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月別アーカイブ: 2023年3月

六甲学院中学校 83期生卒業式 校長式辞

《2023年3月18日 六甲学院中学校 83期生卒業式 校長式辞》

 

Ⅰ はじめに-「新しい人」になることをめざす
 83期の皆さん、六甲学院中学校の卒業、おめでとうございます。
2022年4月の始業式では、1994年にノーベル文学賞を受賞した大江健三郎氏の次の言葉を紹介しました。
「『新しい人』になることをめざしてもらいたい。自分のなかに『新しい人』のイメージを作って、実際にその方へ近づこうとねがう。…そうしてみるのと、そんなことはしないというのとでは、私たちの生き方はまるっきりちがってきます。」
この1年を振り返って、どうだったでしょうか? いくらかでも「新しい人」になることができたでしょうか?
83期の皆にとっては中学を卒業し、これから高校に向かうこの機会に、高校3年間でどういう人になりたいか、自分なりにめざしたい自分の姿を想像して、「自分のなかに『新しい人』のイメージを作って」みるとよいと思います。そして、是非その「新しい人」をめざして下さい。

 

Ⅱ 興味の持てる課題を見つけて自分なりに探究する
 また、これまでの授業や行事や様々な活動の「学び」の中で興味を持てたことについては、自分なりにさらに探究する機会を持ってほしいと思います。今年、京都大学の総合選抜型入試(推薦入試)で合格した80期の生徒の中に、中学時代にSDGsをテーマにした授業で環境問題に関心を持ち、それを自分の課題として高校に入ってからも取り組み続けて進路を決めた卒業生がいました。上智大学等の推薦入試などでも、面接で志望動機を聞いてみると、ほとんどの生徒は授業や文化祭・クラブ活動・委員会活動等の取り組みの中で、大学で学びたい分野や関心事を見つけ出しています。学校生活を本当の意味で楽しむため、また将来自分のしたいことを見つけるためにも、高校入学後も授業や学校活動に前向きに積極的に取り組んで下さい。
 世界的なコロナ・パンデミックの中で、思うようにできないことの多い3年間であったことは確かなのですが、不自由で特殊なコロナ禍の体験も含めて、そういう時代に居合わせたからこそ取り組むべき課題やこの世界をより良くするためにもしてみたいことが、見えてくることはあるのではないかと思います。中学生時代の学びの中から生涯探究したい課題を見つけ出し、それを高校入学後の学習の動機づけにもしてきた生徒は、六甲学院の卒業生の中に数多くいます。もちろん、これからの高校の学習の中で興味の持てる課題や将来してみたいことを探すこともできるでしょう。

 

Ⅲ 「まなびほぐす」こと-「知る」から「分かる」へ
 朝日新聞の3月15日付けの「天声人語」では、3月3日に亡くなった大江健三郎氏を追悼して、次のように書き出しています。
 「『知る』と『分かる』はどう違うのか。作家の大江健三郎さんは『知る』から『分かる』に進むと、自分で知識を使いこなせるようになると定義した。その先には「悟る」があって、まったく新しい発想が生まれる、と。」
 「学び」を深めるとはどういうことかについて、考えさせられる言葉だと思います。
 最近、広島学院の卒業生で東大と東北大で教えておられた学者川本隆史氏を通して「まなびほぐす」という言葉を知りました。大江健三郎氏の言う「知る」ことから「分かる」へ、さらに「悟る」へと学びが深まることと関連しますので、その話をしたいと思います。
 「まなびほぐす」は、もともとは哲学者鶴見俊輔が、英語の動詞unlearnを彼なりに日本語に訳した言葉です。この鶴見俊輔という人物は若い頃日本の学校になじめず、1938年、(それはちょうど六甲学院が開校した年に当たるのですが、)16歳でアメリカのハーバード大学に留学します。17歳の夏休みにニューヨークの図書館にいたときに、幼いころに盲聾唖となった社会福祉事業家ヘレン・ケラーが手話の通訳とともにその図書館を訪ねてきて、彼女と出会い、彼女から聞いた話を紹介しつつ次のように述べています。
 「ヘレン・ケラーは『私は大学でたくさんのことを「まなんだ」が、それからあとたくさん「まなびほぐさ」なければならなかった』と言った。たくさんのことをまなび(learn)、たくさんのことをまなびほぐす(unlearn)。それは型(かた)どおりのスウェーターをまず編み、次に、もう一度もとの毛糸にもどしてから、自分の体型の必要にあわせて編みなおすという状景をよびさました。」
 のちに高名な思想家になる17歳の日本人青年が、80年以上も前にヘレン・ケラーとたまたまニューヨークの図書館で出会い、このような会話をしていることも不思議です。大江健三郎氏の言う『知る』から『分かる』、さらに『悟る』に進むようになるためには、このような『まなびほぐす』プロセスが必要であるように思います。鶴見俊輔氏は「まなびほぐさなければ、人生を生きる知恵にならない」「知識は必要だ。しかし覚えただけでは役に立たない。それをまなびほぐしたものが血となり肉となる」と述べています。

