《2023年3月4日 六甲学院高等学校 80期生卒業式 校長祝辞》
Ⅰ はじめに
80期の皆さん、卒業おめでとうございます。保護者の皆さん、ご子息のご卒業、本当におめでとうございます。
卒業アルバムには、80期の卒業生に向けて、次のような「贈る言葉」を書きました。
「80期の皆さん、ご卒業おめでとう。中学から高校卒業に向けての頼もしく目を見張るような成長を見守ることができ、嬉しく思います。コロナ禍の様々な制約下での文化祭・体育祭の仕上げは見事でした。For Others, With Othersを生き方の軸に、幸せになってくれたらと祈ります。」 書いたのは数か月前ですが、思いは今も同じです。
Ⅱ コロナ禍の制約の中でベストを尽くし学校をまとめた80期生
80期の高校時代は、コロナ・パンデミックに覆われた3年間でした。そして、最後の一年間は、ロシアのウクライナへの侵攻により、世界の平和秩序が大きく揺らいだ年でした。日常生活・学校生活に多くの制約が加わり、精神的にも不自由さや抑圧感や不安感の中で過ごさざるを得なかったと思います。それにもかかわらず、80期は様々な制約の中でやれる限りのことを、互いに協力しながら、また創意工夫をしながら、成し遂げることができた学年でした。またその中で大きく成長した学年でした。
特に文化祭と体育祭は、コロナ感染を広げないための様々な制約の中で、指導面では規律と約束事を守らせながら、相手の意図や思いにも配慮しつつ、できる限り自主的に動けるようにモティベーションを持たせてゆくという難しいかじ取りを、行っていたように思います。その結果、多くの生徒たちが文化祭や体育祭では達成感ややりがいを感じ、学校としてもひとつにまとまっていきました。
Ⅲ 互いに敬意を払いつつ切磋琢磨し成長した80期生
行事に限らず、勉学でもクラブ活動でも委員会活動でも、それぞれの場で自分たちの責任の下に学校を引っ張ってくれていました。各活動の中に核になる生徒がいて、六甲学院の諸活動の意義を理解ようと努めながら物事を進めてくれていました。例えば、インド訪問には残念ながら行くことのできなかった学年でしたが、インド募金は六甲生が当然協力するべきものとして緩むことなく行われ続けていました。それは、心強いことでした。コロナ禍の影響で長い期間これまでと同様には行えないことの多かった清掃活動や中間体操も、その時その時の条件に対応しつつ、後輩指導をしてくれていました。学校活動の中心である勉学においても、多くの生徒がコロナ禍の環境の整わない中でも倦まず弛まず励んでいました。2年前、コロナ禍の1年目には、学年初めの2か月間の休校期間から始まって学校生活が正常に行われなかったことから、基本的には高1から高2への進級を認めることが3学期に発表されましたが、進級できることが決まっていても、勉学面での取り組みが大きく緩むことなく、当然すべきこととして進められていた学年でした。
それは、社会奉仕活動や訓育活動や勉学に、日常的に本気で取り組んでいる生徒たちが一定数いて、お互いに切磋琢磨するような人間関係ができていたからかもしれません。ミッションステートメントの一番目に「①自分と他者の良さを認めて、互いに切磋琢磨して成長し合う人間関係を築きます」とありますが、その通りのことが実現していたのだと思います。本気で取り組むクラスメイトに敬意を払いつつ、その活動に意義を認めて、自分たちも同じように真面目に取り組む気風が自然に生まれていたのではないでしょうか。6年間、お互いにまだ精神的にも幼い時から一緒に様々なことをしてきて、卒業が近くなるにつれて、相手が人間的に成長しているのが分かって、それに刺激を受けて自分も成長していったのだと思います。一昨年文化祭後に文化祭役員が講堂に集まって振り返りの集会をしたときだったと思いますが、役員の一言ずつのスピーチの中で「一緒にいるうちに周りがだんだんと人格者になってゆくんです」という表現をしていた生徒がいました。その表現が大げさだとは思わないくらい、教師から見ても目を見張るほどの成長を感じていました。
Ⅳ 危機を乗り超えるための三つの「価値」について
