在校生・保護者の方へ

校長先生のお話

三学期始業式 校長講話

コロナ禍に「心の免疫」となる「元気の素」を見出す
~阪神淡路大震災の体験からメッセージを読み取る
《2022年1月8日 始業式 校長講話》

 

1 心に危機的状況への免疫を持つこと

3学期が始まります。中学入試AB日程があるため、生徒たちにとっては、始まって一週間すると、5日ほど家庭学習の日が続きます。その期間もぜひ有意義に過ごして欲しいと思います。高校3年生にとっては、一週間後に大事な大学入学共通テストがあります。模試成績などを見ると全体として上向きに推移していますので、この一週間健康には留意して、前向きに頑張ってくれれば…と思います。また、阪神間で生活してきた人たちにとっては、忘れられない阪神淡路大震災の起こった1月17日が、5日間ある家庭学習日の真ん中にあります。震災のあった1995年当時、六甲学院に通っていた1,200人近い生徒の中には、幸い犠牲者はいませんでしたが、一緒に暮らしていた家族や近隣に住んでいた祖父母を失った生徒が数人いました。長い休校期間があり日常を取り戻すのに様々な困難があって時間もかかった点では、コロナ感染による緊急事態とも共通しており、六甲学院に限らず阪神間の学校は似たような体験をしてきています。

今回の新型コロナ感染によるパンデミックのように、社会にとっても個人にとっても生活面でも精神面でも危機を伴う出来事は、人生の中で何回かは起こりうるものだと思います。皆の世代でも、ワクチン接種をして体に免疫を持つことで、罹ったとしても深刻化するリスクが和らいだ人は多いと思いますが、精神的にもこの危機を乗り越える手立てを試行錯誤の中で自分なりに身に付けること、つまり心に危機的な出来事に対する免疫を持つことは、大切なことです。

 

2 行事・芸術・スポーツから心の免疫力を高める「元気の素」を見出すこと

心に免疫を持つこと、と言いましたが、コロナ禍の様々な制約の中で長期間学校に通い、実施条件が流動的に変化してゆく中で、体育祭や文化祭の準備をしたり、キャンプや研修旅行に行ったりした経験を通して、すでに自分自身を支えたり慰めたり元気づけたりする手立てを身に付けている生徒はいるのかもしれません。また、芸術やスポーツもそうした手立てになりうるのではないかと思います。

例えば、昨年実施された学校行事のひとつに秋の芸術鑑賞会がありましたが、角野隼人(すみのはやと)さんの講話とピアノ演奏に元気を与えられたり心を癒されたりした生徒は多いでしょう。私はお話の中で、学問にも芸術にも才能に恵まれた角野さんのような人でも、自分の将来の道について深く悩んでおられた時期がおありだったことや、「自分の可能性を広げられるのは自分だけれども、自分の可能性を信じてくれる人がいることが大切で、そういう人がいてこそ今の自分がある」と、自分のことを知り信じて音楽の道へ進むきっかけを与えてくれた他者の存在に謙虚に感謝しておられたことに感銘を受けました。演奏については、音にはなじみのあるはずのピアノという楽器が、このような美しく不思議な音色を奏でるものなのか、という新鮮な驚きと共に、楽しみながら聞くことができました。後から思い出しても、角野さんの演奏を聴いていた時間が特別な体験のように思えて、音楽には確かに人を癒し元気づける力があることを実感しました。

また、昨年の夏の東京オリンピックやパラリンピック、この正月の箱根駅伝など、スポーツを通して励まされた経験も、あるのではないかと思います。今年の箱根駅伝では、青山学院大学が優勝したのですが、昨年、直前にエースが怪我で走れなくなり、実力は十分あるメンバー達が動揺してレースがガタガタになってしまったため、この一年間は「(自分を律するという意味での)自律」をテーマに「させられる練習」でなく「自分でする練習」に変えたことで、今年は圧倒的な強さを見せたことが、レース後に紹介されていました。精神面がどれだけ実力発揮に影響するものか、「させられる」のでなく「自らする」集団になることが、その集団としての危機を乗り越えるのにいかに大切かを示す例として、興味深く聞きました。

行事に真剣に取り組むことや、芸術鑑賞、スポーツ観戦等、様々な経験の中で、元気を与えられたり、これからはこうしてゆこうという指針を与えられたりすることが、おそらく心の免疫力を高めることにつながるのだろうと思います。生徒にとっては、体育祭や文化祭などの行事への前向きな取り組みや、さまざまな行事から受け取るメッセージの中に、自分にとっての「元気の素」があったのではないかと思います。年末や正月に自分なりに1年の振り返りや目標設定をした人はいるかもしれませんが、自分にとって「元気の素」は何だったろうかと振り返ることが、これからの(こうしたらよいという)指針を見つけ出すことにも繋がってくるのではないでしょうか。

 

3 阪神淡路大震災時の日番日誌より(1)(危機を乗り越える指針を探すために)

-出来事の中で見えてきた”よい面”にも目を向けること

話の後半として、3学期が始まるこの機会に紹介したいのは、27年前の阪神淡路大震災の時につづられた生徒の日番日誌と感想記事(「阪神淡路大震災体験記(六甲学院)」)です。皆にとっては大先輩であり父親世代にもなる50期台の先輩達が、当時の危機をどう過ごし乗り越えたかの記録を通して、六甲学院にとってコロナ禍の今にも繋がる指針を、メッセージとして読むことができるかもしれません。

 

最初は学校が始まって3日目の日番日誌からです。

「2月8日 高1 月曜日の化学の授業の時、先生は『今回の地震があってからいろんなものが見えてきた』という話をされたが、僕もそういう経験がいくつかありました。僕の祖母の家は全壊し、その後全焼しました。僕の家はたいしたことがなかったので、それほどの被害があるとは思っていませんでした。とにかく父は、祖母の所へ行ったのですが、父はそこに近づくにしたがって”もうだめかもしれない”と思ったそうです。父は3時間掛かって祖母を救出したのですが、夜、家に帰って来た時は泥んこになっていました。

その後も避難所に何度も差し入れやお手伝いに行きました。父はもともとボランティアとかには興味を示さない人で、昔から僕は、お父さんがボランティアをすれば完璧な人なのに……と思っていただけに嬉しかったし、改めて父を見直しました。当たり前と言えばそれまでかもしれないけど、今回の出来事があってから、みんな人のあたたかさを知り、人を助けることを知ったと思います。これから大変な日が続くと思うけど、助け合って生活していかなくてはならないと思います。」

 

地震後の出来事を通して父親を見直し人のあたたかさを知ったという日番日誌の記事なのですが、皆はコロナ禍の出来事を通して見えてきたもの、新たに気づいたことがあったでしょうか?この出来事があったからこそ新たに気づくことのできた”よい面”にも目を向けることができれば、それも危機を乗り越える「元気の素」になるのではないかと思います。

 

4 阪神淡路大震災時の日番日誌より(2)

-これから入学する後輩への思いと勉強かできることへの感謝

2番目は延期した中学入試の前日の日番日誌からです。

「2月28日 高1  地震のために延びていた中学の入試が明日行われる。実に一ヶ月近く延期されたので、勉強道具が無くなった人、調子をくずした人もいるだろうし、より深く勉強ができた人もいるだろう。どちらにしろ、地震によって何らかの影響を受けた人々が六甲中学に入ってくる。これらの人々がこれまでと違った

六甲生になっていくかもしれない。少なくとも地震と受験が重なったことによって、新一年生は、この入試を忘れられないだろう。そんな新一年生がどう成長していくか、楽しみである。

最近、ようやく勉強が軌道に乗りだし、だいぶ日常生活に戻ってきたと思う。しかし、避難所で暮らしている人達のことを考えると、あまり進展がないようにも思える。3月6日から『45分、5時間授業』になるが、こういう状況で自分が勉強できることを感謝し、身を引き締めてやっていきたいと思う。」

 

後輩思いの校風は昔からなのですが、こうして震災を経てこれから入ってくる後輩を思いやる気持ちは六甲ならではのことなのではないかと思います。当時、街中の多くの公立の学校は教室が避難所として使われていて、数カ月間ほとんど授業ができない状況でした。授業があって勉強ができるということが有り難いことだと感じていた生徒達も多くいました。

 

5 阪神淡路大震災時の日番日誌より(3)

-ボランティア活動の体験と勉学との両立

3番目は地震から2ヶ月が経った3月16日の日番日誌です。家が住めない状態になって家族で一時神戸を離れていた高校1年生の記事です。

「2月5日、神戸に帰ってきて一番気になったのは友達のことと信愛学園のことだった。(信愛学園とは、当時社会奉仕活動として定期的に関わっていた御影の児童養護施設です。)2月6日から再開した学校の放課後に信愛学園に行って手伝いをさせてもらえることに決まった。その数日後、友達が西宮のボランティアを紹介してくれた。そこには京都から来た人、東京、九州からとあらゆる人がいた。仕事は炊き出しで、本部で材料を整えて現地の小学校で作るものだった。この活動で友達がたくさん出来たし、色々な経験もした。おばあさんが『ありがとう』と言ってくれた時の気持ちは言い表せないくらいだし、逆に配膳の時、少ないと言われておたまを取られ、勝手に入れられた時には多少腹が立った。

