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校長先生のお話

一学期終業式 校長講話

以下は2021年7月20日 1学期終業式にて生徒に向けて話した内容です。

 

 

(1)1学期を振り返って

 一学期が終わろうとしています。コロナ感染からだけでなく、熱中症からも、落雷からも、身を守ることを意識し学んだ1学期だったように思います。4月に入ってからも緊急事態宣言やまん延防止等重点措置があり、コロナの感染防止対策を継続せざるをえませんでした。授業はほぼ通常通りできましたが、クラブを始めとした諸活動が思うようにはできないまま、また楽しいはずの昼食も黙食のままの1学期でした。体育祭は、半日の開催になりましたが、高校3年生のリーダーシップと全校生の協力によって、コロナ感染・熱中症対策をしながらも、ひきしまって充実したものになったと思います。

 

 (2)夏休みを過ごすにあたって(生涯探究する問い➡危機を救う人とのつながり➡防災)

これから、三つの内容について話します。一つ目は生涯を懸けて答えを探すような「問い」について、二つ目は体育祭テーマにもあった世代を超えて受け継いでゆく縦糸と同世代がつながる横糸が織り合わさるというヴィジョンについて、三つ目は身近な防災について、です。その三つの話の内容には、つながりがあります。

夏休みは、普段の生活よりは少し思索の時が持てるのではないかと思います。自分は何を大切にして生きるのかといった問いや、世界はどういう課題に直面しその危機を乗り越えるためにどういうリーダーが求められるかについて等、日常の中で考える種を探して思索をしてくれたらと思います。「考える種」は日常の出来事からでも映画・テレビ・ラジオ番組からでも見出すことができます。また、日常の中でも起こりうる災禍(第5波が身近に迫るコロナ感染に限らず)への対策についても心に留めてくれれば、と思います。

 

 (3)生涯の課題となる自らへの問いについて

先週の日曜日の午前中は、久しぶりに家で過ごしました。朝食の時に聞くともなく流れていたラジオ番組で、視聴者の方から司会者に、次のような質問がありました。「最近よく幼い自分の子どもから様々な質問をされる。この前は『生きるって何?』『生きるってどいうこと?』と聞かれてびっくりした。こういう質問に対してどう答えたらいいのでしょうか?」という質問でした。司会の方は、まずは子どもに「とてもいい質問だね」「よくそんな質問を思いついたね」とほめつつ、その間に自分なりの答えを考える。そして、自分なら「今、自分もそれについては勉強しているんだ」「今自分もそれを探しているところなんだよ。」と答えるかな、と話していました。いい加減な答えやその場を繕うような答えをしてしまって、それがへたに子どもの心に残ってしまうよりも、よいのではないか、という答えで、なるほどと思いました。そして、二つの事を思い出しました。

一つは私が小学校3~4年生の時に、母親に「死んだらどうなるの?」と聞いたときのことです。母親からは「何もなくなるんだよ」という答えでした。宗教を持っていない日本人の標準的で率直な答えのひとつだと思うのですが、幼い自分には優しい母親からそういう答えが返ってきたことがショックでした。そのままを受け止めきれなかった自分は、そのときから自分なりに「何のために生きるのか」の答えを探し始めたように思います。(私の母親は90歳近くになった今では、特定の信仰は持っていないものの、死んだ後に親しい人と会える来世を信じているようです。)

もう一つ思い出したのは、三年半ほど前に76期の生徒会が企画し上映した映画でした。中高生に「生きるってどういうこと?」と聞いて、どういう答えが帰ってくるだろうかと思った時に、『君の膵臓を食べたい』という映画の一場面を思い出しました。心根は明るいけれど膵臓を患っていて、余命の少ない高校生の主人公の女の子が、「真実か挑戦か?」というゲームのやりとりの中で「君にとって生きるってどういうこと?」と聞かれます。その問いへの答えは、「誰かと心を通わせること、かな。」「誰かを認める、好きになる、嫌いになる、誰かと一緒にいて、手をつなぐ、ハグをする、すれ違う、それが生きる。自分ひとりじゃ、生きてるってわからない。そう、好きなのに嫌い、楽しいのにうっとうしい、そういうまどろっこしさが、人との関りが、私が生きているっていう証明だと思う。」という言葉でした。

「誰かと心を通わせること」「人との関り」が生きること、という答えは、映画を見ていないとピンとこないかもしれませんが、高校生としての、その子の生き方がそのまま現れているような答えで印象に残りました。この言葉の中に「自分ひとりじゃ、生きてるってわからない」とありますが、この問いに限らず大切な問いの中には、自分一人の頭の中だけで哲学的に考えていてもなかなか答えの見出せない、人との関わりや経験を通して一生かけて答えを探すような問いがあるように思います。日常の人との関わりの中で、また学校生活ならば日常の友人との関りや部活動・委員会活動、体育祭・文化祭などの行事への取り組みをしてゆく中で、今の自分が実感としてつかんだことを、自分なりに言葉にしてみることが大切なのだと思います。

イエズス会教育の特徴の一つは、一生の課題になるような「問い」をその人のうちに種まくこと、と言われているのですが、皆の中にはそうした問いがあるでしょうか?