 

Ⅳ 例:「人権」を自分なりに「まなびほぐす」こと
 少し難しいかも知れませんが、例えば、「人権」という言葉を学んだとしても、身近な自分に起こった出来事や、人から聞いた自分も身につまされるような具体的な体験と言葉とが繋がらなければ、言葉として知っても分かったことにはなりません。深く傷つけられたり人から蔑(さげす)まれたりといった体験に裏付けられて、自分なりの言葉に言い換えられたとき――例えば「人権」とは「それを失うと自分が自分でなくなり、それを奪うと相手が相手でなくなるような大事なことがら」と言い換えて、自分の腑に落ちたとき――に、「分かった」ことになります。そうして初めて自分を大切にし、周囲の人を自分と同じように大切にする「人権」の考え方が自分のものとなり、それに基づいた行動ができるようになるのではないかと思います。それが「学びほぐす」プロセスの一つの例です。(川本隆史「人権をまなびほぐす」『福音と世界』新教出版社2023年3月号)

 

Ⅴ 自分の経験とつなげて「分かる」学び方を身につけることへ
 高校になってからも、様々なことを「学ぶ」ことと思いますが、ぜひ学んだことを知識にとどめずに、想像力を働かせたり、自分の体験や他者の体験と関連づけたりして、「分かる」学び方を身につけてほしいと思います。学んだことを振り返り、自分の体験との関連や意味を見いだし、「知る」から「分かる」ように学びを深めることは、そのままイエズス会教育のめざす学び方でもあります。知識を自分にとって意味があり役に立つ知恵としてゆくような学びの経験ができれば、学ぶことの面白さや歓びも知りますし本当に学びたいという意欲も沸いてきます。さらに、学び続けたい分野やテーマが見えてきて、自分のしたいことが次第に明確になることを通して、めざしたい進路も見えてくることもあるだろうと思います。

 先輩たちがこれまでも卒業式や講演会などの様々な機会に述べているように、自分が探し挑戦しようと思えば、高校時代には自分を成長させてくれる様々な学びと経験の機会があります。ぜひその機会を積極的に捉え活かしてほしいと願っています。

三学期 終業式 校長講話

《2023年3月18日 三学期終業式 校長講話》

 

Ⅰ コロナ禍の緊急事態から日常へ
 3年間コロナパンデミックの中で、あたりまえではない生活を過ごさざるを得ない状況が続いていたのですが、日常は戻り始めているようです。「緊急事態」の中で過ごしてきた私たちにとって、例えば、マスクを外して人と会って話したりすることに、かえって違和感を覚えたり本当に大丈夫なのかと心配になったりすることも、しばらくはあると思いますが、相手の表情がわかる中でコミュニケーションをすることに、安心感や喜びを感じられる日が、早く来ればよいと思います。
 3学期は、学年によっては発熱による欠席者が増加して学年閉鎖をせざるを得ない期間もありましたが、授業や中間体操、放課後の清掃やクラブ活動・委員会活動などもほぼ平常通り行うことができました。80期の卒業式も全校生徒が集まって祝うことが出来て良かったと思います。