しばらくこの活動をしていて、つい最近気付いたことは、自分を見失っていたことだった。本来やらねばならない勉強をおざなりにしてきていたのだ。神戸に帰ったらボランティアをするぞ!! と思っていたから仕方がなかったが、最近は何とか両立させてやっている。これは長期戦だ。いつかは独立して六甲の生徒を集めて灘区での炊き出しをしたいと思っている。

1月17日の地震以来、2ヶ月がたとうとしている。それなのに街の風景、壊れた世の中は2ヶ月前とそう変わっていない。しかし、1月18日の夜の真っ暗な中の人々の心の中と、今の心の中とでは全く違うと思う。僕は2月18日からボランティアで元気村に行っていた。学校が終わってからだったので、3時頃から炊き出しを手伝った。6時半から晩ご飯ということになっていたので20分位前から行列が出来ていた。隣の御影公会堂の人達も来ていたのだが、日がたつにつれて食べにくる人が少なくなっていった。多分、何時までも沈んだままでいても、どうしようもない。さあ、やるか……と立ち上がっていったのだと思う。早く、活気に満ちた神戸をもう一度見たいし、神戸で思いっきり遊びたい。」

 

生徒が自主的にボランティア場所を探して活動している様子や、勉学もおろそかにしないように兼ね合いも考えつつボランティアをしている様子が伺えます。また、苦境に陥った分、郷土の神戸への愛情も強まっているように思われます。

 

6「阪神淡路大震災体験記(六甲学院)」より

-自転車で中1生の家庭を回る指導員

六甲の場合、地震があってから3週間ほどは休校になり、2月6日から始業時間を大幅に遅らせて短縮授業で学校が始まったのですが、生徒たちは、学校に来られるようになってからは学校の帰り道に、石屋川の公園に立てられていた炊き出しなどのボランティア基地「元気村」に寄ってボランティアをしたり、社会奉仕委員会が主催する長田区や須磨区の炊き出しボランティアに参加したりしていました。家が倒壊したため近くの学校で避難生活をしながら、その学校の救援活動を手伝う生徒もいました。当時中1だった57期生の記録の中には、次のようなものがあります。学校が再開する前の休校期間中のことです。

「指導員のA先輩が自転車で学校に関することを伝えに来てくれた。自転車で組の人を回っているのだという。とても感謝した。六甲の指導員はこのようなものだと感激した。」

震災直後は電話などの通信手段も通じにくく交通機関がマヒしてしまっていたため、自転車で1学期に世話をした中学1年生の家庭を、連絡伝達を兼ねて自主的に自転車で回る指導員がいました。道路自体も大きな地震の揺れで激しく傷んでいる場所が多い中で、通学校区の広い生徒の家を一軒一軒回るのは、大変だったはずですが、この指導員はよほど自分が指導した中1生のことが心配で、いてもたってもいられなかったのでしょう。

 

7 “Man for Others, with Others”

-他者と自分が共に危機を乗り越える生き方として

これらの六甲生が震災時に書いた記事に共通することは、日常を取り戻すために今生徒としてすべき事を大切にしつつ、自分が関わってきた後輩や友達や知り合いや家族のことを思いやり、直接には知らない後輩や市民の人たちのことも気遣い、自分の恵まれた環境に感謝しつつ、他者や社会のためにできることはしようとする姿勢です。六甲生として他者のために何かできることを探して行うことが、危機にある自分自身の心の支えともなり、心の免疫力を高め、元気の素ともなっていたようにも思います。それはコロナ禍にある今も同じなのではないかと思います。

他者との関わりの中で生きている私たちにとって、危機の中にあっても、あるいは危機の中にあるからこそ、他者のことを思いやり、他者のために他者と共に生きることのうちに、自分自身を支える何かや元気の源になる何かに出会えるのかも知れません。六甲学院に集い学ぶ私たちにとってだけでなく、おそらく人間にとって、“Man for Others, with Others”は、他者と自分が共に危機を乗り越えるために、めざす生き方の方向性を示しているように思います。

暗闇の中に輝く光-クリスマスとCompassion(共感する心)

暗闇の中に輝く光-クリスマスとCompassion(共感する心)
《2021年12月23日 終業式 校長講話》

 

◎ 登下校中の生徒の行動と善きサマリア人
2年近く続いている新型コロナウイルスによるパンデミックも、日本ではこの3ヶ月ほど感染者数が少なくなって、学校生活も日常を取り戻しつつあるように思います。変異種による感染の再拡大の可能性を考えると、まだまだ世界が危機的な状況から脱したとはいえませんが、精神的には少し落ち着きを取り戻した人たちもいるかもしれません。     ただ、この2年近くの中で生活が一変したり、人とのつながりがとぎれたり、大切な人を失ったりして、まだまだ暗闇の中を歩いているような心の状態の人も少なくはないと思います。暗く深刻な思いにさせられるような出来事が社会の中で起こり続けていることも、しんどい思いから抜け出せない一因になっているのかも知れません。そうした中でも、人の善意に触れられるような出来事を見聞きしたり体験したりすると、それがたとえささやかな行為であっても、暗闇を照らす光のように、励まされたり希望を与えられたりすることはあると思います。明日はクリスマス・イブで、聖書のヨハネ福音書1章5節には、イエスの誕生を「暗闇の中で輝く光」(「光は暗闇の中で輝いている」)と表現されているのですが、1年が終わろうとするこの時期に、暗闇にいるような状況の最中で輝く光を見出すような出来事があっただろうかと振り返えってみることは、意味のあることかもしれません。最近聞いた生徒の行為の中にも、2つほど「光」を感じさせるような出来事がありましたので紹介します。

12月に入って、学校の近くにお住まいの方から生徒の行いについての感謝やお褒めのお言葉を頂く機会があり、嬉しく思いました。一つは、小学一年生が水筒を落としてしまって、それが学校の横を流れる大月川まで落ちて、さらに下流に転がってゆこうとするところを、川底まで降りて拾い、小学生に渡したという中学生の行動です。もう一つは六甲川に架かる勝岡橋前の横断歩道のところで、雨に濡れた路面で滑って転び、うずくまって苦しそうにしている男性に生徒2~3人で近寄って助け起こし、その男性を支えて横断歩道を渡るまで付き添ったという高校生の行動です。人が困っていたり苦しんでいたりするのを見て助けようとする行動は、ただ放っておけないと思って自然に体が動くこともあれば、ためらってしまって勇気が必要だったりすることもあると思います。この話を聴いて私が思い出したのは、新約聖書のルカ福音書の「善きサマリア人」と呼ばれる有名な個所です。

 善きサマリア人(ルカによる福音書10.29-37)
彼(ある律法の専門家)は、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨2枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの3人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

◎ Man for OthersとCompassion
イエズス会学校がめざす人間像として知られている”Man for Others”「他者のための人間」の生き方を、端的に示す第一の人物はイエス・キリストなのですが、このたとえ話の中の「追いはぎに襲われた人を助けたサマリア人」もモデルの一人であると言われています。“Man for Others”を提唱したアルペ神父自身が、このサマリア人の行為がイメージの中心にあったことを述べています。
この聖書箇所ではサマリア人が、追いはぎに襲われてけがをしている人のそばに来て「その人を見て憐れに思い」と書かれています。その思いを英語ではCompassionと表現します。世界のイエズス会教育では、人が“Man for Others, with Others”になるために育てるべき4つの人間性を、4C‘s(4つのC)と呼んでいるのですが、Compassionはそのうちの一つです。弱い立場の人たち(Others)の苦しみに「共感する心」です。水筒を落として困っている子どものために拾うことや、転んで苦しそうにしている人に近寄って助けることは、このCompassionの心が動いて行動に移ったものと言ってよいと思います。Compassionの心は、その人に特定の信仰があるなしを超えて、この世界を救おうとされる神の人々への思いとそのままつながります。旧約聖書の出エジプト記(3章7~8節)には、次のようにあります。
「主は言われた。わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、わたしは降(くだ)って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地へ彼らを導き上(のぼ)る。」
紀元前13世紀ごろの出来事と言われているのですが、当時、エジプトではイスラエルの人々が奴隷として過酷な強制労働をさせられていました。この聖書箇所では、神はそのイスラエルの民の苦しむ「叫び声を聞き、その痛みを知った」とあります。神は人々の苦しみに共感し、そこから人々を救い出し、モーセというリーダーを立てて、安心して暮らせる広々とした土地へと導きます。そして、明日の晩から明後日にかけて、クリスマスとして祝うイエス・キリストの降誕も、神がこの世界の中で暗闇にいるような人々の苦しみに共感し救いたいという思いから、起こった出来事です。イエスという人をこの世界に誕生させて、その方の生き方を通して人々を救おうとされます。

