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月別アーカイブ: 2022年1月

三学期始業式 校長講話

コロナ禍に「心の免疫」となる「元気の素」を見出す
~阪神淡路大震災の体験からメッセージを読み取る
《2022年1月8日 始業式 校長講話》

 

1 心に危機的状況への免疫を持つこと

3学期が始まります。中学入試AB日程があるため、生徒たちにとっては、始まって一週間すると、5日ほど家庭学習の日が続きます。その期間もぜひ有意義に過ごして欲しいと思います。高校3年生にとっては、一週間後に大事な大学入学共通テストがあります。模試成績などを見ると全体として上向きに推移していますので、この一週間健康には留意して、前向きに頑張ってくれれば…と思います。また、阪神間で生活してきた人たちにとっては、忘れられない阪神淡路大震災の起こった1月17日が、5日間ある家庭学習日の真ん中にあります。震災のあった1995年当時、六甲学院に通っていた1,200人近い生徒の中には、幸い犠牲者はいませんでしたが、一緒に暮らしていた家族や近隣に住んでいた祖父母を失った生徒が数人いました。長い休校期間があり日常を取り戻すのに様々な困難があって時間もかかった点では、コロナ感染による緊急事態とも共通しており、六甲学院に限らず阪神間の学校は似たような体験をしてきています。

今回の新型コロナ感染によるパンデミックのように、社会にとっても個人にとっても生活面でも精神面でも危機を伴う出来事は、人生の中で何回かは起こりうるものだと思います。皆の世代でも、ワクチン接種をして体に免疫を持つことで、罹ったとしても深刻化するリスクが和らいだ人は多いと思いますが、精神的にもこの危機を乗り越える手立てを試行錯誤の中で自分なりに身に付けること、つまり心に危機的な出来事に対する免疫を持つことは、大切なことです。

 

2 行事・芸術・スポーツから心の免疫力を高める「元気の素」を見出すこと

心に免疫を持つこと、と言いましたが、コロナ禍の様々な制約の中で長期間学校に通い、実施条件が流動的に変化してゆく中で、体育祭や文化祭の準備をしたり、キャンプや研修旅行に行ったりした経験を通して、すでに自分自身を支えたり慰めたり元気づけたりする手立てを身に付けている生徒はいるのかもしれません。また、芸術やスポーツもそうした手立てになりうるのではないかと思います。

例えば、昨年実施された学校行事のひとつに秋の芸術鑑賞会がありましたが、角野隼人(すみのはやと)さんの講話とピアノ演奏に元気を与えられたり心を癒されたりした生徒は多いでしょう。私はお話の中で、学問にも芸術にも才能に恵まれた角野さんのような人でも、自分の将来の道について深く悩んでおられた時期がおありだったことや、「自分の可能性を広げられるのは自分だけれども、自分の可能性を信じてくれる人がいることが大切で、そういう人がいてこそ今の自分がある」と、自分のことを知り信じて音楽の道へ進むきっかけを与えてくれた他者の存在に謙虚に感謝しておられたことに感銘を受けました。演奏については、音にはなじみのあるはずのピアノという楽器が、このような美しく不思議な音色を奏でるものなのか、という新鮮な驚きと共に、楽しみながら聞くことができました。後から思い出しても、角野さんの演奏を聴いていた時間が特別な体験のように思えて、音楽には確かに人を癒し元気づける力があることを実感しました。

また、昨年の夏の東京オリンピックやパラリンピック、この正月の箱根駅伝など、スポーツを通して励まされた経験も、あるのではないかと思います。今年の箱根駅伝では、青山学院大学が優勝したのですが、昨年、直前にエースが怪我で走れなくなり、実力は十分あるメンバー達が動揺してレースがガタガタになってしまったため、この一年間は「(自分を律するという意味での)自律」をテーマに「させられる練習」でなく「自分でする練習」に変えたことで、今年は圧倒的な強さを見せたことが、レース後に紹介されていました。精神面がどれだけ実力発揮に影響するものか、「させられる」のでなく「自らする」集団になることが、その集団としての危機を乗り越えるのにいかに大切かを示す例として、興味深く聞きました。

