《2023年7月19日 一学期終業式 校長講話》
教育モットー「他者のために生きる人」の提唱から50年を迎えて
1 イエズス会学校共通の教育目標“Men for Others”と“4C‘s”
本日、1学期の終業式後のホームルームで「他者のために、他者とともに(”For Others, With Others”)」という冊子を配布します。“Men for Others” 「他者のために生きる人」がイエズス会学校で提唱されて今年で50年になることを記念して、初めてこの言葉が使われた講演(演題“Men for Others”)の原稿を新しく訳し直した冊子です。
「他者のために生きる人」(“Men for Others”)が、六甲学院だけでなく世界のイエズス会学校の教育モットーであることは、六甲学院で学んでいる誰もが知っていることでしょう。そして、その「他者のために生きる人」の具体的な人間性として、共感する心を持っていること(Compassion)、良心に照らしてすべき行いを見極められること(Conscience)、有能であること(Competence)、現場に献身的に深く関われること(Commitment)の4C‘sをバランスよく養成することも、世界のイエズス会学校で共通の教育目標になっています。世界には71ヶ国に830校ほどのイエズス会学校があり、約86万人の生徒たちが、同じ目標を共有して、他者のために、他者と共に生きる人(”For Others, With Others”)に成長することをめざして、イエズス会学校で学んでいます。
世界中にそれだけの同じ方向性を持つイエズス会学校があることについては、六甲学院で学校生活をしている中では実感がわかないかもしれませんが、今年の春休みには日本の鎌倉・広島・福岡のイエズス会学校の姉妹校の生徒たちや、ニューヨークの複数の姉妹校の生徒たちと、六甲学院の生徒たちとが出会って交流しています。この夏休みにはカンボジアのザビエル学院の生徒たちに20名ほどの六甲の生徒たちが会いに行きます。同世代であること以外に、何かしら通じ合うものを感じることがあるとしたら、おそらく同じ目標をめざして歩んでいるからなのではないかと思います。
今日は、目指す目標として“Men for Others”を提唱したペドロ・アルペ神父と、彼の意思を受け継いで、より明確に伸ばすべき人間性を4C’sで表現したコルベンバッハ神父について、話したいと思います。
2 “Men for Others” の提唱と社会変革をめざす教育改革
“Men for Others”を最初に唱えたのはペドロ・アルペというスペイン人の神父でした。1907年生まれで1940年に日本に派遣され、第二次世界大戦中も含めて日本で長年宣教師として働いた後に、全世界のイエズス会のリーダーである総長に任命されました。その総長時代の1973年に、スペインのイエズス会学校の卒業生に向けた講演会の中で使われたキーワードがこの“Men for Others”でした。今回、新しく訳されたものを講演から50年を機に配布するのは、この講演が契機で始まった学校の改革を振り返り、新たな気持ちで原点に立ち返って学校改革に取り組むためでもあります。
アルペ神父は、スペインの卒業生に向けた講演の中で、イエズス会学校がこれまでは弱い人たちの側に立って社会を変革してゆく「正義のための教育」を十分にはしてこなかったという振り返りを初めに伝え、イエズス会教育の改革を訴えました。聴衆のイエズス会学校の卒業生たちは、それまでエリートとしての優れた教育を受けて社会の中枢を担っているという自負があります。そのためアルペ神父の指摘した、これまでのイエズス会教育は「社会正義」という観点から見直すと不十分な面があり、今後本気で取り組んでゆく必要があるという主張に納得できず、自分たちが受けてきた教育を全面的に否定されているように感じました。講演の途中で席を立って外に出る人がいた程、アルペ神父の真意は伝わらず、聴衆にとって不評な講演会だったそうです。
しかし、不思議なもので、難関大学に多くの生徒を入学させて経済的・社会的なエリートを社会に送り出すという点では伝統的な名門校として、世間的には何ら変える必要のない社会評価が定着していた世界のイエズス会学校が、この講演の内容を知って学校の在り方を謙虚に問い直すようになります。社会の中で弱い立場の人々に目を向けて具体的にその人々と関わりを持ち、そうした人たちと共により良い世界へと変えてゆく人間(“For Others, With Others”)を育てる学校へと、変革を試みるようになってゆきます。