◎ 「おとぎ話」ではないイエス・キリストの誕生の物語
イエス・キリストの誕生の物語は、聖書の中ではマタイとルカの2つの福音書の中にあります。クリスマス間近のこの季節には、聖書の記述をもとにして教会や幼稚園では「聖劇」が演じられたり馬小屋が作られたりして、時におとぎ話のように語られます。しかし、実はイエスの母親マリアとその夫のヨセフの置かれた立場から見ると、決して明るく温かい「おとぎ話」ではありません。
まず、イエスを身ごもってお産の近いマリアは、ヨセフとともにナザレからベツレヘムへの長旅を強いられます。この世の最高権力者であるローマ皇帝の一方的な勅令によって、住民登録をするためです。ベツレヘムに到着してすぐに陣痛が始まっても、泊まるための宿屋がなく安心してお産をする場所さえ見つかりません。赤ちゃんのお産というのは女性にとってはただでさえ命がけの出来事なのに、産気づいた中での初産に「泊まる場所がなかった」という事実は、母子の命さえ危うい切迫した状況だったはずです。人間的な目で見れば、絶望にさえ陥りかねない事態だったのではないかと思います。結局イエスが生まれた場所は旅先の家畜小屋であり、最初に寝かされたのは家畜のエサを置く器である飼い葉桶です。その上、誕生直後にマリアとヨゼフは、ユダヤを統治していたヘロデ王がイエスを殺害しようとしていることを知って、ベツレヘムからエジプトへと逃れます。身重の体で旅をしたマリアは出産の後に安静にする間もなく、初子を連れてエジプトまで逃避しなければなりませんでした。
私はかつてイスラエルの都市テルアビブからエジプトの首都カイロまで旅をしたことがあるのですが、荒れた道で砂塵の舞う砂漠の光景の中をバスで14~15時間ほど走ります。イエスの生まれた時代は交通機関の整わない2000年以上も前のことですから、マリアとヨセフにとって幼子を連れての未知な場所への旅は、極めて過酷なものであったに違いありません。人間的な観点から見れば、イエスの誕生の物語は、全く暗闇の中に突然投げ出されたような、理不尽で困難な状況を強いられた出来事だったと思います。
このように救い主の誕生にまつわる話は、まるで先の見えない真夜中の暗闇の中での出来事です。そうでありながら闇の中に輝く光を見出すような出来事ともなるのは、人間的に見れば悲惨な暗闇の状況にあっても、希望の光は与えられることを教えてくれるからです。

◎ 2011年に被災地石巻で聞いた話
私が聖書のイエスの誕生の物語を読んで思い出すのは、2011年の夏休みに生徒たちと東日本大震災の被災地ボランティアに行った時に石巻で聴いた話です。その年に生徒たちが被災地支援のために描いて送った横断幕の一枚が石巻女子高校に届いたので、ボランティアの合間に学校に寄って、たまたま会ったブラスバンド部の生徒2名から話を聴きました。
3月11日は、その高校ではもう授業のない春休み期間に入っていて、学校に来ていたのは部活動の練習のある生徒だけでした。揺れ始めたときにはすぐにおさまると思ったけれども、だんだん大きくなってきて、まるで船の中にいるような揺れが一分間以上続きました。異様な揺れ方に驚いたそうです。
携帯電話を持っていた子から、地震の規模の大きさや津波の危険があるという情報は知ることが出来ました。学校は高台にあるので待機しているうちに、海岸に近い街に津波が襲ってきました。校舎の窓から津波に街が飲み込まれてゆく光景を、息をのむ思いで見ていた生徒もいれば、その場にはいられない生徒もいたようです。
津波が来る頃には、海辺の街に住んでいる人たちが、警報を聞き必死で逃げ出して、高台にある学校に避難しに来始めていました。地震が来るまで部活動をしていた生徒たちは、教室一つずつ、避難場所になるように机椅子を寄せていって、街から来る人々を誘導したそうです。瓦礫を押し流す津波の中を避難してきた人たちのうちには、怪我をしている人もいたので、保健室に連れていきました。自分の子供や親類・知人を必死で探している人もおられたので、生徒たちは掲示板を作り、人捜しの情報をそこに集めて掲示する作業もしました。
敷地が隣り合わせで坂道を下った所に門脇小学校があります。小学校の方は大地震の来たその日が卒業式でした。式典のあったその日の放課後に津波に襲われ、自動車が津波に流され、ぶつかり合ううちに火がついて、その炎が小学校の校舎に燃え移りました。
石巻女子高校では、一旦は学校を避難所として被災した方々に寝ていただくようにしましたが、校舎下にある門脇小学校の炎は夜半になって激しくなったそうです。燃え上がる炎が学校から間近に見えます。石巻女子高校に燃え移る危険性が生じてきたので、この学校に身を寄せた被災者たちを、より高台の海から遠い学校へ避難していただくように女子生徒たちは誘導しました。すでに夜中の1時を過ぎていたそうです。
石巻女子高校の生徒の中には家の人が学校まで迎えに来て、心配していた家族と巡り会えて帰った子たちもいました。避難所となった学校に残って、一晩中街の人たちのために働いた生徒たちもいました。学校に残った生徒たちは自分の家族のことを案じ無事を祈りながら、目の前にいる避難してきた人たちの世話をしていたのだと思います。

◎ 暗闇の中の光-”Man for Others”となるために
以上が石巻女子高の生徒2人からボランティアの合間に聞いた話です。2011年のクリスマスの聖書朗読の中で、ふっと被災地で聞いたこの話が思い浮かんでから、なぜか私の中ではクリスマスとこの話とがつながって思い出されます。その理由は、私自身にもわかりませんでした。自然の力であるにせよ人間の力であるにせよ、抗えない力を前にして暮らしていた家から離れざるを得ず、差し迫る状況の中で身を寄せる場所を求める人たちの姿が、マリアとヨセフの姿と重なったのかも知れません。イエスの降誕の物語では暗闇の中に輝く光は天上的な幸福をもたらすものであったのに、それとはまったく対照的な、津波に襲われた日の闇夜の中で街を焼き尽くす炎を連想してしまったのかも知れません。しかし心の中心には、避難してくる人々に手を差し延べた高校生たちの思いと行動のうちに、暗闇としか見えないような悲惨な出来事の最中に、温かい光を見いだした喜びもあったように思います。
最初に紹介した六甲の生徒の行動にも、聖書の中のサマリア人の行動にも、石巻の高校で被災した人々を助ける生徒の行動にも共通するのは、苦しみの中にある人を救おうとする共感の心-Compassion―です。それはエジプトで奴隷として働いている人々を救い出そうとする神の思いともつながっています。そして、私たちがめざすMan For Others, With Others の生き方の中心にあるのは、この共感の心―Compassion―なのだと思います。

新型コロナによる感染拡大をきっかけに生活面でも精神面でも苦しむ人々が多いこの世界の中で、神が人の行いを通して困難の中にある人々を助け支え導かれますように、私たちが、その働きを暗闇の中に輝く光のように見いだすことのできる心の眼が育ちますように、また私たち自身が苦難の中にあっても世の光となる行動が取れる人間―Man for Others―へと成長しますようにと、クリスマスを迎えるにあたって祈り求めたいと思います。

文化祭 校長講話 「文化祭を終えて―知的感動を分かち合うこと」

以下は文化祭後の2021年9月27日の朝礼にて生徒に向けて話した内容です。

 

今日の朝礼では文化祭展示の感想を、「知的な感動」をテーマとして、話したいと思います。今年の文化祭展示は、文化部も同好会的な集まりも面白いものがありました。授業での取り組みや自分で課題を決めて探究した発表にも、見ごたえのあるものが多くありました。

 

◎ 高校3年生数学「エレガントな解法」展示について

高3の数学科の青木先生が企画した「エレガントな解法」は、特に興味深いものでした。生徒の切れ味の良い解答を並べて掲示していました。青木先生は「中学・高校の数学は、感動するものであり、少なくとも苦痛を与えるために発明されたものではない」「数学は無味乾燥な学問でなく汗と涙と感動の結晶である」と語ります。その先生が、「切れ味の良い解答を見つけた時の、感動する瞬間をとらえてほしい、その感動を分かち合ってほしい」と願って企画した展示です。“見事な、美しい解答に出会って、このアイディアがすごいと思ったり、この別解があるぞ! と思ったその時の知的感動の瞬間を味わって、人にシェアしてほしい、そういう学びの歓びが、大学での学問・研究活動の原点にもなる”というメッセージが込められた企画でした。

