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校長先生のお話

三学期 終業式 校長講話

《2024年3月19日 三学期終業式 校長講話》

 

「経験」と「振り返り」を通してFor Others, With Othersの生き方へ
   -現代の世界情勢の中で“善いサマリア人”を目指すということ-

 

(1)イグナチオ的教育法-経験→振り返り→次の行動の選択→実践(経験)のサイクル
六甲学院はイエズス会学校として、教育方法にも創立者イグナチオの精神が生かされています。その教育方法の基本は、一人ひとりの経験を大切にし、経験を振り返る時間を設け、その中で経験したことの意味を見出し、それをもとに次の行動を選んで実践することです。経験から振り返り(内省)へ、さらに次の行動を選択し実践(経験)することへ、そうしたサイクルの積み重ねの中で、自分の適性や将来の方向性や進路や意味のある生き方を見出してゆくところに特徴があります。この場合の「経験」とは、日常の中の些細な出来事を含めて、自分の心に触れるもの、感情を揺り動かすもの、思索や内省へと促すものすべてを指します。日々の地道な授業も清掃も経験ですし、友人との出来事も、朝礼や講演会で聴く話も、クラブ活動や委員会活動、体育祭・文化祭・強歩大会・研修旅行などの行事も経験です。
経験したことをそのままに放置しないで、自分の心を大きく動かしたり感動したりした出来事に着目しつつ、経験の奥にあるメッセージを見つけ出してゆくことが、「振り返る」という行為です。六甲で物事の区切り目にしている「瞑目」は、そのための時間でもあります。「振り返り」の中で気づいたメッセージ(経験の意味)をもとに次の行動を識別し(選び)、それを実践することが新たな経験となります。そうした積み重ねの中で、自分の生き方や進む道を選んでゆければよいと思います。先ほど84期中学卒業式で紹介した『君たちはどういきるか』(吉野源三郎著)の、コペル君のお母さんの「石段の思い出」などは、その好例としても読むことができます。最近聞いた今年の81期卒業生の経験を例として、紹介します。

 

(2) 社会奉仕活動と海外研修の経験の繋がりから進路選択へ
3月9日(土)、高校の卒業式の一週間後に、六甲学院受験を考えている児童と保護者向けに中学入試報告会をしました。その中で卒業したばかりの81期生2名と四宮先生とのクロストークがありました。一人は国立大の法学部に合格しているのですが、なぜそういう進路を選んだのかを四宮先生から聞かれたときの答えが印象に残りました。
入学時、六甲は第一志望であったわけではなく、最初は腐る気持ちもあったのだけれども、「せっかくここで6年間を過ごすならば、前向きに」と気持ちを切り替えたそうです。そして、六甲ならではの活動の一つが委員会活動だと思い、いくつかの委員会活動を経験しました。自分には社会奉仕員会が肌に合っているように思えたので、そこにコミットするようになりました。その中で、ホームレスの方への炊き出し活動などができたことは、貴重な体験だったようです。法学部を選んだのはニューヨーク研修に行ったことがきっかけでした。姉妹校フォーダム高校の生徒たちと、ワーキングプア(working poor-働いてはいても貧しくて、日々の食事にも事欠く人たち)への炊き出し活動を案内していただきました。その施設には法律相談所が併設されていて、そこでの説明を聴く中で、法律を通して社会的で困窮する人たちを助ける仕事ができることに目が開かれて、六甲でしてきたことと将来していきたいこととがつながりました。それで法学部に行く決心をした、という話をしてくれました。

 

(3)六甲学院ならではの経験からFor Others, With Othersの生き方へ
この卒業生の体験からもわかるように、春休みに行われるニューヨーク研修旅行では、格差社会の現実を知り、繁栄の陰にある貧しさに触れることが目的の一つです。マンハッタン地区の北にあるブロンクス地区のフォーダム高校を訪れ、高校からも近く生徒の社会奉仕活動先にもなっているPOTSという福祉施設に行きます。
1階は炊き出し活動のための食堂や食料倉庫があり、地下には医療相談・診療所や散髪やシャワー室があり、2階が経済的支援も含めた法律相談所になっています。クロストークを聴きながら、六甲学院で学んでいたからこそ見聞きすることのできた話や経験や出会いを通して、自分なりに志を持つ人が育っていることを、大変嬉しく思いました。その志が、働いてはいても炊き出しに並ばざるをえないような、社会の中で弱い境遇の人たちの側に立つ仕事をしたい、そのために法律をしっかりと学びたいという、そのままFor Others, With Othersの生き方に繋がるものでしたので、これからも陰ながら応援したいとも思いました。

 