六甲学院の場合は、その講演があって5~6年後くらいには、社会奉仕委員会が立ち上げられ、インドのハンセン病の親を持つ子供たちへの生活と教育の支援として全校生が取り組むインド募金が始まります。同時に3学年全員が夏期休暇中に近隣の福祉施設に奉仕作業をしに行くという社会奉仕プログラムが始まります。ボランティアとして希望者が行くのではなく、学校の教育として全員が経験するところに特徴がありました。街頭募金も含めて全学年の全生徒が、何らかの形で一年に一回は奉仕活動を体験する学校になりました。日本のイエズス会学校の中高一貫校として最も歴史の古い伝統校でありながら、社会正義・社会奉仕の面では最も機敏に本気で取り組み始めた学校でした。
3 生き方で“Men for Others”を示したアルペ神父
アルペ神父のスペインでの講演会の話が、歴史の中で消えてしまわずに、後に世界中のイエズス会学校が改革を試みるほどの大きなうねりとなったのは、世界全体が戦争・紛争・環境破壊・貧困・飢餓・難民・人種差別などの問題に直面しており、社会を変革する担い手を求めていたという背景があったからだと思われます。もう一つは、提唱したアルペ神父の言葉には、彼の生き方に裏付けられた説得力があったからなのではないかと思います。
アルペ神父は、1945年に終戦を迎える第二次世界大戦中は、広島の郊外にある長束の修道院で暮らしていました。今年の3月にカト研の生徒たちが行き、いくつかの学年が宿泊した修道院です。アルペ神父は、原爆投下を間近に体験していました。投下された原子爆弾一発の熱と爆風とで街は一瞬で火の海になり倒壊し、都市がまるごと瓦礫(がれき)だけの焼け野原になり、推計約14万人もの人々が亡くなった現場を、身近に知っています。アルペ神父の住んでいた修道院は爆心地からは少し離れていたために、命は助かり、修道院の建物も屋根の一部が吹っ飛んだものの、倒壊しないで済みました。
アルペ神父はまず自分が何をすればいいのかを祈り、病院も薬もない中で、仲間と共に救える命を助けるために壊滅的な惨状の町中に行くことをすぐに決断したそうです。彼自身は、神父になる道を選ぶ前に医師になるための勉強と実習を数年間してきていたので、応急手当は施すことができました。約200人を修道院まで運んで献身的に手当をして、多くの命を助けました。その後も、アメリカ合衆国などで原爆がどれだけ残酷な兵器であるか、その時の街の状況はどれだけ悲惨であったかを人々に伝え続け、原爆時に直接広島にいた人間としては、最も世界に影響力の強かった人物のうちの一人だと言われています。
“Men for Others”(“For Others, With Others”) の“Others”というのは、社会の中で最も困難にある人、苦しんでいる人のことなのですが、アルペ神父にとって、この時には被爆して命の危険にある目の前の負傷した人々が、その“Others”でした。
アルペ神父の行動を4C’sの観点から振り返ると、一つ目として、広島の街の惨状の中で深刻な怪我をして苦しむ人々(Others)の悲惨な姿にまず共感したことが行動の出発点でした。[Compassion・共感がすべての出発点にあります。] 二つ目として、祈りの中で何をすべきかを良心に照らして選び、薬などが不足する中でできることは限られていても、仲間とできる限り救援することを決断します。[Conscience・良心に照らして行動を決断しています。] 三つ目として、助ける手だてが十分でないとしても、怪我人を手当てするだけの知識と技能を医学生時代に身に着けていたことも、行動に向かう後押しをしたのだと思います。[助けるだけの知識と技能を身に着けていることはCompetence・他者への奉仕に役立つ有能さの一つでしょう。] そして、実際に焼け野原となった街に入って仲間と共にケガ人を修道院まで運び手当をするという献身的な行動をします。[Commitment・困難な状況にある人々のもとに行って、献身的に人々と深く関わる行動を取っています。]
アルペ神父は、確かに4C’sの四要素がバランスよく統合して有機的に働くことで、具体的な行動ができたともいえるでしょう。危機的・絶望的な状況の中で、他者を救う活動へと駆り立て、実際に助ける働きができたのは、彼の人間性として“4C‘s”が深く根付いていたためでしょう。そして、アルペ神父自身が、バランスの取れた優れた人間性を持ち、“For Others, With Others” を実際に生きた人物だったからこそ、“Men for Others”を唱えた時に世界のイエズス会学校は、そうした生き方をめざす方向へと動いたと言えるのではないかと思います。
4 世界の危機的状況に立ち向かうための“4C‘s” の育成
“For Others, With Others”として行動するために養うべき四つの要素“4C‘s”について言及したのは、アルペ神父の後に総長となって方針を忠実に受け継いだコルベンバッハ神父です。アルペ神父の“Men for Others”の講演があって20年後の1993年でした。