 

Ⅱ 学校活動一つ一つの意味を問いつつ、心を込めて行うこと
 六甲学院の教育の特徴は、授業で知性や感受性や体力を鍛え育てるだけでなく、瞑目や中間体操や清掃などの日常の地道な生活習慣と、体育祭・文化祭・強歩会等や長期休暇中の行事を通して、全人的な成長をめざしていることだと思います。毎日の授業にも、日常的にしている瞑目や清掃にも、一つ一つの学校行事にも、それぞれに意味や目的があり、それを時に問い振り返りつつ、心を込めてしてゆくことが大切です。
 明日からの春休みは、カト研の合同広島巡礼や一日巡礼の企画、上智大学の四谷キャンパスではSDGsアイディアソン、上智大学の秦野キャンパスではISLFというイグナチオ的リーダーシップ養成のための集いも行われますし、3年間行うことのできなかったニューヨーク研修や、高校1年生は初めての企画である泊りがけの勉強合宿もあります。単にコロナ禍でできなかったことを再開するというよりも、姉妹校4校の合同プログラムも含めた新しい企画としての行事が多くあります。参加する生徒は、そうした行事が自分にとってどういう意味があったのかを振り返りつつ、周りの人たちにも感想を分かち合ってくれたらよいと思います。
 また、外に出かけてゆく行事ばかりでなく、地道に行事準備のために学校に通う生徒も多くいると思います。高校2年生の役員を中心に、体育祭に向けて総行進のデザイン作成や競技・行進のシュミレーションの準備を進めているでしょうし、高校1年生の中には、文化祭の準備を考え始めている生徒もいるでしょう。

 

Ⅲ ニューヨーク研修-バスの中でのリーダー会議
もう10年ほど前になりますが、2014年に72期・73期が参加した第2回目のニューヨーク研修を引率した時には、ニューヨークからボストンまで、5時間ほどのバス移動でした。そのバス内でのほとんどの時間を、73期のこれから高2になる生徒たちは、文化祭をどうしてゆくか、学年の中で誰がどういう役割を担ったらよいかについて話し合っていました。ニューヨーク研修がリーダー研修としての位置づけだったこともあり、実際に学年のリーダー格が集まって旅行に参加していたせいもあったかもしれません。確かにその時のメンバーがその後に生徒会長になったり、文化祭の中核を担ったりしていて、おそらくニューヨーク研修中の生徒たちの話し合いが、後の行事運営だけでなく学年の生徒の自主的な運営にまで活かされていたのだと思います。リーダー研修を意図していた研修旅行ではありましたが、生徒たちは教師側の意図を超えた意味のある時間の使い方を旅行中にしていました。

 