行事に真剣に取り組むことや、芸術鑑賞、スポーツ観戦等、様々な経験の中で、元気を与えられたり、これからはこうしてゆこうという指針を与えられたりすることが、おそらく心の免疫力を高めることにつながるのだろうと思います。生徒にとっては、体育祭や文化祭などの行事への前向きな取り組みや、さまざまな行事から受け取るメッセージの中に、自分にとっての「元気の素」があったのではないかと思います。年末や正月に自分なりに1年の振り返りや目標設定をした人はいるかもしれませんが、自分にとって「元気の素」は何だったろうかと振り返ることが、これからの(こうしたらよいという)指針を見つけ出すことにも繋がってくるのではないでしょうか。

 

3 阪神淡路大震災時の日番日誌より(1)(危機を乗り越える指針を探すために)

-出来事の中で見えてきた”よい面”にも目を向けること

話の後半として、3学期が始まるこの機会に紹介したいのは、27年前の阪神淡路大震災の時につづられた生徒の日番日誌と感想記事(「阪神淡路大震災体験記(六甲学院)」)です。皆にとっては大先輩であり父親世代にもなる50期台の先輩達が、当時の危機をどう過ごし乗り越えたかの記録を通して、六甲学院にとってコロナ禍の今にも繋がる指針を、メッセージとして読むことができるかもしれません。

 

最初は学校が始まって3日目の日番日誌からです。

「2月8日 高1 月曜日の化学の授業の時、先生は『今回の地震があってからいろんなものが見えてきた』という話をされたが、僕もそういう経験がいくつかありました。僕の祖母の家は全壊し、その後全焼しました。僕の家はたいしたことがなかったので、それほどの被害があるとは思っていませんでした。とにかく父は、祖母の所へ行ったのですが、父はそこに近づくにしたがって”もうだめかもしれない”と思ったそうです。父は3時間掛かって祖母を救出したのですが、夜、家に帰って来た時は泥んこになっていました。

その後も避難所に何度も差し入れやお手伝いに行きました。父はもともとボランティアとかには興味を示さない人で、昔から僕は、お父さんがボランティアをすれば完璧な人なのに……と思っていただけに嬉しかったし、改めて父を見直しました。当たり前と言えばそれまでかもしれないけど、今回の出来事があってから、みんな人のあたたかさを知り、人を助けることを知ったと思います。これから大変な日が続くと思うけど、助け合って生活していかなくてはならないと思います。」

 

地震後の出来事を通して父親を見直し人のあたたかさを知ったという日番日誌の記事なのですが、皆はコロナ禍の出来事を通して見えてきたもの、新たに気づいたことがあったでしょうか?この出来事があったからこそ新たに気づくことのできた”よい面”にも目を向けることができれば、それも危機を乗り越える「元気の素」になるのではないかと思います。

 

4 阪神淡路大震災時の日番日誌より(2)

-これから入学する後輩への思いと勉強かできることへの感謝

2番目は延期した中学入試の前日の日番日誌からです。

「2月28日 高1  地震のために延びていた中学の入試が明日行われる。実に一ヶ月近く延期されたので、勉強道具が無くなった人、調子をくずした人もいるだろうし、より深く勉強ができた人もいるだろう。どちらにしろ、地震によって何らかの影響を受けた人々が六甲中学に入ってくる。これらの人々がこれまでと違った

六甲生になっていくかもしれない。少なくとも地震と受験が重なったことによって、新一年生は、この入試を忘れられないだろう。そんな新一年生がどう成長していくか、楽しみである。

最近、ようやく勉強が軌道に乗りだし、だいぶ日常生活に戻ってきたと思う。しかし、避難所で暮らしている人達のことを考えると、あまり進展がないようにも思える。3月6日から『45分、5時間授業』になるが、こういう状況で自分が勉強できることを感謝し、身を引き締めてやっていきたいと思う。」

 

後輩思いの校風は昔からなのですが、こうして震災を経てこれから入ってくる後輩を思いやる気持ちは六甲ならではのことなのではないかと思います。当時、街中の多くの公立の学校は教室が避難所として使われていて、数カ月間ほとんど授業ができない状況でした。授業があって勉強ができるということが有り難いことだと感じていた生徒達も多くいました。

 

5 阪神淡路大震災時の日番日誌より(3)

-ボランティア活動の体験と勉学との両立

3番目は地震から2ヶ月が経った3月16日の日番日誌です。家が住めない状態になって家族で一時神戸を離れていた高校1年生の記事です。

「2月5日、神戸に帰ってきて一番気になったのは友達のことと信愛学園のことだった。(信愛学園とは、当時社会奉仕活動として定期的に関わっていた御影の児童養護施設です。)2月6日から再開した学校の放課後に信愛学園に行って手伝いをさせてもらえることに決まった。その数日後、友達が西宮のボランティアを紹介してくれた。そこには京都から来た人、東京、九州からとあらゆる人がいた。仕事は炊き出しで、本部で材料を整えて現地の小学校で作るものだった。この活動で友達がたくさん出来たし、色々な経験もした。おばあさんが『ありがとう』と言ってくれた時の気持ちは言い表せないくらいだし、逆に配膳の時、少ないと言われておたまを取られ、勝手に入れられた時には多少腹が立った。

