには多いのではないかと思います。他人事を自分事として捉え返すこと、少なくともより身近な出来事として感じ取れるようにすることは、私たちにとって大切なチャレンジではないかと思います。

 

(4)大災害や戦禍に苦しむ人々をより身近に感じること

 阪神間で比較的平穏な生活を送っているように思われる私たちですが、30年前に大震災を経験しました。堅固に見えるマンションも含めて家々が倒壊し、あちらこちらで火災が発生し、6400人を超える人たちが亡くなりました。

 被災地であるこの地域で暮らしていれば、犠牲者の中には、大抵は何人かの知り合いがいます。私の家族にとって最も悲しかった出来事は、当時4歳だった長女の親しい友だちが、倒壊した家の下敷きになって亡くなったことでした。そのご家族は、お父さんお母さんと、小学生の長男と、4月から小学校1年生になるはずだった長女と、私の子の友人だった4歳の次女の、子ども3人が、川の字になって寝ていて、その5人家族のうちお母さんと長男だけが助かり、お父さんと女の子2人は崩れた天井の梁(はり)に胸を圧迫されて命を落としました。

 4月から1年生になるはずだった長女さんは、すでにランドセルを買ってもらっていて、小学生になるのをとても楽しみにしていました。そのお母さんの申し出で、私の長女が2年後に小学生になるときに、そのランドセルを譲り受けて、6年間使わせていただきました。

 当時、神戸、西宮、芦屋など、地震の揺れが激しく倒壊家屋が多い所で暮らしていた地元の人たちにとっては、思い出しては心が揺り動かされたり涙を流したりするような出来事が、何かしらあったのではないかと思います。そうした悲しい現実を共有しながら、水道や電気やガスが止まり、衣食住に事欠く生活の中で、近所同士が自然に助け合って生き延びていたような日々を、多くの人たちが経験していました。大切な人を失った時に、何が残された人たちにとって生きるための励まし・勇気・慰めになるかはわからないのですが、大切な人が生きていた証を何らかの形で共に生きてきた人たちが受け継いでゆくこと、分かち合い共有してゆくことが、悲しみつつも生きようとする望みにつながることはあるかもしれません。

 現在はもちろん阪神淡路大震災の被災地は、日常的には衣食住に心配することのない生活をしています。街に大震災があったような痕跡もほとんどありません。10代の生徒の皆にとっては30年前に今暮らしている地域で起こった大震災の出来事は、その当時の大変さを含めて、遠い昔の別の場所の出来事であるかのように、想像も理解もしにくいでしょう。

 しかし、大切な人を失った人にとっては、悲しみが癒えるまでには長い時間を要しますし、30年経ち一見日常の生活を取り戻したように見える今でも、傷の痛みを抱えながら生きている人は少なくないのではないかと思います。

 また、世界では今も続いている戦争や飢餓にしても、日本で暮らしていれば、80年間戦争のない平穏な状況が続いており、(それは有り難く幸せなことでもあるのですが)実体験として経験することはありません。そういう今を生きる六甲生たちにとって、大災害や戦禍の中で苦しむ人たちのことを、どれだけ身近に感じられるかは、先ほども述べたように一つのチャレンジであると思います。

 

(5) “涙で洗われた瞳でなければ見えない現実”-過酷な境遇への共感

 話の冒頭で「希望の聖年」についての言葉を紹介した教皇フランシスコは、2015年にフィリピンを訪れた折に、『マニラにおける若者への講話』の中で次のようなことを話されました。

 「ある程度困らない生活を送る人たちは、涙を流すとはどんなことかが分かりません。人生には、涙で洗われた瞳でなければ見えない現実があります。一人ひとりが振り返ってみてください。涙が流せていただろうか。空腹の子、路上で麻薬を打つ子、家のない子、捨てられた子、虐待された子、社会から奴隷のように酷使される子、彼らを見て泣いただろうか。それともわたしの頬を伝うのは、さらにほしがって泣く者の身勝手な涙だろうか」。

 この言葉と関連して、教皇は「キリストは生きている」(使徒的勧告・カトリック中央協議会)という文書の中で、さらに次のように述べています。

 「あなたよりもひどい境遇にある若者のために、涙を流すことを覚えて下さい。思いやりや優しさは、涙によっても表現されるのです。……涙が流れるならば、あなたは相手のために、心から、何かをすることができるはずです。」

