《2024年7月19日 終業式 校長講話》
社会変革をめざす3.5%の“さきがけリーダー”になる
1 世界が抱える共通課題と社会正義の実現
六甲学院の創立修道会イエズス会の、今の世界のリーダー(総長)であるソーサ神父は、今年の「世界社会正義の日」のメッセージの中で、現代の様々な不正義・不公正な社会の現実を次のように伝えています。
2022年以降、40万8000人以上が戦争や武力紛争で命を落としており(世界平和度指数、武力紛争発生地・発生事象データプロジェクト)、2023年だけでも1億1000万人以上が難民・移民として避難を余儀なくされています(国連難民高等弁務官事務所)。毎時、砂漠化が6.4平方キロメートルの肥沃な土地を脅かしており(The World Counts)、約25万トンのプラスティックが世界中の海を汚染しています(科学誌「プロスワン」)。2024年世界人口の半数が選挙に参加しますが、2005年から2021年の間60か国が民主的自由度を低下させており(世界の自由2023年)、2022年7億3600万人の女性がジェンダー暴力の被害を受けています(国連女性機関)。5歳未満の子どものうち、10人に3人が急性栄養失調に苦しんでいます(ユニセフ)。
そうした世界の現状を指摘しつつ、ソーサ総長は「私たちはさらに何をしなければならないのか?」と問いかけます。
2 3.5%の人々が非暴力で動けば社会は変わる
こうした様々な現実を突きつけられると、世界の課題は多様で深刻で大規模で、解決するのにはあまりにも自分たちは無力なのではないか、私たちがこの世界を変えることなど、とてもできないのではないかと、取り組もうとする前にひるんであきらめてしまいそうになる人も多いのではないかと思います。希望を持ち続ける手掛かりになる何かがないかと思っていたところ、最近手にした本の中に、“色々な社会変革の事例を調べてゆくと、世界の3.5%の人たちが非暴力で本気で立ち上がると社会は大きく変わる”、と述べている書籍がありました(NHK ACADEMIA 5月28日 斎藤幸平氏紹介)。2022年に出版された「市民的抵抗(CIVIL RESISTANCE)」という書物です。「市民的抵抗」という言葉は、もともとはイギリスの植民地であったインドを、非暴力不服従の方法(市民的不服従の非暴力的方法)で独立へと導いたガンジーが生み出した言葉です。エリカ・チェノウェスというハーバード大学教授が、この「市民的抵抗」という言葉を表題にして執筆した著書で、「暴力に寄らずに非暴力で3.5%が本気で動けば社会は変革する」ことを、様々な実例を検証しながら述べています。
3 NY在住の卒業生のメッセージ-物事を始める最初の5%のリーダーになれ
読みながら3.5%とはどのくらいなのか、もうひとつイメージが湧かないと思っていたところ、ちょうどその実例になる集いがありました。今週7月16日の火曜日に学校の多目的1教室であった中高生の有志の集まりです。毎年春休みのニューヨーク研修でお世話になる39期卒業生の滝浦浩先輩(建築家)が一時帰国され、その講話とワークショップが行われました。そこに集まって来た生徒が約30名、教師が5~6名で、偶然なのですが、1000人の学校でいえば、ちょうどこのくらいの人数が、約3.5%でした。家庭学習日のこの日に、自分たちから関心を持ってわざわざ学校まで来て、このワークショップに参加した人たちです。瀧浦さんの話にインスパイアされて、本気でこの学校を、あるいは1000人規模の社会を変えようと思ったら、変えることができる人数がこのくらいなのか、とイメージがより具体的になりました。
