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月別アーカイブ: 2021年6月

体育祭練習に向けて~「アジェ・クォド・アジス(Age quod agis)」

以下は2021年6月7日(体育祭練習 初日)朝礼にて生徒に向けて話した内容です。

 

(1)体育祭委員長が呼びかけた全校生の「心構え」

今年の体育祭は、6月5日、先週の土曜日が本番の予定でした。新型コロナウイルスの感染拡大と緊急事態宣言延長のため、6月23日(水)に延期しました。今日から本格的に練習が始まります。

体育祭委員長は、体育祭テーマ発表後の最初の挨拶で、体育祭に取り組む心構えとして二つのことを話していました。皆さんは覚えているでしょうか?

一つは、「感謝の気持ちを持つ」、もう一つは、「本気で取り組む」ということでした。

「当たり前が、当たり前でなくなってしまった。今も緊急事態宣言が出ていて 本番が本当にできるかどうかも分からない。それでも練習ができる。まずそのことに感謝したい、そして一回一回の練習に本気で取り組もう」

体育祭委員長は、そう話していました。今日から、皆がそういう気構えで頑張ってほしいと思います。

 

(2)「感謝の気持ちを持つ」

これからの練習は、緊急事態宣言下で、それも暑さと湿気の中での練習になるため、健康面の配慮も含めて様々な制約はあると思います。本番も、例年は数千人もの観客が訪れる行事ですが、今年は校内行事に近い形となります。プログラムも種目数を絞って時間も短くせざるを得ないと思います。しかし、昨年の明るく優しくバイタリティのあった78期生が、あれほどしたくてもコロナ感染拡大下で練習すらできなかったくやしさ・無念さを思うと、今の状況下で、まずは練習ができることは、体育祭委員長が言うように決して当たり前のことではありません。有り難いこと、嬉しいこととして、前向きに練習を始められたらよいと思います。78期生の思いを受け継ぎつつ、次の世代に六甲の伝統行事である体育祭を引き継いでいこうとする高3役員たちの思いに、六甲生皆が応えられたらよいと思います。

 

(3)「本気で取り組む」―アジェ・クォド・アジス

委員長がもう一つ話していた「本気で取り組む」ということと関連するのですが、イエズス会教育の中で大切にしている言葉に、アジェ・クォド・アジス(Age quod agis)というラテン語があります。「あなたが今していることを、本気で心を込めて、しなさい。」という意味です。「今ここでしているそのことを大切にする」ということです。それには、多くのことを同時に心を散らしながらしたり、過去にとらわれたり未来のことを心配したりしながらするのではなく、今に深く集中し、すべき物事を絞り、物事の真理や本質に向かって心が届くように行う、という意味合いが含まれています。体育祭委員長の話していた本気で取り組む、とつながると思います。先々週森本教頭が「マインドフルネス」の瞑想を紹介していましたが、これも「『今、この瞬間』を大切にする」心身の在り方をめざすものです。アジェ・クォド・アジス(Age quod agis)の精神とつながるところがあるように思います。

 

(4)イエズス会の聖人アロイジオ・ゴンザガの精神

イエズス会の中で、この「あなたが今ここでしていることを、本気で心を込めてしなさい」という「アジェ・クォド・アジス」の精神を実践した代表的な人物の一人が、聖アロイジオ・ゴンザガであると言われています。16世紀後半を生きた人で、貴族出身なのですがイエズス会士と出会ってインドへの宣教を志し、17歳でイエズス会に入会した人です。

ローマにペストが流行する最中に、イエズス会が開設した診療施設で救援活動を自ら望んでし続けます。危篤のペスト患者を抱きかかえて運び、自らも感染して、3か月病床にあって20代半ばで亡くなってしまいます。若くして人望も厚くリーダーシップもある優しい人物として、カトリックの世界の中では、若い人たちを見守る聖人として知られています。その生き方は、現在のコロナ禍の医療従事者の尊い行為にもつながるものだと思います。イエズス会学校の姉妹校の中にも、「アロイジオ」や「ゴンザガ」の名前がついている学校が数多くあります。(来月オンラインで交流する予定のオーストラリア・シドニーの学校も「アロイジオ学院」です。学校は、シドニーの観光名所オペラハウスが対岸に美しく見える場所に建っていて、コロナのパンデミックが起きるまでは、毎年過酷な生活環境の東ティモールに生徒ボランティアを送り出していました。社会奉仕活動に熱心な学校です。聖アロイジオの精神が生きているのだと思います。世界のコロナパンデミックがおさまったら、生徒と訪問したい学校の一つです。)

アジェ・クォド・アジスの精神を説明するためによく紹介されるのは、聖アロイジオ・ゴンザガの次のようなエピソードです。

アロイジオは修道者として修練(修行)をしていた10代の頃、運動の時間(今でいう体育や体操の時間)が始まる前に、仲間がふざけて「あと1時間で死ぬとしたら君は何をするか」と尋ねられた時に、「運動をこのまま続ける」と答えた、と伝えられています。アロイジオは、今ここでしていることや目の前にいる人のために全力を尽くすことが、最も大事なことだと感じていました。「今・ここ」ですべきことに心を込めてすることが、深い部分で常に「永遠」とつながることだと信じていたのだと思います。

 

(5)過ぎ去る日常のうちに、永遠なるものを見出すこと

アロイジオ・ゴンザガは修道院に入るまでは、貴族の家柄でありながら父母兄弟には不幸や悲惨な出来事が付きまとい、波乱の多い青少年時代でした。そうした彼にとって、当たり前のように繰り返される修道院での平穏な日常の出来事の一つ一つが、決して当たり前ではない神からの贈り物として、感謝すべきことのように感じられていたのかもしれません。だからあと1時間の命だとしても、今この場ですべき事が「運動すること」であるのなら、それに全力を尽すことが、最も価値のある有難いことであり、「永遠」とつながることだ、と感じ取ることのできる人だったのだと思います。

ミッションステートメントの初めに書かれているように、六甲学院は「過ぎ去るものの奥にある永遠なるもの」を見出す生徒を育てることが、学校の使命の一つです。これから始まる体育祭の練習や本番も含めて、日常の「今、ここ」ですべきことを本気でする中で、日々過ぎ去っていく出来事のなかにある「大切な何か」に気付くことができればよいと思います。その大切な何かとは、一生心の支えや拠り所となるような充実した「時」であったり仲間との「絆」であったりと、人によって様々だと思いますが、それが六甲の初代校長の校碑にある「過ぎ去るものの奥にある永遠なるもの」とそのままつながるのではないかと思います。

 

今回の体育祭は、体育祭委員長の言葉「本気で取り組む」「感謝の気持ちを持つ」ことを、生徒一人ひとりが、心に留めながら練習すれば、十分それぞれの人にとって意味のあるものになるはずです。今日からの練習を、一人ひとりが本気で頑張ってほしいと思います。