在校生・保護者の方へ

HOME > 在校生保護者の方へ > 校長先生のお話 > 一学期始業式 校長講話

校長先生のお話

一学期始業式 校長講話

《2024年4月6日 一学期始業式 校長講話》

 

 「復活」という出来事-出会いの喜びと希望の源泉として

 

(1)新しい命の息吹-新学期と復活祭のお祝い
 2024年度の新学期が始まりました。3月に、幾分寒い日々が続いたおかげで、ちょうど新しい学年が始まるこの時期に、桜の花が美しく花開き、新しい命の息吹を感じられる季節になりました。教会の暦では、この前の日曜日3月31日が復活祭でした。イースターとも呼ばれるこの復活祭は、春分の日の後の最初の満月を迎えた次の日曜日と決められています。早ければ今年のように3月末、遅いと4月中旬過ぎになることもあります。キリスト教の信仰の中では、イエスの誕生を祝うクリスマスよりも、意味のある大切な日です。聖書には、受難の苦しみの末に十字架上で亡くなって、3日目の早朝にイエスの墓に弟子たちが行くと、その墓に安置されているはずのイエスの亡骸(なきがら)はなく、女性の弟子たちを初めとして、幾人かの弟子たちが、亡くなっているはずのイエスと出会うという不思議な出来事が記されています。
イエスに新しい命が与えられて、目の前に姿が見えて会話もしたということを、もちろんにわかには信じがたい弟子たちでしたが、イエスとの出会いを驚きながらも喜び、仲間たちに知らせる様子が聖書には記されています。世界中のクリスチャンはこの出来事を、イースター・復活祭で祝います。皆が通学路の途中で前を通るカトリック六甲教会でも、3月31日のミサの後には、教会学校に通う子どもたちが、新しい命の誕生のお祝いとして、スヌーピーなどの絵柄をつけたゆでたまごを配っていました。その日は、六甲学院のラグビー部の生徒たちが、合宿中でミサに参加していましたので、絵柄のついたゆでたまご(イースターエッグ)をもらった生徒もいたかもしれません。世界中の教会で、思い思いに絵を描いたり、きれいな模様の紙やセロハンで包んだりして、この日はゆでたまごを配ってイースターを祝っています。

 

(2)フィリピンでの復活祭-イエスと母マリアとの出会いを喜び祝う
 私がこれまで参加した復活祭の中で、最も喜びをもって迎える人々の姿を見たのは、フィリピンのマニラでした。イエズス会大学のアテネオ・デ・マニラの研究施設で3か月学んだ最後の週の日曜日が、復活祭の日でした。16年前、2008年の3月30日です。その地域一帯に住む人たちは、早朝3時頃から、私のいた大学の隣にある国立のフィリピン大学の広大なキャンパスに集まります。キャンバスの最も離れた両端の2箇所に置かれた、7~8メートルほどのイエス像と、イエスの母親のマリア像の周りに、それぞれ集まって長い行列を作ります。その2つの像は、日本の祭りの山車(だし)のように大きな車輪がついた台車に乗っていて、動かせるようになっています。その地域の人たちはまだ暗いうちから集まり、その山車に乗せた像はそれぞれに、キャンパスの両端から中央にあるグラウンドを目指して近づいてゆきます。大勢の民衆はその像を囲んだり後に行列になってついてきたりして、朝の5時頃でしょうか、薄明るくなったときに、イエスとその母マリアはグラウンドの中央で出会います。
 聖書には書かれていないのですが、キリスト教の伝統として、復活したイエスが最初に出会ったのは母マリアだったという言い伝えがあります。フィリピンのその地域では、伝承に則(のっと)って復活祭を迎えます。2つの像が出会ったときの拍手や喝采(かっさい)は陽気な国民性もあって大変なもので、子どもたちは、用意していた南国の草花の花びらを、満面に笑みを浮かべながら二つの像に向けてふり撒(ま)きます。その後に、数千人集まっての荘厳なミサが、グラウンドで始まります。それまでもその後も、復活祭の祝い方として、これほどの喜びを表したものはありませんでした。
それだけ喜ぶのは、ただ、人の命が死んで無に帰すのではなく復活の命のうちに生きるという希望を示されたというだけではなく、とても親しい大事な人が死んでもう二度と会えないと思い込んで嘆き悲しんでいたのに、思いがけなく生きているその人と出会えたという、母マリアや弟子たちの喜びを追体験することができるからだろうと思います。

 