Ⅳ ニューヨーク研修の企画に至るまでの体験
 それぞれの行事が実施されるまでには、教師の側にも様々な意図や思い入れがあり、また準備のプロセスがあります。春休みに行われる一つ一つの行事も同じだと思います。今日は、明後日から生徒18名が行くことになるニューヨーク研修について、その立ち上げに至るまでの話を、少ししたいと思います。
 ニューヨーク研修を企画したのは、2007年の4月から12月まで私がニューヨークのマンハッタンの北のブロンクス地域で生活した体験があったことが一つのきっかけでした。イタリア人街の大学院生の寮で暮らしながら、そこから徒歩10分弱のフォーダム大学に通っていました。そのイタリア人街は19世紀に移住してきたイタリア人たちの集落から始まった落ち着いた街なのですが、その後ブロンクスには比較的新しい移民が次々に出身地ごとに集まって集落を形成し、社会の底辺を支える仕事をしている人たちが多く生活をしている地域もあります。高い柵に囲まれたイエズス会学校のフォーダム大学内の建物が、中世のヨーロッパの貴族が暮らす城のように壮麗で美しいのとは対照的に、そこから一歩街に出ると貧しく荒れすさんだような殺風景な地域も多く点在しています。
 勉学はそれなりに忙しかったので外出する機会は多くはありませんでしたが、住んでいたブロンクスから、月に1~2回、地下鉄を30分ほど乗って、週末にマンハッタンの図書館や美術館などに行くと、街の景色は別世界のように思えます。街並みは美しいですし、学生証さえあれば、世界中の傑作が並ぶメトロポリタン美術館は寄付金1~2ドルでも入れますし、ミュージカルも当日空きがある演目ならば半額近くで見ることができます。映画「ティファニーで朝食を」や「スパイダーマン」などにも出てくる市立図書館は、自分の住所宛に送付された封筒を受付に見せてニューヨークに住んでいることさえ証明できれば、容易に会員になれて自由に使うことができます。また一方で、2007年当時はマンハッタンの南部の同時多発テロがあった地帯は、破壊されたビルの瓦礫(がれき)が、すべては撤去されずに残されていて、出来事の悲惨さ、深刻さ、生々しさを伝えていました。
 通っていたフォーダム大学内には、フォーダム・プレップと呼ばれている名門高校があって、そこにも週1~2回通い、おもに宗教の授業を見学していました。優秀だけれど人懐っこい生徒たちが多く集まっていて、社会奉仕活動にも熱心な学校でした。年間70時間の課外奉仕活動を一人一人がすることになっていて、「奉仕(Service)」と呼んでいる授業があり、自分の行った病院や福祉施設での活動で考えたこと、感じたことを10数人のクラスメイトが毎週分かち合っていました。また。上級生が下級生のためにプログラムを作って、縦割りのグループで話し合いをし発表をするような企画行事もしていました。
 高度な学問のできる大学をめざす生徒たちであること、社会奉仕活動が盛んなこと、上級生が下級生を指導する行事があること等、六甲学院との共通点が多くて、この学校の生徒たちならば、六甲の生徒たちとも学校生活を話題として交流ができるのではないかと思いました。
 その後、マンハッタンの北側の移民が多く暮らすハーレム地域に、クリストレイという移民の子弟のための学校を設立した神父と知り合いになったり、六甲の卒業生が集まる伯友会があると聞き、国際的な会社の第一線で活躍している卒業生や名門コロンビア大学で研究している卒業生がいることを知ったりして、六甲生にぜひこういう人たちと出会い、こうした場所を訪れてほしいという思いが強くなってゆきました。
 マンハッタンとブロンクスの街の経済面・生活面での格差や、国連や同時多発テロの発生した場所での平和学習、姉妹校との生徒交流、ニューヨークならではの芸術作品鑑賞、アメリカの大学見学や福祉施設訪問、六甲の卒業生との交流等、六甲生にとって、六甲独自のユニークで豊かな体験のできるプログラムが作れるように思いました。

 