80期の皆それぞれがコロナ禍の中で過ごした3年間のうちには、クラブ活動や旅行や趣味を共有する友人との活動など、ぜひしてみたかったことやする価値があると思っていたことができなくなり、苦しくつらい時期はあったろうと思います。これからどうなるかもわからない中で、ふさぎ込むような気持ちや無力感や不安感に陥っていたこともあったでしょう。生活の中に喜びを見出せない、意味を見出せない、何をする意欲もわかない、という状況の中で、精神的に危機的な状況に追い込まれたときに、その危機とどう向き合ってきたのでしょうか? 卒業を機に、この3年間を振り返る中で、そうした危機を乗り越えるための心の手立てを見出すことができたら、それは今後にとっても、きっと役に立つことだと思います。もちろん、今後一生平穏無事な人生を過ごせたら一番よいのですが、予期しない災害、病気の苦しみ、不幸な出来事といった危機に向き合う必要が生まれたときに、一つの視点を与えてくれる考え方を紹介します。
大事故・大災害・世界的危機が起こった時によく読まれる著書の作者に、オーストリアのユダヤ系精神科医で心理学者のヴィクト―ル・フランクルがいます。『夜と霧』や『それでも人生にイエスと言う』などが代表作です。第二次世界大戦中に、ナチスの強制収容所での生活を強いられて、いつ終わるか分からない過酷な労働と生活環境のなかで常に死と向き合っていた人です。その生活の中で彼が確信したのは「自らの人生に意味を見いだす人は、苦しみに耐えることができる」ということでした。逆に、苦しみの中で生きていることに意味を見出せなくなった人から、心が折れ体も病み衰弱して死んでゆくことを、収容所内の身近な体験として知ります。
フランクルは生きることに意味を与えるもの、人生の中で人が見出せる価値は3通りあると述べています。創造的価値 体験的価値 態度的価値の3つです。創造的価値とは何かを作り出すことです。(例えば美術作品を作る 詩や小説を書く などです。)
体験的価値とは芸術作品を味わったり仲間と一緒に何かをしたりすることです。(例えば音楽を聴く 映画を見る スポーツをするなどです。)
この2つの価値については、六甲学院の多くの生徒は、コロナ禍でもそれなりに経験をしてきたのではないかと思います。体育祭の総行進を生徒全員で作っていくことや、文化祭の講堂やステージでの企画や展示作品を作っていくのは、創造的価値に当たるでしょう。体育祭で観客として騎馬戦・リレーなどの競技を見たり、文化祭で展示や発表を見たり、講堂・ステージでのパフォーマンスを見たりして感動すること、仲間と一緒に何かに取り組んで喜びを感じるのは体験的価値です。そうした大きな行事の中だけでなく、ささやかな日常の中で見出せるものもあるかと思います。
もう一つの態度的価値とは、創造的価値や体験的価値を感じにくい状況の時にも、人間の態度のうちに感じられる価値のことです。ナチスのアウシュビッツ収容所にいたフランクルにとっては、どんなに悲惨な状況の中でも、自分のパンをより弱っている人に分け与える人がいたことを伝えています。そういう尊い行為をする人間がいることが救いであり励ましであり人生に意味を与えるものでした。
こうした「態度的価値」は他の2つの価値が生まれる状況にない厳しい場面でも見出すことができるものとして貴重なのですが、実は日常の中でも見出し得るものだと思います。例えば、今週の火曜日のことなのですが、六甲学院の生徒が、90歳代の高齢の方が通学路の松陰女子大前のT字路で転び怪我をしているところを見つけて助け起こし、救急車が来るまで現場にいた生徒の数人は、顔面を道路にぶつけて血を流しているその方に、ティッシュペーパーや替えのマスクを差し出したりしていたことが報告されています。たとえ些細なことと思われることでも、人を助ける行為が同じ学校の生徒にあったことを知って嬉しく感じたり励まされたりすることはあると思います。
緊急時や切羽詰まった状況の中で人々が示す態度のうちに、人としての良さ、人間らしさが表れることがあります。ささやかな行為であっても、そこに人間としての尊さや美しさが感じられたりしたときに、人として生きることの意味を感じることはあると思います。それが態度的価値にあたります。
Ⅴ コロナ禍に国際的リーダーが示した態度的価値
コロナ禍では、社会には自分自身が感染して深刻な状況になりかねない状況でも、自分の身を危険にさらしながら人のために尽くす人々がたくさんいました。また、そうした最前線で働く人々に感謝を伝え、励ましになる発言をするリーダーたちもいました。その中で私にとって特に心に残っているのは、感染拡大の初期にドイツのメルケル前首相の、医療従事者だけでなくエッセンシャルワーカーに向けても発せられていた感謝とねぎらいの言葉でした。メルケル首相が、2020年3月18日に行ったテレビ演説の中の言葉を幾つか紹介します。