しばらくこの活動をしていて、つい最近気付いたことは、自分を見失っていたことだった。本来やらねばならない勉強をおざなりにしてきていたのだ。神戸に帰ったらボランティアをするぞ!! と思っていたから仕方がなかったが、最近は何とか両立させてやっている。これは長期戦だ。いつかは独立して六甲の生徒を集めて灘区での炊き出しをしたいと思っている。

1月17日の地震以来、2ヶ月がたとうとしている。それなのに街の風景、壊れた世の中は2ヶ月前とそう変わっていない。しかし、1月18日の夜の真っ暗な中の人々の心の中と、今の心の中とでは全く違うと思う。僕は2月18日からボランティアで元気村に行っていた。学校が終わってからだったので、3時頃から炊き出しを手伝った。6時半から晩ご飯ということになっていたので20分位前から行列が出来ていた。隣の御影公会堂の人達も来ていたのだが、日がたつにつれて食べにくる人が少なくなっていった。多分、何時までも沈んだままでいても、どうしようもない。さあ、やるか……と立ち上がっていったのだと思う。早く、活気に満ちた神戸をもう一度見たいし、神戸で思いっきり遊びたい。」

 

生徒が自主的にボランティア場所を探して活動している様子や、勉学もおろそかにしないように兼ね合いも考えつつボランティアをしている様子が伺えます。また、苦境に陥った分、郷土の神戸への愛情も強まっているように思われます。

 

6「阪神淡路大震災体験記(六甲学院)」より

-自転車で中1生の家庭を回る指導員

六甲の場合、地震があってから3週間ほどは休校になり、2月6日から始業時間を大幅に遅らせて短縮授業で学校が始まったのですが、生徒たちは、学校に来られるようになってからは学校の帰り道に、石屋川の公園に立てられていた炊き出しなどのボランティア基地「元気村」に寄ってボランティアをしたり、社会奉仕委員会が主催する長田区や須磨区の炊き出しボランティアに参加したりしていました。家が倒壊したため近くの学校で避難生活をしながら、その学校の救援活動を手伝う生徒もいました。当時中1だった57期生の記録の中には、次のようなものがあります。学校が再開する前の休校期間中のことです。

「指導員のA先輩が自転車で学校に関することを伝えに来てくれた。自転車で組の人を回っているのだという。とても感謝した。六甲の指導員はこのようなものだと感激した。」

震災直後は電話などの通信手段も通じにくく交通機関がマヒしてしまっていたため、自転車で1学期に世話をした中学1年生の家庭を、連絡伝達を兼ねて自主的に自転車で回る指導員がいました。道路自体も大きな地震の揺れで激しく傷んでいる場所が多い中で、通学校区の広い生徒の家を一軒一軒回るのは、大変だったはずですが、この指導員はよほど自分が指導した中1生のことが心配で、いてもたってもいられなかったのでしょう。

 

7 “Man for Others, with Others”

-他者と自分が共に危機を乗り越える生き方として

これらの六甲生が震災時に書いた記事に共通することは、日常を取り戻すために今生徒としてすべき事を大切にしつつ、自分が関わってきた後輩や友達や知り合いや家族のことを思いやり、直接には知らない後輩や市民の人たちのことも気遣い、自分の恵まれた環境に感謝しつつ、他者や社会のためにできることはしようとする姿勢です。六甲生として他者のために何かできることを探して行うことが、危機にある自分自身の心の支えともなり、心の免疫力を高め、元気の素ともなっていたようにも思います。それはコロナ禍にある今も同じなのではないかと思います。

他者との関わりの中で生きている私たちにとって、危機の中にあっても、あるいは危機の中にあるからこそ、他者のことを思いやり、他者のために他者と共に生きることのうちに、自分自身を支える何かや元気の源になる何かに出会えるのかも知れません。六甲学院に集い学ぶ私たちにとってだけでなく、おそらく人間にとって、“Man for Others, with Others”は、他者と自分が共に危機を乗り越えるために、めざす生き方の方向性を示しているように思います。