Ⅴ 東日本大震災直後の下見で経験したこと
 生徒を連れてゆくプログラムとして企画するに当たっては、普通に観光でニューヨークを巡るのとは異なる場所に行くプログラムが中心となりますので、その行程が安全であることを確認する必要はありますし、交流する学校でお世話になる先生や六甲学院の卒業生との打ち合わせは必要でした。伯友会の方々の中には生徒の行く行程にブロンクスが入っていることで、治安面も含めて心配される方もおられましたので、一緒にそのOBの方々と行程を回り、アドバイスも受けつつ、その心配を払拭する必要があるとも思いました。最初は個人的な思いからの発案で、実現できるかどうかわからないものでしたので、下見もまずは、企画として学校に検討してもらうための地ならしのつもりで行きました。下見の時期は留学から帰って3年後、ちょうど2011年3月、東日本大震災が起こった時で、航空チケットを購入した時には想像もしなかった惨事で、出発までの10日間、日本がこんな時に行くべきかどうかずいぶん迷いました。しかし、即座に自分が東北の被災地に行ってできることはないように思いましたので、結局予定通りにニューヨークに向かいました。
 行って驚いたのは、日本の地震や津波災害について心配してくれている人たちが大変多いことでした。ブロンクスの貧しい地域で炊き出し活動をしている知り合いのシスターは、勤め先の大学で、熱心に募金活動をしていて、大学中のあちらこちらに東北被災地の写真付きの募金箱がおいてあり、大学生は本当によく協力してくれていました。また、マンハッタンは公的な施設に入るときには簡易な荷物検査があるのですが、市立図書館の別館に行ったとき、肌が黒く大柄の見た目は大変いかついガードマンさんが、「日本から来たのか、たいへんだったなぁ、家族は大丈夫なのか、津波の映像を見るたびに涙が出てくるよ」と言いながら、本当に目に涙を浮かべていたことが、忘れられません。世界の大都会ニューヨークは一見冷たくよそよそしく時に怖くも感じる街ですが、実は人懐っこく暖かく優しい面があります。ニューヨークに限らず、この世界は実は本当はお互いを心にかけつつ、できることがあればするし、慰めや励ましの声をかける優しさを持っているのではないかと、そのときの出来事を思い出すたびに、思います。人はもともと優しいものであるという人間への信頼を感じさせる出来事でした。

 

Ⅵ 学校活動の目的・意図を振り返りつつ、体験を分かち合うこと
 帰ってきてからの一年間は、学校内の社会奉仕活動として東日本大震災の被災地に生徒と向かう奉仕活動に専念し、5月に津波被害の激しい塩釜・石巻・南三陸などを下見したうえで、夏休みに石巻、翌年の春休みには大船渡、陸前高田に生徒と共に被災地ボランティアに行きました。ニューヨーク研修については翌年の2012年度に一年をかけて準備をしたうえで、2013年の春休みに実施したのが第一回のニューヨーク研修旅行でした。回数は重ねて担当者が変わっても、基本的な理念は受け継がれつつ、それぞれの回の生徒たちが各々にユニークな体験をしていて、時には教師の意図していた以上の充実した経験をしてきていることを、文化祭などでの発表を見ながら知ることもありました。明後日からニューヨークに行く生徒たちも、ぜひ帰ってきてから自分たちの体験を他の生徒たちに伝えてくれたらよいと願っています。

 

 春休みは、行事に参加する生徒もいるでしょうし、学校内で行事準備に専念する生徒もいるでしょう。日常とそう変わらない生活をする生徒も、まずは勉学に取り組む必要のある生徒もいるでしょう。先ほども述べたように、学校の活動にはそれぞれに意味や目的がありますので、それを時に問い振り返りつつ、心を込めてしてゆくことが大切です。何をするにせよ、自分なりに目標を定めて、充実した生活を過ごし、元気に新学期を迎えてくれればと願います。

六甲学院高等学校 80期生卒業式 校長祝辞

《2023年3月4日 六甲学院高等学校 80期生卒業式 校長祝辞》

 

Ⅰ はじめに
 80期の皆さん、卒業おめでとうございます。保護者の皆さん、ご子息のご卒業、本当におめでとうございます。
卒業アルバムには、80期の卒業生に向けて、次のような「贈る言葉」を書きました。
「80期の皆さん、ご卒業おめでとう。中学から高校卒業に向けての頼もしく目を見張るような成長を見守ることができ、嬉しく思います。コロナ禍の様々な制約下での文化祭・体育祭の仕上げは見事でした。For Others, With Othersを生き方の軸に、幸せになってくれたらと祈ります。」 書いたのは数か月前ですが、思いは今も同じです。

 