 この言葉の最後の部分にある通り、他者のために心から何かをする、つまりFor Others, with Others の生き方を私たちが身につけるためには、相手の過酷な境遇を見て涙を流すほどに心を揺り動かされ共感することが、ひとつの出発点になります。日々の生活の中で、周囲の人々に気遣う「思いやりや優しさ」を身につけることも、For Others, With Othersの生き方に向かう大切な道だろうと思います。

 

(6)インド募金-ハンセン病施設の前向きで健気な子どもたちへの共感

 さて、六甲学院の私たちが、実際にFor Others, With Othersの生き方に向かうために、共通して毎月取り組んでいるのは、インド募金です。本日はHRで、インド募金をテーマに話し合いをする予定になっています。インド募金の送金先は、インド東北部ダンバードという町のダミアン社会福祉センターです。ここは、ハンセン病を治療し療養するための総合施設で、特に寮で暮らす子どもたちの教育と生活のために、私たちの募金は使われています。養育施設を伴う学校で生活している子どもたちとの交流の様子は、11月のインド訪問報告会で見た通りです。報告会で見聞きしたことや、今日のHRでの社会奉仕委員の説明や話し合いを通して、インド募金についてより深く理解し、自然に協力したいと思えるような機会になってくれることを期待しています。インド募金も、遠く離れた所で困難を抱えつつ前向きに生きている健気な子どもたちのことを、他人事でなく、どれだけ身近に感じられるか、が私たちの取り組むインド募金の課題の一つになるのだろうと思います。

 

 (7)インド募金の意義-現在と将来を「希望」を持って生きるために

 募金を、その果たす役割も意味も感じられないままするのと、実際に誰かの役に立っていると感じながらするのとでは、私たちにとっての行為の意味合いは大きく変わってくると思います。インド募金は、親がハンセン病という感染症を患っているため親元を離れて暮らしている子どもたちが、学校と寮で友人と過ごす生活を支えるためにしています。また、そうした子どもたちがしっかりとした教育を受けることで将来にむけての準備をし、自分と家族の生活を支える仕事に就くことを支援するためでもあります。それとともに、自分がハンセン病の親を持つために偏見を受けてきたその苦しみを、次の世代の子どもたちが味わうことのないよう、差別されることのない社会づくりに貢献するためでもあります。そして、そうしたよりよい将来に向けて、今を「希望」を持って生きるために、私たちはインド募金をしていると、言ってよいのではないかと思います。

 

(8)お年玉募金-東チモールの貧困村落の子どもたちへの教育支援

 1月のインド募金は来週から始まりますが、「お年玉募金」とも呼ばれていて、いつもよりも多くお小遣いをいただいている分、普段の月よりも多めの募金協力を呼びかけています。多く集まる募金の一部は東チモールに送られています。この、1月のお年玉募金のもう一つの送金先である東チモールという国については、多くの生徒たちは、インドと比べるとよりなじみが薄いかと思います。アジアの最貧国と言われていて、21世紀に入って2002年にインドネシアから独立した新しい国です。21世紀の初頭まで続いた独立戦争で荒廃した国の教育を立て直し、将来を担う人間を育成することが急務になっています。

 六甲学院で教鞭を取られていた浦善孝神父が2012年から東チモールに移り住み、「学びたいすべての子どもたちが、貧富の隔たりなく学べるきちんとした学校」作りを目標に、2013年1月に貧しい村にイエズス会学校「聖イグナチオ学院」を設立しました。今も中心スタッフとして働いています。この1月に13期目の入学生を迎える学校です。コロナ禍の中で3年前には豪雨による洪水の大災害にも見舞われ、がけ崩れで教職員にも犠牲者が出たりしましたが、なんとか危機を乗り越えてきました。洪水は4月初めのことでしたが、当時の社会奉仕員は首都も村落も広範囲で大きな被害となっていることを聞いて、自主的に募金活動をしてくれました。