六甲生の数学に関しては、私は尊敬に近い思いで感心した出来事がありました。夏の奉仕活動の引率で阪急夙川駅から施設の最寄りのバス停「甲山」までのバス乗車20分ほどの間、2人の生徒が教科書もノートも筆記用具もなしで、数学の問題について数式を使って論じ合っていました。夏休みの朝に、奉仕作業に行くバスの中で、頭の中に同じ数式や図形を置きながら、世間話をするように数学の問題について楽しげに論じ合えるのが、日ごろ自分が教えている六甲生なのだと思って、驚いた体験でした。もしかすると皆にはそれほど不思議ではないことなのかもしれませんが、私にはそれなりの知的能力を備えた者同士でしか成り立たない光景のように思えました。別解の切れ味の良さをすぐに見抜いて感動できるというのも、ある程度理系的な知的レベルを共有していることが前提であるように思いますし、それができる恵まれた才能を持った生徒たちが、六甲には集まっていることも確かなのだと思います。

 

◎ 高校2年生の詩作展示と英作文展示について

高2の企画展示については、詩を創作したうえで「詩とは何か」についての自分の考えを加えて展示しているものが印象に残りました。見学時間が限られていてすべての作品を読み通せたわけではないのですが、詩そのものに作品としてよいものが多かっただけでなく、その後の「詩とは何か」のエッセイがよかったと思います。初めて詩を創作してみての感想や、本格的な詩論や、自作の解説になっているものや、時にはエッセイそのものが詩と対になった散文詩のように読めるものもあって、生徒たちの文学的な面での素養の高さが感じられました。

同じ高2の展示物の中では、英語でおもに人権に関わる社会の課題について、自分の意見を論じている企画の内容もよかったと思います。生徒たちの英語展示については、中1では「私のヒーロー」と題して尊敬する人について表現することから始まって、中2では「夏休みの思い出」を表現する課題に取り組み、さらに高2になると抽象的な社会問題についても論じることができるようになってゆく、その中学の初期段階からの英語の表現力にも感心しましたし、その表現力と共に社会的な意識が広がってゆく成長の過程も、英作文展示から見ることが出来たように思いました。

 

◎ 中学1年生の地学展示と前島キャンプ体験発表について

中学1年生の授業展示企画も充実したものでした。地学をテーマとした展示では、身近な出来事や授業で見聞きしたことから疑問に思ったことや関心を持ったことの中で、研究したいものを選んで探究していました。100万年前には無かった六甲山がどうして出来たのか、有馬温泉の近くには活火山がないのになぜ温泉が湧き出るのか、そこで鉄分を含む赤い温泉と透明な塩水の炭酸温泉が出るのはなぜか、東北地方の三陸沖で大型地震が多く起きるのはなぜか、30年以内に高い確率で起こると言われている南海トラフ巨大地震はどのような仕組みで発生するのか、南アメリカ大陸の東側とアフリカ大陸の西側とがなぜパズルのようにはまるのか、その二大陸はなぜもともと一つの大陸だったといえるのか、そうした純粋に知りたいと思って始めた探究活動は、やはり見るものを感動させる何かを持っているようにも思いました。

中学1年生の前島キャンプでの体験発表も心に残ったものの一つでした。展示の中では経験した出来事だけでなく、その時に感じた思いまでよく表現されていました。キャンプファイヤーでさまざまなゲームやスタンツをして盛り上がった後に、その残り火で小グループに分かれて先輩たちと静かに語り合ったミニファイヤーの時間がよかったという発表もありました。「ミニファイヤーについては、それほど期待していなかったのだが、先輩を交えて色々なことを言い合ううちに心を許せて、その場にいた友達・先輩と一つにまとまった気がした。」「残り火の周りに集まって神秘的ともいえるような、それまで感じたことのない感覚を味わった」、という感想もありました。友人や先輩とそうした時間を持つことが出来ることも、六甲の行事の良さの一つだと思います。

 

◎ 知的な探究の場・知的感動を分かち合う場として-学習センターの活用

六甲は、中一指導員と中一生徒とのつながりから始まって、クラブや委員会や行事などで先輩・後輩との人間的なつながりを深める機会があることが特徴なのですが、今回の文化祭展示を見て、生徒同士が知的な面でも、お互いにもっと刺激し合える環境があるとよいと思いました。

高3の数学の授業企画の意図ともつながることなのですが、知的感動を分かち合う習慣がもっと日常的に六甲にあればよいと思います。その機会は学校の教室内でも登校時・下校時でも可能なのですが、本格的にグループで探究し生徒同士が知的な刺激を与えあう場所として、六甲には学習センターがあります。例えば、学習センターには4名から8名ほどが利用できる2室のグループ学習室があるのですが、なぜそういうスペースを作ったのかというと、隣のレファレンスコーナーで調べた内容をもとに、生徒たちが資料を持ち寄りながら図書館内で討議する場所が必要だと思ったからです。また、グループでの発表準備のための話し合いやプレゼンのリハーサルをしたり、グループで学び合いたいという生徒が、白板も使いながら討議し合ったりする場を想定していたからです。生徒の自主的・主体的な学習活動をするための貴重な場所、どの生徒も希望すれば使える場所として創られたスペースです。実際、生徒たちのグループが自主勉強として使い、白板に数式などが並んでいた時期がありました。今は、コロナ禍の感染予防のために使用に制限がかかっているのですが、感染者数も落ち着き生徒のワクチン接種が進めば、もとのような形で使えるようにしてもよいのではないかと思っています。とりあえず、10月に入り緊急事態宣言が解除されたら、グループ学習室のうち一部屋を4人まで、感染対策はした上で貸し出すことを始められれば、と準備しています。

 

◎ 進路に繋がる日常の授業の中の知的感動について

文化祭は終わって日常に戻ったのですが、日常の授業の中でも、頭と感覚を研ぎ澄ませれば知的な感動につながるものは多くあると思います。人によって何に興味を感じるかは違うと思うのですが、過去の卒業生の中には、大学で何を学ぶかを選ぶ上で、学校での授業内容に影響を受けた人は多くいます。例えば、政治経済の授業を受けて、社会経済のしくみを専門的に知りたいと思ったり、生物で遺伝について学んで医学の観点から遺伝を研究したいと思ったりして、進路を決めた卒業生は、私が担任した生徒の中にもいました。

六甲生の能力は自分たちが思う以上に高いのではないかと私は思っています。知的な感動を分かち合う仲間と出会い、その能力をお互いに磨き伸ばし活かす場に、六甲学院がなってほしいと願っています。

二学期始業式 校長講話

以下は2021年8月30日 2学期始業式にて生徒に向けて話した内容です。

 

不自由さの体験からネットワーク作りへ ―コロナ禍の中で文化祭を迎えるにあたって

 

■ 不自由の経験と誰かの役に立つ仕事

2学期が始まりました。皆の夏休みは、どうだったでしょうか? 想像以上にデルタ株の新型コロナウイルス感染が拡大したために、昨年に引き続いて、部活動も家族旅行や友人と遊びに行くことなども、思うようにはできなかった生徒が多かったのではないかと思います。

最近学校に送られてきた就職希望者向けの募集ポスターの中に、「不自由だけは経験した」というキャッチコピーがありました。確かに今の生徒の共通体験は「不自由さ」なのかもしれません。ポスターは次のように文章が続きます。「今、不自由を経験していない人はひとりもいない。でも果たして、考えたかどうか。自分にとって何が自由で、何が不自由か。……そして、他者の不自由も少し想像する。これも立派な経験だ」。文章の後半には、「面接でよくある質問。『これまでどんな経験をしてきましたか』上等だ。自分の不自由を思いっきり語ろう」とあります。そして、この文章は、「不自由の経験は、きっと『誰かの役に立つ仕事』につながる。」という言葉で結ばれます。(兵庫県行政職員募集ポスター)

誰もがこの「不自由」な状態にうんざりして、ここから抜け出したいと願っています。不満や弱音を吐きたくなることもあるでしょう。政治や行政に向けての批判や怒りをもとに、社会の何をどう変えたらいいのかを考えることも大事だと思います。と同時に、この言葉にあるように「自分にとって何が不自由で、この不自由感はどこからくるのだろう?」という問いは、考える価値があるように思いますし、誰もがしているこの不自由の経験が、将来別の誰かの、また何かの役に立つことがあるのかもしれない、とも思います。

パラリンピックの競技を視聴していてよく紹介される言葉に「失われたものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」というものがあります。パラリンピックの父、グットマン博士の言葉です。障害による不自由さだけでなく、私たちの日常的な不自由さに対しても、大切なメッセージが込められているように思います。今与えられている不自由さを、ただ不満に思うのでなく、その限られた条件の中で、残されているものを最大限に活かして、できるだけのことを精一杯する体験は、きっと不透明で不確実なこれからの時代を生きる私たち皆にとって、貴重なものになるはずです。

 

■ 今年の文化祭の目標と東京オリンピック

文化祭があと3週間に迫っています。今年の文化祭のテーマは「大きな一枚岩」を意味するギリシャ語の「モノリス(Monolithos・英Monolith)」であると文化祭委員長から発表されました。一人ひとりが城の石垣のように組み合わさり団結して、六甲学院が大きな一枚岩の集団であることを皆が実感することが、今年の文化祭の目標なのでしょう。同時に委員長からは、「全力で楽しむ」ことが、もう一つの目標として挙げられていました。委員長は自分が小学校の頃に六甲学院の文化祭を見学しに来て、先輩たちの楽しんでいる姿(例えば仲間と協力して作ったピタゴラスイッチが成功した時の喜ぶ姿)から、自分も喜びを感じて感動したという体験を紹介していました。

「一枚岩」のように結束したチームだと感じたり、人が心から「楽しんでいる」姿が、周りの人々にも感動を与えるということは、身近に見聞きする体験の中でもあると思います。今回の東京オリンピックやパラリンピックを視聴した中にも、そうした場面はあったのではないでしょうか?