Ⅱ コロナ禍の制約の中でベストを尽くし学校をまとめた80期生
 80期の高校時代は、コロナ・パンデミックに覆われた3年間でした。そして、最後の一年間は、ロシアのウクライナへの侵攻により、世界の平和秩序が大きく揺らいだ年でした。日常生活・学校生活に多くの制約が加わり、精神的にも不自由さや抑圧感や不安感の中で過ごさざるを得なかったと思います。それにもかかわらず、80期は様々な制約の中でやれる限りのことを、互いに協力しながら、また創意工夫をしながら、成し遂げることができた学年でした。またその中で大きく成長した学年でした。
特に文化祭と体育祭は、コロナ感染を広げないための様々な制約の中で、指導面では規律と約束事を守らせながら、相手の意図や思いにも配慮しつつ、できる限り自主的に動けるようにモティベーションを持たせてゆくという難しいかじ取りを、行っていたように思います。その結果、多くの生徒たちが文化祭や体育祭では達成感ややりがいを感じ、学校としてもひとつにまとまっていきました。

 

Ⅲ 互いに敬意を払いつつ切磋琢磨し成長した80期生
 行事に限らず、勉学でもクラブ活動でも委員会活動でも、それぞれの場で自分たちの責任の下に学校を引っ張ってくれていました。各活動の中に核になる生徒がいて、六甲学院の諸活動の意義を理解ようと努めながら物事を進めてくれていました。例えば、インド訪問には残念ながら行くことのできなかった学年でしたが、インド募金は六甲生が当然協力するべきものとして緩むことなく行われ続けていました。それは、心強いことでした。コロナ禍の影響で長い期間これまでと同様には行えないことの多かった清掃活動や中間体操も、その時その時の条件に対応しつつ、後輩指導をしてくれていました。学校活動の中心である勉学においても、多くの生徒がコロナ禍の環境の整わない中でも倦まず弛まず励んでいました。2年前、コロナ禍の1年目には、学年初めの2か月間の休校期間から始まって学校生活が正常に行われなかったことから、基本的には高1から高2への進級を認めることが3学期に発表されましたが、進級できることが決まっていても、勉学面での取り組みが大きく緩むことなく、当然すべきこととして進められていた学年でした。
 それは、社会奉仕活動や訓育活動や勉学に、日常的に本気で取り組んでいる生徒たちが一定数いて、お互いに切磋琢磨するような人間関係ができていたからかもしれません。ミッションステートメントの一番目に「①自分と他者の良さを認めて、互いに切磋琢磨して成長し合う人間関係を築きます」とありますが、その通りのことが実現していたのだと思います。本気で取り組むクラスメイトに敬意を払いつつ、その活動に意義を認めて、自分たちも同じように真面目に取り組む気風が自然に生まれていたのではないでしょうか。6年間、お互いにまだ精神的にも幼い時から一緒に様々なことをしてきて、卒業が近くなるにつれて、相手が人間的に成長しているのが分かって、それに刺激を受けて自分も成長していったのだと思います。一昨年文化祭後に文化祭役員が講堂に集まって振り返りの集会をしたときだったと思いますが、役員の一言ずつのスピーチの中で「一緒にいるうちに周りがだんだんと人格者になってゆくんです」という表現をしていた生徒がいました。その表現が大げさだとは思わないくらい、教師から見ても目を見張るほどの成長を感じていました。

 