(4) 民族・宗教の違いによる敵対関係や差別偏見を超える“善いサマリア人”
Man For Others, With Othersを最初にイエズス会教育のモットーとして提唱したのは、アルペ神父でした。彼自身が第二次世界大戦中に原爆が投下された広島で、爆風と閃光によるけが人を懸命に助け、Man For Others を実践した人物であったことは、1学期の終業式で述べました。アルペ神父が “Man For Others” という言葉で第一にイメージをしていたのは、聖書の中の善いサマリア人の譬えの中の、追いはぎに襲われて大けがをした人を助けたサマリア人でした。恐らくこの個所は、一年間で朝礼やMAGISの日、先日の高校卒業式のサリ理事長の話を含めて、最も多く登場した聖書の話ではなかったかと思います。
ルカによる福音書10章で、「私の隣人とはだれですか」という律法の専門家の問いに対して、イエスが答えた譬え話です。
「ある人がエルサレムからエリコへ下っていく途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じようにレビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶとう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨2枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います』さて、あなたはこの3人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
この話の中で一つ背景知識として知っておきたいことは、当時、怪我をしたユダヤ人と助けたサマリア人とは、民族的にも宗教的にも敵対関係にあって、お互いに話をするのもはばかれるような間柄だったことです。それにもかかわらず、このサマリア人は、敵対意識や偏見や差別感情を超えて、「その人を見て憐れに思い」、助ける行為に出ます。人として怪我をして苦しんでいる人を放っておけないという気持ちが、すべての壁を超えて、その人を助ける行動へと動かしたのだと思います。今の時代の人間にこそ必要なメッセージが含まれています。

 

(5) ヨルダン川西岸地区の現状取材―安田菜津紀さんの記事から
この聖書の譬え話の中に出てくる「エリコ」という町は現在も存在しています。報道でも時々聞かれる「ヨルダン川西岸地区」に位置しています。パレスチナ人の主な居住地域は、西を地中海、南をエジプトに接する「ガザ地区」と、東をヨルダンに接する「ヨルダン川西岸地区」との2か所が、パレスチナ自治区としてあります。「パレスチナ自治政府」はありますが、現実には自治区の半分以上がイスラエルの軍事支配下に置かれています。
岩波書店の『世界』という雑誌の3月号に、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんが、昨年の暮れから今年の初めまで、このヨルダン川西岸地区に行って取材した記事が載っていました。これまで中東や東南アジア、アフリカ、東日本大震災の被災地などを取材してきた人です。この方は、広島学院のある社会科の先生の前任校での教え子であり、上智大学の卒業生でもあります。そうした縁もあって、昨年の夏休みに六甲学院の先生を含めてイエズス会4校の先生方20人程が、鎌倉の「アルペ難民センター」という所で、安田さんからお話を伺う機会がありました。常に紛争地や被災地に暮らす女性や子どもたち、また日本社会の中で暮らす外国にルーツを持つ難民・移民など、弱い立場の人たちの側に立って、写真を撮影し記事を発信し続けているジャーナリストです。
安田さんは、パレスティナ・ガザ地区に暮らす友人たちの声や、ヨルダン川西岸地区の「自治区」に暮らす人たちの現状を紹介しながら、今回のイスラエル軍の侵攻以前から、パレスチナの人たちの生活は、人として「尊厳ある暮らしを保つことが困難」であった上に、今回ガザ地区は「攻撃により、学校や病院、道路、生活に欠かせないインフラはことごとく破壊され、これまで以上に人間が住居不可能な空間となってしまった」と述べています。そして、ガザ地区での戦闘は昨年の「10月7日、ガザを実効支配するイスラム組織ハマスがイスラエル市民を攻撃したことをきっかけに」起きたという文脈で報じられることが多いのですが、事態はその日に急に始まったわけではないことを伝えています。
ガザ地区と同様にパレスチナ自治区であるヨルダン川西岸地区を今回訪れた安田さんは、そこでは「昨年7月にもイスラエル軍の激しい侵攻」があり、10月7日以降も「襲撃の頻度が増している」ことを報告しています。1万4000人のパレスチナ人が住む西岸地区内のジェニン難民キャンプでは、日常的に普通に暮らす家庭にイスラエル兵が踏み込み、お金を強奪し家を踏み荒らすようなことが頻繁に起きており、上空を飛ぶドローンの攻撃による爆発音や銃声も日常の出来事になっています。安田さんが取材した話の一つには、昨年11月末に路上で遊んでいた15歳と8歳の少年がイスラエル兵に「テロリスト」として射殺されたという出来事が紹介されていました。パレスチナ自治区と呼ばれ、この難民キャンプはパレスチナ自治政府が行政・治安の権限を持つ地区であるとされながら、自治区とは名ばかりの実態であり、こうした理不尽な状況が国際社会の中で放置されてきたことは問題視する必要があることを、今回の取材記事の中で、安田さんは伝えていました。
聖書の中の善いサマリア人の譬えの舞台になるような地域が、未だに民族や宗教などの違いを乗り越えられず、殺傷を含む理不尽な暴力が続いていることは、ほんとうに人類として悲しむべきことだと思います。