 聖イグナチオ学院は、まだまだ国全体の教育制度の整わない東チモールで、学校教育のモデルケースになることを目指している学校です。首都のディリからも通える距離にあるので、都市部の、東チモールの中では比較的恵まれた家庭の子どもたちと、学校近隣の貧しい村落の家庭の子どもたちが、一緒に机を並べて学んでいます。使われている机は創立当初から、六甲学院で2012年まで使われてきた木製の手作りのものです。イエズス会の修道士でドイツ人マイスターのブラザー・メルシュという方が六甲学院の創立当初から、六甲生のために作られた机が、厳しい熱帯地域の気候にも耐えて今も役に立っています。1月の募金の一部は、この学校のある貧しい家庭の子どもたちの奨学金-この学校で学び続けるための教育支援金―として主に使われています。

 

(9)将来への「希望」につながる教育

 これまで述べてきたように、インド募金は、インドのハンセン病の家庭の子どもたちの教育費として、また1月のお年玉募金の一部はアジアの最貧国東チモールの子どもたちの教育費として、使われているのですが、それはこうした子どもたちにとって、教育を受けることが将来への「希望」につながるからでもあります。

 インドではハンセン病への差別が厳しいだけでなく、インド政府はすでに国としてハンセン病は克服した病気として支援を打ち切っています。そういう状況の中で、もしも六甲学院まで援助を途絶えさせてしまえば、支援している子どもたちの未来は希望を持てる道が閉ざされると言っていいと思います。十分な教育を受けられないままでは、インド社会で差別の対象となるハンセン病者の子どもたちは、生活を支えるだけの収入を得られる仕事にはつけずに、一生街に出て人から金品を請い求めて暮らす物乞いとならざるを得なくなります。

 東チモールの貧しい村で暮らす子どもたちは、恵まれない食生活の中で十分な栄養も取れずに、ちょっとした疫病で亡くなることも珍しくありません。聖イグナチオ学院では給食で栄養のある食事を提供しつつ、将来家族を養えるような仕事に着けるように、しっかりとした学力が身に着く教育しています。

 教育を受け続ける環境を子どもたちに提供するということが、どれだけインドや東チモールや、今年2回目の訪問旅行を企画しているカンボジアの子どもたちにとって、将来の夢や希望を抱くための支えになっているか、こうした地域とかかわりをもつ六甲学院にいる間に、知ってほしいと思います。そして「教育は希望である」という観点をぜひ理解し意識してもらえれば、と願っています。

 

(10)「現実」を見て共感することを通して「希望」をもたらす人へ

 まずは、教皇フランシスコが「人生には、涙で洗われた瞳でなければ見えない現実があります」と述べるような「現実」を見ることのできる目を持つ人間、そうした「現実」を生きる人々に共感できる人をめざせたら、と思います。そのためには、日々の授業や学校活動が、日本や世界で起こる様々な事象や出来事に共感する機会、時に涙を流すほどに心が揺り動かされる機会になれば、と思います。早速本日行われるインド募金ホームルームも、中学2年生が1月末に被災地を訪れる東北研修も、また3学期に参加希望者を募る予定のカンボジア研修なども、そうした成長の機会になることを願っています。

 遠い国々に限らず私たちの周囲にも、差別、偏見、虐待、貧困に苦しんでいる人はいるかもしれません。また日本では大災害によって、世界では戦争・紛争によって、希望を失いかけ、将来に対して懐疑的に、悲観的にならざるおおえなくなった人々がいます。そうした人たちにとって、希望を取り戻すために、支えや助けができる人になることを、めざすべき人間像の一つにしてくれたら、と願っています。過酷な「現実」を生きる人々に共感し、「希望」をもたらす人へと成長することを、六甲学院で学ぶ私たちの今年の目標のひとつにしたいと思います。

二学期終業式 校長講話

《2024年12月23日 終業式 校長講話》

 

 「理性と良心のもとに命を尊び、世界に平和をもたらす人間へ」

 