Ⅳ 危機を乗り超えるための三つの「価値」について
 80期の皆それぞれがコロナ禍の中で過ごした3年間のうちには、クラブ活動や旅行や趣味を共有する友人との活動など、ぜひしてみたかったことやする価値があると思っていたことができなくなり、苦しくつらい時期はあったろうと思います。これからどうなるかもわからない中で、ふさぎ込むような気持ちや無力感や不安感に陥っていたこともあったでしょう。生活の中に喜びを見出せない、意味を見出せない、何をする意欲もわかない、という状況の中で、精神的に危機的な状況に追い込まれたときに、その危機とどう向き合ってきたのでしょうか? 卒業を機に、この3年間を振り返る中で、そうした危機を乗り越えるための心の手立てを見出すことができたら、それは今後にとっても、きっと役に立つことだと思います。もちろん、今後一生平穏無事な人生を過ごせたら一番よいのですが、予期しない災害、病気の苦しみ、不幸な出来事といった危機に向き合う必要が生まれたときに、一つの視点を与えてくれる考え方を紹介します。
 大事故・大災害・世界的危機が起こった時によく読まれる著書の作者に、オーストリアのユダヤ系精神科医で心理学者のヴィクト―ル・フランクルがいます。『夜と霧』や『それでも人生にイエスと言う』などが代表作です。第二次世界大戦中に、ナチスの強制収容所での生活を強いられて、いつ終わるか分からない過酷な労働と生活環境のなかで常に死と向き合っていた人です。その生活の中で彼が確信したのは「自らの人生に意味を見いだす人は、苦しみに耐えることができる」ということでした。逆に、苦しみの中で生きていることに意味を見出せなくなった人から、心が折れ体も病み衰弱して死んでゆくことを、収容所内の身近な体験として知ります。
フランクルは生きることに意味を与えるもの、人生の中で人が見出せる価値は3通りあると述べています。創造的価値 体験的価値 態度的価値の3つです。創造的価値とは何かを作り出すことです。(例えば美術作品を作る 詩や小説を書く などです。)
体験的価値とは芸術作品を味わったり仲間と一緒に何かをしたりすることです。(例えば音楽を聴く 映画を見る スポーツをするなどです。)
 この2つの価値については、六甲学院の多くの生徒は、コロナ禍でもそれなりに経験をしてきたのではないかと思います。体育祭の総行進を生徒全員で作っていくことや、文化祭の講堂やステージでの企画や展示作品を作っていくのは、創造的価値に当たるでしょう。体育祭で観客として騎馬戦・リレーなどの競技を見たり、文化祭で展示や発表を見たり、講堂・ステージでのパフォーマンスを見たりして感動すること、仲間と一緒に何かに取り組んで喜びを感じるのは体験的価値です。そうした大きな行事の中だけでなく、ささやかな日常の中で見出せるものもあるかと思います。
 もう一つの態度的価値とは、創造的価値や体験的価値を感じにくい状況の時にも、人間の態度のうちに感じられる価値のことです。ナチスのアウシュビッツ収容所にいたフランクルにとっては、どんなに悲惨な状況の中でも、自分のパンをより弱っている人に分け与える人がいたことを伝えています。そういう尊い行為をする人間がいることが救いであり励ましであり人生に意味を与えるものでした。
こうした「態度的価値」は他の2つの価値が生まれる状況にない厳しい場面でも見出すことができるものとして貴重なのですが、実は日常の中でも見出し得るものだと思います。例えば、今週の火曜日のことなのですが、六甲学院の生徒が、90歳代の高齢の方が通学路の松陰女子大前のT字路で転び怪我をしているところを見つけて助け起こし、救急車が来るまで現場にいた生徒の数人は、顔面を道路にぶつけて血を流しているその方に、ティッシュペーパーや替えのマスクを差し出したりしていたことが報告されています。たとえ些細なことと思われることでも、人を助ける行為が同じ学校の生徒にあったことを知って嬉しく感じたり励まされたりすることはあると思います。
 緊急時や切羽詰まった状況の中で人々が示す態度のうちに、人としての良さ、人間らしさが表れることがあります。ささやかな行為であっても、そこに人間としての尊さや美しさが感じられたりしたときに、人として生きることの意味を感じることはあると思います。それが態度的価値にあたります。

 