例えば、水泳競技はメドレーリレーを除いて個人のタイムを競う競技ですが、私は今年の日本選手には様々な場面で、個人を超えたチームとしての絆を感じました。本多灯(ともる)選手は、競泳男子200メートルバタフライの決勝進出時点で8番目でありながら、決勝では銀メダルを獲得しました。まだ10代の本多選手は、日本代表のチームメイトの先輩たちからアドバイスを受け支えられていた一方で、彼の素直で前向きな性格はチームの雰囲気によい影響を与えていたようです。決勝後のインタビューで、決勝の時に心がけていたことを聞かれて「誰よりも楽しむこと」を挙げていました。

その他の種目でも、互いに切磋琢磨してきたメンバー同士が、競技や演技を競い合いながら、そのスポーツそのものを楽しんでいるような場面がいくつもありました。特に国籍や民族を超えたつながりを感じたのは、スケートボードです。皆と同じ世代の青年たちがスケートボードをする姿には、他の競技と一味違った自由な雰囲気が感じられて新鮮に思えました。国の違いも勝敗も超えて競技を楽しんでいる姿、成功しても失敗しても生き生きとして笑顔を絶やさず、互いを称えたり励ましたり慰めたりする姿など、10代中心の若い世代が国や民族の壁を軽々と超えて、相手を競い合うライバルではなく仲間として大切にしている様子が伝わってきました。「こうした違いを超えたつながりの輪が世界中に広まってゆけば、この世界は大丈夫」という希望も感じることができました。

 

■ 「違いを超えた一体感」と「楽しむこと」から世界のネットワーク作りへ

文化祭テーマの「モノリス」と「全力で楽しむ」ことともつながることなのですが、一つに結束した前向きな集団(チーム)になることと、一人ひとりがそのチームの支えを感じつつ、今自分のしていることを心から楽しむことが、個々の能力を最大限に引き出す、ということは、スポーツに限らず、文化活動でも研究活動でもありうることだと思います。私たちは―特にこれまでの大人たちは―「楽しむこと」を遊びや娯楽と結びつけがちですが、真剣な努力が必要なスポーツや学問の分野においても個々の能力を引き出す心の状態として「楽しむこと」を見直す必要があるように感じます。これからの文化祭への取り組みだけでなく、日常の部活動や委員会活動やグループで取り組む学習などでも「楽しむ」心を忘れずに生かすことができたらよいと思っています。

さて、今回の東京オリンピックでは、若い人たちが国籍や民族や言語の隔てを軽々と超えて、つながりを持つ姿が印象に残ったのですが、六甲では高校2年生、1年生が海外のイエズス会学校の生徒たちと英語を使ってオンラインで交流する機会がありました。感想を読むとオンラインでもこれだけ印象深い体験になるのか、と思えるような交流経験をしていたことが伝わってきます。1日目にうまくコミュニケーションができずにやや落ち込んでいた生徒たちが、2日目には自分たちが会話のリーダーシップを取るというチャレンジを課すことで、それこそ姉妹校生徒とのやりとりを「楽しんでいる」様子も見られました。

イエズス会教育の目標の一つは、世界に800以上もあるイエズス会系学校のつながりを生かしたグローバルなネットワーク作りです。それは、世界をより良い方向へ変えてゆく”仕えるリーダー”のネットワークです。また、国連が提唱する、持続可能な世界を目指すSDGsの取り組みも、17の課題のうちの17番目は「パートナーシップ」です。先進国側の人々が発展途上国の人々を支援するだけでなく、国や立場を超えてネットワークを作りながら弱い立場の人々をサポートする社会のしくみ作りを目指しています。イエズス会教育も国連も、弱い立場の人々がより人間らしく生きられる世界とするためにネットワークを作ってゆく方向性は共通しています。グループで課題に取り組む文化祭での体験や、姉妹校との交流体験などが、将来の社会をよりよく変えるネットワーク作りへと生かされてゆくことを願っています。

 

■ コロナ禍の制限の中で創意工夫を―「残されたものを最大限に生かす」精神で

最後に、デルタ株の感染についての一般的な注意をしたいと思います。

デルタ株の感染力の高さ、急激に重篤化する危険性、そしてこれまで感染する割合が少ないと言われていた20歳以下の若い人たちにも感染することなど、これまで以上の感染防止対策が新学期に入ってから必要になります。デルタ株が広まる前には学校での感染ケースはそれほど多くはなかったのですが、今は近畿圏でもクラブ活動の試合などを通じて数校でクラスターが発生し、その影響で大阪方面には最近文化祭を中止にせざるを得ない学校もありました。

8月下旬に兵庫県からは原則的にクラブはしないように通達があり、六甲学院でも、公式戦が迫る時期の練習を除いて部活動を中止にせざるをえません。クラブの原則中止は文化部も同様ではあるのですが、文化祭を文化部の公式戦とみなすことで、準備のための活動を全面的に休止することはしないことにします。ただ、今の感染状況を考えると活動は制限をせざるをえません。文化祭自体を中止にする事態になることを避けるための処置と考えて、今与えられた条件の中で、できる範囲での準備をして文化祭を迎えてほしいと思います。

今年もコロナ禍の中での文化祭になり、特に展示発表の中心になる文化部は昨年度に引き続き、夏期休暇に県外へ泊りがけの合宿(研修旅行)をした上で、その研究成果を発表する形を取ることができませんでした。それでもそれぞれのクラブは日帰りで行ける県内の見学場所を探したりしながら、活動を工夫して充実した発表を試みていると思います。文化部以外の生徒たちもそれぞれに、関心の持てるテーマを選んで、小グループに分かれて取り組みながら、発表をする予定です。

準備過程でも本番でもコロナ禍の制約のある文化祭ではありますが、そうした最中であるからこそ、それぞれのグループが結束し創意工夫をしながら活動することに、やりがいや楽しさを見出してくれたらよいと思います。不自由ではありますが「失われたものを数えるのでなく、残されたものを最大限に生かす」精神で、個々の個性や能力を発見したり生かしたり伸ばしたりする機会に、この文化祭がなってゆくことを願います。

一学期終業式 校長講話

以下は2021年7月20日 1学期終業式にて生徒に向けて話した内容です。

 

 

(1)1学期を振り返って

 一学期が終わろうとしています。コロナ感染からだけでなく、熱中症からも、落雷からも、身を守ることを意識し学んだ1学期だったように思います。4月に入ってからも緊急事態宣言やまん延防止等重点措置があり、コロナの感染防止対策を継続せざるをえませんでした。授業はほぼ通常通りできましたが、クラブを始めとした諸活動が思うようにはできないまま、また楽しいはずの昼食も黙食のままの1学期でした。体育祭は、半日の開催になりましたが、高校3年生のリーダーシップと全校生の協力によって、コロナ感染・熱中症対策をしながらも、ひきしまって充実したものになったと思います。

 

 (2)夏休みを過ごすにあたって(生涯探究する問い➡危機を救う人とのつながり➡防災)

これから、三つの内容について話します。一つ目は生涯を懸けて答えを探すような「問い」について、二つ目は体育祭テーマにもあった世代を超えて受け継いでゆく縦糸と同世代がつながる横糸が織り合わさるというヴィジョンについて、三つ目は身近な防災について、です。その三つの話の内容には、つながりがあります。

夏休みは、普段の生活よりは少し思索の時が持てるのではないかと思います。自分は何を大切にして生きるのかといった問いや、世界はどういう課題に直面しその危機を乗り越えるためにどういうリーダーが求められるかについて等、日常の中で考える種を探して思索をしてくれたらと思います。「考える種」は日常の出来事からでも映画・テレビ・ラジオ番組からでも見出すことができます。また、日常の中でも起こりうる災禍(第5波が身近に迫るコロナ感染に限らず)への対策についても心に留めてくれれば、と思います。