私自身は3時間半講義とワークショップをされた瀧浦氏の話を、30分ほどしか伺えなかったので、全体としての講話の流れを十分把握しているわけではないのですが、ちょうど話を聴いていた時には、物事を始める最初の5%のリーダーになりなさいという話をされていました。新しい分野を開拓したり新しい発想の組織をつくったりするのに、直感的にこれはいいと思ったら、失敗を恐れずに立ち上げる最初の5%のリーダーとして動き出しなさいという話をされていました。安定だけを求めるのであれば、何かの活動をするにも何かを購入するのにも、社会の中で良いものとして認知され評価された後に、それに乗っかるのが普通の人であるけれども、そうではなくて、ある人が新しい何かを立ち上げようとする時に、また新しいものが世に出たりしたときに、その価値をいち早く認めたら繋がり協力する人になることの大切さを、話されていました。そのほうが、仕事として楽しいし、やりがいがあるし、人生が豊かにもなるということです。前提として、日ごろから自分自身が、どういう人たちのために何をしたいか、何を信じどういうことに意味を感じているか、が大事で、そうしたなぜ?・何のために? という、自分なりに大切だと思える動きと繋がるための価値観なり理念なりをしっかりと持っていることが、重要であることも話されていました。様々な課題の多いこの世界の中で、何かしらより良い方向に社会を変えたり、新しい発想で社会を活性化させたりするためには、そうした物事のさきがけとなる3.5%、または5%のリーダーを目指してくれたらよいと思います。
4 若者の社会参加を促すデンマークの青年リーダーとの出会い
今の若者の中で、そうした社会をより良くしていこうとしている3.5%や5%にあたる人たちとは、どのような人たちなのでしょうか? そうした実例になると思える若い人たち最近出会う機会がありました。
今週7月15日の月曜日に、尼崎の園田でデンマークの若者リーダーを招いて、若い人たちの社会参加について考えるシンポジウムを聴講しました。招待されていたのはデンマークの26歳の青年で、社会活動の青年部リーダーを4年間してきたフレデリック・デイラーさんです。若者の社会参加を進める活動を日本でしている同年代の能條桃子さんという方が、デンマーク留学時にこの方のことを知って、日本に招待したとのことでした。フレデリックさんはデンマークの若者運動のリーダーとして、短期間で1000人ほどの社会的影響力を持つ若者グループを育て率いてきました。公共交通機関無償化を掲げた全国キャンペーンや気候変動・環境などへの取り組みを、大臣への手紙を集めて送ったり、ステッカーを街中に張ったりと、若者の意見を社会に反映させる楽しく効果的な企画を、工夫して展開してきた方です。
フレデリックさんによると現代のデンマークで若者が直面している最大の課題の一つはメンタルヘルス(心の健康を保つこと)だということです。デンマークは世界の中で幸福度ランキングがここ数年2位の国なのですが、気候変動や経済的不安などの構造的な問題が若い世代の不安の根底にあって、「未来」への捉え方も、これまでの世代と若い世代では全く異なること、SNSを通して世界で何が起きているかを知ることができるこの時代には、未来を怖いものとして捉えてしまい、経済的にも不安定な生活を強いられている中で、若者が精神的にも不健康になりがちであることが、社会の課題になっていると話されていました。
精神的な安定や心の健康は個人の問題と思われがちですので、現代の社会構造が精神的な健康を損なわせる主要因であるということは、新しい視点ではないかと思います。確かに新型コロナパンデミックから戦争や紛争、様々な気候変動による災害が続き、経済的にも暮らしにくい社会の仕組みの中で、不安定な生活をせざるを得ない若者にとって、心の健康を保つことは社会のあり方と連動する重要な課題であろうと思います。