(1)クリスマス直前の教会の祈りから

 カトリックの教会では、昨日(12月22日)、クリスマスを迎える直前の日曜日のミサの中で、共同祈願として、次のような祈りを会衆の皆が一緒に唱えました。

「人を傷つけ、命の尊厳と自由を踏みにじる悪の力を退けて下さい。弱者を思いやり、支える人々の輪が力強く広がっていきますように。」

「混迷する世界の中で人が歩むべき道を示して下さい。一人ひとりが神の導きに心を開き、よりよい社会にするために連帯していけますように。」

 六甲学院に通う私たちにも、登下校時や学校内の日常生活の中で、弱者を思いやることができなかったり、人を傷つけてしまったりすることはあると思います。そうした自分に気づき、弱い立場の人たちを傷つける側ではなく、そうした人たちを「支える人々の輪」を力強く広げる人になることをめざしたいと思います。また「混迷する世界」の中で、人として「歩むべき道」を見出し、国や民族や宗教や立場を超えて、「命の尊厳と自由」を大切にする「よりよい社会」を創るために、 「連帯」できる人になることをめざしたいと思います。今日の講話では、この2つの祈りとも繋がる、六甲学院の卒業生の集まりの話から、始めたいと思います。

 

(2)初代校長に叱られた卒業生の体験-理性と良心を持った人間になる

 六甲学院の卒業生から生徒時代の体験談を伺うことは、行事や同窓会や講演会などで度々あります。それが、私にとって楽しみでもあり貴重な機会だとも思っています。これまでも、その中で印象に残る話は、朝礼などで紹介したり学院通信に書いたりもしてきました。しかし、年配の方々にお会いしても、初代武宮校長から直接教えを受けた経験を聴く機会は、不思議と殆どありませんでした。それが、11月半ばに名古屋で、卒業生の組織である伯友会の中部地区の集まりがあった時に、武宮校長から直接個人的に叱られた経験を、話して下さった方がおられました。27期の卒業生で現在70歳代の方です。皆にとってはおじいさんの世代かと思います。

 その卒業生の話は、今から60年前の出来事になります。その方は子ども時代にはかなりやんちゃだったそうで、中学1年生の時に、クラスメイトに対して、相手の気持ちを察せずに行き過ぎた悪戯(いたずら)をして傷つけてしまったことがあったそうです。それが見つかって、武宮先生から真剣に厳しく叱られたとのことです。自分の心ない行動を諭(さと)す中で、校長は自分に「人間と猿との違いは何だと思うか?」と問いかけられたそうです。皆なら、そう問われてどう応えるでしょうか?

 その方は、人間と猿との違いを考えるにはまだ幼くて、何も思いつかず応えられなかったとのことですが、まだ中1のその人に武宮校長は次のように話されました。

 「人間には理性と良心がある。人間は、理性と良心をもとに行動するということだ。それができないのなら、猿と同じだ。お前は決して猿になってはいけない。」

 60年前にそう諭された70歳代の大先輩は、次のように話しました。「武宮校長から叱られたときのその言葉が、その後の自分の一生の行動基準なっています。『自分は今人間として生きているか、理性と良心のもとに行動しているか、猿になっていないか?』と、常に自分に問いかけ心がけながら、行動してきました。粗暴でわきまえのないところのあった自分が、何とか人としての道を踏み外さずに、これまでまっとうに生きて来られたのは、武宮校長から叱られたこの経験があったからです」。

 

(3)人として大切にすべき価値観の核(中心軸)をつくる体験

 六甲という学校は、その人にとっての一生の拠り処となる中心軸を、在校中の経験の中で与えられる機会のある学校だと思います。27期のこの方の話も、そのことを表す、一つの逸話です。よりよい人になりたいという願いや、自分の弱さを見つめる正直さや、相手から真剣に発せられたメッセージを受け入れる素直さがあれば、今の六甲でも同様の経験をすることは、あるはずです。

 今の時代の生徒たちの多くは、ご家族からも小学校の先生からも大事に守られながら育てられてきていると思います。この卒業生が初代校長から受けたような、厳しく叱られる経験は、殆どの人にはなかったのではないでしょうか。生徒によっては、真剣に諭される中で相手の伝えたいメッセージを受け取ることには、慣れていない面もあるかもしれません。また現代は、良いところを褒めて一人ひとりの個性を育てる中で、自己肯定感を育む教育が大切な時代であることも、確かだと思います。ただ、人として大切にすべきことに気づかなかったり、相手の気持ちを察せられずに傷つけたりしてしまう自分に対して、教師や親の言葉の中に、真剣に自分の至らなさを気づかせ、よりよい人間になるためのメッセージが込められているとするならば、それを素直に受け止め、自分の内面にある弱さ・足りなさを見つめ、自分をより良い方向に変えられる人間にはなってほしいと思います。