 

 (4)世界の課題を乗り越えるための縦糸と横糸との連携協力ヴィジョン

この前の日曜日の朝にはもう一つ、これも普段はほとんど見ないテレビ番組なのですが、NHK連続テレビ小説「おかえりモネ」の先週の総集編をたまたま見ていました。主人公の女の子は、気象予報士になるための学校に合格してこれから東京に向かう所でした。そのモネという女の子は、東日本大震災を経験した東北在住の家族に「気象はね、未来がわかるんだよ。未来が予測できるってことは、誰かが危ない目に合うのを止められるかもしれないってことで、この仕事で、誰かを守ることができるんなら、私は全力でやってみたい。大切なものを無くして、傷つく人は、もう見たくない」と、話している場面がありました。

その言葉を聞いて思い出したのは、5年ほど前に(2016年から17年にかけて)大ヒットしたアニメ映画『君の名は。』です。ストーリーも音楽も映像も、小学生から大人まで楽しめるアニメ映画でしたので、見たことのある人も多いと思います。おそらく、東日本大震災の時に、もしも地震と津波が来ることを予測して知らせられたならば、あれだけたくさんの人々が命を落とし、その家族友人が悲しい思いをしなくてすんだかもしれないという、多くの人の心の奥の思いが重なって、受け入れられた映画だったようにも思います。アニメ映画として、隕石が落下して一つの村が壊滅した三年前の出来事に遡って、その出来事が起こることを事前に伝えることで、村の人々を救うというストーリーが創られた背景には、東日本大震災があったことは確かだと思います。

この映画については、3年前に日本のイエズス会4校の高校生たちが、イグナチオ的リーダーシップ研修のために、30人近く集まった練成会の中で見る機会がありました。リクリエーションとしてではなくプログラムの中心題材として見たのですが、娯楽映画として見過ごしてしまいがちな作品でも、ある観点から話し合いながら見てゆくと、さまざまな気づきがあって、一人だけで見るより豊かな作品として感じられたように思います。生徒たちにとって共通の「気づき」の一つは、人と人との出会いには互いに相手を変えてゆく力があるということです。映画の中では、縦糸と横糸を織り合わせた「組紐(くみひも)」が人の出会いとつながりを象徴していました。

映画のテーマの中心は、時間と場所を越えた人間同士のつながりで、何世代にもわたって村に伝わる「災害から人を救いたい」という願いと、個人的な出会いと関わりの中でこの人たちを助けたいという思いとが、糸を紡ぐように織り合わされて、3年前に壊滅したはずの村を救うという奇跡が起きます。過去の世代から未来の世代へと受け継いでゆく“未来に生きる人々の命を救いたい”という縦の糸と、同時代の人々がつながり団結し協力して助け合うという横の糸が組紐のように織りなされることで、危機をはらむ今の時代は乗り越えられるというメッセージが込められています。

そしてそれは、震災遺構や語り部の活動を大切にする東日本大震災の被災地でも、未来に生きる人々に心を向けるSDGsの取り組みにも、コロナ後の社会の在り方や人間の生き方を模索する今の世界にも共通するヴィジョンであるように思います。おそらく、今年の体育祭の糸偏の「あざやか」というテーマの着想も、こうした世界的なヴィジョンとつながるものがあるように思うのですが、どうでしょうか?

 

 (5)日常の中での自然災害への対応と防災について

より現実的な防災の話にはなるのですが、今の時代の科学技術では、大地震や津波や大規模な土石流が事前に予知されて、市町村を丸ごと避難させて救うほどには、進歩していません。ただ、日本の気象予報の精度は高くて、自分たちの生活の中でも、NHKドラマの主人公が話していたように、災害から身を守るための役に立つものにはなっています。

先週14日には、六甲近辺に数十年いる私たち教師にとっても初めてと思えるくらい、雷鳴が長く続き近隣に雷が落ちている様子でした。雷鳴が近くにとどろき、烈しく雨が降っている最中は、もちろん落雷が直撃する可能性があるので建物内を離れて外に出ることは非常に危険です。その間は校内待機としました。