 

(6) 日本で暮らす私たちが難民や移民の隣人となること
安田さんの著書の中には、「隣人のあなたー『移民社会』日本でいま起きていること」という岩波ブックレットの中の一冊があります。海外にルーツを持ちつつ、安全で平和な生活を求めて日本に来る人たち-難民や移民や外国人労働者たち-にとって、日本で暮らす私たちは本当の「隣人」になることができるだろうか? 特に生命の危機を感じて日本に避難し、ここで市民として暮らすことを望む人たちにとって、私たちが「隣人」となるためには、社会や自分自身をどう変えてゆく必要があるだろうか? 外国から日本に来て懸命にこの社会の中で暮らそうとする人たちのことを取材しつつ、そうしたことを問うているように思います。学習センターには、カウンター前に青木光博先生の紹介で、この本が展示されていますので、ぜひ手に取ってくれたら、と思います。

 

(7) 国内外で弱い立場に苦しむ人たちへの取材の原点―マイノリティの視点から 
安田さんがなぜ、国際的な関心の中で苦境にある女性と子どもの視点に立った取材をされているか、また日本の中での難民や移民への関心を持っておられるのかについては、著者紹介や著書を読むと、ある程度推察することができます。16歳の高校生のときに「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材した経験があること、また、パスポートを取得するにあたって、自分の父親が韓国籍であったことを初めて知ったこと、そうした経験が世界の弱い立場にある人たちに向けて目が開かれるとともに、日本の中で外国をルーツに持つ人たちが、現在どういう境遇にあるかについて、目を向ける契機になったのだと思います。
『あなたのルーツを教えてください』(左右社)という本の中では、次のように述べています。
「私自身もまた、ルーツを知るまでは、自分や家族が『日本人』であることを疑わず、そうした意味での社会的「マジョリティ(多数派)」として生きていました。……韓国を「日本より遅れている国」という文脈で報じる映像を、無意識に受け入れてしまっていたのです。それどころか、「変な国だな」と、自分とは違う『異質な何か』として考えていた節さえあります。こうして自分が日本社会で「マジョリティ」でいる限り、差別やヘイトの問題は、私の皮膚の外側にあるものとして、痛みを感じることすらなかったのです。……自分の出自(しゅつじ)が、実は「矛先を向けられる側」にあると知るまで、私はその刃がどれほど人の心を、生活をずたずたに切り裂いてきたのか、肌感覚で考えたことがほとんどなかったと言っても過言ではありません。」(17ページ)
そういう安田さんは、マジョリティ(多数派・大多数の側)としてではなくマイノリティ(少数派・少数の側)の立場で、同じ社会のマイノリティの人たちの側に立って社会を変えてゆく使命を感じて、フォトジャーナリストの道を選んできたのでしょう。社会の中で人間の尊厳を大切にされずに差別されがちな立場の人たち、子どもや女性や民族として少数の人たちが、苦境にあるとわかった時に、放ってはおけないという思いになったのではないかと思います。

 

(8) 経験と振り返りを通して―誰の「隣人」になりたいと思うか?
日々学ぶための原動力としても、進路を考えるにあたっても、六甲学院では「経験」と「振り返り」を大切にしています。訓育や社会奉仕、行事や海外研修の経験が有機的につながり、高い学びへと向かえばよいと思います。もちろん、望む進路に向かうために最も必要なのは日々の授業で身につける基礎学力ですので、それを十分身につけた上での進路選択です。世界の情勢を幅広く見ながら、自分が「誰を放っておけないと思うか」「誰の隣人になりたいと思うか」を大事な観点にしてくれたら、と思います。現代にあって「善いサマリア人」のような行為ができる人、For Others, With Othersを生きる人になることは、大きなチャレンジですし、めざすべき目標にもなると思います。そして、最初に述べた81期の卒業生やフォトジャーナリストの安田さんのように、自分の経験が将来自分のしたいことや使命と結びついて、大学の進路や仕事に繋がっていけばよいと思います。自己実現の道が、他者の幸せを実現する道でもあると、自然に思えるような選択ができれば…と願っています。