 27期のこの大先輩のように、そうしたことの積み重ねが、人として大切にすべき価値観の核を作る体験につながることは、六甲生にはあるのだと思います。

(4)理性と良心に拠って命・人権・平和を大切にする世界へ

 さて、中部地区の同窓会では、そこから話題は自分の恩師との思い出話に移るのかと思ったのですが、同窓会の人たちの話題は思わぬ方向にむかいました。

 「理性と良心のもとに行動するのが人間で、そうでなければ、猿であるとすると、今の世界は『猿の惑星』になりつつあるのではないか」というご年配の方の発言から、現在とこれからの世界の在り方についての話題にむかいました。何人かの先輩たちの話の流れは、概ね次のようなものでした。

 “コロナ禍前までは少なくとも、世界の人々が平和を願い、戦争のない世界にしてゆこうとしてきたし、環境の課題に国を超えて協力して取り組もうとしていた。人間の命の尊厳や人権や民主主義を大切な価値観として守っていこうという機運は高まりつつあったように思うし、少なくともよりよい方向にむっているように思っていた。それなのに、そうした動きがここ数年ですっかり後退してしまっている。特にロシアのウクライナ侵攻やイスラエルによるガザの民間人への殺戮などにみられるように、命や人権や平和を大切なものとして守るよりも、世界の政治リーダーたちは、理性や良心を失って自国の利益や繁栄をより優先する価値観へと傾いている。それに伴ってヨーロッパや中東の不安定な情勢に、核戦争への危機さえも感じられる。こうした世界になりつつある中で、これからを生きる若い世代のために、自分たちに残された時間はそう多くはないかもしれないが、何かできることはないだろうか?” そうしたことが卒業生たちの話題になってゆきました。

 中部地区の同窓会に集まったのは19期から66期までの20名ほどで、私よりも年上の20期代から30期代前半の方々が多く集まられていたのですが、それぞれの方々がグローバルな視野の中で世界を眺める見識を持っておられることに、また真剣に今の世界を憂い、これからのためにできることを模索する姿勢に、六甲学院の世代を超えた卒業生たちの共通の特徴を感じましたし、自然に尊敬の念を抱くことのできた同窓会でした。

 

(5)核爆弾の悲惨さを語り継ぎ人類の危機を救う方向へ

 卒業生方々が指摘されるように、今の地球が人間としての理性と良心を失って「猿の惑星」になりつつあるというのは、本当のことのように思います。そのことに地球の危機を感じて、理性と良心のもとに行動を起こしメッセージを発している人たちに目を向け、その人たちのメッセージに耳を傾けることが、今後の世界を考えるうえで極めて大切なことのように思います。平和を願い、戦争のない世界にして行こうとすること、生命や人権や平和を大切な価値観として守っていこうとすること、そうした方向性を持つ動きに共感し協力してゆくことが、大切なのだと思います。

 そうした、これからの世界の方向性を指し示す取り組みの一つとして、今年ノーベル平和賞に選ばれた団体が、日本原水爆被害者団体協議会なのではないかと思います。核兵器がどれだけ悲惨な殺戮をもたらすか、その非人道性を語り継ぎ、核廃絶の必要性を唱えてきた団体です。日本は原子爆弾によって広島で約14万人、長崎で約7万4千人の尊い命が奪われています。68年前に結成された日本被団協の結成宣言には「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おう」と、その基本精神が記されています。

 12月10日のノルウエー・オスロ市庁舎で行われたノーベル平和賞授賞式では、代表の田中煕巳(てるみ)さんは「核のタブーが壊(こわ)されようとしていることに、限りないくやしさと憤りを覚える」「人類が核兵器で自滅することのないように」「核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中のみなさんと共に話し合い、核廃絶を求めていただきたい」と訴えていました。