 

 (3)生涯の課題となる自らへの問いについて

先週の日曜日の午前中は、久しぶりに家で過ごしました。朝食の時に聞くともなく流れていたラジオ番組で、視聴者の方から司会者に、次のような質問がありました。「最近よく幼い自分の子どもから様々な質問をされる。この前は『生きるって何?』『生きるってどいうこと?』と聞かれてびっくりした。こういう質問に対してどう答えたらいいのでしょうか?」という質問でした。司会の方は、まずは子どもに「とてもいい質問だね」「よくそんな質問を思いついたね」とほめつつ、その間に自分なりの答えを考える。そして、自分なら「今、自分もそれについては勉強しているんだ」「今自分もそれを探しているところなんだよ。」と答えるかな、と話していました。いい加減な答えやその場を繕うような答えをしてしまって、それがへたに子どもの心に残ってしまうよりも、よいのではないか、という答えで、なるほどと思いました。そして、二つの事を思い出しました。

一つは私が小学校3~4年生の時に、母親に「死んだらどうなるの?」と聞いたときのことです。母親からは「何もなくなるんだよ」という答えでした。宗教を持っていない日本人の標準的で率直な答えのひとつだと思うのですが、幼い自分には優しい母親からそういう答えが返ってきたことがショックでした。そのままを受け止めきれなかった自分は、そのときから自分なりに「何のために生きるのか」の答えを探し始めたように思います。(私の母親は90歳近くになった今では、特定の信仰は持っていないものの、死んだ後に親しい人と会える来世を信じているようです。)

もう一つ思い出したのは、三年半ほど前に76期の生徒会が企画し上映した映画でした。中高生に「生きるってどういうこと?」と聞いて、どういう答えが帰ってくるだろうかと思った時に、『君の膵臓を食べたい』という映画の一場面を思い出しました。心根は明るいけれど膵臓を患っていて、余命の少ない高校生の主人公の女の子が、「真実か挑戦か?」というゲームのやりとりの中で「君にとって生きるってどういうこと?」と聞かれます。その問いへの答えは、「誰かと心を通わせること、かな。」「誰かを認める、好きになる、嫌いになる、誰かと一緒にいて、手をつなぐ、ハグをする、すれ違う、それが生きる。自分ひとりじゃ、生きてるってわからない。そう、好きなのに嫌い、楽しいのにうっとうしい、そういうまどろっこしさが、人との関りが、私が生きているっていう証明だと思う。」という言葉でした。

「誰かと心を通わせること」「人との関り」が生きること、という答えは、映画を見ていないとピンとこないかもしれませんが、高校生としての、その子の生き方がそのまま現れているような答えで印象に残りました。この言葉の中に「自分ひとりじゃ、生きてるってわからない」とありますが、この問いに限らず大切な問いの中には、自分一人の頭の中だけで哲学的に考えていてもなかなか答えの見出せない、人との関わりや経験を通して一生かけて答えを探すような問いがあるように思います。日常の人との関わりの中で、また学校生活ならば日常の友人との関りや部活動・委員会活動、体育祭・文化祭などの行事への取り組みをしてゆく中で、今の自分が実感としてつかんだことを、自分なりに言葉にしてみることが大切なのだと思います。

イエズス会教育の特徴の一つは、一生の課題になるような「問い」をその人のうちに種まくこと、と言われているのですが、皆の中にはそうした問いがあるでしょうか?

 

 (4)世界の課題を乗り越えるための縦糸と横糸との連携協力ヴィジョン

この前の日曜日の朝にはもう一つ、これも普段はほとんど見ないテレビ番組なのですが、NHK連続テレビ小説「おかえりモネ」の先週の総集編をたまたま見ていました。主人公の女の子は、気象予報士になるための学校に合格してこれから東京に向かう所でした。そのモネという女の子は、東日本大震災を経験した東北在住の家族に「気象はね、未来がわかるんだよ。未来が予測できるってことは、誰かが危ない目に合うのを止められるかもしれないってことで、この仕事で、誰かを守ることができるんなら、私は全力でやってみたい。大切なものを無くして、傷つく人は、もう見たくない」と、話している場面がありました。

その言葉を聞いて思い出したのは、5年ほど前に(2016年から17年にかけて)大ヒットしたアニメ映画『君の名は。』です。ストーリーも音楽も映像も、小学生から大人まで楽しめるアニメ映画でしたので、見たことのある人も多いと思います。おそらく、東日本大震災の時に、もしも地震と津波が来ることを予測して知らせられたならば、あれだけたくさんの人々が命を落とし、その家族友人が悲しい思いをしなくてすんだかもしれないという、多くの人の心の奥の思いが重なって、受け入れられた映画だったようにも思います。アニメ映画として、隕石が落下して一つの村が壊滅した三年前の出来事に遡って、その出来事が起こることを事前に伝えることで、村の人々を救うというストーリーが創られた背景には、東日本大震災があったことは確かだと思います。

この映画については、3年前に日本のイエズス会4校の高校生たちが、イグナチオ的リーダーシップ研修のために、30人近く集まった練成会の中で見る機会がありました。リクリエーションとしてではなくプログラムの中心題材として見たのですが、娯楽映画として見過ごしてしまいがちな作品でも、ある観点から話し合いながら見てゆくと、さまざまな気づきがあって、一人だけで見るより豊かな作品として感じられたように思います。生徒たちにとって共通の「気づき」の一つは、人と人との出会いには互いに相手を変えてゆく力があるということです。映画の中では、縦糸と横糸を織り合わせた「組紐(くみひも)」が人の出会いとつながりを象徴していました。

映画のテーマの中心は、時間と場所を越えた人間同士のつながりで、何世代にもわたって村に伝わる「災害から人を救いたい」という願いと、個人的な出会いと関わりの中でこの人たちを助けたいという思いとが、糸を紡ぐように織り合わされて、3年前に壊滅したはずの村を救うという奇跡が起きます。過去の世代から未来の世代へと受け継いでゆく“未来に生きる人々の命を救いたい”という縦の糸と、同時代の人々がつながり団結し協力して助け合うという横の糸が組紐のように織りなされることで、危機をはらむ今の時代は乗り越えられるというメッセージが込められています。

そしてそれは、震災遺構や語り部の活動を大切にする東日本大震災の被災地でも、未来に生きる人々に心を向けるSDGsの取り組みにも、コロナ後の社会の在り方や人間の生き方を模索する今の世界にも共通するヴィジョンであるように思います。おそらく、今年の体育祭の糸偏の「あざやか」というテーマの着想も、こうした世界的なヴィジョンとつながるものがあるように思うのですが、どうでしょうか?

 

 (5)日常の中での自然災害への対応と防災について

より現実的な防災の話にはなるのですが、今の時代の科学技術では、大地震や津波や大規模な土石流が事前に予知されて、市町村を丸ごと避難させて救うほどには、進歩していません。ただ、日本の気象予報の精度は高くて、自分たちの生活の中でも、NHKドラマの主人公が話していたように、災害から身を守るための役に立つものにはなっています。

先週14日には、六甲近辺に数十年いる私たち教師にとっても初めてと思えるくらい、雷鳴が長く続き近隣に雷が落ちている様子でした。雷鳴が近くにとどろき、烈しく雨が降っている最中は、もちろん落雷が直撃する可能性があるので建物内を離れて外に出ることは非常に危険です。その間は校内待機としました。

インターネットの画像で現在は、兵庫県内の上空のかみなり雲の広がりや落雷箇所やその頻度、雲の移動方向や時間を予測する画像を見ることができます。14日の正午頃には、兵庫県上空の落雷・雷雨の気象情報を見てみると、現在の雷雨をもたらしている雲とは別に、さらに大きく落雷も烈しい雷雲の塊が、北の加東市・三木市の方面から南に移動してきていることがわかりました。その天気図の中の雲の切れ目と、実際の雷鳴が遠くなり雷雲が一旦過ぎ去って雨がほとんど止んだ様子を見て、数名の先生方と話し合って14時下校を判断しました。状況がより落ち着くのを待つ選択肢もあったのですが、待つことでこれまで以上に雷雨・落雷が激しくなり、生徒の帰路がより危険になる可能性が高くなる状況でした。天気図にあった北からの大きな雷雲は南下して、実際には三宮より西側を直撃し始めていることがわかりました。教頭先生からは、三宮より西方向へ帰る生徒に対して、雷雨が烈しいことを伝え、注意喚起をして頂きました。帰途に不安がある生徒には学校で待機してもらい、再度降り出した雷雨の状況が少し落ち着いた時を見計らって、自動車で駅まで送ることになった生徒もいました。