フレデリック・デイラーさんの社会参加の出発点は、13歳の中学生の時だそうです。自分の住んでいた地域の路線バスの本数が大幅に削減される計画であることを知って、学校の行き帰りも友達の家に遊びに行くにしてもとても困ると思い、寝袋を持って友達数人と路上で泊りがけのストライキをしたと話してくれました。この中学時代の抗議活動は、聞き入れられず実らなかったけれども、とてもよい経験として思い出に残っているとのことです。その後も、学生自治会(日本でいう生徒会)に参加したりして活動を続けていました。聞いてみると日本の生徒会と違うのは、学校を超えた全国的なネットワークがあり、高校生の代表が政治家に要求を伝えることもあるということです。学生自治会の活動の中で、同じ考えを持つ仲間と社会をより良くするために政治に参加することに充実感とやりがいを感じたそうです。そうした仲間と共に社会を作ってゆく、社会を変えてゆく実感が持てることが、心の健康-メンタルヘルス-にも良い影響を与えるということも話していました。こうした新しい観点を持って若い人たちを集め、リーダーとなって最先端の活動をしてきたという点では、瀧浦さんの話されていた「最初の5%のリーダー」のうちの一人と言ってよいと思います。そして、デンマークの幸福度が高いとしたらそれは、社会に問題がないからではなくて、問題があったとしても若い人たちが協力し連帯すれば社会はより良く変えてゆけるという希望が持てるし、実際に力を合わせて社会を変えてきているという実感があるからなのではないかと思います。
5 若者の社会参加で社会が変わる実感が持てる社会へ
そういうデンマークでは、日本よりも若者の社会活動への参加のハードルが低いように思うのですが、それは若い時から政治家になることができ、年齢や人生経験が近い人を選挙で選べるという制度面が影響しているのかもしれません。デンマークでは政治家になるため立候補できる年齢が18歳で、選挙権を得るのと同年齢です。六甲学院では、生徒会の立候補者は高2の16~17歳でちょうど今日決選投票が行われますが、デンマークでは18歳になったら、国政選挙に投票できるだけでなく議員になるための立候補もできるということです。20代の政治家が多くいて、大臣(閣僚)の平均年齢が47.4歳(2018年統計)と若いことも、若者の社会参加によい影響を与えているのだと思います。デンマークの大臣の平均年齢は、統計のあるOECDのデータの中で、35か国中4番目に若く、ちなみに日本は62.4歳で35か国中35番目です。デンマークの2019年の総選挙での投票率が84.6%で、同じ年の日本の参議院議員選挙は48.8%、2年後の衆議院議員選挙では55.9%です。
政治によって社会が変わるという期待度が極めて低いのが今の日本の課題の一つであるように思うのですが、若い政治家を増やし、投票によって人を選ぶことで社会は変わり得るという意識を持つことができたら、投票率ももっと高くなるのかもしれません。実際に、こうした状況を変えるため、若者の社会参加や投票を呼びかけ、被選挙権の年齢を下げる活動をしているのが、今回デンマークからフレデリックさんを招待した能條さんで、「NO YOUTH NO JAPAN」という団体の代表をされています。日本にそうした若い世代を中心にしたグループがあることも、私にとっては希望を感じることができる出会いでした。日本社会はこのままではいけないと、社会を変えることを目指して、本気で立ち上がった3.5%のグループの一つではないかと思います。
6 世界中の人々と共感・団結して心の健康と社会の変革をめざす
フレデリック・デイラーさんは「世界中の人と共感し、団結することで心の安定を得ることができる。現代の社会の中で心の健康を保つことは、個人の問題ではなく構造的な社会の問題であり、社会が変えるべき問題です」と述べています。話の最初に述べたように、世界には数々の社会課題があり、そうした深刻な課題が未来についての不安につながり心の健康に影響することも確かです。自分や周りの人たちの精神的な健康・健全さを保つためにも、どの社会課題を入り口としてもよいので、社会を変えていこうとするさきがけの3.5%・5%の人間に、一人でも多くの六甲生がなってくれたらと期待しています。社会課題に取り組む活動と繋がったり、自分がそうした活動の担い手になることが、自分や周りの人たちの心の健康を保つことに繋がり、社会をより良い方向に変えることにも繋がると思います。そのために、日ごろの学びと経験を通して広い視野と大きな志を持ち、社会を変える“さきがけ-リーダー”となってくれたらと願っています。