 受賞の背景には、国連のグテーレス事務総長が「核戦争のリスクは過去数十年で最高レベル」と語り、核軍縮を専門とする黒澤満大阪大名誉教授が「ここ数年で核兵器が本当に使われ人類が全滅するかもしれないという危機感が生まれた」と指摘している現実があるのだと思います。今回の受賞理由の中では、核兵器について「何百万人もの人々を殺し、気候に壊滅的な影響を及ぼし得る。核戦争は、我々の文明を破壊するかもしれない」と述べられています。ノーベル委員会の委員長は授賞式で日本被団協が「核兵器が2度と使われてはならない理由を身をもって立証してきた」とその功績を紹介しつつ、「記憶が新たな人生への契機をもたらすこともある」として、核兵器が人類にもたらした悲惨さを新たに記憶にとどめ、次世代へとつないでゆくことの大切さを強調しています。

 講話の最初に紹介した祈りにあるように、「人を傷つけ、命の尊厳と自由を踏みにじる」出来事が日常レベルだけでなく国家レベルでも広まりつつある「混迷する世界」の中で、「人が歩むべき道」の一つは、まずは「体験」の記憶を受け継いでゆくことだと思います。様々な立場の違いはあるかもしれませんが、日本被団協の結成宣言に「私たちの体験をとおして人類の危機を救おう」とあるように、唯一の被爆国としての体験を私たちも知ることを通して、核爆弾の悲惨さ・理不尽さと「人類と核兵器とは共存できない」こと、核兵器の使用は人類の自滅に繋がりかねないことを訴え続けることは、これからの世界がより平和的に存続し続けるため、人類の危機を救うために大切で必要なことではないかと思います。

 

(6)苦しみ傷む世界の人々と共に住み、平和と救いをもたらす生き方

 クリスマスの中で祝われる救い主イエスの誕生は、神がこの世界全体をご覧になって、このままではこの世界は救うことができなくなると思われ、具体的な生き方と言葉を通して救いの道を人々に示す人間として、神がご自分の愛する子をこの世界に遣わされたという出来事です。

 イエズス会の創立者、イグナチオ・デ・ロヨラは、同様に神がこの世界をご覧になるようにこの世界を見渡して、アジアの貧困の悲惨さとと魂の救いのない状況に目を向け、そこに生きる人々を救うために、自分の最も信頼するフランシスコ・ザビエルをアジアに遣わし、ザビエルは命がけでアジアの様々な地域を巡り、私たちは神にとって大切な存在であることを伝えるために、日本にまでも宣教に来ました。

 アルペ神父はそのフランシスコ・ザビエルに憧れて、宣教の地として日本に来ることを望み、広島で原爆を体験して、世界に核兵器が人間にもたらす悲惨さと非人間性を伝えた人物です。そのアルペ神父は、被災地で負傷する人の命を救うために尽くし、後にイエズス会教育のモットーである“Men for Others” を提唱した人物でもあります。

 イエス・キリストからイグナチオ、ザビエル、アルペ神父へと受け継がれてきた、この世界をグローバルな視点で見て、この世界をなんとか救えないか、良い方向に変えられないかという思いは、六甲学院の創立にも受け継がれ、卒業生の内にも生きています。先ほども述べたように、この秋に出会った中部地区の同窓会での、卒業生たちの世界への見方や姿勢にも、それは一貫して受け継がれているように思います。

 世界の中の傷み苦しむ姿を見て、そこへと向かいその内に共に宿り住み、その中で、悲惨さの最中に苦しむ人を助け救い、人々のうちに平和をもたらす、この“For Others, With Others”の生き方が、私たちに示された「混迷する世界の中で人が歩むべき道」だと思います。始まりは、この世界に暮らす人々の苦しみ傷みを見て、この世界を救いたいと願い、イエス・キリストをこの世界に生まれさせた、神の思いであり、クリスマスの出来事でした。その“For Others, With Others”の道を、その生き方と言葉を通して生涯をかけて示されたのがイエスです。イエスの誕生から、六甲学院創立後の卒業生へと綿々と引き継がれてきたその願いと行動を、私たちも受け継いでゆければと思います。そして、人として理性と良心のもとに生き、危機的な状況に向かいつつあるこの世界に、平和をもたらすために生き働く人になれますように、祈り願いたいと思います。