一つ目です。
「何百万人もの方々が職場に行けず、お子さんたちは学校や保育園に通えず、劇場、映画館、店舗は閉まっています。なかでも最もつらいのはおそらく、これまで当たり前だった人と人の付き合いができなくなっていることでしょう。もちろん私たちの誰もが、このような状況では、今後どうなるかと疑問や不安で頭がいっぱいになります。」
メルケル前首相はこのように、まず、コロナ禍に入って生活が変わり人とのつながりも断たれてしまっているつらさや不安を、国民と同じ目線で伝えています。
二つ目です。
「多くの人が病気に感染し、そして亡くなってゆくことは、単なる抽象的な統計数値で済む話ではありません。ある人の父親であったり、祖父、母親、祖母、あるいはパートナーであったりする。実際の人間が関わってくる話なのです。そして、私たちの社会は、一つひとつの命、一人ひとりの人間が重みを持つ共同体なのです。」
メルケル前首相は、感染により大切な人を失ってしまった人々に対して、統計数値では測れない一人ひとりの悲しみを思いやり、命の重さを伝えています。
三つ目です。
「この機会に何よりもまず、医師、看護師、あるいはその他の役割を担い、医療機関をはじめ我が国の医療体制で活動してくださっている皆さんに呼びかけたいと思います。皆さんは、この闘いの最前線に立ち、誰よりも先に患者さんと向き合い、感染がいかに重症化しうるかも目の当たりにされています。そして来る日も来る日もご自身の仕事を引き受け、人々のために働いておられます。皆さんが果たされる貢献はとてつもなく大きなものであり、その働きに心より御礼を申し上げます。」
メルケル前首相は、医療従事者が自らも感染する危険性のある中で命をかけて、患者たちの命を守り救おうとしていることに感謝の気持ちを伝えています。
最後に四つめです。
「さてここで、感謝される機会が日頃あまりにも少ない方々にも、謝意を述べたいと思います。スーパーのレジ係や商品棚の補充担当として働く皆さんは、現下の状況において最も大変な仕事の一つを担っています。皆さんが、人々のために働いてくださり、社会生活の機能を維持してくださっていることに、感謝を申し上げます。」
メルケル前首相は、医療従事者だけでなく、目立たない仕事ではあるけれども、自分が感染リスクの高い危険な状況にありながらも休みなく職場に出て社会生活を支えてくれている人たちに気づいていて、心配りをし感謝の気持ちを伝えています。
イエズス会教育の目標である『他者と共に生き他者に仕えるリーダー For Others, With Others』は具体的なイメージがわきにくいかもしれませんが、メルケル前首相のように多くの人々が見逃してしまいそうな陰で人々の生活を支えるために働いている人々に気づいて、ねぎらい感謝し励ますことのできるのは、その資質の一つではないかと思います。
Ⅵ コロナ禍で学んだ大切で普遍的な価値を振り返る
―他者の幸福に喜びを感じられるリーダーとなるために
ミッションステートメントには、六甲学院の使命は「『過ぎ去るものの奥にある永遠なるもの』を探求し、『他者と共に生き他者に仕えるリーダー』を育てることです。」とあります。この3年間のコロナ・パンデミックは出来事として過ぎ去りつつありますが、その中で、私たちが今後に生かすべきこととして学んた大切で普遍的なこととは何だったでしょうか? 創造的価値・体験的価値・態度的価値を一つの視点として、不自由な生活の中で何に意味や価値ややりがいを見出すことができたかを、振り返ってみてください。この3年間で自分が大切だ・価値があると思ったことは、これからの人生の中で大事な物事を識別し選択する上での基準の一つになりうるだろうと思います。それと同時に「他者と共に生き他者に仕えるリーダー」とは、どういう人なのか、今日の話では、メルケル前首相を例に挙げました。自らも行動すると共に、目立たず普通には気づかれない人の姿に心を向けて、その人たちのうちに価値を見出し、その活動を言葉や行動で支えることのできるリーダー、他者が幸せになることに喜びを感じられる人間になってくれればと願っています。