雷はところを選ばずに落ちるのですが、特に高いものがあると、そこを通って落ちる傾向があります。今回待機後に帰った生徒の中に、再び降り始めた雨を避けるために第3グラウンドの木の下で雨宿りをしていた生徒がいたとのことで、見回っていた教員が、すぐにその場を離れて駅へ向かうよう指示を出しました。今後は雷が鳴っているのが聞こえる場合は、高い木の近くは避けてください。建物の中やバス・列車の内部は比較的安全だと言われています。

今回の雷雲の場合のように、かつてと比べると気象はある程度予測でき、身を守る役に立つようになっていることは確かです。しかし、先ほども述べた通り災害は、どれだけ科学が進歩しても予知しきれるものではありません。例えば学校の東側を流れる都賀川は、2008年7月28日、突然の豪雨により10分間で1m30cm以上も増水し、小学生を中心に16人が流されて子供3人を含む5人の尊い命が失われたことで、全国ニュースにもなりました。源流の一つは皆が毎日登校時に渡る松蔭大学前の六甲川です。普段は安全な川と思われていて、よく下流では川辺で家族連れがバーベキューをするくらいなのですが、当日は上流に集中豪雨があって、鉄砲水のように上流からの流れが川辺にいた子どもたちを襲いました。その日は、私は生徒研修所を拠点とした近隣清掃の奉仕活動を生徒としていて、その作業が終わって生徒を解散させたすぐ後でした。六甲山の上に異様に黒い雲が浮かんでいたので、印象に残っているのですが、直後に身近な場所で事故が起こるほどの豪雨になるとは思いませんでした。生徒研修所周辺は、それほど長時間ではなかったのですが、確かに路面を叩きつけるような激しい雨が降りました。予測困難な局地的大雨を「ゲリラ豪雨」とマスコミが言い広めた最初の出来事の一つでした。

最近静岡県熱海市で起きた土石流も、この時に起こると予知できたわけではありません。六甲近辺でも、六甲学院の東隣の篠原台で三年前の2018年7月に起きた土石流は、私を含めて住んでいる者たちには、まったく予想できないものでした。学校の正門から歩いて3分程度の場所です。事が起こった後で、今回土石流が起こった辺りは、昔は沢で、川か流れており、その谷を埋め立てて住宅地にしたので、その昔の沢に沿って土石流が流れたのだという話を聞きました。私の家は土石流の現場からは、300メートル程離れているのですが、避難指示があって、近所の人たちと2泊だけ避難所に泊まりました。阪神淡路大震災でも東日本大震災でも、避難所を訪れる経験は数多くあったのですが、自分が避難する立場になって、たとえ短い日数でも当事者にならないとわからないことが、多くあることを知った出来事でした。そうした経験がありますので、自然災害はいつどこで巻き込まれるかわからないという実感があります。防災・減災について生徒皆が学ぶことも必要だと考えています。

 

 (6)イエズス会教育の観点を加えて、以上の話をまとめます。

➀イエズス会教育の特徴の一つは生涯学び続けることなのですが、その生涯学習は知識の教育ではなく生涯探究する「問い」を持つということです。例えば「生きるとはどういうことか」「誰のためにどう生きるのか」といった大切な問いについては、具体的な人との出会いや関わりと経験の中で答えを探すことが大切だと思います。

②イエズス会教育の特徴のもう一つはリーダーシップ養成なのですが、体育祭役員が意識してきた前の世代の思いを受け継いで次の世代へとつなげてゆくことと、今の制約の中でも互いに協力しあって本気で取り組むという体験は、現代の世界の課題に立ち向かう社会のリーダーとなるためにも大切なもののはずです。体育祭テーマの縦糸と横糸とをつなぎあわせて一つのあざやかな布を織るイメージを、世界の危機を乗り越えるヴィジョンにつながるものとして、今後も大切にしてほしいと思います。

③防災についてなのですが、これから始まる夏期休暇期間は、変異したコロナウイルスのために若い人たちにも感染しやすくなっていますし、豪雨による洪水や土石流、落雷などの気象現象も、世界的に危険度を増しています。災害は想像以上に身近なものです。日常的に自分を守ることができるように、心して過ごしてほしいと思います。

体育祭練習に向けて~「アジェ・クォド・アジス(Age quod agis)」

以下は2021年6月7日(体育祭練習 初日)朝礼にて生徒に向けて話した内容です。

 

(1)体育祭委員長が呼びかけた全校生の「心構え」

今年の体育祭は、6月5日、先週の土曜日が本番の予定でした。新型コロナウイルスの感染拡大と緊急事態宣言延長のため、6月23日(水)に延期しました。今日から本格的に練習が始まります。

体育祭委員長は、体育祭テーマ発表後の最初の挨拶で、体育祭に取り組む心構えとして二つのことを話していました。皆さんは覚えているでしょうか?

一つは、「感謝の気持ちを持つ」、もう一つは、「本気で取り組む」ということでした。

「当たり前が、当たり前でなくなってしまった。今も緊急事態宣言が出ていて 本番が本当にできるかどうかも分からない。それでも練習ができる。まずそのことに感謝したい、そして一回一回の練習に本気で取り組もう」

体育祭委員長は、そう話していました。今日から、皆がそういう気構えで頑張ってほしいと思います。

 

(2)「感謝の気持ちを持つ」

これからの練習は、緊急事態宣言下で、それも暑さと湿気の中での練習になるため、健康面の配慮も含めて様々な制約はあると思います。本番も、例年は数千人もの観客が訪れる行事ですが、今年は校内行事に近い形となります。プログラムも種目数を絞って時間も短くせざるを得ないと思います。しかし、昨年の明るく優しくバイタリティのあった78期生が、あれほどしたくてもコロナ感染拡大下で練習すらできなかったくやしさ・無念さを思うと、今の状況下で、まずは練習ができることは、体育祭委員長が言うように決して当たり前のことではありません。有り難いこと、嬉しいこととして、前向きに練習を始められたらよいと思います。78期生の思いを受け継ぎつつ、次の世代に六甲の伝統行事である体育祭を引き継いでいこうとする高3役員たちの思いに、六甲生皆が応えられたらよいと思います。

 

(3)「本気で取り組む」―アジェ・クォド・アジス

委員長がもう一つ話していた「本気で取り組む」ということと関連するのですが、イエズス会教育の中で大切にしている言葉に、アジェ・クォド・アジス(Age quod agis)というラテン語があります。「あなたが今していることを、本気で心を込めて、しなさい。」という意味です。「今ここでしているそのことを大切にする」ということです。それには、多くのことを同時に心を散らしながらしたり、過去にとらわれたり未来のことを心配したりしながらするのではなく、今に深く集中し、すべき物事を絞り、物事の真理や本質に向かって心が届くように行う、という意味合いが含まれています。体育祭委員長の話していた本気で取り組む、とつながると思います。先々週森本教頭が「マインドフルネス」の瞑想を紹介していましたが、これも「『今、この瞬間』を大切にする」心身の在り方をめざすものです。アジェ・クォド・アジス(Age quod agis)の精神とつながるところがあるように思います。

 

(4)イエズス会の聖人アロイジオ・ゴンザガの精神

イエズス会の中で、この「あなたが今ここでしていることを、本気で心を込めてしなさい」という「アジェ・クォド・アジス」の精神を実践した代表的な人物の一人が、聖アロイジオ・ゴンザガであると言われています。16世紀後半を生きた人で、貴族出身なのですがイエズス会士と出会ってインドへの宣教を志し、17歳でイエズス会に入会した人です。

ローマにペストが流行する最中に、イエズス会が開設した診療施設で救援活動を自ら望んでし続けます。危篤のペスト患者を抱きかかえて運び、自らも感染して、3か月病床にあって20代半ばで亡くなってしまいます。若くして人望も厚くリーダーシップもある優しい人物として、カトリックの世界の中では、若い人たちを見守る聖人として知られています。その生き方は、現在のコロナ禍の医療従事者の尊い行為にもつながるものだと思います。イエズス会学校の姉妹校の中にも、「アロイジオ」や「ゴンザガ」の名前がついている学校が数多くあります。(来月オンラインで交流する予定のオーストラリア・シドニーの学校も「アロイジオ学院」です。学校は、シドニーの観光名所オペラハウスが対岸に美しく見える場所に建っていて、コロナのパンデミックが起きるまでは、毎年過酷な生活環境の東ティモールに生徒ボランティアを送り出していました。社会奉仕活動に熱心な学校です。聖アロイジオの精神が生きているのだと思います。世界のコロナパンデミックがおさまったら、生徒と訪問したい学校の一つです。)

アジェ・クォド・アジスの精神を説明するためによく紹介されるのは、聖アロイジオ・ゴンザガの次のようなエピソードです。

アロイジオは修道者として修練(修行)をしていた10代の頃、運動の時間(今でいう体育や体操の時間)が始まる前に、仲間がふざけて「あと1時間で死ぬとしたら君は何をするか」と尋ねられた時に、「運動をこのまま続ける」と答えた、と伝えられています。アロイジオは、今ここでしていることや目の前にいる人のために全力を尽くすことが、最も大事なことだと感じていました。「今・ここ」ですべきことに心を込めてすることが、深い部分で常に「永遠」とつながることだと信じていたのだと思います。