(3)人間の弱さ・醜さ・残忍さが表れる受難の出来事
 聖書の中で、復活の物語だけ読むとやはり何か非現実的で、にわかには信じがたい話ではあるのですが、その前の受難の出来事から読むと、聖書は決して夢物語ではなく、人間の弱さや醜さや残忍さがかなりリアルに表現されている書物であることが分かります。
 当時のユダヤ社会の祭司や律法学者など宗教リーダーたちは、民衆の心を捉え引き寄せるイエスの言葉や行いに嫉妬し、その妬(ねた)みの感情が悪意を生み、それがイエスを十字架刑へと物事を進ませる動機の中心になっています。そうした人間の嫉妬心や悪意の恐ろしさが、聖書には表現されています。
 もう一つは凶暴化した群集心理の恐ろしさです。イェルサレムの人々は、イエスが支配者ローマ帝国に対抗するリーダーになりうると期待していました。そうした思いの中で、歓喜のうちにイエスをエルサレムに迎え入れた民衆たちも、イエスを亡き者としようとしている宗教リーダーに扇動されると、十字架につけることに賛同してゆきます。少し煽(あお)られて一旦残忍な刑につけることに付和雷同すると、その集団の言葉や行動は、穏便に済ませようとした政治のリーダーにも止められないくらいの凶暴な勢いになります。扇動に容易に乗って徒党を組んだ人間は、一人ひとりが悪人でなくても、集団としていくらでも残酷になれる恐ろしさがあります。罪びととしてイエスを捕らえた人々も、イエスを侮辱しなぶりものにし暴力をふるいます。集団化して凶悪化することは、子どもの間でのいじめから紛争地域の虐殺行為まで、今の時代でも人間の行為として続いていることです。
 さらに、イエスの最も傷つき心を痛めた出来事は、宣教活動の中で共に生活し身近にメッセージを伝え、最も親しく理解してくれていたはずの弟子たちに、裏切られたことではないかと思います。十字架刑につけようとする人々にイエスを引き渡す手引きをしたのがユダという弟子でした。弟子のリーダー格だったペトロも、イエスが捉えられた後は、自分の身の危険を感じて、イエスとは関りのない者として振る舞い、イエスを助ける手立てを考えるよりも自分の身の保身を先に考えています。イエスの十字架刑に向かわざるを得ないと知った時の心の揺らぎや、最も信頼していた神も自分を見捨てたのではないかという思いも、聖書の中では表現されています。

 

(4)人間への失望・絶望から喜び・希望へ向かう復活の出来事
 そうした人々の持つ心の醜さ、弱さ、残忍さ、裏切り、イエスの死への恐怖や信じていたものへの心の揺らぎなどを経て、その結果、苦しみの末に命を落としたイエスが、死ですべて終われば、キリスト教も生まれる余地はありませんでした。新しい命を与えられて生きているイエスと弟子たちとの出会いと交流が、なんらかの形であったことが、彼を信じる教会共同体の誕生に繋がります。
 人間への失望や絶望感だけを残して終わってしまうような出来事のあとに、新たな命との出会いを感じさせるような喜びと希望につながる出来事が起こったこと、それがキリスト教徒にとっての復活祭になります。キリスト教は苦しいことや悲しいことがあったとしても、そのままでは終わらず、苦しみ・悲しみを経た後には喜びがあることを信じる宗教です。ヨハネ福音書16章にはイエスの言葉として「あなた方は悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。女は子どもを産むとき、苦しむものだ。しかし、子どもが生まれるとき、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。」とあります。受難の苦しみを経て新しい命を与えられた人との出会いを、弟子たちは身近に体験し喜びに満たされることを、イエスが予告している言葉のようにも読み取れます。
 キリスト教には、どんなにひどく真っ暗な状況の中でも、光を見出そうとするどこか楽観的なたくましさがあります。私は時々復活祭の早朝、まだ暗いうちに大学のキャンパスに集まって、復活したイエスと出会い、明るくなってゆく中で喜びを分かち合うフィリピンの人たちを思い出します。大多数が貧しい人たちで日々の生活は楽なわけではないのですが、にもかかわらず底抜けに明るいたくましさを持っています。その源泉は受難から復活へと至る道があることをみなが信じており、思いを分かち合える仲間、共同体があるからなのではないかとも思います。

 

(5)私たちの出会いと希望の源泉でもある復活の出来事
 復活の出来事を信じるか、信じないかは信仰の領域になるのですが、この出来事がなければ、キリスト教もイエズス会もなかったわけなので、今の六甲学院の建物もなく、生徒が集まるような学校もなく、クラスメイトとの出会いや先輩後輩との人間関係や教師と生徒とのつながりもなかったのかと思うと、不思議なことだと思います。私たちのこの学校での「出会い」や人間的なつながりそのものが、復活の出来事があったからこそ与えられた贈り物のようにも思えます。
 新約聖書で「復活する」と訳されている動詞は「アニステーミ」と「エゲイロー」というギリシャ語で、どちらももともと「立ち上がる」「起き上がる」という意味だそうです。人間の弱さや醜さや、悪意を受けることから来る悲しみや苦しみは、だれにでもありうることです。それで立ち上がれないような状況に陥ることがあったとしても、起き上がれるたくましさは、これからの困難な時代を生きる私たちには必要なことなのではないかと思います。そして、大人になった卒業生たちを見てみると、危機の時に支え合い信頼できる人間的なつながりが、同期や先輩後輩の中にある人が多いようにも思います。そうした人間関係を築く場としても、この学校の存在は貴重なのかもしれません。信頼できる人間のネットワークを作りながら、希望を見出すことの難しい真っ暗に思える世界の中でも、希望の光を見出すたくましさを、キリスト教精神を基盤にする六甲の学びの場の中で、身につけられたらと思います。