コルベンバッハ神父が1990年代に、“Men for Others”の育成にあたってより具体的にイエズス会学校で学ぶ生徒の伸ばすべき人間性として、この“4C‘s”を挙げたのは、世界の歴史の流れの中で、イエズス会学校がめざすような人間の養成を世界中でより強く推し進めてゆかないと、世界がますます不公正で非人間的な世界、正義の実現から遠ざかる世界になるという危機感からでした。コルベンバッハ神父は30年前、「今日のイグナチオ的教育方法」という1993年の講演の中で次のように話しています。
「根本的な問題は次のようなことです。ボスニアやスーダン、グァテマラやハイチ、アウシュビッツやヒロシマ、カルカッタのあちこちの通りや天安門広場に横たわる死体を目の当たりにしていて、神への信仰とは一体何を意味しているのか。アフリカで何百万人もの大人と子どもが飢えに苦しんでいる現実に直面していて、キリスト教ヒューマニズムとは一体何なのか。何百万もの人々が迫害と恐怖に襲われて生まれ故郷を追われ、異国で新たな人生を始めるように強いられているのを目撃しながら、キリスト教ヒューマニズムとは一体何だというのか。」
描かれている現実は殆ど現代と変わりません。おそらくコルベンバッハ神父は、深い精神性の伴わないなまぬるい信仰や、実際的に救う手立てを持ち合わせない中途半端なヒューマニズムでは、戦争や貧困、虐殺や政治的迫害などの圧倒的に非人道的な深刻さを抱えた現実には太刀打ちできないことを伝えようとしているのだと思います。他者のために、他者と共に(“For Others, With Others”)生きることのできる人間の養成がこの時代に急務であり、苦しみの中にある“Others”に共感し、良心的で有能で現実と向き合って献身的に関わる人間を早急に育成する必要があるという提言は、こうした文脈の中で語られています。単なる抽象的な教育論ではなく、深刻な課題を抱える世界をよりよい方向に変える人間を育てるため、正義に根ざした教育に望みを託しているのでしょう。
5 “For Others, With Others”を生きる人へ
―授業・行事・課外活動での学びを通して世界的な視野に立つこと
こうしたことから考えると、六甲学院の私たちは世界的な視野に立ってこれまで起こってきたこと、起こっていることをより深く知り、他者“Others”として現在どういう人々が苦しみを抱え、どういう助けが必要なのかを、知る機会が必要ではないかと思います。これまでの歴史の歩みや現代社会の現実を、世界レベルで経験している人たちから聞くとともに、できる限り自分も世界の現場に行って、日本の中にいたのでは中々気づくことのできない現実を知ることは、大切なことです。
一学期のOB講演会で来ていただいた海外経験の豊富な新聞記者でニュースメディアの専門家39期の山脇氏や、医療・外交の面で世界の大災害や紛争の現場に立ち会ってきた在ジプチ日本大使館医務官46期の後藤氏の講話は、そのためにも有意義なものだったでしょう。また、自分の生活圏の中だけの閉ざされた体験ではわからない現実があること、過去の歴史の傷を今も抱えている場合もあることを、人の話を通してだけでなく、この生活圏から外に出て、知る機会を積極的に作る必要があるように思います。
今年、高校1年と2年で行われる社会奉仕活動はそうしたきっかけの一つになると思いますし、カンボジア研修旅行は、きっと参加する生徒にとって大きな体験になるでしょう。実際に6月に日本の生活圏から離れてシンガポール・マレーシア研修旅行に行った高校2年生も、貴重な学びや体験をしたと思います。例えば、私が聴講したシンガポール国立大学の学生とのセッションでは、人権(“human rights”)・多様性(”diversity”)・差別(“discrimination”)などをキーワードにして、過去の戦争時の残虐行為や人種・障がい・ジェンダーなどの人権の歴史を例に挙げながら、私たちの世界を多様性が受け入れられる社会にしてゆかないと、歴史上にあった差別や偏見に基づく悲劇を再び生み兼ねないことを、学生がプレゼンテーションを通して、生徒にメッセージとして伝えていました。世界全体がそうであるように、シンガポールは人種、民族、宗教、そうしたことに基づく習慣・文化や考え方・価値観の違う人たちが集まっていることを前提にしている国家です。日本の日常では実感しにくい多様性の中で暮らしているからこそ発せられる、貴重なメッセージが含まれているように思われます。
授業での学びに限らず、講演会・研修旅行・フィールドワーク等、行事や課外活動の学びを通して、視野を広めてこの世界のことをより深く知るとともに、将来、自分が何をしたいか、何ができるかについて、一学期に学んだことを振り返り、夏休みの体験を通して、さらに考え続けてくれたらよいと思います。そうして、一歩、一歩、“For Others, With Others” を生きる人へと近づいてくれたらと願っています。