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月別アーカイブ: 2026年1月

三学期始業式 校長式辞

《2026年1月7日 始業式 式辞》

 

この世界と日常の奥に在る「永遠なるもの」を見出す

 

(1)OB講演会の振り返り-「仕えるリーダー」と「永遠なるもの」の探究
 新年を迎え、3学期が始まりました。年末年始を皆さんはどう過ごしたでしょうか? 昨年1年を振り返りながら、今年1年の抱負や目標を定めた生徒も多くいるのではないかと思います。ぜひ、その抱負や目標の実現に向けて、日々努力を続けて下さい。
 昨年は、六甲学院として振り返ると、全校生で卒業生から話を伺う機会が多い年でした。OB講演会として7月に35期・住友商事の上野真悟社長、11月に44期・ポリコンピクチュアズの塩田周三社長、12月にクリスマスメッセージとして30期・大阪高松大司教区の松浦謙神父様のお話を伺いました。松浦謙神父は、シナピスというカトリック教会の社会活動センターで難民・移住者支援などをされている方です。
 3名の卒業生たちは環境課題に取り組む商社マンであったりCGアニメ制作者であったり社会活動をする神父であったりと個性的で、仕事内容も社会の中で関わる人々も、多様ではあるのですが、卒業生として共通していることはあるように思います。その一つは、世界的な広い視野を持っており、人と関わる現場の中でその場を活性化させ人々を元気にさせたり、地球の環境や弱い立場の人たちに配慮し支援したりして、自分の個性も生かしつつ周囲の人たちを生かす「仕えるリーダー」として活躍されていることです。もう一つは、講演会の中でも紹介されているのですが、初代武宮校長の校碑にある「すべてのものは過ぎ去り、そして消えて行く。その過ぎ去り消え去って行くものの奥に在る永遠なるもののことを静かに考えよう」という言葉を、それぞれの方々が大事に記憶しておられるということです。それだけでなく、この言葉の通りに、目まぐるしく変化する現代世界の中で、目に見える表層の出来事やいつかは消えてゆく物事の奥にある変わることのない大切なもの、普遍的で本質的な何かについて目を向けて、静かに考えることを大事にしておられるということです。

 

(2)六甲生活で培われる信頼の基となる人間性
 昨年の3名の講演者に限らず、どんな職場・社会の中でも卒業生と出会うと、しっかりとした価値観を持った誠実な人として、周囲の人たちから信頼されていると感じることが多くあります。それは周りの人たちがその人と関わる中で、大切にしている核になる「何か」が、その人の行動や人となりの内に感じられるからであるように思います。恐らくその「何か」は、在校中に日々の清掃や電車の中で他の人に席を譲ることや中間体操や社会奉仕活動や、体育祭・文化祭・強歩大会・研修旅行などの行事を通して、心の中で培われるものであり、また、過ぎ去ってゆくものの奥にある「何か」ともつながるものなのではないかと思います。年の始まりにあたって、六甲学院で日常を過ごす私たちもこの一年、校碑に刻まれた言葉を大事に心に留める年にできたら、と思います。

 

(3)目に見えない「大切なこと」を心で見ること
 ただ、「過ぎ去り消えさって行くものの奥に在る永遠なるもののことを静かに」考える、というのは、難しく思われるかもしれません。よりわかりやすくそれに近い意味の言葉に置き換えるとしたら、と考えた時に私に思い浮かんだのは、名作「星の王子さま」の一節です。一見詩的な「童話」でありながら、そのメッセージは子どもに向けたものというよりも、より普遍的で深遠な真理を、分かりやすい言葉で表現している作品です。
 このサン=テグジュペリの「星の王子さま」の中に「大切なことは目に見えない」という有名な言葉があります。そしてその「大切なこと」は、「心で見なくては見えない」、とも述べられています。校碑の中の「過ぎ去り消えてゆく」ものとは、私たちの日常生活の中で目に見える物事や事象であり、「永遠なるもの」とはその奥にある目に見えない大切なものであり、「静かに考える」とは「心で見る」と置き換えてよいと思います。そして、初代校長の校碑は、「星の王子さま」の言葉で置き換えれば、目には見えない大切なものを心の目で見ること、とつながるように思います。この一年は、その心で見ないと見えない大切な何かを日常生活の中で見出すことを、心掛けられたらと思います。

 

(4)すべてのことの内に「真善美聖」を見出すこと
 もう一つ、イエズス会司祭であった武宮初代校長がこの言葉を生み出すにあたって、おそらく心の中に抱いていたと思われる、イエズス会の創立者イグナチオの言葉があります。それは、「すべてのことの内に神を見いだす」”Finding God In All Things”という言葉です。イグナチオは生涯、このことを大切にしていました。それは、イエズス会学校の伝統的なモットーの一つとなっています。たとえ、キリスト教司祭のイグナチオのように「神」という言葉で表現するのは難しくても、この世界のすべてのものごとの内に本当だと思えるもの、善良なもの、美しいもの、尊いと思えるもの(真善美聖)を、見出す目を、お互いに育てることが出来たらよいと思います。それは、人間が引き起こす出来事だけを見ると悲惨で醜(みにく)く悪い方向にしか向かっていないように見えるこの世界にあっても、より良い方向へむかわせようとする“より大いなるもの”の働きが常にあることを信じて、肯定面、希望の持てる面を見出そうとすることです。そしてそれは、過ぎ去り消えて行くものの奥に在る永遠なるものについて、考えることでもあります。

 

(5)「瞑目」を通して日常の中に大切なこと・永遠なるものを見出す
 そして、六甲学院で物事の区切り目にする「瞑目」は、そのための時でもあります。自分が経験したそれまでの1時間、半日、一日の中で何に心が動いたか、その中に本当のもの、良いもの、美しいもの、清いもの(尊いもの・聖なるもの)があったかと振り返り、思い起こして味わう時を、持ってもらえればよいと思います。
 そうしたひとときの積み重ねを通して瞑目を身につけることは、一生の宝になります。目には見えない大切なもの、永遠なるものの存在や働きに気づく時になり、自分が今、何を大切にしたらよいかを知ることにつながります。そして、自分自身にとっても、周囲の人々にとっても、日常だけでなく人生の岐路に立つときにも、きっとより大切な方を選ぶために役に立つことと思います。もしも、行き詰って袋小路に陥ったと思うようなときにも、瞑目を通して希望の糸口を見出すことにつながることも、あるのではないかと思います。もちろん、ものごとが順調に進んで、振り返りの時としての瞑目の時間が、平和と喜びで満たされたひとときとして過ごせるとしたら、それが一番良いと思います。
 今年は、この世界の出来事や日常の物事のうちに隠れている真実、善さ、美しさ、尊さに気づき、過ぎ去り消え去ってゆくものの奥にある永遠なるもの、心の目で見なければ見ることのできない大切なものを、見出すことのできる一年、そのために瞑目を大切にする一年となることを目指してもらえたら、と願います。