Ⅴ コロナ禍に国際的リーダーが示した態度的価値
 コロナ禍では、社会には自分自身が感染して深刻な状況になりかねない状況でも、自分の身を危険にさらしながら人のために尽くす人々がたくさんいました。また、そうした最前線で働く人々に感謝を伝え、励ましになる発言をするリーダーたちもいました。その中で私にとって特に心に残っているのは、感染拡大の初期にドイツのメルケル前首相の、医療従事者だけでなくエッセンシャルワーカーに向けても発せられていた感謝とねぎらいの言葉でした。メルケル首相が、2020年3月18日に行ったテレビ演説の中の言葉を幾つか紹介します。
 一つ目です。
 「何百万人もの方々が職場に行けず、お子さんたちは学校や保育園に通えず、劇場、映画館、店舗は閉まっています。なかでも最もつらいのはおそらく、これまで当たり前だった人と人の付き合いができなくなっていることでしょう。もちろん私たちの誰もが、このような状況では、今後どうなるかと疑問や不安で頭がいっぱいになります。」
メルケル前首相はこのように、まず、コロナ禍に入って生活が変わり人とのつながりも断たれてしまっているつらさや不安を、国民と同じ目線で伝えています。
 二つ目です。
 「多くの人が病気に感染し、そして亡くなってゆくことは、単なる抽象的な統計数値で済む話ではありません。ある人の父親であったり、祖父、母親、祖母、あるいはパートナーであったりする。実際の人間が関わってくる話なのです。そして、私たちの社会は、一つひとつの命、一人ひとりの人間が重みを持つ共同体なのです。」
メルケル前首相は、感染により大切な人を失ってしまった人々に対して、統計数値では測れない一人ひとりの悲しみを思いやり、命の重さを伝えています。
 三つ目です。
 「この機会に何よりもまず、医師、看護師、あるいはその他の役割を担い、医療機関をはじめ我が国の医療体制で活動してくださっている皆さんに呼びかけたいと思います。皆さんは、この闘いの最前線に立ち、誰よりも先に患者さんと向き合い、感染がいかに重症化しうるかも目の当たりにされています。そして来る日も来る日もご自身の仕事を引き受け、人々のために働いておられます。皆さんが果たされる貢献はとてつもなく大きなものであり、その働きに心より御礼を申し上げます。」
メルケル前首相は、医療従事者が自らも感染する危険性のある中で命をかけて、患者たちの命を守り救おうとしていることに感謝の気持ちを伝えています。
 最後に四つめです。
 「さてここで、感謝される機会が日頃あまりにも少ない方々にも、謝意を述べたいと思います。スーパーのレジ係や商品棚の補充担当として働く皆さんは、現下の状況において最も大変な仕事の一つを担っています。皆さんが、人々のために働いてくださり、社会生活の機能を維持してくださっていることに、感謝を申し上げます。」
メルケル前首相は、医療従事者だけでなく、目立たない仕事ではあるけれども、自分が感染リスクの高い危険な状況にありながらも休みなく職場に出て社会生活を支えてくれている人たちに気づいていて、心配りをし感謝の気持ちを伝えています。
 イエズス会教育の目標である『他者と共に生き他者に仕えるリーダー For Others, With Others』は具体的なイメージがわきにくいかもしれませんが、メルケル前首相のように多くの人々が見逃してしまいそうな陰で人々の生活を支えるために働いている人々に気づいて、ねぎらい感謝し励ますことのできるのは、その資質の一つではないかと思います。

 

Ⅵ コロナ禍で学んだ大切で普遍的な価値を振り返る
 ―他者の幸福に喜びを感じられるリーダーとなるために
 ミッションステートメントには、六甲学院の使命は「『過ぎ去るものの奥にある永遠なるもの』を探求し、『他者と共に生き他者に仕えるリーダー』を育てることです。」とあります。この3年間のコロナ・パンデミックは出来事として過ぎ去りつつありますが、その中で、私たちが今後に生かすべきこととして学んた大切で普遍的なこととは何だったでしょうか? 創造的価値・体験的価値・態度的価値を一つの視点として、不自由な生活の中で何に意味や価値ややりがいを見出すことができたかを、振り返ってみてください。この3年間で自分が大切だ・価値があると思ったことは、これからの人生の中で大事な物事を識別し選択する上での基準の一つになりうるだろうと思います。それと同時に「他者と共に生き他者に仕えるリーダー」とは、どういう人なのか、今日の話では、メルケル前首相を例に挙げました。自らも行動すると共に、目立たず普通には気づかれない人の姿に心を向けて、その人たちのうちに価値を見出し、その活動を言葉や行動で支えることのできるリーダー、他者が幸せになることに喜びを感じられる人間になってくれればと願っています。