インターネットの画像で現在は、兵庫県内の上空のかみなり雲の広がりや落雷箇所やその頻度、雲の移動方向や時間を予測する画像を見ることができます。14日の正午頃には、兵庫県上空の落雷・雷雨の気象情報を見てみると、現在の雷雨をもたらしている雲とは別に、さらに大きく落雷も烈しい雷雲の塊が、北の加東市・三木市の方面から南に移動してきていることがわかりました。その天気図の中の雲の切れ目と、実際の雷鳴が遠くなり雷雲が一旦過ぎ去って雨がほとんど止んだ様子を見て、数名の先生方と話し合って14時下校を判断しました。状況がより落ち着くのを待つ選択肢もあったのですが、待つことでこれまで以上に雷雨・落雷が激しくなり、生徒の帰路がより危険になる可能性が高くなる状況でした。天気図にあった北からの大きな雷雲は南下して、実際には三宮より西側を直撃し始めていることがわかりました。教頭先生からは、三宮より西方向へ帰る生徒に対して、雷雨が烈しいことを伝え、注意喚起をして頂きました。帰途に不安がある生徒には学校で待機してもらい、再度降り出した雷雨の状況が少し落ち着いた時を見計らって、自動車で駅まで送ることになった生徒もいました。

雷はところを選ばずに落ちるのですが、特に高いものがあると、そこを通って落ちる傾向があります。今回待機後に帰った生徒の中に、再び降り始めた雨を避けるために第3グラウンドの木の下で雨宿りをしていた生徒がいたとのことで、見回っていた教員が、すぐにその場を離れて駅へ向かうよう指示を出しました。今後は雷が鳴っているのが聞こえる場合は、高い木の近くは避けてください。建物の中やバス・列車の内部は比較的安全だと言われています。

今回の雷雲の場合のように、かつてと比べると気象はある程度予測でき、身を守る役に立つようになっていることは確かです。しかし、先ほども述べた通り災害は、どれだけ科学が進歩しても予知しきれるものではありません。例えば学校の東側を流れる都賀川は、2008年7月28日、突然の豪雨により10分間で1m30cm以上も増水し、小学生を中心に16人が流されて子供3人を含む5人の尊い命が失われたことで、全国ニュースにもなりました。源流の一つは皆が毎日登校時に渡る松蔭大学前の六甲川です。普段は安全な川と思われていて、よく下流では川辺で家族連れがバーベキューをするくらいなのですが、当日は上流に集中豪雨があって、鉄砲水のように上流からの流れが川辺にいた子どもたちを襲いました。その日は、私は生徒研修所を拠点とした近隣清掃の奉仕活動を生徒としていて、その作業が終わって生徒を解散させたすぐ後でした。六甲山の上に異様に黒い雲が浮かんでいたので、印象に残っているのですが、直後に身近な場所で事故が起こるほどの豪雨になるとは思いませんでした。生徒研修所周辺は、それほど長時間ではなかったのですが、確かに路面を叩きつけるような激しい雨が降りました。予測困難な局地的大雨を「ゲリラ豪雨」とマスコミが言い広めた最初の出来事の一つでした。

最近静岡県熱海市で起きた土石流も、この時に起こると予知できたわけではありません。六甲近辺でも、六甲学院の東隣の篠原台で三年前の2018年7月に起きた土石流は、私を含めて住んでいる者たちには、まったく予想できないものでした。学校の正門から歩いて3分程度の場所です。事が起こった後で、今回土石流が起こった辺りは、昔は沢で、川か流れており、その谷を埋め立てて住宅地にしたので、その昔の沢に沿って土石流が流れたのだという話を聞きました。私の家は土石流の現場からは、300メートル程離れているのですが、避難指示があって、近所の人たちと2泊だけ避難所に泊まりました。阪神淡路大震災でも東日本大震災でも、避難所を訪れる経験は数多くあったのですが、自分が避難する立場になって、たとえ短い日数でも当事者にならないとわからないことが、多くあることを知った出来事でした。そうした経験がありますので、自然災害はいつどこで巻き込まれるかわからないという実感があります。防災・減災について生徒皆が学ぶことも必要だと考えています。

 

 (6)イエズス会教育の観点を加えて、以上の話をまとめます。

➀イエズス会教育の特徴の一つは生涯学び続けることなのですが、その生涯学習は知識の教育ではなく生涯探究する「問い」を持つということです。例えば「生きるとはどういうことか」「誰のためにどう生きるのか」といった大切な問いについては、具体的な人との出会いや関わりと経験の中で答えを探すことが大切だと思います。

②イエズス会教育の特徴のもう一つはリーダーシップ養成なのですが、体育祭役員が意識してきた前の世代の思いを受け継いで次の世代へとつなげてゆくことと、今の制約の中でも互いに協力しあって本気で取り組むという体験は、現代の世界の課題に立ち向かう社会のリーダーとなるためにも大切なもののはずです。体育祭テーマの縦糸と横糸とをつなぎあわせて一つのあざやかな布を織るイメージを、世界の危機を乗り越えるヴィジョンにつながるものとして、今後も大切にしてほしいと思います。

③防災についてなのですが、これから始まる夏期休暇期間は、変異したコロナウイルスのために若い人たちにも感染しやすくなっていますし、豪雨による洪水や土石流、落雷などの気象現象も、世界的に危険度を増しています。災害は想像以上に身近なものです。日常的に自分を守ることができるように、心して過ごしてほしいと思います。