 

(5)過ぎ去る日常のうちに、永遠なるものを見出すこと

アロイジオ・ゴンザガは修道院に入るまでは、貴族の家柄でありながら父母兄弟には不幸や悲惨な出来事が付きまとい、波乱の多い青少年時代でした。そうした彼にとって、当たり前のように繰り返される修道院での平穏な日常の出来事の一つ一つが、決して当たり前ではない神からの贈り物として、感謝すべきことのように感じられていたのかもしれません。だからあと1時間の命だとしても、今この場ですべき事が「運動すること」であるのなら、それに全力を尽すことが、最も価値のある有難いことであり、「永遠」とつながることだ、と感じ取ることのできる人だったのだと思います。

ミッションステートメントの初めに書かれているように、六甲学院は「過ぎ去るものの奥にある永遠なるもの」を見出す生徒を育てることが、学校の使命の一つです。これから始まる体育祭の練習や本番も含めて、日常の「今、ここ」ですべきことを本気でする中で、日々過ぎ去っていく出来事のなかにある「大切な何か」に気付くことができればよいと思います。その大切な何かとは、一生心の支えや拠り所となるような充実した「時」であったり仲間との「絆」であったりと、人によって様々だと思いますが、それが六甲の初代校長の校碑にある「過ぎ去るものの奥にある永遠なるもの」とそのままつながるのではないかと思います。

 

今回の体育祭は、体育祭委員長の言葉「本気で取り組む」「感謝の気持ちを持つ」ことを、生徒一人ひとりが、心に留めながら練習すれば、十分それぞれの人にとって意味のあるものになるはずです。今日からの練習を、一人ひとりが本気で頑張ってほしいと思います。

東ティモールの大洪水と募金活動

以下は、2021年5月10日の朝礼にて生徒に向けて話した内容です。

 

東ティモールの大洪水と生徒募金

4月の初めに、東ティモールで大洪水が起こった知らせを受けて、社会奉仕委員会から緊急募金が呼びかけられました。

東ティモールは2002年5月20日に独立した「21世紀最初の独立国」として知られる新しい国です。アジアの中で最も貧しい国の一つです。インドネシア群島のほぼ中央、オーストラリアの北に位置しています。人口は130万ほどで、広さは岡山県の二倍近く、四国を二回りほど小さくした国です。

 

募金は新型コロナ感染の緊急事態宣言発令が間近な時期で、その前の週はインド募金があったばかりで、あまりなじみのない他の国のことでもあり、皆の関心が向きにくいかもしれないと心配しました。それにもかかわらず、生徒募金は94,409円、集まりました。自分の生活のことで心もいっぱいになってしまいがちなこういう時期に、直接には深いかかわりを感じにくいこの国の窮状を知って、校舎に入る通りがけに財布をカバンから取り出して、快く募金に協力をしてくれる生徒がこれだけ多くいることは、学校として誇りだと思います。心根の優しい生徒が多いのだと思います。

 

姉妹校聖イグナチオ学院について

募金は、特に被災した姉妹校の聖イグナチオ学院の生徒に向けた支援として呼びかけられました。聖イグナチオ学院は2013年に設立された新しい学校です。首都ディリから自動車で40分ほどかかる田舎の村に建てられました。都会で暮らす子弟でなく貧しい暮らしをしている子どもたちに良い教育を提供したい、そこから国のリーダーたちを育てたいという願いがあったからです。また、学校教育が十分成り立っていない東ティモールで、学校教育というのはこういう風にするのだと示すことができるようなモデル校・パイロット校にしたいという大きな志が設立の初めからあった学校です。イエズス会の創立者イグナチオの“大きな志を持つ”という精神は、こういう所にも生きています。実際に、良い教育をしていると聞いて、田舎にあるこの学校へ首都ディリから多くの生徒たちが、通うようになっています。

六甲学院は創立の最初から、学校で使っていた手作りの木製机を送ったり、本や文房具を送ったり、サッカーボールやバレーボールを送ったりしています。六甲学院からは、2014年に生徒として当時高2・高1だった73期・74期生が2名、東ティモール大使館の招待でこの国を訪れています。

聖イグナチオ学院生徒2

聖イグナチオ学院の生徒たち

 

ロックダウン中の洪水被害と援助先の検討

今回の洪水は、特に首都のディリで新型コロナウイルス感染が広がる中で、3月8日からロックダウンしていた最中のことでした。家が浸水して家財道具を失ったり教科書・文房具等をなくしたりしてしまった姉妹校の生徒たちへの支援として、募金は呼びかけの通り姉妹校に、まずは送ります。また、今もロックダウンが続いていて首都ディリに入れない状態の浦神父(かつて六甲学院で教鞭を執り、聖イグナチオ学院の設立当初から現地で尽力されている先生です)も心配されていることなのですが、都市封鎖の影響で仕事を失い、食事や飲料水にも困っている人々への支援もしたいと思います。さらに、東ティモール政府は今回の災害は首都ディリの被害が非常に大きいため、この街に限定して国際支援を要請しているのですが、都市部以上に支援の手の届きにくい人たちが農村部にもいるのではないかと、災害のあった時から気になっていました。私は2014年と2017年に現地に行っているのですが、農村部は都市部とは違う貧しさがあり、通常でも栄養のある食事が取れない人々が数多くいます。

今回の被災地支援にあたっては、そうしたディリ市内や農村部の情報も入るならば参考にしたいと思いました。情報源として頼りになる人が、卒業生の中にいます。東ティモールの教育をテーマに、現地のフィールドワークをしながら研究をしている71期の須藤君です。上智大学の教育学部で修士まで6年学んだあと、今は東京大学の教育学研究科の博士課程に在籍しています。彼に、募金の送金先の候補を挙げてもらいました。私が須藤君にお願いした送金候補の基準は、農村部に向けて支援ができる団体であること、緊急な中で機敏に今必要な支援ができる団体であること、の2点です。その日のうちに5つほどリストを送金候補としてメールで送ってくれたのですが、その中の2か所に、加えて送金できればと考えています。

東ティモール洪水2

東ティモール洪水により苦心する人々

 

2つの救援団体の活動

一つ目は、パルシック(Parcic)というNGO団体です。豪雨被害は東ティモール全域に広がっており、特に河川が氾濫した北部の平地と、強風と地滑りとで多くの家屋が倒壊した西部山岳部の被害が大きいことを伝えています。政府は首都ディリに限定した国際支援を要請していますが、その他の県でも被害が大きいにもかかわらず、支援がまったく入っていない地域もあることを、災害の一週間後には知らせています。ディリ市内の事務所が泥水の被害にあいながらも、被災5日後には避難所の150世帯に飲料水とマットレスを配布し、ロックダウンされていた首都の新型コロナウイルス感染拡大防止措置の規制が一時緩和されると、すぐに山村のマウベシ村まで行って、全壊・半壊15世帯の修繕に必要なセメント・トタン板・鉄筋などの資材を届けていました。

もう一つはPeace winds Japan という日本の団体です。土砂崩れ、道路の陥没、住宅の浸水、倒壊などで25,000人以上が被災していることを報告しつつ、洪水発生翌日から緊急支援として、食料・水・即席めん、乳児支援キット、妊婦支援キットなどを配布しています。また、感染症予防の観点からも、飲料水だけでなく生活用水として水を配布しています。泥だらけになった衣類や家財道具を洗うのに、汚れた川や水たまりなどから汲んだ汚水を使わず、生活用水を使うように呼び掛けています。そして、4月20日には、1,849世帯13,000人にきれいな水を届けたことを伝えています。

こうした支援先への送金は、できれば伯友会や保護者の方々からの募金の一部も充てさせていただけたらと考えています。おそらく、今は聖イグナチオ学院の生徒たちの生活と学習環境を整えることに奔走していて、他の被災者のためにも働きたいと願ってはいても、ロックダウンの影響もあって、直接には市内や山村の被災者救援のために動けない浦神父たちスタッフの方々の思いにも、沿うものだと思っています。

 

OBとの連携と六甲ネットワーク

私たちは、こうした災害時の救援についても、できるだけ持っているネットワークを生かして、多角的に現状を把握しながら、今必要とされている場所へ必要とされているものを届けることが大事だと思います。他国の災害救援でも、六甲学院を卒業した後も同じ価値観と方向性をもって、チームとして共同で働ける人たちがいます。私たちにとって、そうした卒業生は単に教え子ではなく「仲間」です。そして、在校生たちも、こうした卒業生とつながりを持ってほしいと思いますし、将来は世界をよりよくするためにネットワークとしてつながる「仲間」に育ってほしいと願っています。